一定のリズムを依然、崩さない速度でリズは暗い道を駆け抜ける。リリュンは闇にもキラキラと光る銀の髪を当てにその後を追っていた。―――否、闇ではない。リズの髪は煌々と降り注ぐ白い月光を拾って微かに輝いているのだ。ふと空を見上げると思っていたよりも大きく見える月。闇を吸収するようにそこにあると、思えた。それぐらい輝いてみえた。けれど、視線を戻せば家は黒い塊となって、その奥は更に深い闇だ。

私は、どこへ行くのだろう?

否、ハルのところへだ。けれど――・・・、
本当はこのままどこか別の場所へ、行くんじゃないだろうか。
例えば、例えば・・・もっともっと暗い場所で、それ以外何もない所で・・・。闇しかない場所とか?さっきから無言が続いて、音と言えば土を蹴る足音しか聞こえない。もしかしたら今、音が無くなっていく途中なのかもしれない。港の音も、人の声も、もう聞こえなくなっているのかもしれない。きっと、足音もいつか聞こえなくなるのかもしれない。そうなったら―――・・・。

「?」

道の端に誰か立っている。
リズの頭上から見ていた道は確かに暗いが、その中に浮かぶような赤がポツリと見えた。
リリュンは行き成り目に止まったそれに、はっとする。だんだんと近付くたびにその色は鮮明になっていった。
赤い服、陰る肌、横顔――どうやらそれは横を向いて立っているらしい――と、確認しながらも、気が付けばそれは隣にまで来る距離になっていた。そして一瞬。それでそれは通り過ぎた。
黒髪の、少女とも女性ともいえない女だった。
笑っていた。






「おかしい・・・。」
リズがそう一言漏らすと除所にスピードを落としてついには十字路の真ん中丁度で止まった。後ろに続いていた二人も足を止める。リリュンは開けっ放しになっていた口をやっと閉じて、鼻から深く息を吸った。チィッと、リズが舌打ちをするがどうしたのか尋ねようにもまだ言葉が出せない。半場無心で走っていたために気付かなかったが口の中は空気で乾燥しきってしまい、喉にも少しながら痛みを感じた。息を吐く瞬間、今にも咳き込んでしまいそうだ。
「ここからちょっと分かれよう」
「どう・・かしたの?」 やっと声が出た。
「どうだろう。予想だけど・・ハル、動いてんだよ。それに追いつけないから町をさっきからグルグル回ってるんだ」
「え?」
全く気が付かなかった。ただ、町を一直線に移動しているような感覚でしか走っていなかったからだろうか。
「でも、この町にいるのは確かなんだ。しかも出て行く気配もない。きっと、向こうも探しているんだと思う」
なんで、そんなことまで分かるのだろう。
「こうなったら気が付いてもらうしか他ない」
「数で勝負というわけか」
「そう。でもリリュンはまだ危ないし、おにぃさんと一緒に行動して。ボクは単独でハルの後を追うから。」
先回りしながらね、とリズは薄く笑う。ガシキはこくりこくりと首を縦に振った。
「じゃぁ」
そう軽い言葉を一つ残し、早速リズは走りだしていってしまった。あのキラキラな髪も影身になって、ついに見えなくなった。
「あ。」
けれど、その後を見送ってから今更な事を思いついた。
「見つかったら―――どうすればいいんでしょうか?」
「ん?」
「いや、だって・・・どっちか先に見付けても、それを伝える手段が・・・」
「リズはハルの気配が分かる」
「・・・あ。」
今更なのは私の認識力か・・・。リリュンは恥ずかしくなって地に視線を落とした。
しかし、ガシキはソレに対して何も感じないのだろうか。
「そういうのって・・・あるのかな?」
「誰にだって気配はあるものだからな」
「でも」
いや、こんな事に何の意味もない。
「そんなに気配って感じ分けられるものなのですか?私達だって近くにいるのに。」
「・・・・・・」
「“感じられる”それは分かるんです。でも感じるにしても、細かすぎると思いませんか?なんか、やっぱり―――」
――――変です。
「・・・そうか」
「・・あ、いや・・・すみません」
やっぱり、言わなければ良かった。言わなければ良かった。
酷く後悔した気分がする。酷く、何かを裏切った気がする。何を疑っているのだろう。
多分、八つ当たりだ。意味なんて、ないくせに―――。


ガシャンッ!!

「?!」
右手の細い路地から金物が地面に当たるような音がした。ガシキは屹と其方の方を見遣る。
そして一歩踏み出そうとしたリリュンを手で押さえると自らが、じりと土を踏み鳴らしながら前へ進み出た。
多分、猫か何かの仕業だろう。あれは―――ゴミ箱の音だ。けれど、そんなリリュンなんかの考えとは裏腹にやはりガシキは慎重になりつつ、そして路地に入っていってしまった。
―――そういえば、
“そうか”とはどういう意味だったのだろう。疑問ではない。でも肯定でもないような言い方だった。何を思って、“そうか”なのだろう。そもそも・・・あんな事をいって、どう思っただろう。こんな私を、――――どう思ったのだろう?
そう思ううちにもガシキの背は段々と遠のく。確かにちゃんとその形を視界に留めていたはずなのに次第にその形さえもあやふやになって消えていきそうになっていた。
「あの・・・ガシキさん」
どこまで行くのだろうか。この声は届いているか。
「ガシキ…さん?」


―――――いない。
いない。否、見えない。たぶん・・・“見えない”はずだ。呼掛けてみるか?そしたら戻るだろうか?
戻ってくれるか?いや、この闇ならそこにいるかどうかさえ、もう――――

怖い。

 ガッ!!

「――――ッ!!?」

――――痛いッ。

何処が何のためにそう感じたのかは分からないが咄嗟にそんな事が頭に浮かんだ。そして次に何かを思う前に視界がぐりんと回り、壁に押し付けられるような感触を頭や背中に覚える。暗いせいか、自分が回ったのか世界が回ったのか分からない。壁に打ち付けられた反動で頭が項垂れようとするがその途端、口を抑えられたためにそうもいかなかった。兎に角、訳のわからないまま視界が狭くなって――――まるで、意識が――――。
「リリュン」
―――え?
途切れそうになっていたものが一瞬にして回復する。閉じかけていた瞼がその声によって命いっぱい、開かれた。
否、その声にではない。その“姿”に、だ。
「・・んぁふんッ」
―――ハル君ッ
口を押さえられていた為に正しくは発音されなかったし、声も出なかったが、ハルはそう言うリリュンにシッと人差し指を自分の口に当て静かにするよう忠告した。そして一間置くとゆっくりとリリュンの口に当てていた手を外した。一気に口からの呼吸が自由なってちょっと咽た。でも、そんな事はどうでも良かった。
「ハル君ッ!」
「―――黙れっつってんだろがッ」
白い髪、黒い肌、この声。どれをとってもハル、そのものだ。飽く迄も小声で、けれどいつもと変わりなく口から牙を見せて大袈裟に怒るその仕草も、ハルだ。リリュンはその慌てるような様も声も当然その意味合いも分かっていたが――今は「イイ」と、そう頭にしか届かない。そんな些細な事には気が配れない。
居たんだ。
戻ってきたんだ。
戻ってきてくれたんだ。
どうしたの?
何があったの?
何を言えば良い。何から言えば良い。
「早くこの街をでるぞ」
「え?」
―――それはどういう
「理由は・・兎に角あとで・・説明する。説明するから、今は早く出よう」
「え、え・・」
分からない。
「後の二人は何処だよ?つか、なんでお前独りなんだ?」
全く分からない。
「なんで・・?」
「はぁ?」
ハルは壁にそって地にへたり込んだままのリリュンを覗き込むように見る。青紫の目が陰りを増して陽を落とした空のように暗い。
「なんで、私が?」
「なんでってなんだよ」
「なんで私が一緒なの?」
言葉に少し力が入る。わからないのだ。“何故私を選ぶのか”が。何処へいくのか、何の理由かなんてそんな事じゃぁない。何故そんな口ぶりでそんな事をいう?何のために?そんな普通に口にするのか。まるで、 まるで帰ってきた理由が―――嫌だ、錯覚する。
「お前・・・どうかしたのかよ?」
「?」
「目ぇやべぇぞ。」
「私、殺人者かも」
「・・・・・・はぁ?」

「いっぱい、人、殺してるんだ・・―――。」


「リリュンッ!?」
―――あ。
戻ってきたガシキが、立っていたはずの場所に居ないリリュンを呼ぶと同時に壁に寄り掛かって座っているその姿を見付け、またハルの存在にぴたりと目を留める。
「ハル…今まで何処に…」
「理由があって、隠れてた。あと、宿にも近づけなかったから」
近付けなかった―――。そういうハルは何か言い訳を云うようだった。けれども目が何があったかを探ろうとしている。言葉を選んでいるのか―――そんな必要は、ないのに。
「わからない」
だって、解らないのだ。
「・・・リリュン」
ガシキは優しく呟く。―――優しく、それもまた錯覚なのかもしれない。自分の為にそう思うのかもしれない。哀れんでいるのかも、どうでもいいと思っているのかも、面倒臭いと思っているのかも。実際、こんな自分は面倒臭いだろう。“どう思っているのか”なんて自問自答にしか過ぎない。本当はわかっているのだ、私なんか―――“居なくなればいい”と。ただの行きずりであっただけの自分が、実は殺人者で、それによってこんなに迷惑をかけている。そう、迷惑なんだ。


もう嫌だ。

―――なにもかも。こんな錯覚も、変な期待も―――。
私はただ、嬉しかっただけなんだ。

皆と出逢えた。
何も見えなかったこんな私に、ささやかだけれど思い出すには十分なほどの「記憶」をくれた。こんな事をした、あんな事をした。それを「想い出」と呼んで笑い返せるだけ、ただ独り、森の真ん中で目覚めた時、歩き出そうと思った判断は正しかったのだと胸を張って言える。
あの時、死なないで良かったと―――心の底から思える。
けれど、何が悪かったのだろう?皆の事を知っていたふり、大切だと思っていたふり―――たったこの世で数少ない「想い出」の人達だったから。けれどそれはただ“ふり”で、未だに自分の事など何一つも云えずにいる裏切りを私は。迷惑だろう。面倒だろう。そんな事、気付いてしまえば耐えられない。いつか言われるのが怖い。言われないのも酷く、恐い。だから―――もう、逃げてしまおう。
傷付きたくなんてない。愚かだろうか、弱いだろうか。けれど、このままで居たくない。全てが辛い。
「私は―――」
「お前、捕まんの?」
捕まる?ああ、それもいいかもしれない。
「あいつ等に捕まりに行くつもりかよ?」
ガシキが目の端で微かに動くのが見れた。
「私、殺人者だから・・・ね。」
「お前バカか?」
「え?」
即答。かなり早い返答だった。
「お前、何そんな正直に生きてんだよッ!バーカッ」
馬鹿馬鹿と唾を吐きかけるように繰り返す。顔をみると、完全に虫の居所の悪い――それだった。
「お前さぁ、ホントにバカだろ?軍に捕まったら何されんのか知ってんのかよ?あーあ、俺様前から思ってたんだけど、お前の事。お前って本当に―――」
本当に、なんだろうか。
「本当に、変ッ!!」
「・・・へ、変・・・?」
「そう、変ッ」
何故か腰に手を当てて反り返る。そしてビシッと効果音が付きそうなくらいに切れよく、リリュンを指差した。
「俺様について来いッ」
「えぇッ?」
何故、何が、如何して。
「そうすれば安心だろ?」
疑問系ではない。確信をもって聞いているのだ。そんな顔をしている。
「なんたってッ!!!」
―――なんたって?
ガシキが何かを察してか一歩後に引く。ハルは指を空に振り上げると大きく息を吸った。
「この超大人気ボーイッハルさまが付いてるんだからなッ!!」
はーはっはっはぁ!!と、笑い声が木霊する。それはこの明かりのない夜、月に届きそうなほどに――――。
「うっさい!!坊ッ!!!」
「ぐあッ!」
少なくとも、リズには届いていたようだ。
「何さけんでんだ、このバーカッ」
突如リズは降ってきた。比喩でもなく、上から。もしかしたら空から。そんなリズの真空踵落としをハルは脳天にくらって真面目に今、地面を這いつくばっている。かなり痛そうだが、そんな神技をくらって「痛い」で済めば遥かに良いほうだろう。どうにせよ同情には値するが。
「リリュン・・・」
前に転がるハルをほって、ガシキはリリュンに歩みよる。どんな状況でも「ひとまず無視する」を出来るのはリリュンにとって密かにガシキの尊敬できるの一つ場所だ。
「リリュン、先程の話だが」
今だ地に尻を付けているリリュンに手を差し伸べる。下から見るガシキは更に巨大だ。
「罪の意識は誰でも感じるものだ。しかし世の中には必ず、不可抗力というものがある。本人の認識の問題だが・・・結果だけを見ても仕方がないだろう?俺も、これからは道を同行したほうが良いと思っている。」
―――それは、どういう意味なのだろうか。
立たせてもらいながら、頭が朦朧とする。
「え?なになに?リリュン、もしかして軍につかまろうとかおもってたわけじゃないだろうね?」
リズは匂いを嗅ぎ当てる犬ように感が冴えている。ハルに背を向けて跳ねるようにリリュンの傍に駆け寄ってきた。
「そんなのボクが許さないよ」
にかっと笑う。軽く言うが言葉は重い。
「あんなバカに捕まるなんて、ボクが許さない」
「どういう、意味?」
「・・・?そのままさ」
―――解るよね?
手をぎゅっと握る。いつもの冷たい手だが、そんなこと、どうでも良かった。
「さて、メンバーも揃ったし、行き先はティカへGOだ!」
―――メンバー?
聞きなれない言葉。私も、メンバー?私も居るの?居ていいの?私もメンバー・・・


解らない。けれど―――
そんなこと、どうでも良かった。

頭上を見れば綺麗な月が、いつもよりも大きく見えた。




「・・・それで?」
何かの影に覆われたように光が差さないこの街の情景を、此処では比較的高いだろう建物の上から見渡す者に
一言、尋ねた。
「それで、どうしたって云うんだい?」
もしくは――追い詰める、とでも云うだろうか。けれども人影は屋根の上からこちら―――はるか地面を見つめると
肩を浮かせて
「さて、どうしたものかな?」
と、おどけて見せた。“余裕”と、云う訳ではない。こういう奴にはこれが精一杯の答え方なのだ。
それが判る故に怒りは湧かないが
「追う―――かな?」
「もういいさ」
まったく、面白いと思っていやがる――――。
失敗を失敗と捕らえないこの根性は、非常に癪というものだ。
「どうする?」
「後で考えるよ」
そしてその様を思うとこっちが面倒臭くなる。完全に気が殺げてしまった。
「月でも見ないか?」
「何?」
「さぁ、お手を」
「屋根から云うかい」
「・・これは失礼」
颯爽と風が吹く。淡い、金の髪が月を背にして更に輝く。黒く、シルエットになる姿の中で歯を見せずにニコリと笑った。
「では、其方に迎えにあがろう。一寸、待っていておくれ」
「一寸?」
「そう、一寸さ」
―――ハクア君。
背後から手が伸びる。肩に触れる、闇のような静寂の気配。
「我輩は、月が好きだ。けれど・・」
――やはり――。
こうして悪魔は、
愛を呟く。

街に光が戻ったのは、それから1時間と24分後のことだった。