朝日を背に浴び、マキアの影が床の上を忙しなく動く。
荒らされた店内の片付けに追われながら、ずっと考える。
リリュンちゃん達、大丈夫だったかしら…。
 箒で床を掃きながら。
本当は、あともう少しでいいからここにいてほしかったのになぁ…。
長年の夢だった‘娘とのお買い物’は果たしたけど、あともう幾つかの夢計画は、
‘憲兵さん達、リリュンを逮捕しに来る事件’のせいで、全〜部おじゃんになった。
 塵取りに埃をかき集めながら。
お洋服作ってあげたかったのになぁ…。サイズを測る時間もなかったもんなぁ…。
欲をいえば、もう一回くらい買い物にも行きたかったし。
そういえば、片目が白濁してたわね…。生まれつき?それとも何かあったから?
リリュンちゃん、自分の事は話したがらなかったねぇ…。
…と、いうよりも、話せなかったのかな…。
………や〜めたっ。考えてもしょうがないものね。
元気でいてくれればそれで充分っ。
 かき集めた埃をゴミ箱へブッ込みながら。
リズ坊は…、あの子、子供じゃない。
‘子供’を心底楽しんでる感じ。
か〜なり肝も座ってるし、世渡り上手よね。
憲兵さんにズケズケ言ってる時はカッコよかった。
色んな人に会ってきたけど、リズ坊は初めてみるタイプかしらねぇ…。
なかなかいない人種の子。…一言で言うと…うん、珍しい子!
 箒をモップに持ち替えて。
あぁ、そうだ、ハルの坊や、朝ご飯ちゃんと食べたかしら…。ふふ…夕飯出した時は
作ったこっちが嬉しくなるくらい、いい食べっぷりだったからねぇ…。
お腹がすくと動けなくなるタイプかしら。
ハル坊を見てたら、息子の子供時代なんか思い出しちゃったりして…。
ちょっと意地っ張りな感じ。そこが可愛いのよ、男の子は。
 モップをグイグイかけながら。
…にしてもガシキちゃんは本っ当に全〜然、変わって無かったねぇ…。
変わった事と言えば、前よりも更にお酒に強くなった、くらいかしら…。
あ…、まだあったわ。
昔より、もっともっと無口になった。…ま、そんな気がするだけなんだケド。
なんていうか…なんていうか…、そう、…老けた!
 軽やかなステップで床に開いた穴を跳び越して。
そ・う・だ!シキの旦那はどうしたかしら。
なんかヒョロッとしてて、背高のっぽで、しかも色白…美白の秘訣を聞いておけば
良かったかしら…。ふふっ、なぁんて、ね。
ん〜…でも、また来てくれないかしら…。あんなに芸達者な人、なかなかいないし、
お客さんにも好評だったし、何よりまた会いたいし…次会う時はお酒でも飲みながら
ゆっくりお話を聞いてみたいな…。
 そこで、モップに重い感触を感じる。
‘ん?’モップ伝いに足元を見ると、
「マ、マキアの姐さん、痛いっす…。自分、汚れじゃないっすよぅ〜…。」
従業員のウラゼ君がモップの下から訴えていた。
どうやら重い感触は雑巾がけをしていたウラゼ君の頭をモップで思いっきり
グイグイしてたから感じたものらしい。
「あぁ!ごめんね私ったらぼっとして…。」
慌ててモップを彼の頭から退けて、彼の前へ屈みこみ、
自分のハンカチをだして、顔を拭いてやる。
ウラゼ君の方は心なしか頬を赤くして、
「わっ…あ、あの、すまねぇ、姐さん…。」
「ん?何謝ってんのよぉ、謝るのは私よ。ちゃんと前見てなかったから…。」
「姐さんがぼ〜っとするなんて珍しいっすね…。あの、もしかして…昨日の客の事…
ですかぃ?」
「あら、ウラゼ君ってばエスパー?大当たり。」
ウラゼ君はマキアの答えになぜかショックを受けている。
「…そ、そう、でしたか…。は、はは…。あ、あの…知り合いなんで?」
「うん。黒髪のでっかいの、あの子、私と同郷だったのよ。」
ウラゼ君は更にショックを受けた。
「ど…同居っ…。」
ショックの理由はこうである。
‘一昨日の夜、姐さんと酒を呑んでたあのデカブツ…。姐さんに男がいたなんて…
信じたくない現実だ!…まぁ、姐さん美人だし、男の一人や二人いたっておかしくは
…って、でもだからって、あんなデカブツじゃなくたっていいじゃん!’
(↑りっぱな勘違い。)
何を隠そう、男、2●歳、ウラゼ。惚れちゃってます。
「やぁだ、同居だなんて。同郷よ、ど・う・きょ・う。故郷が同じなの。」
「え…あ、あぁっ!そうだったんすかぁ…。成る程〜、へぇ〜。ふぅ〜ん。…ホッ。」
「…さ、お喋りもここまでにしましょ。開店前までにお店、きれいにしなきゃ。」
「ハイッ!姐さん!」
やたら張り切るウラゼ君は、厨房の遥か彼方までルンルンダッシュで雑巾がけに
精を出す。その様を見ながらマキアはモップがけを再開した。
勿論、ウラゼ君の想いくらいお見通しだから、心の中でウラゼ君に頭を下げた。
‘ごめんね…。でもアタシ、あの人を忘れる事なんて、出来ない…。’
同時に彼女は知っている。若い彼にはきっと近い将来、いい出会いがある事を。
 モップをグイグイかけながら。
                          *
時間は街に明かりが戻る数分前まで戻る。
リリュン達がティカへ向かって歩みを進めている。
先頭にハル、続いて…というか、並んでリズ、その後ろにリリュン、ラストにガシキ。
リリュンは無意識うちに、ハルの着ているコートの裾を握り締めていた。
ハルは気付いているのかいないのか、それについては何も触れず、
「いつから俺様がお前等のメンバーになる、って言ったよっ!」
「坊、静かにしなよ。これでもボク達、追われてる身なんだから。」
リズへ突っかかるのに忙しい様子だ。
暗い道を物ともせずに、ハルとリズは昼間の様に歩くから、リリュンは何度か
転びかけた。
‘なんでこんなにスイスイ歩けるのカナ…。’  
リリュンは心底そう思う。
「なんでお前達もティカなんだよ…。」
ハルの独り言に、
「一番近くて今のところ安全な地域だから。」
リズがきっちり答える。
二人の会話がちょっと途切れたので、リリュンは聞いてみる事にした。
「あ、ティカってどんなトコロなんだろうね?」
リズはさも愉快そうに、
「まだ行った事ない?じゃあ行ってからのお楽しみね〜。」
リズがこの調子で答えてくれたので、リリュンは内心ホッとした。
何気ない質問だったけど、もし、自分以外の人にとって知ってるのが当たり前
だったら…。そう思って、聞くのに少し勇気を出したから。
なんだか気恥ずかしい様な気持ちになって、自分の足が見えるハズの
地面へ視線を落とす。
暗くて何も見えない。
見えなかったのに。
急に闇の中から視界いっぱいに輪郭が現れた。
「…あ、明かりが…。」
戻ってきた。 
                          *
「…燃えた?」
「はい。しかも、それに関する書類のみが、です。中尉殿のお手元にある書類も
同様の現象にあっているのでは…?」
部下に言われてラガイ中尉は、引き出しの中を確かめた。
引き出しの中には、何種類かの書類と灰が入っていた。
中尉殿は引き出しを開けたまま、暫らく静止した状態となった。
「…そのご様子だと、やはり中尉殿の書類も…?」
「…ああ、見事に1部だけ灰になってるよ。魔術師か…。」
ラガイ中尉は口にも顔にも出さなかったが、頭の中でニヤリと笑った。
よくやった!実に痛快だ。今頃、事件の捏造担当者は慌てふためき、どうにか
無事な書類を探している事だろう。くくく…片腹痛いわっ!
全てが思い通りにいかないって事だ。上の馬鹿共にはいい薬になったと思う。
この様子だと、友人も、その仲間も、うまく逃げられたハズ。
自分の心配は無駄となってくれた様だ、と。
「御苦労。さがってくれ。」
「はい。失礼致します。」
パタン。
                          * 
猩々緋をした角を持つ魔族が一人、ティカを流れるトロア河のほとりに、
腰を下ろしている。彼はこう苛立っていた。
空が白み始めた…。もうじき朝だ。
なのに、未だにヒットが来ないのはなぜだ!?
釣竿はしなる事なく、もう一時間はここに座ったままだ。
このままだと、また叔父さんの機嫌が悪くなる…そしてそのとばっちりを受けるのは
自分なのだ。いや、自分しかいないから、か…。
そんな事が頭をよぎった矢先、
「…アット、釣れたか?」
恐怖の声。
背後から、猩々緋をした角を二対持つ魔族が、仁王立ちで尋ねていた。
「あ…あの、魚のやつまだ寝てるらしくて…寝ぼすけですよねぇ…ははは…。」
「…答えは簡潔に。そう教えたハズだぞ、アット。」
「……釣れないです。はい…」
あぁっ。もうダメだ!…怨むぜ…魚。
「そうか…釣れないか…。仕方ない。帰るぞ。」
「……え?」
怒られるむと思っていたのに…。心なしか嬉しそうに見えるのは僕の幻覚か…?
「もしかしたら、近いうちに、古い友人が来るかもしれん。」
…叔父さんに友達なんているのか…?
「叔父さんの、友人…?」
楽しく談笑する叔父さんの姿なんて想像出来ないっ!
「ここでは‘先生’だ。」
…ほら、いつだってこの調子だ。
「あ、先生のお友達ですか…。どんな魔族の方なんですか?」
…スライム状の魔族だったりして…くくくっ。
「魔族じゃない。人間だ。」
…え?人間の友達…?まっさかぁ。何か裏があるに違いない。
なんたって叔父さんは、自分の得にならない様な事はしないから…あっ分かった!
「…あっ、あのジャックさんていう魔法使いの方で?」
…ピーンポォン♪絶対当たり。魔法使いとか魔術師なら付き合って得する事
あるもんね〜。だぁから人間なんかと付き合ってんだ。
「いや、ただの人間だ。」
…え…?タダノニンゲン…?…ただの…ニンゲ…って…!
「ぅえ゛え゛っ!?なんで?!」
叔父さんが、付き合っても得しない、人間なんかと友達って…。
「何か問題でもあるのか?」
いや、問題とかそういうんじゃなくてさぁ…
「だ…だって、なんで人間なんかとわざわざ…。」
僕だって付き合わないぞ、人間なんかと…。
「…来る時は、必ず旨い酒を持ってくる約束だ。酒盛りの準備でもしておこう。」
…は?さ、酒盛り?そんな事聞いてんじゃなくて…
「…あ、あの…僕の質問への答えは…?」
答えてちょうだい。
「オブザ・アット、聞こえたか?帰るぞ。」
シカトですかぃ…。
「…はぁい…。」
大人なんて、大人なんて…っ。くそぅ…。
「ところでアット。幾つか言っておく事がある。」
なんだよぅ…僕の質問には答えないで、自分の言いたい事ばっかしぃ…。
「お前の頭の中は漫才か?‘談笑する姿なんて想像出来ない’?
‘叔父さんに友達なんているのか?’だと?
それに、何が‘スライム状の魔族’だ。失礼にも程がある。
あと、‘大人なんて’とか言ってたが、
お前も、もういい加減、いい歳だろう、いつまで子供でいる気だ?」
…げげっ!もしかして僕の心の中を…
「そうとも、読めるさ。一字一句、きっちりと、な。
そういう事で、今日は稲妻魔法の特訓だ。」
アットは稲妻と聞いて、半泣きで訴えていた。
「いっ…稲妻…っ!い…嫌だ…。まだ死にたくないっ。
叔父さ…じゃなかった、先生、それだけはご勘弁を…!
どうか、お慈悲をぉぉ…っ」
「却下だ。」
アットの訴えは河のせせらぎにかき消された。
                      *
快適で安全な旅。
出来ればそうしたい。したいケド…。
「ティカまでなんだが…」
それには金が必要らしい。
「はい。だからなんです。当店の竜車、及び馬車、飛竜による交通機関には、
ティカまでのプランがございませんので、お客様の貸し切りという形での
ご利用となってしまうんです、なので、どうしてもこの価格となってしまいます、ハイ…。」
…そうか…。でも、取り敢えず交渉はしてみよう。
ガシキは受付嬢の視線に合うように、背中を丸め、出来る限り小さくなって尋ねた。
「…子供の料金割引等はない…ですか…?」
受付嬢はガシキをカウンター越しに見上げ、答える。
「ないです、ね…。申し訳ございません。それに、お子様でしたら、
親権者の方がご同伴でないと…。」
…だめか…。ティカはディスポリスと敵対しているから、国交も殆んどない。
だから交通機関の料金が高くなるのも当たり前…。分かってはいたが、
まさかここまで高いとは…。
それと、親権者の同伴…か。
どう頑張っても俺じゃ、リズ君達の親に見えないだろうし…。
どっちにしても、やはり歩きか…。
「…そうですか…。どうも。」
丸めた背中を元に戻して、席から立ち上がり、店から出ようとしたところ、
ゴッ。
鈍い音。
「がっ!」
ガシキは店の扉に額を思いっきりぶつけた。地味に痛い。
背後から店員と受付嬢の失笑が聞こえた。
お決まりのギャグよねぇ…クスクス。と。
溜め息をつき改めて、今度は扉をくぐり、店を出る。
‘…ギャグのつもりはないのだが…。’
店の外ではリリュン達が待っていた。
「大丈夫ですか…ガシキさん…。」
リリュンにはしっかり見られていた様だ。お決まりギャグの実演を。
「ありがとう。…大丈夫だ。(多分。)」
そこでふと、マントが引っ張られる感覚。斜め下を振り向いてみるとリズがいた。
「おにぃさん、竜車、どうだった?」
リズの問いに、肩をすくめ首を横に振った。
「そっか…。予想はついてたケドね。ティカまでなら…ゆっくり歩いても
二日もかからないと思うよ。天気もいいし、ハイキングだと思ってサ♪」
今にも駆け出しそうなハルの首根っこをしっかり掴んで、
「でも、ちょっと休憩してから。夜からずっと走ったりで、リリュンも疲れたでしょ。」
「休んでる暇なんてな…」
ハルはそう言いかけたが、
「じゃ、あの丘の木陰で休もうか。」
リズにズルズルと引きずられ、言葉も遮られた。
…やっぱり仲良しさんだなぁ…。
リズとハルのこうしたやりとりを後ろから眺めて、リリュンはホッとした。
殺人の容疑者になってから、思考はどんどん落ち込んでいたケド、
二人のやりとりに微笑む事が出来た。
…良かった…。
前を行く二人において行かれない様に少し駆け足をする。
ティカへ続く平原を渡る風が、やたら気持ち良かった。

木陰に腰を下ろすと、どっと疲れが出てきた。
昨夜から翌10時現在に至るまで、殆んど休まずにいて、
座った瞬間にやっと気付いた。
あぁ…私、疲れてたんだ…。
「ん〜気持ちいいね。遅くなったケド、朝ご飯にしよう。」
リズに言われてまた気付く。
…そういえば、お腹もすいてたんだ…。
「…何茶がいい?」
ふいにガシキの声がして、
「え?」
見ると、彼は朝食とお茶の準備をしていた。
「豆茶、黒茶が苦手なら、カナゼ茶、プサン茶がある。モル茶は健康にはいいらしいが…
個人的には勧められない。甘いのがいいならキキゼ茶にリロの汁を。」
リズはすぐに、
「あ、じゃあボクはプサン茶で。」
と、リクエストをしたが、
リリュンは知らないお茶の名前に、‘コレがいい!’とも言えず、
「え…あ…えぇと…。どれが‘今日のおススメ’ですか?」
聞くのが一番。な、ハズだったのに。
「……‘今日’…?」
…あ。
「あっ…、いや、その…別に今日限定じゃなくてもいいです…っ。」
ガシキが困った顔をしている。
何で‘今日’なんてつけちゃったんだろうっ!
「…今日…か…。」
…参ったな…。今日のおススメ…か。
リリュンの好みを知らない上に、今日のイチオシを求められている。
妥当なのはクセがないカナゼ茶だが…。
いや、甘い物が好きな可能性もある。だったらキキゼ茶かカキャ茶だ…。
真剣に悩むガシキに、
「おにぃさん、ルト茶がいいんじゃない?」
リズが救いの手を差し伸べてくれた。
…ルト茶か…なるほど、それなら疲れに効く。リズ君、ナイスジャッジ!!
ガシキは頭の中で、リズに向かって親指をグッとたてた。
リリュンの‘今日のおススメ’(リズセレクトによる。)決定。
リズは例の大きな鞄から、いくつか携帯食料を取り出し並べる。
「リリュン、好きなの取っていいよ。」
「いいの?」
邪気の無い笑顔で、
「どうぞ。」
さて、朝食の準備が整い、さぁ食べよう!…と言う時に、
「ハル君は…どうした?」
「あ、そういえば…。」
リリュンが辺りを見回したが、ハルがいない。
見回しながら呼んでみる。
「ハル君?ハ〜ル〜君!どこ〜?」
すると頭上から何かが落ちてきた。リリュンの体スレスレを通って。
「…これって…。」
拾ってみると果実だった。どうやらリリュン達が腰を下ろしているこの木の物。
そして上から声がする。
「…あ。」
ハルの声。
見上げてみれば、木の枝と葉っぱの隙間からハルが見えた。
「ハル君!危ないよ〜そんなトコ登ったら。朝ご飯食だよ〜。
あ・ハル君は何茶にするの?」
果実をほおばりながらハルが答える。
「注意すんのか聞くのかどっちかにしろよ。それに、飯ならもう食ってる。って、うわっ!」
ハルの足首がグッと掴まれた。
「よっこいせ…全く、坊は目を離すとスグいなくなるんだから…」
リズだった。ハルと向かい合う位置までくると、いたずらっぽく笑い、
「果物だけじゃ、栄養がかたよって、いつまでも大きくなれないよ。」
そのままハルを掴んで木から飛び降りた。
…と、いうより落ちた。
ハルは落ちながらも、この一言を忘れない。
「お前に言われたかねぇ〜っ!」
どふっ
リズに掴まれ、うまくバランスが取れなかったハルはさも痛そうな音と共に着地。
リズは器用にも果実を一つもいでいた。
「さぁて、みなさん揃ったところで…」
ちょん、と座り、
「いただきます。」
寄せ集めメンバーの変なハイキング。
ティカに着くのはいつの事やら…。