2010年09月19日08:31 弱音
私はガンになって、こんなにも多くの人に愛されていたんだということを知りました。
世界中から応援のメッセージを受け取ります。
カリフォルニア、ニューヨーク、フランスから電話がありました。フロリダからお見舞いにきてくれた友達もいました。日本国内からも遠い岡山までたくさんの方がお見舞いにきてくれます。NYにいた時の友達のお母様が、娘と仲良くしてくれてありがとうと新潟からお米を送ってくれました。そのお母様にはお会いしたことないのですが、娘に電話するといつもあなたの名前が出たと、いつもやさしくしてくれたと手紙に書かれていました。いつの間にかたくさんの方が私を励まし、応援して下さっていました。
でも、みんなの応援に答えられない自分が情けなくてmixiに何を書いていいのか分からなくなり、mixiを続ける気力さえ失っていました。
あんなに頑張って飲んでいた新薬。
すごい確率で勝ち取った新薬。
あまり効いてないらしくて、ガンが大きくなってるそうです。来週のCTで判断して新しい抗がん剤に変えるかもしれない。
でももう来週からの抗がん剤の準備に新しい薬を飲むように言われたので、もう決まりなのかな…。
肺の炎症が治まって、新薬が効いてれば家に帰れると思ったのに。
毎日上がる熱、毎日繰り返す嘔吐、下痢、体重減少、食欲減退、毎日の採血、日に4回の点滴、肺にドレーンを通してる痛みと自由にならない体。
入院して2ヶ月、そろそろ精神的にも限界がきたようです。何もかも嫌になってきた。でも死にたくはない。どうしたらいい?
ここ最近は、炎症のせいで胸膜に壁ができて硬くなってるのを溶かすのに、ドレーンからそれらを柔らかくする薬を入れたりしてました。確かに大きく息をすると肺が硬くなってるのが分かります。
来週から新しい抗がん剤になったら、それらは副作用がたくさんあります。今の私の体力、精神力が持つのか自信がありません。どうして私のガンは、私を苦しめることばかりをするんだろうか。
昨日は一日、私の葬式のことを考えていた。ガンのいいところは、死ぬ準備が出来るところ、と聞いたことがある。祭壇に飾る写真には赤いカツラをつけて着物を着てるものにしてほしい。数年前の仮装忘年会で撮った写真。私を見送る時の曲はGReeeenの『遥か』にしてほしいな。元気なうちに、葬式にきてくれたみんなに読んでもらうように手紙を書こう。みんなの涙と笑いをさそうようなやつ。そんなことを考えていた。
じわじわとガンに侵されていく私の体。どうしてなんだろう。生きて帰りたい。神様はそれさえも許してはくれないのだろうか。
2010年09月22日11:58 ガンと向き合う
昨日、主治医の先生方が来て、新薬が効いてなくてガンが大きくなってること、金曜日が別の抗がん剤治療を始めるということを深刻な顔をして話していかれました。正直、期待していただけに奈落の底に叩き落とされた気分でした。
胸水がたまっていた部分にガンが広がっていて、ドレーン部分にまで迫っているとのことでした。
新薬は岡山大学でしか使えませんが、ほかの抗がん剤は別の病院でも使えるということで、近いうちに実家近くの病院に転院します。今までの病院は、実家から高速で1時間半かかるところで、なかなか両親もうちの子も連れて来れなかったんですが、実家近くの中央病院に転院できれば、車で10分なので毎日ゆくりにも会えます。
ママも離れてると、心配でしょうがないらしく、ガンが大きくなった報告をしたら昨日泣きながら電話をくれて、もう十分頑張ったから、こっちに帰ってきなさい、と。それに従おうと思います。岡山もいいとこだけど、やっぱり実家近くがいいよね。
昨日は寝れなくて、一晩中緩和ケアの人に話を聞いてもらって、アロママッサージをしてもらって、少し落ち着いて眠れた。
あのね、死ぬのは怖くないの。
ただ、残していくものがあまりにも多すぎて、大きすぎてそれに耐えられない。
今はうっすらと、大切な人との時間を持つように、とか、今の時間を大切にするようにとか先生方に言われてます。そんなに私のガンの進行は進んでるんだろうか。。。
と、はいっ!
暗い話はここまでよ!
次の抗がん剤効くんだからっ!
絶対にガンを抑えこむんだからねっ
2010年09月25日14:56 22日からのこと
ちょっと話が前後するんですが、ガンが大きくなってる話を聞いた21日の夜、たらちゃんに電話して伝えたら、明日行くからと言ってくれました。
その夜は寝れなかったという話は前にしましたが、次の日心配したママが朝の6時くらいに来てくれて、ママの顔見たら涙出てきて抱き合っていっぱい泣きました。22日には肺のドレーンがすぐに取られ、自由になって、抗がん剤の点滴は24日からだから、23日は外出許可が下りて、だったら一度実家に連れて帰られたらどうですか、私が全面的にサポートしますからとたらちゃんがうちのママに提案してくれて、なんと急遽実家に一日だけ帰れることになりました。
でも無理は禁物ということで、タクシー会社に勤める叔父が寝台車を用意してくれて、私はストレッチャーに横になって帰りました。
家では、私の好きな食べ物が用意されていて、病院ではぜんぜん食べれなかったのに、なんとこの日は完食美味しかったなぁ~ずっと帰りたかった場所に帰れて、みんなも嬉しそうで、幸せな時間が流れてた。高校の時の同級生も来てくれて、ちょっと泣いた
そして実家の近くの映画館では『TOY STORY3』が今週いっぱいまで上映されてて、雅夫さん、ゆくり、私の3人で見てきました。私がもらったぬいぐるみのLOTSOがどうしてストロベリーの匂いがするのか、とか悪いやつだけど、本当はかわいそうなやつなんだよな、とか知ると余計にLOTSOが愛しくなったよゆくりは初映画館だったんだけど、とてもお利口さんで、最後は寝てたけどね
でも、ずっと念願だった映画が映画館で見れてよかったよーストーリーももちろん感動したけど、最後のキャプションのところで、友達の名前が出てきた時が一番感動したよ
こんなすごい映画のアートディレクションしたなんて、すごいよダイスー
私も頑張ろうって思ったよ。
楽しい時間はあっという間にすぎて、夕飯には美味しいおそばを作ってもらって、それも完食して現実に帰ってきました。
たくさん処方されてた薬も解熱剤を飲んだだけで、移動も車椅子でしたりして、出来る限り体に負担のないようにして、それよりなにより、たらちゃんがそばにいて常に血圧測ったり、酸素濃度を調べてくれたりしたので、安心して実家まで帰れたというのがほんとのところです
うちのママも言ってたけど、たらちゃんという人は神様みたいな人だ、と。確かに、子供がまだ7ヶ月なのに、友達が病気だからってなかなかこんな遠くにまで来れないよね。ほんとすごいよ。たらちゃん、ありがとう。
帰りの寝台車から見た月はまんまるですごく綺麗でした。
この日は、朝すごい雨が降ってて、一日こんな天気だったら嫌だなーって思ってたら、じょじょに晴れてきて、夜には綺麗な満月まで見れた
本当にいい日だった。
2010年09月26日08:46 ぎゃーーーっ!
先日、ユニコーンのみんなのサインが入った写真集が届きました
超やばいっテンションめっちゃあがるわー
ちゃんと『YUKIKOさま』って入ってるしっ
ユニコーンの阿部さんとコラボで作品作ってる友達に、先日半分冗談で、ユニコーンのサインちょうだいってメールしたら、ホントにすぐ送ってくれたしかも色紙じゃなくて、写真集だよー
そんでもって、友達からのメッセージで、阿部さんも応援してるから頑張れって
ガンは辛いことばかりじゃなくて、いいことも運んでくれるのねー私、今、超幸せだわ
サインが届くのは知ってたので、ナースステーションで荷物受け取って、その場で開けて自慢しちゃったよー
ユニコーンのみなさん、ほんとーにありがとうっそして、なによりサインをもらってくれたKOさん、ほんまありがとう。まろは頑張ります
2010年09月29日17:30 転院しました
今朝早くに、また寝台車を出してもらって転院しました。
実家近くの中国中央病院というところです。
岡山大学病院があまりに居心地良すぎて、看護師さんも先生方も本当にいい人たちで、他に移るのが心配なほどだったんですが、心配無用でした。
ここの看護師さんも先生方もいい方々です。
私はここで、家族の力を借りて、通院できる体力をつけ、病気を治していきます。