そしてそれは、かくも小石が坂を下るが如く
  不運は続く、誰の元へか――――――――


 「嫌だッ!!」
そんな声が聞こえたのは男共が泊まっている部屋の中からである。
リリュンは耳を傍立てることなく、ドアの前でその声を聞いた。
 「・・・もう一時間はこの様だ」
ガシキはその横で表情を固くして云った。
 「一時間・・」
リリュンは仮想してみる。
自分がリズと買い物をして居なかった一時間前、この部屋で何が起きたのか。高まるハルの声と、それに答える静寂の間。シキとハルの間に一体何が起こったのか。マキアとリズとリリュン、三人が買い物で費やした時間のおおかた2時間、ガシキとシキとハルは程よく風呂の掃除を済まし、各自バラバラに休んでいた。ガシキは2人を見なくなって30分もしないうちに部屋に戻るが、とっくに帰っていたと思われる二人がもうこの有様だったのだと云う。入ろうにも入れない、そんな空気を漂わせながら1階の部屋の前で壁に寄り掛かったまま突っ立っていた所をリリュンと逢ったのだ。
そんなガシキは未だ海人のシャツを着たままだった。
 「そんな事、できねぇよッ!」
またハルの叫ぶような声がドアの隅々から漏れて響いた。


 「スミマセン、これ一つと―――・・・」
 「んじゃぁ、ボクはこのグァバジュース。」
 「・・・・。」
と、いうことで三人は宿を出て街の一角にあるカフェテリアで時間を潰す事になった。
 「あ、レモンでよろしくね〜。」
―――と、いうより半場、レジャーである。
 「いいですね、ここ。海が一望出来るカフェテリアって素敵・・・」
 「カフェテリア・・ねぇ。地べたに直接座る“カフェテリア”は初めてだよ。ボカァ」
藁や葉はひいてあるものの、座れば直に土の温度を感じる床に腰を下ろすこの茶屋を“カフェテリア”とはちょっとお洒落に云い過ぎな気もしないでもない。しかし、リリュンの言う通り、港町の一角に在るだけあり、ガラスの無い壁一面の窓―――つまり壁のない、“筒抜け”である――から見える海やその香りには一瞬心を奪われる。
 「でも直に座るのも気持ちよくて良いじゃないですか」
 「この気候ならね」
ニコニコと笑顔を振りまくリリュンにリズは少し苦笑気味にそう答えた。しかしリズも顔を時折撫でる潮風にはくすぐったそうな、そんな顔で笑った。ガシキはその様をぼんやりと眺めた。
―――――否。
 「・・・リズ君・・・・」
 「ん?」
 「・・いや」
気分の方は、もう――――。
そう問おうとしたがリズと一瞬、目が合ううちに猫のような愛想で返されその気も失せた。
―――元に戻ったなら、それはそれで。
良しと、ガシキは目を伏せる。数時間前のリズは今の面影など無いほど、大違いな有様であった。
彼女がなんとかしてくれたのかもしれない。もしくは――――マキア婆ちゃんが・・・。 
 「そういえば、これ、買ってきちゃった」
リリュンは買い物の手荷物として持っていた、たった一つの袋からピンクリボンを取り出してガシキの目の前に出した。リズがふと、また苦笑する顔に戻るのが目の端に映る。
 「可愛いでしょ?これ、マキアさんも同意してくれてて――――」
そう嬉々としながらリリュンはリズに付けたりなんだり
 「ほら、似合う」 と見せてくれた。
ああ、そういえば彼女もいつも通り、立ち直ったようだ。
 「ほう・・」
――――良かった。 
 「ね。ガシキさんも似合うと思うでしょ?」
 「似合うってね、ボクは男の子だしー・・・。あ。」
リズは何か思い付きましたとばかりにニヤリと口端を上げた。
 「フフフ〜、コレ、あとで坊に付けてみようか」
 「え〜〜〜〜〜〜」
とは云うがリリュンの顔は心底笑っている。
ガシキの脳内にはあの仏頂面で妙に可愛らしいリボンをつけたハルが浮かぶ。
 「・・・プレゼント・・・・」
 「えッ!?」
 「?」
リリュンは何に反応したのか顔を赤くしてガシキを見たが、目が合うと次第にそのまま固まってしまった。
 「・・・・?リリュン?」
 「あ!あッあの・・・な、なんでですかね!?」
 「・・何が?」
ガシキの疑問を避けるように方向転換、リリュンはリズへとその脈絡のないその一言を投げかけた。
顔は未だ赤いままだが。
 「い、いや・・、そのハル君が・・」
 「坊が?」
 「あの、癖っていうか・・」
 「はぁ?」
リズが問う度にしゃくり返すものだから今、別の意味でリリュンの顔は赤くなっている。
 「だ、か、ら・・・」
 「リリュン、息・・した方が・・・」
 「なんでシキさんがボスなんですかねぇッ!!」
溜め込んでいた息を全て吐き出しながらリリュンはそう云い締めた。
動機が激しくなっている様子で肩で息をしている。何をそこまで・・・・。
 「そ、それは・・・」
―――そういえば、だねぇ。
リズはその問いを受けて、頭を掻いた。
 「考えても無かったけど、ボスってやっぱり不自然だよね」
ガシキもこくりと首を立てに振った。 
 「不思議ですよねぇ!」
ガシキもそうだな、と目で答えた。
 「なんか、ボスっていわれると何かの一団ーッみたいな。なんかそんなイメージ湧きません?でも、シキさんなんてハル君と親しいようだし、なんかボスっていう感じじゃ―――・・・」
 「うん―――・・でもそれ以前っていうか・・・」
―――ボク達、何も知らないしね。

 ハルの事
 
  彼達の、事


―――――ザァアアアン―――・・・・・。

 「ご注文は以上で宜しいでしょうか」
 「あ、はいッはい!スミマセン、大丈夫です。」
世話しなく、小波の音は途切れない。
そんな音に囚われていてか、飲み物を運んできたウエートレスの気配が行き成り感じられて戸惑う。
リリュンは何故か頭を下げて謝ってしまった。
 「どもりすぎ、どもりすぎ」
リズはそんなリリュンを見て、届いたばかりのグァバジュースにレモン汁を入れながら笑った。
 「・・二人とも、何処行くのかな?」
 「リズ君は決まってるんですか?」
 「いやぁ、だからボクは二人を追うんだよ。貸し、があるからね」
貸しという言葉を強調して、リズはふふんと鼻を鳴らす。
 「旅は道ずれなんとやら、まぁ・・この際遠くっても構わないけど。一応はどこまでもついて行くつもりさ」
 「そっか・・・」
リズ君はハル君やシキさんと共に。
ガシキさんはガシキさんで行く場所が――――。
 「で、リリュンはどーすんの?」
 「え?」
―――私は・・。
 「どうしようかなぁ・・・」
 私は。

どうしよう。






 「あ、ちょっとしつれ〜い」
 「え?」
 「お手水だよ。お・ちょ・う・ず」
リズは背を向けたまま手を平付かせてさっさと奥へと歩いていってしまった。
 「・・・・はい。」
 「・・・・。」
 「トイレらしいです。」
ガシキがああ、と目で返す。
リリュンはそれを見て薄く微笑んだ。
ガシキとのこんな会話も大分馴れた。最初から無口な人なのだとは知っていたからそんなに萎縮しながら会話をしていた訳ではないが、話題を探すようなそんな焦燥も無く、今は馴れる以上にこの無言の空間も心地よく受け止められる。
―――――馴れた、かぁ・・。
リリュンは視線を青く広がる海原へと移した。
ニフにもこんな海があった。
けれど、それ以上にあの巨木の生い茂る森や長く続く川が生活の中にあったため、こんなに意識のうちに海を感じてはいなかったように思う。もっとも、宿から見える海を眺めたりしてはいたが――――。
―――――そういえば・・・。
 ハル君、とも見た。
夜の海、月。波立つ光。あの時、初めて二人で会話したんだ。あ、違う。“初めて”は―――私がハル君を『坊君』って呼んだときで・・・
 「・・ふッ」
込み上げてきた笑いが突然だったため、堪えようと思う間もなく無意識に息が口から漏れてしまった。 
 「・・・あ。」
 「・・?」
 「いや、今、思い出し笑いしちゃって・・」 
―――――スミマセン

 「あ、ははは・・・」

 ハルと云う存在、リズと云う人、
―――――そしてガシキさん。

 「??」
 
 目の前でそう、微笑んでいる。

知っているのに知らない関係。
知ってると思った、知らない人達。

 ああ なんで 
   

   なんで私、 
     泣いているんだろう?









 転がる石は何処までも、
  止まるところを知らず走り続ける


 「―――え?」

 
  誰の元へか―――――。


ハルが、居ない?
 「どういうことですか?」
 「え、どういうことって私はてっきり貴方達と居ると思って」
 「じゃぁ、シキさんは・・・?」
 「あら?彼もいないの?」
―――――シキさんも?


 日の暮れかかった頃、港には即座に闇が訪れようとしていた。
藍の空に薄闇。巷の街頭が灯り始めた時、そして三人がゆっくりと宿へ足を運んでいた時
 一寸の、事件が起きた。

  一瞬の 停電――――――。
  
そして、それ以来、突如としてこの町から電力を利用した物、また何故か明かりの灯る全ての物の力がいっきに 果てた。今、容赦なく攻め入ろうとしている闇の時を前に、人々の騒めきはすぐに高まった。


 「なぜ―――・・・」

そしてそれと同時にハルも、シキも居なくなった。
この混乱に紛れて何処かに居やしないか、そうは思うが・・。
 
 ガンッバキッ!!

 「?」
あれからまだ半刻もたたないというのに、もう辺りは完全に暗い。厨房に入っても火も使えないというこの不思議な環境。暗闇に包まれた食堂で4人は各々にその音を聞き、動きを止める。確実に、何かが壊れる音だ。 
 「ここに居るのは判っているッ」
――――大人しく出て来いッ
どうやら入り口の方かららしい。と、いうことは壊されたのはドアか・・・。
停電があってから客はすっかり外に出ていった為、4人のいた食堂からでも十分に食堂の出たフロアーを見渡せる。しかし、ガシキとマキアは見なくても十分に勘付いたらしい。二人は素早く身を床に伏せる。 
「・・・面倒だねぇ」
そして、リズも。嘲笑的に云う声が右下から聞こえた。
「リリュン」 ――-“しゃがんで”。そう訴えるように足を下から引っ張られた。
 「死体は見つかったんだッ!もう逃げても無駄だッ」
 「はぁ?」
―――どういうことさ。
   
   死体?
 「その黒髪の少女をこっちに手渡すんだッ」
 「黒髪の・・って」
マキアの声が正面から聞こえる。
 「・・リリュン、ちゃん?」
“ちぃッ”と、ガシキの舌打ちをする声。
――――え・・? 
 「私・・・?」

 「貴様を大量殺人罪で逮捕するッ!!」