夢とも現ともつかぬ暗闇の中、少女の意識は覚醒した。ひどく疲れていた。
 眠っていた全身の感覚も次第に蘇ってきた。
まだ目は開かずに、感覚から自分の今置かれている場所を探り、感じ取ろうとする。
はじめはぼんやりと、そしてはっきりと、現実味を持って。
 全身がぐっしょりと水に濡れていて、衣服はずっしりと重くなっている。顔や手足には水の粒が
とめどなく降り注ぎ、冷え切っていた。雨と、土と草のにおいがした。
 意識的に閉じていた瞼を、うっすらと開いた。ここはどこなんだろう。
目の前に木の根があった。森の中みたいだ。そしてどうやら私は地面に倒れ伏しているらしかった。
そのまま視線だけを地面から空の方へと動かすと、雨足の弱まった灰色の雲の切れ間に夜空と
冷ややかな光を投げかけてくる白い満月が見えた。
 そして、また段々と意識は遠のいていった。




広い草原一面に火の手が上がっている。
その中で動いている存在は、私だけ。火の粉がかからないように逃げ惑う。
早く探さなくちゃいけない。――――何を?手遅れになる前に。
何もわからないまま、そこで夢は終わった。



今度ははっきりと目を覚ました。一瞬さっきの情景と今見ている風景のギャップに戸惑うが
さっきのは夢だということを知って安心する。雨は止み、太陽は高い位置に登っていて、
心地よい風が吹いていた。木漏れ日の降る、至って静かな森の中だった。
 体の疲れは無くなっていた。倒れた体を起こすと、少女はゆっくりと立ち上がる。
 「・・・何で私、ここにいるんだろ・・・」
 あたりを見回しても、道らしい道は見えず、人の気配も無い。そしてふと自分の体を見てみる。
 青と白のジャケットに、ベルトが多くついた白く長いブーツ。ジャケットの右胸の、やや上辺りに透明で、
光に反射して銀色に光る大きめのブローチのようなものが固定されていた。
―――こんな服は知らなかった。というか、知っているか、知らないかすらもわからなかった。
もしかしたら着た時のことが思い出せないだけかもしれない。昨日は、その前は私はどこにいたんだっけ。
記憶を遡って辿ってみようとした。だが、
 「・・・全ッ然・・・思い出せない・・・」そんな馬鹿な、だって私は・・・私?
―――名前すら、わからなくなっていた。ひどく不安になり、冷や汗が出る。周囲をぐるぐると見回す。
すると、少し離れた所に、茶色い皮の鞄が落ちていた。誰のだろう。
近寄って拾ってみると、そこにも自分のジャケットについているのと同じだけど大分小さい透明な、
ブローチの様なものがついていた。―――どうやらこの鞄は、私のものらしい。
 確信はなかったが、そうとでも思わないとどうにかしてしまいそうだった。
 鞄を開けてみると、中には小振りのナイフとロープ、そして黒い表紙の本が入っていた。
表紙には何も書かれてはいない。ぱらぱらとページをめくっていると、2〜3枚あたりの所に何か書かれていた。
―――この記憶をつけ始めてから2年、この本でもう5冊目になる。うっかり間違ったページからスタートだけど、
まぁいいや。ふう・・・この世界の歴史とか色々調べ始めてずいぶんになるけど、知れば知るほどもっと色々なもの
を見たくなってくる。現にこうして私はこれから先どこに行ったら良いか、地図を前に迷ってる。明日、近くの市場に
行って商人の人達に面白い所はないか尋ねてみようと思う。――――
 ・・・それ以降は、完全に白紙だった。最後までページを送った後、裏表紙を開いた所に金のインクで“リリュン”と
書かれていた。どうやら書いた人の名前らしい。
それとも、自分の名前なんだろうか。そうとも思ったが、そんな名に聞きおぼえはなかった。
 人もいないし、どうしよう。途方に暮れ、本を鞄に戻す。しかしいずれにしろ、ここから動かなければ
人に会える保障はなかった。服についた泥をはたいて落とすと、少女はあてもなく、うねる木の枝を越えながら、
真っすぐに歩いていった。



 歩き始めてどれ位経ったか分からないが、だいぶ日が傾いてきた。空腹感はまだないが、喉の渇きがひどい。
人に会える前に死ぬかもしれない。そう思った矢先に、木々の向こう側に流れが見えた様な気がした。
小走りで近付くと、それはかなり流れが速く、そして対岸までかなりの距離がある渓流だった。
 「助かったぁ・・・」水にこれ程感謝したことはない。やけに冷たい川の水を手ですくい、泥で汚れた顔を洗う。
そして、ふと思い立ち、一息つくと川の水面に自分の顔をうつしてみた。
 風にそよぐ黒髪と、白い肌。瞳の色は左右で異なっていた。左目は深い群青色で
水の揺らぎにあわせてゆらめきながらも、まわりの風景を映しこんでいた。しかし、右目は。
 「・・何・・・?この目・・。」鮮やかな色を持つ左目に対し、彼女の右目は白濁している。
しかし、白目だったり何も見えない訳ではなかった。よく見ると白濁しているだけで瞳は存在していた。
顔を見れば何か思い出せるかもしれない。その期待は外れ、結局これが自分の顔なのかと思ってしまう。
そうだったような、違うような。やっぱり分からなかった。
 これから先はどう進もうか。足場は無く、この川を直進して渡る事は不可能に近い。
 だが、川があった以上は、森の中をやたらと歩き回るよりは人も探しやすくなるはずだ。
上流と下流、どちらを目指そうか。日暮れは近く、暗くなるまでに歩ける距離は限られている。
 「――・・上、かな」今日も野宿になりそうだ。鞄を背負い直し、上流に向かって歩き始めた。
 すると。
 二つの黒い影が、傾いた太陽を背に、少女の前に飛び出してきた。
 「きゃあッ!!」行く手を訳の分からないモノ阻まれて、少女は驚きの声をあげる。
 「ヤナ!ヌールワ エオレス ドゥルワ!!」
 甲高い声で影の二人組のうちの小柄な方が叫んだ。・・・人の言葉ではなかった。
 そして、少女は二人の顔を見て、彼等が人でない事を確信した。
体型こそ違うものの、二人は同じ種族のようである。赤い毛皮の生えた腕の、四本の指の先には大きく鋭い爪が生えている。
不思議な螺旋が描かれた、黒い皮の服に身を包んでいた。首から上さえ人と比較しなければその立つ姿は魔族だと
一見するだけでは気付かないだろう。ただ、尖った耳と、長いたてがみ、爪に劣らず口元からのぞいた鋭い牙が、
彼等が人間でない事を物語っていた。
 「な・・何て言ってるの・・?」
 「アディナル マ ヨニ ルーコ イ “ヌシ”!!」そう叫ぶと、小柄な方の一人は毛を逆立て、ふうっとうなった。
何か尋かれているのに違いない、と思う。しかし言葉が分からない。
黙っていると小柄な一人は苛立った様で、長い刃が付いた木の棒の柄の部分を、ガツンと音をたてて足元の岩についた。
このままでは本当に怒らせてしまうかもしれない。―――何か言わなくては。
 「ま・・待って待って!!言葉が分からないの!道に迷ってるの!!」
 身振り手振りで敵意がない事を表そうとした。相変わらず小柄な方は赤い毛を逆立てている。
暫くの間、両者を沈黙が流れた。
すると、小柄なほうはわずかに目を反らし、隣にいる大柄なもう一人の方に声をかけた。
 「・・ユ、エオレス ビラ タガスプ イスタ ウヤ ナン・・・」
 すると、今まで黙っていた大柄な方が、はじめて口をきいた。・・といっても、何を言っているかは分からないのだ
が。―――何か相談しているらしい。
 「コルプ ヴォン二 イッタ アツマ?パーズ ワ センッワ ナン ログ・・」大柄な方の声は、小柄なもう一人と比べると
かなり低く、底から響いてくる様な重みのある声だった。穏やかな視線をこちらに向けてくる。
彼等のやりとりは続く、再び小柄な方の声がした。
 「イスス・・ウートエ ヤンヌ コールワ “カシラ” アワ―ル?リパチ スリラン キ ウヤ!」
 「アルーン ウヤ ルグ トーリヤ ルーコ イ “ヌシ”」論す様に、もう一人が返す。
それを聞いた所で一つ気になった事があった。不思議なアクセントを持ってさっきも言っていた“ヌシ”という言葉。
他の言葉とは違った響きをもっている。話す二人、特に小柄な方は口調が荒々しいだけに、
“ヌシ”という言葉の扱い方が他の音と比べて明らかに異なっている。
 “ヌシ”って何だろう・・彼等は何を話しているのだろうか。ぼんやりとそんな事を考える。
 ふと気付くと、二匹の魔族は静かに自分の方を見ている。
 少女も、二人の方に意識を戻した。不思議と、逃げようか、という考えは起こらなかった。
本能的に逃げられないと感じたからだった。もう・・なるようになってしまえ。
 両者の間に、さっきとは違う張りつめた空気が流れる。沈黙を破ったのは、大柄な方の声だった。
「トスイクス・・ラ クィップ ウヤ “カシラ” アワール」 「?」 ぽかんとしていると、二人はこっちに近付いてきた。
両者の距離は数メートル。その差が縮まってくるにつれ、改めて二人の風貌に圧倒された。
小柄な方は自分より頭ひとつ分背が高く、大柄な方は見上げると首がこってしまいそうだった。
2メートル50センチはあるだろうか。よく見ると体つきも大分違っていた。
小柄な方は雄々しい体格の大柄なもう一人とは違って、どことなく線が細く華奢な感じを漂わせていた。
もしかしたらこっちは女かもしれない。
 「な・・何でしょう・・?」それには答えず(と少女は感じたのだが)、小柄な方が今は毛こそ逆立てはしないものの
相変わらずその緑色の瞳に挑戦的な光を漂わせ、こちらを睨みつけながら
 「ヤド!ゴフド ウォーグル オ アツ ガッタ!!」と言うと、少女の腕を乱暴に掴んだ。
 「いたッ!・・って、ドコ連れて行くんですか!?」必死に抵抗しようとするが、掴む腕の力は強く、
少女の細い腕では外せそうもなかった。そのままずるずると引きずられるようにして歩く。
―――あぁ、ついに食べられてしまうんだ・・何でこんな目に・・。何だかもう泣きたい気分だった。 
 「カンゴ ヤド!」もう抵抗する気すら起こらない。
 川べりに立たされた。ここから突き落とされるのか。流れの速い川に落ちて、生きていられるかどうか分からない。
そう思った時、少女の腰を、大柄なもう一人がひょいと小脇に抱え込んだ。
 「―――イファ グ」
 「―――え?」
 次の瞬間、大柄なその赤毛の魔族は、少女を脇に抱えたままゆっくりと地面に腰を落としていく。
横を見れば、小柄な方も同じ行動をとる所だった。
―――まるで、その獣の筋肉を持った脚に、力を溜めこむように。何だか嫌な予感がして、
大柄な方の頭をおそるおそる見上げる。その瞳は、まっすぐに数十メートルは離れていると思われる川の対岸を見据えていた。
―――まさか。その時


 ドゴォッ!!


 もの凄い音を立てて、さっきまで立っていたはずの足元の岩を砕きながら、少女を抱えて、
―――彼等は高く高く、跳んだ。対岸へ向かって。
 「―――ッきゃああああああ!!」
大きく半円を描くように、彼等は川の対岸へと、上空から近付いていく。
対岸の川辺から森へと、だんだん落ちていく。緑が迫ってくる。
 「お・・落ちるうッ!!」 「ヌ ヤァン!!」 少女の悲鳴が気に障ったらしく、小柄な赤毛が一喝した。
そして彼等はそのまま、今度はさして音も立てずに、対岸の森の中に着地した。
 「死ぬかと思った・・」
少女は、腕から下ろされて立たされると、そのままその場にへたりこんでしまった。



                                  *




この島には、常に大陸や諸外国から数多くの“客人”が訪れる。商人、旅人、研究者、訪れる人々は多様だ。
“客人”をもてなすのはこの島の人間にとっては当然の事であり、また同時に彼等の隣人としてこの島に住んでいる
魔族からしても当然の事であった。他の大陸と比較してもこの国の両者の関係は珍しいものであり、いがみ合いが
あるとしても子供のケンカ程度のものしか起きていない。相手に危害さえ加えなければ、あるいはこの島の中を
荒らさなければ、この島を訪れる人々にとって危険な存在はほぼ皆無といっていいだろう。
 だから赤毛でまだ一族の中でも若い魔族のルグも、色々な“客人”を見てきた。嗅覚には自信がある。
匂いだけでその客人がどの地方の生まれで、どこの港から舟に乗り、どういったルートでこの島まで辿り着いたか
をほとんど確実に当てることができる。人の出入りが多いこの島で鍛え上げられたルグにとって自慢の嗅覚である。
 だが。
―――何だこいつ、何の匂いもしないぞ・・チョロチョロしやがって・・・。        
 こんな事はありえない事だった。風邪でもひいたのか。そんな筈はない。隣にいる仲間のイスタや川の木や土、
風の匂いは確かに感じ取ることができるのに。何故こいつだけが。
 本当に何の匂いもしなかった。どこの匂いもしないのだ。人間の匂いすらも。
 旅行者なら、それでいい。見慣れぬ服装というのも、これまで自分が見た事のない地方の者の衣装であるというのなら
納得できる。迷い人なら、人間の頭のいる、島の反対側の砦まで優しく誘導してやることもできたし、
ケガをしているなら手当てする事もできるが。
―――今は“白弦期”だぞ・・・島民以外の客人は一度島から帰らせてあるし、旅人が迷い込んで来るなんて事ぁ
無えんだよ・・運悪く残ってたにしてもこんな時間にこんな所にこんなガキがいる訳が無ぇ・・・何なんだ一体。 
 “白弦期”は三月に一度、満月の晩から新月の日までの約15日間に、このジーザイル諸島内でも一番
小さいと云われるこのニフ島にのみ起こる自然現象だった。島の周囲には普段とは異なる海流が発生し、この島に
近付こうとする船を島の外側へと押し流し、空から近付く飛竜に乗った商人や旅人も気流の乱れで
上陸する事はできなくなってしまう。
 その為、事故を防ぐ為にこの期間は島内に人を入れない様にしているのだった。
―――実の所、島の外の人間は知らない、もう一つの理由があるのだが。


 そんな訳で、ルグは苛立っていた。先程からそういって疑問を隣のイスタにぶつけてみるのの、一族きっての無口さと
忍耐強さで知られる彼は気性の荒い彼女の言葉でも少しも変わる所はない。時折返事をするだけで黙々と歩いている。
少女は更にその数メートル後ろを歩く。
―――あの黒髪のガキ、付いてきやがる・・。
 付いてくるも何も自分が連れて来たのだから文句を言ってもしょうがないのだが、正直云うと気味が悪いとさえ思う。
当の少女はきょろきょろと落ち着きなく周囲を見回しながら歩いている。 
 たまらなく不快な気分だったが、偉大なる“主”の森にこいつを野放しにするのはもっと嫌だった。
 


                                  *



 小柄な赤毛の魔族は、もう自分の手を掴んだりはしなかった。
二人の魔族は自分の少し先を疲れを知らない足どりで、茂みや木の根や岩をものともせず、すたすたと歩いていく。
 正直言って後ろをついて行くので精一杯だった。暫く歩くと息が上がって休まなければならなくなる事が
何度かあった。今度こそ置いていかれたかもしれない。そう思って再び視線を全方に戻すと、
二人はやや遠い所に立って振り返り、じっとこちらを見ている。
―――どこ行くんだろあの二人・・付いて行っていいのかなぁ・・・何か暗くなってきたし・・でもこっち見てるからには
付いて来るかどうか確かめてる感じ、だよね・・。
 少女は息を整えると、また二人に追い付こうと歩き出す。何度も転んで足はアザだらけになっていたが、
何の生地で作られているのか、服が破れたりする事はなかった。二人は何か話しているらしい。
 「ジド ヌ エレオス!!オーヌ ヤ イーガ!」相変わらず不機嫌そうな小柄な方に対し、
 「ウート プペン イツ アトン。カラヨム ジヨ ナヒラワ」それに動じないもう一人の声。
 不服そうに、小柄な赤毛は黙った。
 日は完全に暮れ、後ろを振り返り鬱蒼と頭上を覆う木々を下から見上げてみると、葉の隙間から登ってくる月の姿を
垣間見ることができた。木々のせいで夜空が見えないとはいえ、月の光は明るく足元を照らし出し、足場の悪い道を
歩く手助けをしてくれている。暖かかった昼間と比べると周囲の空気は冷え、
うっすらと腰あたりの高さを白い霧が漂っていた。虫の鳴き声が響く。
 そんな中を更に歩いていると、突然前の二人が立ち止まった。少女も慌てて立ち止まる。一体どうしたんだろう。
こちらに背中を向けた二人を交互に見る。すると、大柄な方が首から何か紐の付いた、少女の親指程の
小さな筒の様なものを取り出すと、口にくわえ、吹いた。

 ピ――――――――――ッ   静かな森の中を、高く細い音が通り抜けていく。

 そして、笛を吹くのを止めた。しかし、笛の音はまわりで反響しているらしく、まだ消えずに残っている。
 やっと音が消えかけた、その時である。少女の前に立つ赤毛の魔族の更に遠くに、樹上からまたもや二人、
人に似た形のものが飛び下りてきた。別の魔族?そう思って目をこらして確かめようとした。―――だが、
こちらに近付いてくる彼等は、赤毛の魔族の様な毛皮は生えてはおらず、全身の黒っぽい布でできた服で包んでいる。
頭には夜なのにはっきりと分かる程鮮やかな赤い頭巾をかぶり、その表情は、顔の上半分を覆う
金属の兜に似たもののせいで詳しく知る事は出来なかった。いずれにしろ、赤毛の魔族とは違う種族らしい。
 そんな彼等に、大柄な方はさっきと同じ言葉で話しかけた。
 「イラ グート アデ」
 すると、頭巾をかぶった二人組みは少女の方を見て驚いている様な仕草をした。大柄な方は続ける。
 「シ アトン ルーサワ イ ヤック サナ」そして、今度は返事が返ってきた。
 「・・リトトロ ワル ジュロウ。ヤ アトン イトゥッカ チナ」
彼等は何を話しているのだろう。種族は違うみたいだが、言葉は同じらしかった。
赤い頭巾はそう言うとこっちに近付いて来た。そして、先程とは違う言葉で言った。
 「よくぞ参られた。客人どの。」――――人間の声で。
 「うわッ!!」 その声の通り、彼等は人間だった。二人とも男だが、一人は若く、もう一人は老人である。
少女に話しかけたのはやや腰の曲がった老人の方だ。
 「これより先は、我等が砦まで案内致す。砦に着き次第宿を用意しよう。さぁ、儂の背に捕まりなされ。」
一息にそう言うと、老人は少女に自分の背中を向けた。
 「せ、背中?」地面に立つ足はしっかりしているが、枯れ木のような印象がある老人に背負われるというのには
抵抗を感じる。・・・折れはしないだろうか。
 ふと左右を見ると、さっきまで隣にいた二人の赤毛の魔族の姿は忽然と消えていた。
 「さっきの二人がいない・・」それに答えたのは、もう一人の若い男だった。
 「主の森に帰ったのです。ルグとイスタは森に住む我等の隣人の部族の者達で、私達二人と同じく森の見廻りを
しているのです。それにしても・・・」
 「何ですか?」
 「いや、この時期にこんな所に客人がいるなんて・・・うわっ痛いッ!!何すんですか父上!!」
若者の言葉は、老人の強烈な脛蹴りによって最後まで続く事はなかった。
 「息子よ。言が過ぎるぞ、客人に失礼であろうが。そんな事を言うでない。」
 「?」
 「ってぇー・・あーいやこっちの話ですから、どうか気になさらないで下さい。」ようやく痛みが消えてきたらしく、
息子と呼ばれた若者が少女に言った。しかしまだ痛そうだ。さっきの小柄な赤毛――ルグというらしい――と
違って、敵意がある感じはしない。
 「さぁさ、こんな森に長居は無用。ホレ」再び老人は背中を向ける。
 「父上、無理しないで下さいよ。頭に叱れます。」「じゃかあしい!!若いモンには負けんわぁッ!!」
―――悪い人達ではなさそうだ。
 「えーと・・それじゃ、失礼します・・。」おそるおそる老人の背中におぶさる。折れないようにと願いながら。
しかし、老人の体は倒れたりしなかった。随分体力があるらしい。気になる事はもう一つ。
 「このまま歩いていくんですか?私歩きますよ?まだ歩けます。」
 「―――ふん、足場の悪い地面をのこのこ歩くなんて事程、遠回りな事はないですぞ。」
 老人は少女を背負ったまま、近くの樹上の枝にジャンプで飛び上がった。―――猿のように。
 「!!」老人は枝から枝へと飛び移り、除々に木の高い所まで登っていく。勢いは早い。
 「―――木の上を行くのです。」

何で今日は高い所ばっかり飛ぶんだろう。風を顔に受けながら、少女はそんな事を考えた。