【―光―】


 一日の練習も終わり今日も一日我ながら頑張ったと思った。
 微妙なオレンジ色を残した空を後ろに家の鍵を開けると、待ってましたとばかりにしゃけが足に擦り寄ってきた。
「あ、雀ちゃん帰ってきたのね」
「お母さんただいま」
 リビングから声がしたのでそちらに向かうとお母さんは妹――燕と共にオセロをしていた。
「なんか懐かしいものやってるね」
「つばめ、ようちえんでマメちゃんにおしえてもらったから あそびかたしってるよ」
 とは言うもののさっきから見ていてちっともまともにひっくり返せていない。
 ひっくり返し損ねたところはお母さんがひとつひとつ丁寧に教えてやるが、あまり口出しするとすねる性格の持ち主なものだから小さな間違いには目をつぶらざるを得ない。
「やったぁーつばめのかちぃ!!」
 燕の黒のオセロがお母さんの白いオセロを3枚ぬいていた。
 お母さんに、ちょっと細工したでしょうと小声で訊ねると、お母さんはただ一言「そんなことないよ」と微笑んだ。
 でもそんな言葉とは裏腹に、顔には「黙っててね」と書いてあるのが分かったから。雀は内心くすりと笑った。


 三味線のプチ演奏会かぁ…。
 ふと今朝の新聞に載っていた一面を思い出した。
「ねぇしゃけ〜、ちょっとだけ聞きに行ってみない?」
「にゅ〜?」
 彼は首をくにっと曲げて傾げてみせた。
(でもきっとこのちいちゃい脳ミソではなにも考えていないんだろうなぁ。)
 そんな風に思いつつも雀は夕日が差し込む窓際に位置したベッドの上でしゃけに語りかけるのを続けた。
「お散歩がてら、ね?よくない?外そんな寒くないよ?」
 幸いその孤児院は家から20〜30分程度の距離だ。
 散歩がてらには丁度良い。
「にゅにゅ〜?」
 彼はまたしてもくにくにっと傾げた。
(たぶんこんな会話しててもこの子には理解できてないんだろうなぁ)
 拉致が飽かないとわかっていつつもしゃけとの会話は何故かいつも成立してしまう。
 不思議と、この子の気持ちは伝わってくるし向こうにも伝わっているような気がする。
――気がする、だけだろうけどね。
 だが本当に拉致が飽きそうもないと思った彼女は行動に移すことに決めた。


やはりまだ3月だけあって夕方になってくると肌寒さが出てくる。
息は白くはないが、もう少し厚着をしてくればよかったと少し後悔した。
「寒いねぇ」
「にゃー」
 でも演奏聞けるのは楽しみだねぇ。
 にゃぁ。
 そんな会話を腕に抱いたしゃけと交わしつつ目的の場所へと向かう。
 横目に川が見えた。
太陽と月とが空のお仕事を交代するそんな時間の川にはキラキラと燃え尽きそうなくらいの太陽が溢れていた。
陽の光とは反対の空ではすでにいくつかの星がチカチカと輝きを放ち始めている。
「きれいだねぇ」
 少し時間があるから川原でも寄ってみようか。そう思い雀は川の方へと歩み寄った。
 川の水をすくうとキラキラと輝く光が手の中にも溢れた。
 今この瞬間だけでも太陽を手に入れられたような、そんな気持ち。
「……?」
 雀はふと、その水に何か違和感を覚えた。
 陽の光とはまた違う…何か強い光が向こうから迫ってきている……っ。
「きゃぁっ!!!」
 迫りくるその光にただならぬ物を感じた栗毛の少女は慌てて手に溜めていた水を周囲に撒いた。
 だがその撒いた水は次の瞬間光の粒子となって少女を包み込んだ。
 白い光の中、少女は意識もまた一時的に白い世界へと変わった。


「お母さんっ!! 燕っ!! 陽兄ぃっ!!」
―――お父さん!! ササっ!! おばあちゃんっ!!
 誰でもいいから返事が欲しかった。
 あたりを見渡せども人も、植物も、動物も、何もない真っ白な空間。
 雀は基本的に明るい少女だが、生命の気配がまったくないこの空間に一人で長時間いたら――今では長時間かすらわからないくらい感覚も麻痺してしまった――発狂もしたくなるというもの。
 暖かくも、冷たくも、きつくも、ゆるくもないこの空間。
 はやく出てしまいたかった。
 だがさっきから動くことができない。
 何かに掴まろうと思っても掴めそうな物が何一つとして見当たらない。
 手を伸ばせと掴むのはいつも空気だけ。
「しゃけーっ!!」
 どこにいるの!? 出てきてっ!! 私をここから連れ出してよぉっ!!
 目尻にじんわりと涙が滲んでくる。
一人は嫌だ。
そんな気持ちから小さな相棒の名前を叫び続けた。
すると遠くから彼の小さな鳴き声が聞こえてきたような気がした。
 雀は再び力の限り彼の名前を呼ぶ。
 彼に会えることだけを祈って。
 すると遠くに小さな影が見えた。
 細い尻尾。それはまさしくしゃけのそれだった。
「しゃけっ!!」
 彼女はその目標に向かって駆け出した。
 先ほどまでは動かなかった足が嘘の様に軽やかだ。
 彼のもとに辿り着いたと思った瞬間、再び先ほどの強い光が彼女を襲った。
 そこで再び意識は途切れた。






























【―異国―】

「ん…っ?」
 白い空間を抜け出したあとの記憶はないが。
 意識はもうはっきりとしてきた。
 辺りは一面石畳。少し離れたところで人々の賑わいの声が聞こえる。
 その光景はまるで――
「中国史…?」
 世界史の資料集で見たことのある様な無い様な。
 日本とはまったく異なった造りの道。あまり丁寧に整備がされていないのか、道が凸凹している。
――これは夢か幻か。
 初めこれは自分の夢の中で、川辺に立ったまま夢を見ているのかと一瞬我を疑ったが。
 だんだんと夢なんかじゃないと思えてきた。
 根拠はないけど、自分の第6感がそれを告げていた。
――でも現実だとしたら?
 ここは本当に何処なの?本当に中国なの???
 現状を把握しようとキョロキョロと視覚から得られる情報を探していると。
 自分の隣に三味線――ではないが、そのような楽器――と青い布を抱きしめた少女が座り込んでいた。