幾数もの巨木に囲まれながらも、この村は完成していた。
それは人が住むべき場所であり、賑わいのある場所として。
自然と、そして魔族と共用される土地であっても、確実に此処は――――人間の場所である。
大門や絡み合う立ち木の塀は森の奥から生じる闇を遠ざけ、そして匂いさえも
人間のものだ。


「坊君」
「うっせぇッ!!」
3階宿屋の2階部屋から木製の窓枠に腰掛け、眼下に広がる村並みを眺めていたのはハル。そこを後ろから呼びかけたのは黒髪の少女、リリュンである。
「俺様を坊呼びすんじゃねぇッ」
「棒読み?」
「違うッ!!」
つい先刻に、ガシキが村見物に、そして案内人としてミカヤがいなくなった部屋にハルの甲高い声が益々大きく響いた。
「俺様はこの世で一番知られている大人気ボーイッハル様だ!!」
「あッ、危ないッ」

ゴガッ

「―――――ッ!!」
リリュンに向かい直ろうと素早く窓枠の上で立ち上がったハルだったが
「だ・・いじょうぶ?」
幾ら小柄といえど、その背丈が窓枠に収まるわけが無く、頑丈な木枠に思いっきり脳天をぶつけた。
「坊君・・そこ、降りた方がいいよ」
リリュンはそろそろと手を伸ばすが、ハルは頭を押さえて窓枠の上にしゃがみ込んだまま屹とリリュンに顔を向けた。
手、が止まる。
ハルは長く垂れた前髪の隙間からリリュンを睨む。それは頭の痛さでか、それとも―――
リリュンに対する敵意なのか。
「・・・ハル様だ」
「・・え?」
「俺様はハル様だ」
「―――・・ハル・・君、でいいかな?」
「・・・・・。」
逡巡の間をおいて、許す、とハルがポツリと云った。
リリュンは再度止まっていた片手を伸べるが、ハルは一人で窓枠から飛び降り、そして、また背をむけて枠に身を寄せては外に目を向けてしまった。
「外には行かないの?」
―――――――。
目的を失くして彷徨う手を、何気なく握り、それを自らの元へ情けなく帰す。
「け、結構、珍しいものとかいっぱいあって―――」
「人込みは嫌いだ」

あ。
「そ、そう・・」
そうなんだ・・。
 リリュンはハルの横に並んで、外の景色を一瞥してからハルの顔を見遣った。
村からこぼれる赤や白や、橙の灯りが頬を照らして褐色の肌が少し火照っているようだった。
 何処を見ているんだろう――――?
なんとなく、隠れて見えないその目が見詰める行き先を追ってみたい気がした。
難破して、事故でも幸運で辿り着いた彼は今、本当の目的をあの海の向こう側に見ているのかもしれない。そんな、気がした。

 月が見える。星が見える。
長く森を抜けた先、それらが波間に穿って見える。
あの海を越えて―――何が。

その先には、何かが。

「あの船で、何処に行くつもりだったのかな」
思わず口にする。
「アデューク」
「え?」
「アデューク大陸だよ」
面倒臭そうにハルは答えた。
「アデューク・・・」
ハルは今までそむけていた視線をリリュンに寄せる。リリュンもそれを感じて見遣る。目が合った瞬間、ハルの目が少し細まったのが見えた。
「あ、ああッアデュークかぁッへー・・へ――、そうかぁ」
「・・お前、変」
「な、なんでそこに行こうとしてたのかなッ!?」
更にハルの目は細まったが、ハルが少し動いた振動で前髪がずれて見えなくなった。声が自然に張り上がりながらもリリュンは内心、ほっとする。事実、隠れただけでも怪しまれる疑いを心配しなくて済むと云う事が今、助けになりつつある。
――――私は。
「・・仕事」
「え?じゃぁ・・大変なんじゃ・・」
「大変なんてもんじゃねぇよ」
ハルはため息混じりで微かに頭を項垂れた。
「だ、だよね」
確実に、“隠す”事への心労を感じざるを得なかった。

こんな子供にさえ。

リリュンはハルの頭を見遣り、10cmはあるだろう背丈の差を感じる。
――――こんな、子供にさえ・・?
突如、頭の中がすと、空になっていく。何故だろうか?・・・何故だろう?この島の者でもない、ただ今さっきあったばかりの人。もし、今いったとして、何もかもぶちまけたとして、何かが変わるわけではないのでは・・・?

――――私は。
私はリリュンではない。
私は誰だか解らない。
私は誰だ。
私は全てが―――

「てか、お前は?」
「え?」
私は
「・・私は」


ああ。
――――私は・・。
「――旅してて、迷い、込んじゃって・・」
「ふーん」


嘘。

「別に、いく処とか決めてないんだ。」
嘘。
大嘘。

偽り。なんで。

「だから―――・・・・」

だから、





何?

「あッあの、ハル―――」
「おーいッ」
「?・・あ、あいつ等ッ」
窓の外ではガシキとミカヤ、そしてその横にはリズも居る。皆が皆、お互いに多く買い物袋などを両手にぶら下げていた。
「何やってんだよ、てめー等はッ!!」
二階からハルは身を乗り出して叫んだ。
「さっき逢っちゃってさぁーッ此処のもの、いいのそろっててーッ」
人込みのノイズに負けないようにリズは声をハルのように張り上げながら袋を持った片手を挙げて見せた。
「それよりご飯食べにいこうよーッ」
「はぁッ!?」
「この先にお勧めの場所があるんですよーッ」
隣に居たミカヤが後を次いで云った。ガシキが二人に何か言う。しかしリズがすぐに、いいよこのままでと言うのが聞こえた。
「早く降りてきて――ッお腹すいた――――ッ」
「ったく、しゃぁねぇなぁ」
ハルはそう、下を見ながら一人言ちた。
「・・・あ、つーか何?」
「・・え?あの」
「呼んだだろ?」
そう訪きながらハルは部屋の隅に移動して部屋の明かりを消した。
「え、えぇ〜と、別になんでも・・ないかな」
「はぁ?」
なんだそれ、と薄暗い中ハルの不機嫌な声がした。
「変な奴」
「・・・ごめんね」
―――ごめん。
「ほら、行くぞ」
ハルがドアを開けて中に廊下の明かりが入る。
橙の暖かそうな光だ。ハルがそれに逆行となった。
「行くぞッ!?」
けれど、どうやら手を伸べているようだ。

―――ごめんね。
「・・うん」
お腹すいた。
リリュンはハルの手を取って共にこの部屋を出た。