今は意識もはっきりしているけれど、それまでの記憶に感情がない。
 ただ映像、知識としてそれが堆積されているだけで、他には何も思おうところもない。こうして思い出していると、だんだんとそれらに感想が沸いてくる。
 というかなんだ。なんでここにシキがいるのだ。
 まずそれである。またというか何と言うか、変な格好をしている。どうやらこちらには気付いていないようだが、それも時間の問題のように思われた。
 リリュンは、とてもではないが大丈夫ではなさそうだ。彼女の持っている武器――と思われるもの――はどうやら持ち主の感情などによって発動するようだ。メティシア産の機械というよりは、魔法具に近い。
 緊張の糸が切れて、目の前にハルの顔があって。
 目の色も、髪の色も違う。けれどその肌の色は似ている。
 昔と、光景がダブって。そうしたらもう、正気でなどいられなくなった。
(…強く、ならなきゃ)
 リリュンの服を掴んでいた手を離し、手袋を嵌めたまま、ゆっくりと握り締める。隣にいるリリュンが不思議そうに見下ろしていた。
 そういえば、今は買い物をしにいくところだったと思い出す。だから今は肩掛けカバンしか持っていない。
 自分が平気だということを伝えねば。
「もう、ボクは大丈夫。ごめんね、心配掛けて」
 いつもどおり、ニッコリと笑う。それにつられてリリュンも安心したように笑った。
 それを見ていたマキアは、あれ、と言ったふうに驚いている。
「あら、やっぱり男の子?」
 リズへの問いかけだった。
 リリュンは慌ててどうしたものかとあたふたしているが、当のリズは特に気にした風も無く笑ってみせる。
「色々あって男の子でもないんだけどさ。だから今日一日ボクは女の子ね〜」
 あ、女の子はボクじゃないか。
 にこにこ笑うリズに、マキアは昨日に比べ随分明るい子なのだと思った。


 わきあいあいと買い物を楽しみ始めたマキア一行。服屋、小物屋、靴屋に化粧品。マキアははしゃいでリリュンにさまざまなものを持ってくる。まるで着せ替え人形だとリズは思った。しかしリズの方はリズの方で、やはり着せ替え人形だ。マキアが選んでくる服は実に『女の子らしい』ものばかり。リリュンに渡されるのは大人の女性を思わせるが、リズに渡されるのは外見年齢の問題もあり――なにせ十三歳ほどにしか見えない――、どうも可愛らしいものばかりだ。
「…………」
 鏡に映った自分の姿を見て、リズはなんともいえない気分に襲われる。
 色は濃紺、夜の空色。膝丈の、レースのついた半袖のロングワンピースだ。ロングということで靴は履き替えていないが、問題は頭だ。髪が短いと少しおかしいとの事で、カツラ着用を余儀なくされているのである。しかもそのカツラ、色が銀色。月の色である。おまけにワンピースと同色のリボンつき。リズはこれを見て、悪い冗談だと思わずにはいられなかった。
 そう、鏡の中に移る自分は、まさしく『自分』。正しくは、昔の。
 これで目が群青色であったなら、それこそ『幼いリザイア』の出来上がりだ。あえて足りないところといえば、女の子らしい体型ぐらいだろう。けれど十歳そこそこの子供、あまり変わりは無いだろう。
「…ねぇ、マキア」
「なぁに、リズちゃん?」
 リリュンの服を選んでいたマキアが、心底楽しそうに振り返る。その向こう側に、やはり着せ替え人形と化しているリリュンを見つけて、嗚呼やっぱりと思う。
 黒のロングスカートを着せられて、上はまだ未定。ただ彼女が焦っていることだけはよく分かる。だがそれを助ける気はリズにはなかった。
 視線をマキアへと戻し、用件を伝える。
「あのさ、カツラ、せめて茶色にしてほしいんだけど…」
 昔を思い出す。だいたい目の色とあっていない。
 リズの要求に応えたのは、マキアではなく店員の女性であった。彼女は先ほどからこの三人の客を微笑ましい笑顔で見ていた。時にはマキアとこれがいいあれがいいと論議もしていたが。
 その店員は少々お待ちくださいと言って店の奥へ引っ込むと、しばらくして茶色のカツラ――ロング――を持ってきて、リズにつけた。リボンもつけなおされるあたり、仕事は完璧だ。それに付け加え、彼女はなぜか熊の人形も持ってきていた。
 リズが持つには丁度いいサイズ。それを押し付けるように渡されて、持つしかなくなった。
「お似合いですわ!」
 店員は、実に嬉しそうであった。
 鏡を見れば、熊の人形を抱えた可愛らしい少女が出来がっていた。腕の細さがややマイナスだが、他は特に問題が無い。
 抵抗する気も無く、むしろそこそこ楽しんでいるリズは、この格好のまま帰って男性陣を驚かしてやろうと目論んでいた。
 だが。
「―――?」
 外が、妙に騒がしい。
 胸騒ぎを覚え、リズはその格好のまま店を出ようとして思いとどまり、自分が着ていた服が置いてある場所へと向かう。カバンを漁り、中から財布を取り出して、店員に適当に金を渡す。それは洋服代としては十分なもの。
 それからすぐに、店の扉へと向かう。
 驚くマキアと店員に振り返り、笑って言った。
「ちょっと、様子見てくるから外でないでね〜」
 カランカラン、とドアベルが鳴って、リズの姿はそこから消えた。


 外に出ててみると、そこには案の定――軍の兵士達がいた。
 安全を考えて、リズは自分が出てきた洋服店そのものに魔法をかける。人が中に入れないようにするものだ。難点は、魔法を解かない限り中から人が出ることができないというある意味困った魔法だ。そのようなリスクのないものもあるが、この方が楽にできる。
(リズの魔力が高くて助かったなぁ…)
 誰にも気付かれないように行った魔法。軍のものはただ、洋服店からでてきた『少女』をぎっと睨む。
「おい、その店の中に黒髪の女がいただろう」
 きつい、詰問口調。
 それはリリュンのことを言っているに違いない。昨日の今日でこのような行動をしてくる軍に、驚くを通り越して、呆れる。
 そしてもちろん、正直に答える気など無い。
「黒い髪のヒトなんて、いっぱいいるから……」
 どこか怯えたような少女を演じる。軽くうつむいて見せれば、それは完璧だ。
 民衆も、今の軍には不満を抱いているようだった。たしかに、白昼堂々営業妨害をされれば頭に来るのも当然。野次馬達は兵士とリズを取り囲むように、円を作っている。
「正直に答えろ!!」
 雑兵と思われるその兵士は、サーベルを抜いた。
 これに野次馬達はいっせいにブーイングを浴びせる。しかし雑兵は怯みはしたものの、剣を収めようとはしない。
 俯いているリズは、肩を震わせている。
 それは傍から見れば、泣いているようにも見えただろう。けれど実際はそのようなわけではない。
 笑って、いるのだった。
 この頭の悪い雑兵が、リズにはおかしくてしかたなかった。
 いぶかしんで見られていることは百も承知で、すっと顔を上げる。にっこりと、可愛らしい笑顔を添えて。

「さぁさぁ、楽しいマジックショーの始まりだよ!」

 は? と疑問を浮かべる雑兵たち、その数およそ五人、一小隊。目の前の細い美少女――に見えるだけ――は、怯えていた様子などまるで嘘であったかのように、満面の笑みを浮かべている。そしてそのまま可愛らしくクルリと回ると、熊の人形を雑兵たちに向けた。
「無作法なおじさま達が、消えちゃうマジックだよ〜」
 はい、ワン、ツー、スリー!
 そう言った途端、熊からなにやら怪しげな煙がもくもくと出始める。色はさまざま。レインボーカラーとでも言えば的確であろうか。とりあえず、怪しいことには変わりない。
 混乱する雑兵たちをそれは包み……リズがパチンと指を鳴らすと、ぼんっ、と音を発して雑兵ごと消えた。
 後には、わずかに煙だけが残っていた。
 一斉に、野次馬から歓声が飛んだ。それと同時に、後ろの洋服店からリリュンが駆け出してきた。指を鳴らしたときに、店にかけていた魔法も解いたのだ。
「リ、リズ君、大丈夫!?」
 ぺたぺたと顔を触って確認をするリリュンに、リズは笑いながら大丈夫だよ、と言った。
 それからリズは周囲の者達にもみくちゃにされていた。だが、その中の誰もがリズのことをお嬢ちゃんと呼んでいた。
 楽しい楽しいマジックショー。
 マジック=魔法。
 確かに、リズが行ったのはマジックに他ならない……。

         *

 一方、消されてしまった雑兵達はというと。
「うわーっ!!」
 どさどさどさ。
 赤い絨毯の敷かれた廊下に、次々に落ちてきた。もちろん、何も無い空間から。
 驚いたのは本人達だけではない。そこにいた、召使やそのほかの兵士達もだ。
 目の前にある、靴。それを辿り見えげるとそこにいたのは。
「………なにを、しているのかね」
「…………………っ! ちゅ、中尉殿!!」



 運が無いのは、果たして誰か。
 推して知るべし。