ただ生き物で在ることは判って、色にそぐわず硬そうな表面にきょろっとした目ん玉が1つ。
瞳の中にリズを映しては、まるでそのまま吸い付くかのように凝視している。
「・・ふ」
思わず苦笑い。


ボ――――――・・・・。

絶えずさわさわと聞こえる葉音を割るかのように高らかに、遠く、汽笛が聞こえた。
リズはその静寂のみを語る瞳からすと視線を横に逸らす。
―――二番合図。
あと20分ほどで船が出る。
リズは軽くひとはねし、リュックを背負い直す。
「さて」
そろそろ行くかと、ピンクの物体に愛想良い会釈を交わす――と。
それも束の間。つとリズの眉が少し動く。そして、止まる。
ピンクの物体とまたもや視線が合ったまま固定する。
些細な思案も見えない物体の目はリズの思考を逆に読み取ろうかとしているように思えた。
「――――人?」
葉を、小枝を、土を踏む音が聞こえる。微かに、ではない。確かに。
近付いてくるのかその音はリズの漏らした呟きの間にも大きくなるようだった。
しかし物体の瞳は一向に、動かない。

ザァッ――――。

「うぁおぉおおッ!??」
草むらを割いて、1つの影が飛び出したかと思うと
リズの目の前を突っ切って高らかに
――――――飛んだ。
いや、こけた。しかし助走を付けていたせいか声を上げて
その新たに現れた物体その2は見事に水平飛行していく。
「げッ」
しかしそれは一瞬。当然その先、煌びやかに着地と言う訳にもいかず、むしろ派手に
顔面を地面に擦り付け、腰から上が見事に宙に浮いている様にリズは目を丸くした。
「痛・・・」
思わず口に手をやる。
ご愁傷様、としか言い様がない。
 ゆるゆると下半身が遅れて地面に着き、完全に地面に腹ばいの形になった。
改めて見てみると形から言って歳、12、13。
雪でも降り積もったかのような真白の髪は長く伸ばされているが体形から言って
男の子のようだった。こんなところを歩いているのだ、きっと魔族の子であろう。
「・・あの」
自分の事を棚に上げつつ、間を置いてリズはそろそろと口を訊いた、が。
「ってぇええええッ!!」
「うぁわッ?!」
当人は勢い良く上半身を起こすと途端に空に向かって吼えた。
酷く驚いたが―――大丈夫そうだ。
「畜生ッ畜生・・ちくしょー・・」
 言葉を次第に殺しながらも頭を抱えてまたうずくまった。どうやら口を訊いていなければ
気が済まないらしい。それもそうだ。あんな感じで頭を打てば誰も素面では居られないだろう。
リズは苦笑しつつピンクの物体と再度、目を合わせた。
相も変わらずきょとんとした様子。
「まぁ・・、キミのせいじゃぁないさ」
当人、犯人されど堪忍。不可抗力も不可抗力。けれど後で退かしておこうか。
「おーい、そこのおにぃちゃん。派手にやったねぇ」
「あッ!?」
リズは例によって愛想良く声をかけたが、返って来た声は酷くどすを利かせたものだった。
「んだ?てめぇ」
オマケに喧嘩腰だ。後ろ向きのまま肩越しに睨まれてしまった。
「まぁまぁ、そういきり立たないでよ。痛いでしょ?僕、良い薬もってんだけど」
それでも負けてないのはリズの持ち前の精神だ。そろそろと近付きながら両手を前に広げて
降参のポーズを取ると思うと、彼の目線に立ってスと片方の手を突き出した。
「・・?」
「リザイアの恵みはいらんかね?」
「商売かよッ!!てめーーーッ」
「うわッ血ィ出てるッ」
「!!?」
すっとリズの手が素早く、しかし繊細に男の肌に触れた。
 “男”―――。そう、リズが見切った通りそれは男そのものだった。
白い髪と対比する黒い肌を持ち、目を覆う程に長く伸びた前髪のその奥に
明るい、薄紫の瞳の色を鈍く光らせていた。
しかし、歳はもう少し上だ。男は通常よりも小柄だった。
「なん・・ッ」
微かに身を引くがリズはその分、前のめりになる。男か女かわからない。
しかし、凛とした顔立ちに茶色の猫目が男を焦りに駆り立て、また逃がさなかった。
と、自ら視線をショルダーバックに移し、中をかき回したかと思うと
小さな手のひらサイズ程しかない小瓶を出した。透明の容器に緑の液体が透けて見える。
リズはその場で小瓶を開けてしまうと慎重に傾けつつ、中からその液体を指に付け
そして男の傷付いた皮膚を次第、次第になぞっていった。
痛みがなかったせいか、微かに漂う液体の匂いのせいか、男はきょとんとしたまま静かだった。

「前にもこんな事あったんじゃない?そのままほっといて化膿してんのがあった」
――――すぐ治るよ。
そう締めくくって、また小瓶の蓋を閉めた。
その様子を見てか男は未だに口をへの字に曲げながらもすくりと立ち上がった。
「・・・・・」
座り込んでいるリズを眼下に、一瞬こちらをじと見詰めていたが
すぐさま、すたすたと歩きだした。
「おーい」
リズも慌てて立ち上がる。
「ちょっ・・キミッ」
声をかけるが、我関せずと止まる気配もない。
ぱたぱたとショルダーバックを整えて手荒にリュックを背負った。
「そりゃぁないんじゃぁない?ちょっとー・・」
不安定のままよたよたと歩きだす。それでも小走りになって
追いつくか追いつかないかというところで
「・・あんがと」
そう、呟くような声が聞こえた
「は?」
リズは聞き返そうと更に小走りになったが、それに気付いたのか男も何故か歩調を上げた。
リズも更にスピードを上げる。しかし、其れにつれてまた男も上げる。
小走りが走りになって、その走りもだんだんと速くなって行った。
「ちょっとーッなんつったのさーッ!!」
しかし身に似合わない大きなリュックをゆさゆさと揺らしながらも確実にリズは後ろからついてきた。
何処にそんな体力があるのか、飽く迄も距離が離される事はなく。
「だーーーッ付いてくんじゃねぇ!!」
むしろ近付いてくる程に。
ほぼ、男のほうも本気で走り始めたかというところでふと、視界から姿が消えた。
これにはリズも一瞬、目を疑ったが良く見ると浅い崖があって男はそこをひと降りしたのだった。
「おめぇ、うぜぇ」
「恩人にそれはないっしょ」
崖の下でキッとこちらを睨みつける。
リズも手を使いながらだがそろそろと降り始め、頃合のいい高さで飛び降りる。
「礼なら云ったぜ」
「でも聞こえなかった」
手を払いながらリズは男と面と向かって並んだが男はリズよりも少し背が高いくらいだった。
はぁ、とため息をつき、顔を逸らす。
そんな姿を見ると何故だかシニカルに口元が歪む気分だ。
「・・・あんがとよ」
「い〜え、どういたしまして」
けれどもにこやかに笑って見せた。
が、そんな事には目もくれず用は済んだといわんばかりにくるりと男はまた踵を返す。
「あ、待ってよ」
「んだよ、まだなんかあんのか?」
今度は反応が早い。呆れた様にすぐさま向き直った。
「お金」
「とんのかよッ!!」
「当り前じゃん」
「だっ・・」
「あのねぇ、ボクは商人だよ。怪我人がいようと腹空かしがいようと金とんのが仕事」
「・・・ねぇよ」
「大丈夫だって。なにもぼったくろうなんて思わないし友情料金で少しまけとくからさ」
「だから、ねぇって」
「はい?無い・・って?」
「フッ何故というとだな・・」
何故か男の口元が微かに釣りあがる。いや、全然笑えるところではないはずなのだが。むしろ所在無さげに
あたふたとするものではないだろうか?リズはただ首をかしげてそんな男を見ていると、
少し仰けに反りそれもまぁ、勢いよく
「この世界で一番知られている超大人気ボーイのハル様は今、
依頼を受けて買出し中だからだーッ!つまり、金はねぇッ!!」
――――・・・・・。
 「はい?」
「何だ?もう1度いうか?」
「いや、いや・・結構。っつーか、てことは・・一文無し?」
「俺はここのもんでもねぇし、帰りの船代はもう払ってあるからつまりねぇんだよ
悪かったな。悪徳商人。」
にやりと、笑ってしたり顔である。
「なるほど、ね・・・」
―――これはこれは、
面白い。
「つー訳で俺様はここで・・」
「ちょっと待って」
振り返り、歩を進めようとしたその肩を付かんでリズは動きを止める。
「キミは今、依頼といったよね?ということは依頼主がいるわけだ」
「はぁ?」
「世には決まりというものがある。守ってもらうよ?」
今度はリズが笑う番だった。
「ボクも、行こう」
「なっ・・」
ターン終了、チェックメイトだ。


―――ああ、面白い事になりそうだ。