近い。
もうそれは目の前。
逃げる事などもう出来ない。
引き伸ばした時間は、もう使い切ってしまったのである。
深い深い碧の海、どこまでも続くような青い空。
ゆらりゆらりと波に揺られ、妙な三人はリザイア大陸を後にした。
「んー、いい風だねぇ」
蒼い海の潮風を肌に感じて、リズはそう気持ちよさそうに伸びをした。
遠くまで広がる海原、空を行きかう海鳥達。爽やかに晴れる空に、ところどころ固まった雲があるのがまたいい。
まるで何も知らないかのような穏やかな風景。
海の神は空に焦がれ、空の神は海に焦がれたと言うが、それもなんだか納得がいくとリズはぼんやりと思った。
――――ハルを、片手に捕まえながら。
「いい加減にしろよな……」
すでに諦めているのか、はたまた体力切れか―――大方後者であろう―――、ハルはげんなりとした様子でそう言った。
まさかこんな目に遭うとは思っていなかったと言う事も相まって、この不幸続きの少年は疲れきっている。
なにせ自分を捕まえているのは年齢十三、四にしか見えないが明らかにオカシイ、そして怪しい子供商人。その隣に居るのは昼間から酒のニオイを漂わせる病気持ちとしか思えない、体つきのよさそうな長身の無口な青年。
はっきり言って、目立つ。とにかく目立つ。
どこからどう見ても三人が三人とも血縁者には到底見えない組み合わせ。かと言って職業に共通点があるかと言えば、どこにもあるはずがない。冒険者一行と言うにもいささか無理がある。リズとガシキだけならば、もしかしたら商人と雇われ護衛に見えたかもしれない。しかし、その商人が(見た目に反して)力強く掴んで話さないのは小柄な少年。全く三人の関係がつかめない。
「……なんでこの俺様がこんな目に…」
ぼそりと呟くが、明らかに聞こえているはずのリズはいっそ潔いまでに綺麗に無視。そのリズを挟んだ先に立っているガシキは「諦めろ」と目で語っていた。
*
「なぁ、お前って男? 女?」
少しでも嫌な思いから逃避したくて、ハルはふと今まで抱いていた疑問をリズになげかけた。
ハルは普通に見た目や雰囲気からしていかにもな少年だ。悪ガキと言ってもいいような、そんな少年。つまりは男。
ガシキはもうそれこそ男にしか見えない。むしろそれで女です、と言われたらどうしようもない。(ハルはそれを一瞬考えて顔を青くした。)
けれどリズはどうだろうか。どこか中性的な顔は少年とも少女ともとれる。どちらかと言えば少女に近い。しかしその体力は恐ろしいとハルは身を持って経験済みだ。雰囲気すらも中性的。その年齢からすれば仕方ないかもしれないが、どうにも性別の判断がつかない。
場繋ぎのような質問ではあったが、確かに気になっていたことでもある。
答えは簡単なはずだ。ただどっちかを言えばいいだけなのだから。
しかし、リズはそこで悩む素振りをした。
「うーん、なんて言うのかなぁ。少なくとも女ではないけど…」
「はぁ? んじゃ男しかないじゃねぇかよ」
なんだ、はっきりしろよと目を細めてみせる。
なぜここで躊躇う必要があるのか。
(……まさか、オカマか?)
考えついた答えに、こいつなら有り得ると思った。
『男に生まれたけど女になりたかったの、ふふ』
ガシキが女だったらに続いてリズおかま説を想像したハルは、肌に鳥肌が立つのを感じた。
「………………………ッ」
「…坊、なんかすごい失礼なこと考えてるでしょ」
バシバシとハルの頭を空いている手で叩く。
もうまったく、と溜息をついてから、リズは“答え”を与えることにした。
「確かにね、ボクは女じゃない。でも男、とも呼べないようなカラダなんだよ」
「意味ふめー」
「早い話がね、去勢されちゃった、ってこと。おわかり?」
眉根を寄せながら何てこと無いようにそう言った。
去勢、その言葉にハルとガシキは動きをピタリと止める。
ガシキはすぐに冷静さを取り戻したが、ハルはそうもいかなかった。
先ほどとはまた別の意味で顔が青くなるのを感じていた。
リズの言った事がうまく理解できない。否、理解はできるが受け入れがたい。
「なーに深く考えてるのさ。坊は坊らしく騒いでれば?」
ふと顔をあげれば笑いを必死にこらえているリズ。
「てめぇ、からかってたのか!?」
「いやいや、ホントの事しか言ってないけど、キミ慌てすぎだから! てかこういうのはよくある話でしょ〜、珍しくないっての」
とうとう堪えきれなくなり声をあげて笑い出したリズに、ハルは顔を赤くして怒った。
青くなったり赤くなったり、忙しい少年だ。
二人のじゃれあいを眺めているガシキは静かに笑った。
平和な光景である。
――――――――――――――――――パキン
どこかで不可聴の音が、響いた。何かが割れ、そして壊れたときの音。
「?」
「おい、リズどーした?」
リズの動きが、突如として止まった。
しかもただ止まっただけではない。ただでさえ白い肌の色はさらに血の気を失ってまるで綺麗に漂白された紙のよう。大きい茶の目を限界といえるほどに見開いている。体全体が小刻みに震え、口は半開き。
さすがのハルもこれには心配した。
明らかに異常。しかし理由はまったくわからない。
「どーしたんだよ、おいってば」
肩をかるく揺すってみてもたいした反応は得られなかった。
カタカタと震え、ハルの服を掴む手に力が入っている。
ガシキは膝をつきリズの顔を覗き込んでみるが、その瞳に彼が映ることは無かった。
一体何が起きているのだろうか。
取り敢えず船室に連れて行くべきだと判断した時、リズはうわ言のようにきれぎれに喋った。
「…つ、がくる……あい、つが、………く、る……う、あ、あ」
言葉がただの呻きに変わると、小さな体の周りに群青色の光が湧き出した。
それと同時に、木の軋む音。しかもそれはだんだんと大きな音となって。
直後、多くの乗客の悲鳴と船の崩壊する音が響いた。
*
「あーあぁ。とうとうきましたか、この時が」
淡い水色をした柔らかく短い髪をふわふわと風になびかせながら、一人の青年は疲れたように呟いた。
いる場所は海の上。
彼は、浮いていた。
「乗客はまぁアデューク大陸に届けるからいいとして…。こっちはどうしようかなぁ」
命令はないけど今あの太陽の大陸にやるのはよくなさそうだし。
うんうんと悩んだ末、青年は一つの結論をだす。
「なーんかあそこにも今変な子いるし、やっぱたまにはこの人にも仕事してもらった方がいいかもだし。うん、決めた」
大きな独り言をぶつぶつ言っていた青年はぐるりと体をひねり方向転換をする。
見つめる先は、リザイアの北にあるジーザイル諸島のとある島。
すっ、と指を動かせば海の波が自在に動く。
「――――よし、リズ様ご一行、ニフへご案内〜」
まるで歌をうたうかのように彼はそう言った。
御気楽単純、楽しい事と楽な事が大好きな彼の名前はセリブ。
創物神リザイアの副神である海の神セリブ、まさにその人である。
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