♪はぁ〜・掻き分け進む白波の荒れても行きたいあの娘の元へぇ〜♪

「…ボス…何時の間に…」
 シキは船頭ルックにノリノリで船頭の唄を歌っている。
(ただし細くて白いので船頭に見えない。病気持ちに見える。)


 ユキシロの出してくれた鳴き声がキュートな魔族は疲れも知らずに進み続けて(しかも夜の海を)ニフを立って次の日の昼過ぎには、
「あ! あれがアデューク大陸ですか?」
 リリュンが指す先に見える所まできた。
「メシだぁぁああ〜っっ!」 ハルが吠える。
 船に積んであった食料では少々足りなかったらしい。
「何? 腹が減っているのか? なら歌って忘れようっ!」 シキはハルの肩を引っ掴み歌に合わせて揺れだした。ハルは海面スレスレまで左右に揺さぶられ“落とされるっ”と顔を青くするばかりであった。リリュンとガシキも別の意味で口元を押さえて青くなった。

 夕刻には港町へ着いた。
 船から地面に足を着いた時、シキ以外のメンツは蒼白でよろけた。
「あ…あの…少し止んでも…ぅうっ…いいですか…」
 リリュンは込み上げるものを堪えてやっとそう言った。
「ほぅ船旅でお疲れと見える。急ぐ旅だが…まあ日も暮れているしいいだろう。宿を探そうっ!」 一人元気なシキである。
「…疲れたというか何というか…んっ…ぅぅう"…」
「船酔いか? 情けないな、ハルハル」
「……………………………………っ」 ガシキもヤバい。
 休まずここまで送ってくれた魔族にはなんとかお礼を述べた。

            *

「ここも駄目かぁ…」 リリュンは十六件目の宿から出て言った。
 もう船酔いもさめたのにまだ宿が見付からない。リリュンはほぅと息をつく。今のメンツで一番まともな格好だったから宿の空き部屋を聞く役は彼女に回ってきた。と言うのもシキは「商人は怪しまれない」との理由でどこからか着物を取り出し一瞬にして変装したが、余計に怪しい雰囲気を醸し出すし、ハルは…言わずもがなである。ガシキもアデュークに着くとなぜか布で顔を覆い、目だけを出した格好でかなり怪しい。(シキは“自分が行く”と言ったが止められた。)
「チッ。またかよ。他当たろうぜ」 ハルは船酔いがさめて空腹を思い出したらしくイライラしている。リズは人込みの中を行く時、特に男性とすれ違う時に体を強張らせて怯えた。だからなのか疲労の色が見える。(早く休ませたあげなきゃ…)リリュンも心なしか焦っている。もう港町は薄暗くなってきてしまった。このままだと野宿かもしれない。半分諦めかけた時、前方から買い出しの帰りと思われる三十二〜三の女性が何かに気付いたらしくこちらに向かって来た。
 そして無遠慮なくらいにガシキの顔を見てから第一声、
「貴方っ、ガシキちゃん!? 久し振りねぇ、元気だった?」
 一瞬、空気が止まった。“誰だ、この人は?”どうやらガシキの知り合いらしいが、様子を見るにガシキは困惑している。“ちゃん”付けをするくらいなのだから親しい人物なのだろうが…取り合えず、
「…どなた…ですか…?」
「…あらやだ…。私を忘れたの? あんなに世話したのに」
 ハルは軽蔑の眼差しで、リリュンとリズは疑問符を伴って二人を見る。
「…いや、その…人違いでは…?」
「何言ってるのぉ、私があなたを間違えるハズないでしょっ」
 そう言ってガシキの顔布を捲って“ホラやっぱり”。嬉しそうに言う。
「あの…失礼ですがお名前は…?」
「んふふふ…当ててごらん。判るでしょう?」
「…すみません…さっぱりです…」
「んもぅっ本当に判らないのぉ? 私よ、マキアよ」
 その名を聞いた一瞬後、ガシキの顔色が驚きに変わり、そして今度はガシキが女性の顔を覗き込み、驚きが確信に変わると、
「嘘だろっ!? マキア婆ちゃんっ!??」
「…“婆ちゃん”…? とてもそんな感じじゃないですけど…」
 リリュンが控えめに言った。それもそのハズ。マキアと名乗る女性、どう見ても婆ちゃんの歳ではない。むしろ全体の印象から“お姐さん”と言った方が正しい。なかなかの美人だ。
「アラ、ありがとうねお嬢ちゃん。もっと言ってやって頂戴。今はマキア姐さんで通ってるんですからね」
 背伸びをしてガシキの頭をポンポン撫でる。情けない光景である。
 ググゥゥゥウウ…。ハルの腹は“何か入れろ”と訴えた。
「おや? そっちのボーヤ、お腹すかしてるの?」
「…なっ! どいつもこいつも人を坊呼ばわりしやがっ…」
 グゥゥ。ハルの意志に関係なく胃袋は答える。
「ふふっ…胃袋は素直みたいねぇ、ボーヤ。…そうねぇ、立ち話も何だからウチの宿へいらっしゃいな、今の時間じゃドコも空いてないでしょう? 一部屋くらいならなんとかするし、ボーヤの胃袋黙らせてあげなきゃ」
「それは有り難い。レディのお誘いとあらばお受けしない訳にはいかない。一晩世話になりましょう」
 シキは恭しく、そして背景に花が咲くくらい華麗に礼をした。
 リズがリリュンの後ろで微かに笑った。
 リリュンもホッとした。何しろこのメンツの宿探しは色んな意味で大変だったし、リリュン自身も疲れていたから助かった。
「じゃあついてらっしゃいな、ここから少ぉし行った所よ」
 そう言って歩き出すマキアは荷物をガシキに持たせるのを忘れない。いきなり大荷物を突きつけられて“えっ?”という顔をすると、「優しく運んでね、卵も入ってるから」と笑顔で返された。
(…そうだ。この人は昔からこういう人だった…)
 夕飯の買い出しで客がまだ賑わっている夕暮れの港町を妙な一行はマキアについて進んで行った。
 その姿を初老の軍人が目で追っていたのだが気付く由もない。
 彼は目で追うだけでは納得がいかなかったのか、一行の後をつけて人塵の中を歩く。あまりにも必死だったので何度か人にぶつかった。少し歩いたところの宿屋へ一行が入る。それを確認すると一目散に元来た道を走って街へ消えた。


 宿へ着くとすぐに食堂へ通された。
「これから夕食作るから。他のお客さんと相席で悪いけどちょっと座って待っててね。一段落したら部屋の準備するから」
「あの、何かお手伝い出来る事ありますか?」
 リリュンは忙しい宿の様子を見てたすき掛け姿のマキアに聞いた。
「まぁ嬉しい事言ってくれるのねぇ〜v 流石は女の子。でも今日はお客様なんだから、ゆっくりしていって頂戴」
 そう言って戦場(厨房)へ乗り込んで行く。去り際にウィンクを残して。
 マキアの勤めている(もしかしたら経営している?)この宿、港の宿場にしては規模が大きい。客室は大小合わせて三十はあるだろう。歩きながら聞いた話によると大浴場と宴会広間、地下は酒場になっているらしい。そして今リズやリリュン達がいる食堂。ここに泊まっている客がほぼ全員集まっているらしく満席状態に近い。
「君達、マキア姐さんの知り合い?」
 隣に座っているオヤジが話しかけてきた。
「え…う〜ん…ついさっき知り合いになったんです。だよね?」
 リリュンは誰にともなく確認してみた。シキはそれに答えて、
「こちらの知り合いではなかったかな?」
「あ、そうそう“ちゃん”付けされてましたよねガシキさん」
 フードと顔布でほとんどみえなかったが、ガシキは赤くなった。
「……昔、世話になった…」
 やっと一言そうつぶやいた。“ちゃん”付けは恥ずかしいようだ。
「世話になったヤツの顔忘れるなんて…どういう神経してんだ」
 ハルからヤジが飛んでくる。
「…忘れた訳じゃなくて…知らなかったというか…」
「はぁ? 本当に知り合いかよ?」
「だいぶ昔の話だから…というか、顔が変わっていた…」
(まさか…整形…?) ハルの頭によぎる。
「そう言えばさっき“婆ちゃん”って言ってたけど…?」
 とリリュン。
(…今の成形技術は若返りまで可能にしたのか? 侮り難し人間)
「…………………」
 ガシキが黙りこくってしまい、これ以上の詮索は無理と判断された。
「魔法使い…?」
 リズは誰にも聞こえない小さな声でボソリと言った。

         *

 ハルはよく食べた。細身の体のどこにそんなスペースがあるのか…。
 夕食を御馳走になった後、部屋へ案内された。
「じゃ、殿方はここの部屋。リリュンちゃん達は私の部屋で。他にロクな部屋空いてなくてねぇ…」
「あの…リズ君は…?」
 リリュンはまだ腕にしがみついているリズを気遣って聞いた。
「…リズ…“君”? 男の子だったの? てっきり女の子かと…」
「あ…いや、その…えっと…」
 リリュンはちょっと返答に困った。リズは男でも女でもないのだ。
 どう説明すればいい? えぇと…。
「…じゃリズちゃんも私の部屋で。殿方の皆さん、よい夢を♪」
 マキアは詮索しないでくれた。
「おやすみ」 男性陣と別れてリリュンとリズはマキアの部屋へ。
 パタン。


「中尉殿! ラス殿が例の宿へ…」
「…っ! なぜだ? この件については勝手に動くなと言ったはずだ」
「申し上げにくいのですが…ラス殿はこの件を既に上層部へ…」
「…ラスめ…余計な真似を…で、何人で行ったのだ?」
「はっ、それが…十五人程で…」
「ちっバカな事を…戦争のつもりか? すぐ連れ戻せ。あと念のため救護班も連れて行け。危険だ」
「ラス殿は分別のある方です。殺したりはしないと存じますが…」
「違う。危ないのはラス達の方だ。さあ早く行ってくれ」
「しかし、十五人も連れているのですよ? そんなに…」
「アイツに数は通じないさ。いいから早く。命令だ」
「了解しました。失礼します」
 部屋から報告の者が出て行く。一人になった中尉はため息を一つ。
「…多分変わっちゃいないんだろうなぁ、考え方も何もかも」
 中年の中尉は窓に映る自分の姿に手をあててもう一言。
「俺は…少し老けたかな…」

         *

「いいぞぅ〜あんちゃん! ハッハハハハ!!」
 宿の地下にある酒場はやたら盛り上がっている。と、いうのも酒場のステージにいつもの踊り子や歌手が体調不良で休み、ガラ空きの所へシキが上がり、切り絵やらマジックやら芸を披露しているからである。
 最初、酒場に集まった者達は「野郎の芸見て何が楽しい」と相手にしなかったが…ウマイんだな、これが。芸の技も然る事ながら、その独特の話術で観衆を引き付け、釘付けにし、拍手喝采。満員御礼。
「へぇ〜…白の旦那、芸達者ねぇ。ウチで働く気ないかしら…」
 マキアが感心して見ている。ガシキも一緒に感心して、
「ただの愉快な危ない人じゃなかったんだな…」
「…それ十分只者じゃないんじゃない、いつお友達になったのよ?」
「…友達なのか…? まだ会ってから精々二日だ。知り合いだよ」
「あら、じゃあ今上で寝てるあの子達も?」
「…成り行きでね…。でも会ってからは色々あった。久々に死ぬかと思ったりなぁ。退屈はしなかった…させてくれなかった」
「そう…で、これからどうするの?」
「取り敢えずティカに行くよ。アデュークは知人がまだ多いだろう…特に昔の職場の人間に見付かると面倒だろうから…」
「…そう…それがいいかもね。知ってた? 今ラグちゃん、中緯度のになってるって。あの子にだけは会ったらどう?」
「…いいさ。迷惑を掛けるだけだ…」
 酒場はどよめいている。どこからか音楽が鳴り響く。
「では、一曲お付き合い願おうか。我輩の華麗な舞を堪能なされよ」

 ♪〜♪♪

 シキの舞は…華麗だけど…激しい…そしてまぶしい…。
 その舞については賛否両論で、なまめかしくていい。でも男だろ? 情熱的だ。曲と振り付けがちぐはぐだ。…etc。
 とにかく盛り上がっている。…ところに六人の軍人が入って来て、その中から初老の軍人がガシキに向かい、
「お久し振り。覚えて…いや、分かりますか? 私が」
 彼がそう言っている間に、連れの軍人は出入り口を塞ぐ形を取った。
 その事態に酒場は静まり返る。そこにシキの曲だけが流れている。
「…覚えがない。軍人様が何の用でしょう…?」
「覚えはなくて当然です。私は成長しましたから。でもこれは覚えているでしょう? 貴方が剣の技を教えたラスという少年兵を…」
「…ラス…そうか…。あれから何年になる?」
「もう四十年以上前になりますね。だから私も変わった」
 酒場からは小声で(おい…今の聞いたか? どう見たって軍人の方が年上だよな? 計算会わなくねぇか?)とか言うのが聞こえる。しかしシキの曲でかき消されてはいたが…。
「…何の用だ? 部下を引き連れて。物騒なご時世だな」
「私と軍まで御同行願えますか? 手荒な事はしたくないので」
「…断る」
「貴方を知る人間もまだいます。軍からの招待だと思って…」
「行けば解剖されるのが落ちだろう…ごめんだ」
「そんな事…させません。私にとって貴方は恩師ですから…」
「…………………」
「私も軍人です。必要とあらば強硬手段も厭わない覚悟です」
 その言葉で部下達が一斉に構える。
 その様子に酒場は更に沈黙が広がる。が、突然。
「人の演技を中断するとは何事だっ! 場の読めん軍人共めがっ!! 恥を知れっ恥を! 聞いていればそちらは貴様らと行きたくないと言っているではないか。用は済んだはずだ。失せ給え!」
「…シキの旦那…やるじゃない…v」(小声)
 シキの怒声を皮切りに「捕らえろっ!」と合図が出された。
「…丸腰相手に五人は反則だろう…」 ガシキは側にあったモップを掴むと「マキア婆ちゃん、借りるぞ」目で言って了承を得た。

         *

「…なんだよお前等」
「大人しくしていろ。すぐ終わる」 ハルは七人に囲まれていた。
 気分が悪い。その時、地下の酒場からシキの怒声がしたのだから、
「お前等…悪党か」
 言うが早く、ハルは飛び起きざまに一人へ蹴りをお見舞いし、着地の際には二人の脳天に拳を入れてやった。
「なんだこの餓鬼っ魔族だったか!」
「俺様は世界で一番知られている超、人気ボーイハルさ…」
 そこまで言いかけた時、

 ドンッ

 リリュン達の部屋の方から大きな音。
 リリュン達が危ない。ハルはそう直感し残り四人の軍人を無視して扉を蹴破り駆け出した。背後から追ってくる気配を感じたが、気にしてはいられない。部屋の前まで着くと更に音がする。
 ポキバキ…。骨が折れる音。ハルの血が引く。ノックもせずに。
「リズ! リリュン! 大丈夫か…って…なんだ…これ…」
 部屋は銀色の物体が風船のように縦のように広がり、壁との間に軍人が押し潰されているのだった。
「リリュンっ! なんだよ、コレ!?」 ハルの問に、
「いきなり広がって…。何? これ…ハル君、リズ君…っ私、何をしたの? どうすればいい!? 人が…人が死んじゃうよ…っ」
 リリュンの混乱にあわせて銀の物体の圧力は高まったらしく、更に骨の折れる音がする。それと一緒に「…うぅっかはっ…」苦しむ声。
「ごめんなさいっ! でもどうすれば? 助けて…っ」
 泣き出しそうなリリュン。ハルは一寸間を置いてから、
「リリュンっ落ち着けっ! 大丈夫だ! 大丈夫だから…っ」
 そうは言ったものの、何がどう大丈夫なのかハル自身、分からない。
「追いついたぞっ餓鬼!」 さっきの軍人がハルに迫る。
「ぅうっせいっ! 取り込み中だっ。悪党の相手してる暇はねぇ!」
「…な、なんだ…これは…っ!?」 追って来た軍事も肝を抜く。
「リリュン、深呼吸」 リズが手をぎゅっと握る。
「その娘を取り押さえろっ! 危険物所持者だっ!」 かかる軍人達。
「悪党は気絶てろ(ねてろ)っ!」 跳躍するハル。
 高い位置から重力を味方につけての踵落しで一人倒し、そのまま小柄な彼は、大人との体格差を逆手に取って二人目の懐に滑り込み、相手の腹へ痛恨の一撃を加え、残り二人には回し蹴りで動きを止め、水月にキツイ一発。この間わずか十二秒。素早いって素晴らしい。
 リリュンはリズによって徐々に落ち着きを取り戻し、銀色の物体も元の大きさに戻って行く。壁に圧迫されていた軍人達が、床へズルリと崩れ落ちる。ようやくその場は静かになった。だが、リリュンも崩れた。
「…私の…せい…?」
 小刻みに震える彼女の目には圧迫し寸前で気絶した軍人と、彼等が崩れ落ちた時できた壁伝いに残った血の跡。
「…誰も死んでない。殺してもいない。大丈夫…」
 リズがリリュンを慰める。ハルはその場を後にし、地下へ向かう。
 取り敢えずシキの所へ。

         *

 ボワワン。ピンクの煙がシキの掌に突如として上がり、その中から嘘っぽいお星様が数個。
「黒い流れ星に願いをかけるがいい。暗黒流星群〜」
 嘘っぽいお星様は黒い尾を引いて流れシキを捕らえにかかった軍人にコツン★と当たると、黒い尾で二人ほど締め上げた。
「願い事は唱えたかな? 暫くはそこで反省しているといい」
 シキはそう言ってデコピンも追加してやった。
「気絶させろ。決して殺すな。連れの魔族もだ!」
 ラスが命令を下す。二人の部下は四十センチ程の棒を構える。その棒、電流が走っているらしい。メティシア製か。今は便利な捕獲用具ができたものだ…他人事のような素直な感想を頭の片隅でつぶやいて、ガシキもモップを構える。
 マキアは算盤の用意をする。
「モップで我々に太刀打ち出来ると思うかぁっ!」
 迫り来る二人に対して、
「…アン・ギャルド…」と、つぶやいてからモップを相手の鼻先ギリギリへ振り下ろした。それに二人は一瞬ひるんだが、流石軍人だけあって冷静に二手に別れ挟み撃ちの体制をとる。その際、店のテーブルを七台程ひっくり返し、グラスも十八個割った。マキアの算盤が素早く動く。(テーブルとグラス破損…っと)
 挟まれ、背後を取られた。前後から電撃棒が振り下ろされる。
 対するがシキはまず前方の者の眉間へモップの柄を突き、後方には鳩尾へ蹴りを入れてやった。もちろん、力の加減をして。
 そうでないと死んでしまう。
「…くぅっ…」 二人はそれぞれ眉間と鳩尾を抑えて倒れた。
 一人残ったラスは、いつの間にか鞘に納めたままの剣を構えていた。
「…ブーフルト仕様の貴方に数は関係ないか…分かってましたが…」
「…見逃してくれないか…? 教え子のお前を殴りたくない…」
「……私も貴方に手荒な真似はしたくない。でもお互いに、そうも言っていられん。だから…」
 ラスはガシキの間合い寸前までゆっくりと近付き、
「昔の様に、稽古をつけて下さい。これで文句はないでしょうっ」
 ラスは言い終わらないうちにガシキに振りかぶった。
 とっさにモップで受け止めたがモップは容易く折れてしまった。
 ラスはお構いなしに振り下ろした剣を横へ払い下段へ攻撃。
 なんとかテーブルの上へ飛び乗り避ける。が、間髪入れず、下段から突き上げられた剣にエビ反りで対処するのがやっとであった。
 さっきから見兼ねていたシキがおもむろに刀を取り出し、
「それでは稽古にならんだろう」と、投げてよこした。
 ガシキは刀を受け取ると、ペコリと頭を下げ、次のラスからの一撃を受け止めた。両者共、刃を鞘に納めたままだったが火花が散った。
「…ラス、確かに腕は上がったな…だが!」
 ガギィィンッ。ラスの剣を弾き返し、彼が瞬間よろけたところへ、
「腰が甘いのは相変わらずだなっ」
 ラスの腹に肘鉄を入れ、気絶むらせた。ラスはカウンターへ倒れ、何本か空けていない酒のボトルを割った。
 静まり返った酒場にマキアの算盤の音が響く。
「…モップ一本…お酒も…合計で…104メルと7405ガロ…。これはまぁ、ハデに壊してくれたこと」

         *

「おはよう、リリュンちゃんにリズちゃん。機能は大変だったねぇ」
 マキアに起こされたリリュンは実のところ、殆ど眠れなかった。
 恐る恐る壁へ目をやる。地の染みはそこにあった。
「…気にしなくていいのよ。壁紙なら張替えがきくんだから」
 マキアはそう言ってくれたが、例え張り替えてもリリュンの記憶にはくっきり残るだろう。骨が折れる音。苦しむ声。鮮血の色。
「……よし。リリュンちゃん、リズちゃん、今日は私に付き合ってくれる? 町で買い物しましょう!」
 マキアは落ち込み気味の二人を見て、どうにかしようと提案した。
「え…でも…私お金持ってないし…」
「私のおごりよ。…あのね、実は私、夢だったのよ、娘と買い物に行くの。でもね、子供二人いるけど男でねぇ…。だから、ね」
「えっ? 子供いるんですか!? 若いのに!」
「ふふふ…いくつに見える? …あ、やっぱり言わないで怖いから。ところでリリュンちゃん、いくつ?」
 マキアの何気ない問いにリリュンは戸惑う。私は、何歳なのだろう?
 名前だって借り物なのに、自分の事は…分からない。苦し紛れに。
「じゃ、クイズ。いくつに見えます?」
「ぷっ…やぁだ、まだ隠す様な歳じゃないでよっ」と、マキアは笑ってから十八歳、と答えた。リズは十九歳と控え目に。
 それくらいの歳なんだ…。自分の事ながら感心してしまう。
「あ、そうだハル君達は?」 話題をそらす。
「ふふ…男性陣なら今頃お風呂掃除。昨日暴れたからそのツケよ」

         *

 シキはスーツの上に割烹着を纏う格好で楽し気に?ブラッシング。
 ガシキも短パン(縦縞)にTシャツ(海人)で黙々と磨いている。
「あぁ〜っっ!!」 風呂場でブラシをかけながらハルは外にリズ達が出かけるのを見て大声を上げた。俺達は風呂掃除なのにっ!
「なんでリリュン達ばっかし…」 自棄糞にブラシをかけてみる。
 だが、ハルも皆もまだ知らない。昨日の出来事のせいでリリュンも軍にマークされる身となった事を。











◎アン・ギャルド……兵士が剣を構える時に言った言葉。
◎ブーフルト…………乱戦、集団戦の意。主にトーナメントで使う用語。