「貴方様は・・」
ユキシロと、そう呼ばれた主は驚きとそして親しみ以上の感情を言葉に込めて“リズ”を呼んだ。確かにあなた様、と。
一瞬、躊躇するがその金の目にはやはり、リズしか映ってはいないようだった。
 「あぁ、やっと―――・・」
―――やっと・・。

「おーいッ!!リズぅッ!」
 ハルは、はと目を見開いた。天を見上げると枝葉の間から洩れる微かな光を遮り、間から此方を覗き込むガシキの影が見えた。隣に居るのは――・・きっとリリュンである。リズはそのままの笑顔で向き直るとまるで、此方に来いと云う様に手を振って返した。さっきまでの空気はもう一欠けらも無く,
また、“リズ”のままで。
「よくぞ、いらっしゃいました」
「いや、偶然なんだ」
「たとえ、そうで御座いましても」
喜ばしく存じ上げます―――。
 先ほどの呟くような声は今、彼女の威厳ある玉音と代わってこの岩室に高らかと響いた。リズはガシキ達へ向きながら背でその声を捉えハルはその、光景をただ見詰めていた。どちらに気を取られる訳でなく、二人の居る、それを見ていた。
 「しかし、因果なことだね。ユキシロ」
 リズの、独り言つようなその様も。

「これ、降りられるでしょうか?」
「・・どうだろうか。下が良く見えんな」
 ガシキは上手く絡まり穴を覆う根を掻き分け、隙間に手を入れながらなんとか足場を探った。リズやハルが知らずに落ちたとしても声で聞く限り外傷は特に無い様子なのでそんなに危ない高さではないようであるがそれでも見えない処に飛び込むのは一抹の不安がある。例え最初だけでも足が掛けられる場所が在れば有り難いと思った。
「それにしても可笑しいですね。こんなところに何が・・」
 その後ろでミカヤが首をひねる。
「リリュン、何か見えまいか?」
 隣で合間に顔を近付けて同じように試みていたリリュンを見遣ると伏せた姿勢のままで見事にぴたりと静止していた。
「なんだか」
 それでもガシキの声はちゃんと届いていた。しかし、
ガシキは密かに片眉を顰めた。その穴の凹凸を見るよりも遠く、リリュンは確実にもっと遠くのものに、目を奪われていた。
それは―――。

「白い・・・」

「はい?」
「白い、人が」
 ミカヤは聞き返して前のめったその形のまま、微かに宙を見詰めた。
何か覚えがあるのだろうかと、ガシキはミカヤの仕草を目で追うがミカヤはそのまま自分の思考に入り込んでしまったようで動かない。このガイドでも知らない場所があったかと、そんな事を思う。どことなく、くすぐったい愉快さが沸いて視線をリリュンに戻したがリリュンの体勢も変わらないままだった。目を見張る事を未だ止めずに。
なんだか、寂しくなった。

「いけない」
 
後ろで、ぽつりとミカヤがそんな事を言った。
その瞬間だった。 
ガシキが背後に大きな、異形の影を見た。




「解せないかな?ユキシロ」
 リズはそんな言葉を云った。
 判ってるでしょ?そんな口調だった。
 ゆるりと、首をもたげ
「ボクは逃げた」
 そう云った。 
この無機質な岩岩が声、1つ1つに響きをもたせ
ユキシロの冷気を助け、それ以上に
 「ごめんね」
 冷たいものにした。

「いいえ」

わたくしは――――。
「貴方様の恵みに、感謝しておりますわ」
  

リズはゆるりと身を返す。
瞳を向けるその途中、リズは隣でただ佇むハルの見慣れた横顔を見た。
必然といって可笑しくはない、ハルの視線と合いそうになり
何故か急いで背けたくなり――――。

「---がぁあッ!!」

不意にリズの視線は意外なものに奪われた。聞き覚えのある声、共に幾つもの枝が折れ、崩れ舞う音がする。モノが岩肌を伝うように落ちる。
「ガシキッ!!?」
「いやー――――ッ!」
「リリュンッ」
 ハルが叫ぶ。それは頭上に。
枝葉のせいでよくは見えない。が。
透けて微かに見える、大きな影がひとつ、ふたつ、みっつ・・・。
「・・・・なッ」
 気付けば、岩室はその影に囲まれていた。


「アディナル イーコ イ “ヌシ”」


―――ヌシの森で、何をしている。
 ぞっとするような低い、荒い息を含んだ声だった。
「・・なんだ、てめぇら」
「ユエ ラバールサネ ナラゥ!!」
 ユキシロが関を切ったかのように突如として叫ぶ。何を云っているかは詳しくは知れないが、きっと反抗しているのだ。ハルの裸足が地面を伝い、更に度を増した冷気を感じた。ユキシロは紛いも無い、この島のヌシだ。彼女のそれは彼らに案の定静寂を与えた。しかし、次第に囁くような言い合うような声が増え、それは雑踏のようになった。聞くに耐え兼ねるざわめきで耳が、痛い。しかしそれを塞ぐ為に腕は動かず、ただ彼らの影を見据えるだけだった。
――――――と。
 その中の一人が何か大きな声で叫んだかと思うと
大きく、飛躍し
「う、うぉお―――ッ!!」
――――っどがぁッ!!
 天井を突き破って見事に岩室へと乗り込んだ。
更に枝はめちゃくちゃに折れ、真ん中から破壊した為に今まで覆っていたそのほとんどは全壊した。そらから降り注ぐ光が全て、この部屋にも差し込む。そして、彼らの影が薄れる。
「――――。」
 思わずハルは息を呑んだ。
人間のような体を持ち合わせてはいるが、それは異常な程にたくましく成り立ち、首より上は赤い、獣そのものだった。牙が飛び出すその口からはひゅうひゅうと音を立てて息が洩れていた。そして、喉を鳴らすような音を立てながらまた、大声で吼えた。
其の手の内には気絶したリリュンを抱えながら。
「・・てめぇッ」
 ハルはふつふつと湧き上がる怒りを感じた。
「ふざけんじゃねぇぞ!!」
 しかし、その赤い魔族はハルの声に反応すら示さなかった。
ユキシロとただ対峙している。ハル同様、多くの怒りを込めて。
「うぅ・・」
「ガシキ!?」
 さっきまで倒れ、ピクリとも動かなかったガシキが微かにうめき声を上げた。
体を動かそうとなんとか悶えている。
「駄目だよッ頭を打っているかもしれない」
―-―こんな時にバックが・・。
気を許したせいだ。
いつもの商売道具は重荷になると宿屋に置いて来てしまっている。
リズはガシキに手を伸ばそうし、一瞬止まり舌打ちをした。
「とりあえず冷静にしていて―――」
「上にミカヤ殿が」
「------ッ」
リズは血の気が引くのを感じた。

“ヌシの森で何をしている”

お互いに決めた、お互いの場所を持つためのルール。
これを犯した代償はでかい。
―――ああ、なんて事。
 リズは目の前が暗くなった。自分の愚かさに吐き気がした。ユフとは人間と魔族が長年、共に息づいて来た場所だ。しかし、それは種族の違いのこだわりを失くした結果ではない。血の違いは埋まらない。埋まらないからこそ、礼をもって、最大の友好関係を結んでいるのだ。ユフとは・・そしてリザイアとはそういう処なのだ。
私達は、それを―――破った。
この者達は自らの場所に踏み込む部外者達に気付いた。私独りだけなら良かっただろう。気配が島そのものに紛れて気付かない事が多い。ハルさえ、魔族であるからこんな騒ぎにさえ発展しなかったと思う。
問題は、ガシキ、リリュン。
そして―――ミカヤだ。
もう、盲点では収まらない。
間違って、いつの間にか彼らのテリトリーに紛れ込んだにせよ私は一体 

何をしていたのか。

戦えない。今、力は使えない。
使えばどうなるか判らない。
なら、どうする。
ユキシロに頼る?
彼女自身に、この対処を?
そんなことは――――----。

ならば、どうする。

ならば、どうする。




赤い魔族が動く度に手の中にいるリリュンは益々、潰されそうに見える。
きしりきしりと、今にも音を立てて腕や背などは簡単に折れてしまう。
-――――折れてしまう。
「やめろっつってんだろうが!!」
「な、ハルッ!」
 いくな、そんな言葉さえ出る暇も無かった。2mほどの短距離をハルは思いっ切り飛躍した。
ユキシロが屈強な赤い魔族の肩越しに目を見開く。
そして―――――。

「がぁああああッ!!!」
 キーを少しだけ高く、しかし腹に響くそんなうなりが赤い魔族から上がった。
「あああああぁあッ!」
 鮮血が飛び散る。それはハルが噛み付いた右肩からである。
暴れて、暴れて、どうにか爪を立てるが身の丈も重量も遥かに劣るハルの身体は遠く、岩壁に投げつけられリズはその光景から目を逸らした。しかし、終わったかと思った魔族の声はついえなかった。岩や地面が擦られるようなも耐えなかった。
逸らしたはずの目が酷く――――――熱かった。
折れてしまう、死んでしまう。
「起きろッリリュンッ!!」
 死んでしまう
「起きろ―――――ッ!!」

 いつの間にか周りは集まっていた他の魔族の声で溢れ返っていた。赤い魔族以外にも他種の魔族も混じっているようだったが、一同左右に揺れながら“ラギィ―エ イィ”と、聞き取り難い発音でそれだけを繰り返している。
―――殺せ。
 皮肉にもそう、云っていると解った。


“殺せ”“殺せ”“殺せ”“殺せ”“殺せ”“殺せ”・・・・・--------。


うっせぇよ


 
ばーか。





ボギィッ

「--------ッ!」
 ハルの二の腕の間接から酷く鈍い音がした。魔族の皮膚に食いこんでいた爪が折れ、滑った拍子に脇の間にはさまれてしまったのだ。強靭な圧迫感で腕はこれでもかというほどに反り上がる。そしてそのまま自分の体は宙に浮いた。痛みと、苦しみとその他諸々でハルは無重力の中、気を失った。最後に、冷たい空気が自分を包んだ事だけを、確認して。


          *



「・・・・・・・。」
 ユキシロはただ、手の内にあるハルを見据え、頬や額に多くできた傷をなでた。しかし、ハルしか映し出さないはずのその目は空虚なもの以外に何でもなく魔族を一瞥することもせず、ユキシロはハルを抱きかかえながら音も無くリズへと歩みよった。
「・・・リザイア様」
強く、強く腕を抱え、それに爪を立てて、自らの唇を噛み切って―――そして。
リズはやっと、その平常心を保っていられるようだった。頬からは汗が流れ落ちる。
もしくは――――。
「・・ユキシロ」
涙だったかもしれない。

「処刑致します」

綺麗な、綺麗な声だった。
リズが赤くなった目をむけた。
ユキシロはただ、微笑みを返すだけだった。

――――このようなことは。
幾度もなかったわけではない。
私の代だけでも、初めてではない。
時には、こういうことも必要で
それは仕方の無いことで
それを思うなら・・・。

 「ラバ オオ リバーザンル“ヌシ” グルゾッイヤ!」
 ―――貴方はどちらの味方なのだ!ヌシッ
 「・・・サン 」
 ―――当然。


私達はいつも同じではなかったかしら

 「ル バータ」
 ―――貴方達よ。

ねぇ、ガルドル。




「ユキシロ――――ッ!!」


「!?」
 低い、恐ろしい程に迫力のある声が響いた。
「----あ、あれは」
「直ちにこの場をおさえろッ!!」

「ガルドルッ」

 ユキシロは見えないはずの目を見開き、天に向かってそう叫んだ。ガルドルが手をかざすと穴に赤頭巾の人間とそして例の魔族が10人程ずつ取り囲み。ものの数分でさっきまで穴の周りにいた赤い魔族を取り押さえた。
「心配したぞ、ルグから知らせがあってな」
 ガルドルは穴の中に颯爽と飛び降り、ユキシロに駆け寄った。どうやら、この魔族達はよくいう反体制のものらしく、ルグはその集団がいっきに主の岩室にまで向かう途中を見かけ、変だと思い、村にまで来たのだという。
「調度、来ていると知らせを受けた客人が皆いなくなっていたものでな・・・胸騒ぎを覚えてきてみれば、遅くなったようだ。どうか、許しておくれ」
「いえ、助かりました」
 ガルドルとリズはお互いに頭を深々と下げ合った。
そして助けに来てくれた魔族にも。
ルグはいらないと大きな声で断ったが、それでもありがとうとお礼を言った。
本当に、助かったのだ。
ガシキは首を少し痛めたが、一番案じていた頭のほうは心配がなくハルの怪我も重傷といえるものは1つとして見つからなかった。もともと運動神経の良かったためもあり、壁にぶつかった衝撃は受身として上手く流され、折れたと思われた腕もただの脱臼で済んでいた。それを見て、これなら治った時にはもっと頑丈になってるだろうとガルドルは豪快に笑った。リリュンも強く掴まれた圧迫で一時的な呼吸困難におちいった為の気絶であったし、
脳にも異常はみられないらしい。
ただ、----ミカヤは良く知れなかった。
気付いたときにはもう村の病院に運ばれてしまっていたらしく、人に聞いても、詳しい事は聞き出せなかった。
病院に運ばれたと、その動きの速さが不安を駆り立てる処だった。
「まぁ、村についたら行ってやってください」
赤頭巾の独りがそうリズにいった。
それもそうか
「んじゃぁあとで―――」


ゴウン

――――?

「え?」


ゴウン

「---聖地だ」
誰かがそう独り言ちた。

ゴウン

「間違いない!聖地がッ」
わっとざわめき始める。
音と共に次第に足裏には細かな震動が感じ始めていた。