2010年11月10日09:32 随分とご無沙汰
退院して家に帰るとなんだかんだとやることあって、病院に一人でいると寂しいので、mixiにいろいろと書いちゃうんだけど、家にいると話しする人がいるので、それで落ち着いちゃって、子供がいるとちゃんと一緒にいてあげたいって思っちゃうし、あげく、子供が嘔吐下痢にかかり、再び隔離されたり、風邪もらっちゃったり、東京から友達が4人ほど来てくれたりと、なんだかんだ忙しく更新できませんでした
心配して下さった皆様、すみません。
そうそう、退院中に一度、大阪のクリニックに行って免疫細胞の点滴をしてきました。ギリギリ、福山での病院が見つからなかったのと、一番最初なので、先生に会ってどういったクリニックなのか見ておくのもいいのではないか、ということで母の付き添いのもと、紹介してくれた友達も東京から来てくれて、大阪で落ち合って、クリニックまで行ってきました。第一回目は無事終了効果が出るのは3週間後って言ってたかな。今後は抗がん剤治療の合間をぬって、週1で続けていけたらという感じです。
そして先週の木曜日に3クール目の抗がん剤治療のために入院したんだけど、風邪のため延期に延びに延びて、今日やっと出来ることにっこんなことなら、先週免疫治療やっておいてもらえばよかったんだけど、こればっかりは予測がつかないからね…のんびりしっかりやるしかない。
今回の抗がん剤もそれほどひどい副作用が出ませんように…雅夫さんが東京帰ってるので、心細いわー次回の抗がん剤の時は帰ってきてもらおう。
今日ちょっと、抗がん剤が終了した後の話しを先生とした。一応、抗がん剤は4クールと決まってるけど、よく効いているようだったら、6クールまで続けるということ。その後は?と聞いたら、状況をみて対処していくということだった。ものすごく小さくなってくれてたらいいんだけど、私の場合、元の大きさと今までの薬の効きを見たら、そこまで安心出来るほど小さくなるかなーっという感じだ。
抗がん剤を続けてやった臨床結果がまだ出てないそうで、先生によって意見も違うそうだ。だって患者によって癌の種類も違えば、効き方も違うし、一つの答なんてでるわけないもんね。ここでもやっぱり、先生の意見も聞きつつ、自分で考えて自分を信じて自分で治療を決めていかないといけないって感じたよ。先生は臨床実験でより効果の出たものを信じてやってくだろうけど、患者は可能性が少なくても、生きれる可能性があるほうを望むんだ。少なくとも私はそうだ。
チャリティの主催者おじやんが、私がこれからも免疫治療を続けていけるよう、チャリティは続けて行くって言ってくれたから。私が頑張って生き続けるのが、みんなへの恩返しだと思って、今日の抗がん剤頑張るよ。
昨日、家に帰ってゆくりと会ってきたんだけど、別れる時に初めて泣かれた。『行ったらいけんっ。一緒に寝る。』って
病院に行くのは病気を治すためで、わがまま言ったらダメなのを分かってるからか、最初はすごく小さい声で下を向いて言ってたんだけど、別れる時は大泣きに変わってた。私も辛い。親の涙を見ると、私が強くならなくてわっと気が引き締まるんだけど、子供の涙は辛いね。しかもまだうちの子は3歳。もうすぐ4歳だけど、まだまだ親の愛情をいっぱい受けたい年頃…。私が一度病院に行くと、当分帰ってこないというのが分かってきたんだね。
早く親子3人で暮らせるようになりたい。
写真はゆくりが描いた私(真ん中)、ゆくり(左)、雅夫さん(右)です。病室に貼ってます。
2010年11月10日11:00 行けっ2
2つ目の抗がん剤開始しました。
さっきのアリムタは10分くらいで入れるんだけど、このカルボプラチンは1時間かけて、体内に入れます。
これも頑張って、私の白血球と共に私の体内にあるガン細胞を攻撃するのだっ
BGMはユニコーンを大音量で
岡山の個室にいた時は息が続かなくて歌えなかったんだけど、今は歌えるようになった
カラオケ行きたーいっ
2010年11月15日09:53 私がガンを公表した理由
病院に入院してるとガンで入院してる人とたくさん知り合える
まぁ、みなさん、私よりかなり年配の方たちばかりなんだけどねでも、なかには40代らしき人もいたりして。
で、今まで私が話しをした人たちはみんな、まわりにガンだと言ってないって、身内に言っただけで、近所や友人には黙って来てるって言ってた。今朝、ご飯を食べてる時に隣に来て電話してたおばちゃんは、旦那さんらしき電話の相手に『私のこと聞かれたら、調子悪くて横になってるって言っておいて』って言ってた。
みんなガンのことを言わない理由に、まわりに気を使わせるから、と言う。
でも私の場合、言わないでいると逆に私がまわりに気を使って治療に専念出来んっ!と判断して、告知を受けたその日に公表したんだよね。もちろん親しい人のみのmixi限定だけど
自分が主催のイベントも抱えてたし、それにたくさんの人が関わってて、私に代わってそれを出来る人もいなくて、やめることによりたくさんの人に迷惑かかるし、それには理由を言わざるを得なかった。
ガンを包み隠さず公表した私を強いと言う人もいるけど、私はそうじゃない気がする。ガンと分かってから、人にそれを話す度に涙が出て止まらなかったし。気持ちと体がバラバラだった。第三者から見たら、ガンを告白するのはすごく勇気のいることに思えるかもしれないけど、告知を受けた私はとにかく弱りきっていたので、誰かに言って楽になりたかったのだ。まわりのことを気遣う余裕なんかなかった。
あとは、今になって気づいたけど、目の前で起こったことがあまりにも大きすぎて、とにかく誰かに支えてほしくて、藁をもすがる気持ちで告白したというのもあるのかも。『誰か助けてーっ!』て。思えば、あの時から私は家族や友人たちにたくさん支えられてきたんだなー
ガンを告白したことで、遠く離れた岡山や福山にたくさんの人がお見舞いに来てくれたし、楽しいお見舞いもたくさんもらった。おかげで私は寂しくなかった。いろんな人がガンの治療法やら、ガンを克服した人の話しをしてくれた。
それから、私がガンになったことで、106人ものアーティストが集まってチャリティ展覧会を開くことになった。
私がガンを告白したことで、みんなが私の意向に沿ってくれて、応援してくれたから実現出来たこと。
これがもし、私がガンを隠して一部の人にしか言ってなかったとしたら、噂になって水面下で広がって、みんな私に気を使って、チャリティも出来てなかっただろうなって思う。
チャリティは、7月にお見舞いに来てくれた友人が『まろちゃんの代わりにぽったりんをやりたい。』と言ってくれた一言から始まった。その時私は、その気持ちが嬉しくて泣いた。
その後、『みんながまろちゃんのために何かしたいけど、何も出来ないことにジレンマを感じてる。ポタリーをやるには時間がかかる。じゃあ、アーティストは作品を売って、アーティストじゃないママ友なんかは作品を買って、そのお金を治療費にあてよう。』という話しになった。
私は有り難くその話しを承諾した。その時はこんなに大規模なことになるとは思ってもみなかったんだけど…
ガンを告白するのもしないのも、その人の自由だけど、私は早々と告白しておいてよかった。
おかげで、今では笑って『ガンでーす!でも元気でーす』って言えるようになった。
チャリティは今週18日から始まります。私の大好きな場所で私の大好きな人たちが集まった展示です。みんなが私の誇りです。私は行けませんが、たくさんの人がたくさんの作品を見て喜んだり、感動したりしているのが頭の中に思い浮かびます。チャリティを越えた展示になると思います。是非来てみて下さい。