【―平凡―】


 日本のある場所に建った一軒家。
 空は晴れわたり、洗濯物には絶好の朝となっていた。
「にゅー」
 すがすがしい一日はこんな妙な音から幕開けとなった。
 その音の主はティッシュ箱の半分の大きさもない小さな小猫だった。
 薄い赤茶の尾っぽを揺らしながら家族を起こしに向かう。
 それが彼の日課なのだ。
 家族の寝室は2階にあるので階段を上らねばならないが、体長約20cmの小猫にはこの一段一段が岩山のように見えて仕方がない。
 やっとの思いで部屋の前に辿り着くとドアは隙間が開く程度に開いていた。
 この小猫にとってはそれだけの隙間があれば十分に部屋を行き来することができた。
 するりと隙間を抜けるとベットに潜っていた少女に駆け寄った。
「みー」
 小さなピンク色の肉球でちょいちょいと少女の顔をつつく。
「んー‥」
 少女は眉間にしわを寄せながらそっぽを向いてしまった。
 これでは朝ごはんにありつくことができない。
「みーみー」
 必死に鳴いて気づいてもらえるように努力した。
 そんな努力の甲斐あってか、ようやく少女は虚ろながらも目を覚ました。
「んー‥しゃけおはよう‥」
「にゃー」
 赤毛の子猫――しゃけは目をくりくりと輝かせながら返事を返した。
 少女――木ノ葉雀は虚ろな目をこすりながら近くにあった時計に目を向けた。
 時計の針は午前6時丁度を指している。
「やばーっ。もうちょっとで寝坊するところだったや」
 ありがとねしゃけ、と相棒の頭を一撫ですると少女はベッドから立ち上がり学生服に袖を通した。
 真っ白な生地に紺の二本線の入った襟のセーラー服に春を思わせる薄い桜色のカーディガン、ワインレッドのスカーフを次々と身につけると手早く髪を纏め上げ髪留めで留める。
 そしてその日の支度をちゃっちゃとすませると通学鞄を持って階段を駆け下りた。


「おはよぅー」
「はい、おそよぅー」
 キッチンの隣にあるダイニングにはすでに双子の兄、陽の姿があった。
 もう制服姿で朝食を済ませていた。
「朝からそんな皮肉言うことないじゃない」
 ぷぅと小さく膨れながら向かいの席に座る。しゃけも彼女の足元にトテトテと駆け寄り餌にありつく。
 陽は食後のコーヒーと新聞をそれぞれ片手に一服していた。
「へぇー、明日近所の孤児院で三味線のミニ演奏会ちっくなのやるみたいだぞ」
 ま、俺は聴きに行く気ないがね。
 ぇ、どれどれ?と少女は記事を覗き込む。
 当の記事はとても小さいものだったが『地区催し物』という太字の見出しと催し物内容、各会場の小さい写真とが添えられていた。
「三味線ねぇー、最近なんか少しずつ流行りだしてるみたいだけど」
 津軽〜だのなんだのいってね。
 そういうと少女は皿に用意されていたトースト――半熟卵が乗っていてなかなか美味しそうだ――を手に取り小さくかじる。サクサクしていて香ばしい。
「でも三味線かぁ〜、一回やってみたいなぁとも思うけど難しそうだしなぁ」
「お前トランペットできんじゃん、中学ん時吹奏楽だったろ?」
「楽器やる人ってね、色んな楽器が触りたくなるもんなのよ」
 しかも中学以来触ってないと余計に何かやりたくなるのっ。
 中学の頃は吹奏楽部でトランペットのパートを担当していた彼女も、高校入学以来彼女はずっとチアリーディングに励んでいる。
朝練の地味な柔軟体操にも毎朝飽きずに顔を出し、一年間でずいぶん柔らかくもなった。
 週4日はある放課後の練習にも欠かさず出席し、練習に励んでいた。
おかげで今では先輩、後輩、顧問という各方面から多大な信頼を得ている。
「うへぇーもぅこんな時間っ!?」
 腕にはめた時計の針に目をやると朝練に間に合うか合わないかのギリギリの時間を指していた。
 雀は手に持っていたトーストを口に詰め込み慌てて玄関先へ向かった。
彼女、来年は自分が部長の座に認められたこともあって、最近ではさらにやる気が増しているのだ。
「行ってきますーっ!!」
「はいはい行ってらっしゃい〜」
「にゃー」
 ばたばたと少女が駆け出したのち「さて」と少年も立ち上がり家を出る支度をはじめた。
 外は晴れ渡っていてとてもよい天気だった。


 3月の下旬にさしかかった頃か。
 早春特有の爽やかな風が頬を撫でる。
通りの両脇に植えられた桜の木は既に朱色のつぼみをつけていた。
ギリギリまで膨れており、破裂するまであとわずかといったところだ。
いつもと変わらぬ朝、いつもと変わらぬ風景。
だがもう少しでガラリと変わるものがあった。
「あと2日かぁー…。」
 今のクラスの学友といられるのも。
 4月になればまたクラス替え。高校最後のクラスに。
 栗毛の少女は走りながらふとそんなことを思い出した。
 来年はとうとう高3。受験のことを考えると少々憂鬱になるが、新しい友達に出会えることには心弾ませていた。
 来年になれば部長にもなれるし。また一段と部活が好きになれそうな気がした。
「チュン!!」
 突然空から声が降ってきた。振り返ってみると同じクラスでチア部員のササ――赤倉笹が屈託のない笑顔で笑っていた。
「またそのあだ名で呼んでー、私雀って名前だけど鳥じゃぁないんだから」
 ササが「チュン」と呼んだのは雀の鳴き声からだったようだ。
 当の彼女は「可愛いから別にいいじゃないのー」と気にも留めない様子だった。
「それにアンタ名前同様ちっさいし」 
 雀の身長は148cm。現代女性の平均身長からすると少々低めだ。
 対する笹はというと160cmはゆうにある長身の持ち主だ。
 二人が横に並ぶと身長差は明らかだ。
「う…うるさいなぁもう」
 笹に言われたことはたしかに図星だった。