周囲で上がる悲鳴と、我先にと逃げていく新人隊員の中で、恋次だけは目の前の黒い獣を落ち着いた様子で見定める。
相当の巨体だ。しかもその体型は象やサイなどと違い、豹や虎に似た、しなやかな身体だ。黒い、光沢のある美しい毛並みの中に、満月のように大きな金色の一つ目。
しゅうう、と吐く息の合間に見える赤い口腔内にはずらりと並んだ鋭利な牙が見える。陸上の肉食獣とは異なり、鮫のように鋸状に並んだ薄い歯。噛み潰すよりも切り裂くことに重点を置いて進化した異形の刃。
ぐるるる、と猫のように喉を鳴らし、目の前に対峙する唯一人の恋次を、黒い凶獣は野生の慎重さで伺い見た。
その金色の単眼を見据え、恋次は息を整え斬魄刀を眼前に構える。
これを食い止めなければ、被害は甚大なものになる。そしてなにより――小さな黒い、恋次が護らなければいけない、大切な者がいる。
元より闘うことを生業とし、異形の者と対峙し続ける身だ、怯えや恐怖など感じない。感じるのは高揚感。闘いに生命をかける者の宿命の。
「――行くぜ!」
笑みを浮かべ、恋次は足を踏み出した。まるで飛ぶように一気に獣に近付き斬魄刀を振るう。機動力を削ぐ為に狙ったのは恋次の胴程も太さのある獣の足だ。大きく横に薙いだ斬魄刀はまともに獣の足を切り裂く――
「っ!?」
耳障りな金属音を響かせ、蛇尾丸は弾き返された。予想外の衝撃に斬魄刀が震える。その、余人ならば刀を取り落としていただろう程の衝撃を恋次は受け止め、瞬時に背後へ飛び退る。その僅か半瞬後、恋次がいた空間を鋭い爪が切り裂いていた。
そのただ一振りの風圧に、草木が千切れていく。――間合いを計りながら恋次は、相手のその圧倒的な力の大きさに感嘆しながらも、その顔には切迫したものはない。不敵な笑みを浮かべ刀を構え直す――しかしその恋次の表情が、一転して焦りの表情へと変わった。
黒い獣は恋次へ向けていた頭をやや右方向へと旋回させ、恋次を無視して黒い獣は一気に跳躍した。――逃げ惑う隊員たちに向かい。
「――っ!」
悲鳴を上げながら一斉に獣が降り立った場所から人が四方へ散っていく。人がひしめき合っていた草原が、獣を中心に人が瞬時に消え空間が出来る。その見晴らしの良くなった視界の先、獣の眼前に、打たれたように硬直する黒い死覇装――何かを抱きしめるように胸の前で両手を交差している小柄な少年の体。
その両手から、小さな黒い何かが地面に落ちた。死覇装を着た少年が、慌てたようにその落ちた何かに手を伸ばす。それを振りきるように、黒い何かは跳ねるようにその場から離れていく。
「ウキアさん!」
「来るな花太郎! こいつの狙いは私だ――!」
遠く声が聞こえる。金の瞳が、その跳ねる黒い小さなものの動きに合わせて追っていく。
シャアアア、と空気を震わせる高音は――黒い獣の歓喜の声か。
ウキアは小さな足で必死に地を蹴りジグザグに走る。一直線に走れば距離は稼げるが進む先がわかってしまう。捕らわれないようにする為には予測不能な動きで撹乱しなければならない。
数瞬前、禍殱が一直線に自分に向かって跳躍した瞬間、ウキアは禍殱の目的が自分だということに気が付いた。そしてそれに気がつけば、自ずと背後の筋書きも見えてくる。
尸魂界へと降りるには門を使うしか道はない。その門は巫女が管理する……それも王家の血を引く巫女が。先日までは一の巫女である姉が管理していた。その姉が、そして二の巫女である自分がいない今、門を管理しているのは――
三の巫女。
権力欲に凝り固まった、常から一の巫女の座は自分が一番相応しいと公言して憚らない高慢な――姉と自分の腹違いの、義妹。
「あの女……っ!」
この機会に、姉と自分を消すつもりなのだろう。月では厳重に警護され手出しが出来ない姫皇女も、尸魂界では護衛もなく誰に知られることもなく葬り去ることが出来る。
森の奥の禍殱を捕獲し、姉と自分の匂いを覚えさせ、下界へ放てば――
突然背後から襲いかかった激しい風にウキアの小さな身体は勢いよく吹き飛ばされた。
砂埃と共にウキアの身体は地面を転がっていく。転がりながら必死で状況を掴もうとするウキアの視界に、前足を薙いだ姿勢の禍殱の姿が入った。
風圧でこの威力――その事実と自分の現在の非力さに唇を噛みしめながら、地面に爪を立て転がる身体を強制的に停止させ、砂まみれになりながらウキアは態勢を整え飛び起きた。逃げ場を探して四方を見る――その瞬間、太陽が陰った。
否――巨大な何かが、太陽の光を遮った。
見上げるそこに、黒い身体。月のように金色の大きな一つ目。
その目がウキアを見下ろしている。
赤い口が開く。鋭く並んだ薄い剃刀のような歯。吐き出される生臭い獣の呼気。
凍りついたように動けない。
呪縛されたように、足が動かない。
(れん――……)
次の瞬間、紙を裂くように無造作に切り裂かれる自分の身体を想像し目を瞑ったウキアは、勢いよく空中に跳ね上がった自分の身体にかかる重力に息を呑んだ。呼吸が止まる。何が起きたかわからずに、手に触れた何かを必死で掴む。
「――大丈夫かっ!?」
紅い――大きな、暖かな。
大好きな。
「恋次!」
「喋んなよ、舌噛むからな!」
ウキアを腕に抱きしめたまま、恋次は禍殱から瞬歩で間合いを取る。禍殱から逃れるために恋次は森の木立へと身を潜めた。
その視線の先で、禍殱は探るように四方を見る。金の目がちかちかと瞬く。見つけられないことに苛立ったのか、禍殱は猫のように背中を丸め――
一瞬、世界が金色の光に包まれた。
轟く轟音と共に周囲の樹々に落雷する。唖然とする恋次の前で、黒い獣は金の光をぱりぱりと放電している。口を開け天に咆哮し、その振動が空気を駆ける。
「何だありゃ」
呆れたように呟く恋次の口調は平時のままで、――その変わらない恋次の様子にウキアの心も落ち着きを取り戻した。いつもの恋次、そのことがひどく嬉しい。安心できる。恋次といるならば大丈夫だと。
落ち着けば対処も出来る。自分一人ではないのだ。恋次がいる。二人ならばきっと何とかなる。恋次とならば。
「あれは『禍殱』という。私の世界に住む猛獣だ」
「何でそいつが此処にいる?」
「恐らく私と姉を邪魔に思う輩の仕業だろう」
時間が無い為に交わす言葉は短い。端的に二人は続けていく。
「弱点とかねえのか?」
「普通の生物と変わらぬ。ただこの世界の物質ではあれを傷付けることが出来ない」
「だから斬魄刀が効かねえのか……」
思案顔になる恋次に、ウキアは無言になった。暫く逡巡した後、「――恋次は強いのか」と躊躇うように言った。
「強ぇぞ?」
あっさりと答える恋次の傲慢さに、状況を忘れウキアは思わず苦笑した。その恋次らしさに笑いが込み上げる。
「今私が解決策として出せるのは、お前に戦ってもらうことしかない。頼めるか」
「ああ」
躊躇なく恋次は答える。その不遜さにウキアも同じ笑みを返した。
「お前の刀に私の気を乗せる。そうすれば禍殱を討つことが出来よう。ただ――雷撃からはお前の身を護れない。私のチカラは『守』ではなく『攻』なのだ」
攻撃にのみ特化した能力。守護の力は姉のものだ。恋次に禍殱を討つ力を与えることが出来ても、放たれる強力な雷からその身を護る力を与えることが出来ない。あの圧倒的な力を持つ獣の前に、ガードなく挑めと言うしかない。
苦しげに「すまない」と謝るウキアの頭に、ぽんと恋次の手が置かれた。そのままくしゃくしゃと頭がかき混ぜられる。
「大丈夫だ、心配するな」
その笑顔にウキアの心が決まった。――例え、この笑顔が見られるのが最後だとしても。
「では、いくぞ」
恋次の腕から小さな身体が地面へ飛び下りた。反射的に手を伸ばした恋次の目の前に、目映い金の光が爆発するように四散した。
その光が消え――そこには、
「禍殱がこちらに気付いたぞ! 準備せよ!」
一瞬で大きさを変えたウキアは驚く恋次を睨みつける。鋭い声と共に、ウキアはその右手に握られた白く輝く刀剣を天へと掲げた。
「舞え、袖白雪!」
白く輝く雪の結晶が、きらきらと恋次の斬魄刀に降り積もった。ふわりひらりと刀身に舞い降りた結晶は、溶けることなく蛇尾丸を包んでいる。
「これでお前の刀は禍殱に有効だ」
呟くウキアの言葉に、白く輝く斬魄刀からウキアへ目を向けた恋次は「ウキア!?」と声を上げた。その場に立つウキアの顔い色が――蒼白を通り越し白くなっていることに驚愕する。
「お前、まさか――そうか、負担が」
以前ウキアが大きくなった時には、満月の力を借りて元の身体に戻ったと言っていた。そして今――月はまだその形を丸く見せてはいない。
本来使える筈のない力を、ウキアは今使っている。恐らく相当の負担なのだろう。今にも倒れそうなほどウキアの顔色は悪かった。
それでもウキアは気丈な表情を崩さない。きっと恋次を睨みつけ、余計なことを考えるなと視線で叱咤した。
「お前にはお前の、私には私のやるべきことがあるだろう」
お前がその身を危険に曝すのならば、私も同じように生命をかける。
紫の瞳に宿る決意に、恋次は斬魄刀を握りしめた。その表情が鋭利なものへと変わる。――生命を狩る、死神の姿へ。
「待ってろ。すぐに終わらせる」
「ああ」
白い顔に浮かんだ笑顔を見――恋次は突込んでくる禍殱を迎え撃つべく、白く輝く斬魄刀を構え、勢いよく走り出した。
はっと顔を上げたうさなに気付き、白哉は腕の中の小さな身体を見下ろした。白い耳をぴんと立て、何かを感じ取るように意識を集中している。
その真剣なうさなの表情に、白哉は邪魔をせぬよう何も言わず、ただ目の前の禍殱との距離を一定に保ちながら、瞬歩で移動していた。円を描くように移動するさなか、地に落ちていた斬魄刀を拾い上げ腰に刷く。斬魄刀が利かないとわかった以上、刀は納めて両手を自由にした方が良い。物理的な攻撃が利かないのであれば、鬼道による攻撃を試してみるかと思案している白哉の耳に、「間違いないわ!」と興奮したようなうさなの声が響いた。
「間違いない、あの子だわ……!」
うさなは襟元をきゅっと掴み、白哉を仰ぎ見た。白哉が初めて見る焦燥した顔のうさなは、「白哉さま、禍殱を引き付けたままこの地の反対側へと行くことは出来ますでしょうか」と口早に問いかけた。
「被害が出ぬよう人の少ない場所を通り、この正反対の地へ禍殱を引き付けることは……?」
「可能だ」
何故、という疑問を聞かずに白哉は答え、そのままうさなの望む通りに移動を始めた。禍殱が見失わないよう、あえて移動距離を短くしながら禍殱を誘導していく。瀞霊廷は中心に護挺十三隊隊舎や街、住居があり、それを取り囲むように広い平地が続いている。外周に沿って行けば、人のいる場所を通らず反対側へと辿り着けるだろう。
しかし、と白哉は思う。
この場の正反対の場所と言えば、そこは南門――恋次がいる筈の場所だ。その場に何がといぶかしむ白哉にしがみ付きながら、うさなは「そこにわたしの妹がおります」と緊迫した顔で南を見詰めた。
「先程感じました――あの子の気配を。今、あの子が力を開放している。――ああ、あの子、あの子にも禍殱が……?」
なぜ妹の気配が此処にあるのかうさなにはわからない。考えられるとすれば自分を探しに尸魂界へと降りた、ということなのだが、そんな危険なことを神殿の長老たちが許すはずはないと思っていた。けれど妹は間違いなく今この尸魂界にいる。満月の遠いこの時に力を開放するなど、どれだけその身体に負担がかかっている事だろう。けれどそれをしなければならない程、ウキアの身に危険が迫っているのだろうか。
自分には白哉がいる。けれどウキアは――もしかして、たった一人で。
「ああ、どうか無事で……!」
切羽詰まったように祈るうさなの姿に、白哉は禍殱を誘導するスピードを上げる。流れる景色の木々が、あまりの速さに外郭が消え、ただ緑色に変わる。風圧で飛ばされぬよううさなをしっかりと抱き抱えながら、白哉は南門へ向かって走る――やがて感じ始める異質な気。背後に迫る獣と同じ気を持つ異形の物。
「――禍殱が、もう一体……!」
その気配はうさなも感じたのだろう、悲鳴のような声を上げる。ここまでくれば背後の禍殱も道を逸れることはないだろうと判断し、白哉は一気にスピードを上げた。そして南門、その場所に――――
一体の黒い獣と、それと闘う二人がいた。紅い髪をなびかせ、果敢に斬りつける長身の男と、その背後で刀剣を薙ぎ、白く輝く軌跡を描きながら長身の男を援護するように禍殱を攻撃する小柄な少女。
その少女が愕然と振り返った。恐らくもう一体の禍殱の気配を感じてのことだろう。そしてその表情が、白哉と――その腕の中のうさなを見て更に驚愕する。
「姉さまっ!!」
白哉の腕の中からうさなが飛びだした。地面に落ちる僅か数瞬の間、小さな身体は金色の光に包まれ――うさなの身体は人の成体と同じ大きさへと変貌する。
「説明は後で! ――白哉さま、妹の力があればその刀は禍殱に有効になります。私の力は守護、白哉さまの盾となります」
「恋次! 雷の心配はもうしなくて良い! ただ爪の攻撃にのみ意識しろ!」
うさなの手に金の錫杖があった。その先に付けられた鈴が凛と鳴る。
「………………」
ウキアにのみわかる古の言葉で、うさなは力を開放していく。精神を集中し力を振るううさなの瞳は紫色の光の坩堝だった。何かが憑依したような――うさなに神が降りたような。
「袖白雪!」
うさなとよく似た、けれどうさなよりもやや気の強そうな小さな少女が発した声と共に、白哉の斬魄刀が白く輝きだした。うさなの言う「妹の力」で斬魄刀は禍殱に有効になったらしい、と判断し白哉は背後の禍殱と対峙する。
ウキアはうさなに走り寄り、意識を集中するうさなを護るように白い刀を構えている。
恋次は強い相手と闘うことが楽しいのか、嬉々として刃を振るっている。対して白哉は無表情に、流れるような動きで禍殱の身体に刀傷を付けていく。
時折放たれる雷は、恋次と白哉の身体に届く寸前に何かに弾かれるようにその方向を変え、二人の身体に届くことはなかった。だが、二人の身体よりも太い前足が振るう物理的な一撃は盾の影響を受けず、しかしその攻撃を恋次も白哉も見切ってはかわしていく。
恋次と相対する禍殱は、確実に増えていく己の身体の傷に激怒し樹の枝を口でへし折った。そのまま勢いよく首を振り、恋次ではなく二匹の禍殱のちょうど中央に立つうさなとウキアへ向け樹の枝を投擲した。間をおかず、続けて二撃、三撃と放たれる。
折られた枝の鋭利な先端が、瞑目するうさなとその横に立つウキアに向かい、猛スピードで一直線に襲いかかった。
「…………っ!」
蒼白になる恋次の視線の先で、うさなの横に立っていたウキアが体重を感じさせない動きで一歩前に出る。落ち着いた様子で舞うように美しい動きで右手が上がり、その手の刀を一閃する。
狙い過たず、刃は枝を両断した。
続く二波三波も難なく迎撃し枝を地面へと叩き落とす。
恋次と視線が合うと、それまでの真剣さからくる無表情の仮面が外れ、ウキアは自慢げに胸を張った。どうだ、と言うウキアの声が聞こえたような気がして恋次は笑う。
刀を振るうウキアは、雪のように、白く美しく純粋な。
強く凛とした少女。気位が高く意地っ張りで傲慢で、優しくて淋しがり屋な。
――俺の『唯一人』。
そのウキアを害そうとする存在ならば、この手で滅ぼさなくてはならない。
恋次は勢い良く地を蹴ると空中高く飛んだ。目の前で突然獲物が上に移動し、生物の習性でその軌道を目で追う禍殱の金色の一つ目と恋次の紅い目が空中でぶつかり合う。
「――あばよ、化け物」
にやりと笑い、恋次は落下する重力で、その金の瞳に深々と斬魄刀を突き立てた。
うさなの錫杖の鈴が鳴る。その音はうさなを白哉の手の届かない場所へ誘う音だ。白哉のうさなから神の巫女へ。紫色の気をその身から立ち上らせるうさなの姿は神々しく、白哉は敬意をもってうさなに対する。
春の陽だまりのようなうさなの笑顔も、昂然としたうさなの巫女としての顔も、どちらも白哉には同じうさなだ。愛しく大切な、ただ一人心を奪われた存在。
目の前の黒い獣は明らかにうさなを狙っていた。うさなの生命を屠るのが目的のその存在を、白哉は静かな怒りを持って見据える。
うさなの世界の生物だという。
うさなが本来いるべき場所。
今まではその接点がなかった。けれど今、うさなの世界に属するものが目の前にある。尸魂界にはない異形の生物。うさながこの世界の住人ではないと声高に白哉に知らしめる存在。
それでも、今は――今この瞬間はうさなは白哉のそばにいる。
自分がすべきことは悩むことではない。何をすべきかは明らかだ。
うさなを護る。うさなの力が今この瞬間も自分を護っているように。
その同じ程の想いでうさなの身を護る。
禍殱は目の前の小さな生物の姿が突然視界から消えたことに戸惑った。音も立てずに風のように動く小さな生き物は動きが速く、捻り潰すことがなかなかできない。先程から何度も姿を消しては離れた場所に現れ再び近付いていた生き物の動きを見越して禍殱は離れた場所へ視線を動かす。
ぐるりと周囲を見回してもそこに黒い小さな姿はない。
身体の下で、す、と風が吹いた。
禍殱は視線を下に向ける。自分の真下、地に付いた4本の足のちょうど中央に立つ黒い姿。
闇より黒い、漆黒の瞳。
その瞳を己の金の瞳で認識したその時には、禍殱の身体は両断されていた。
同時に上がった鼓膜を震わす金属音のような悲鳴に、ウキアは構えていた刀を下ろした。
安堵したその瞬間、疲労感と倦怠感に襲われ膝を付く。月の力を借りずに本来の力を振るったのだ、身体の負担は相当なもので、それでもこうして生命があったことが僥倖であるとウキアはわかっていた。
落ちそうになる瞼を必死に開け、ウキアは目の前の姉を見る。
「……キア」
嬉しそうに――以前のように優しい微笑みを浮かべ、そっとうさなはウキアの手を握りしめた。変わらない――ずっと探していた優しい姉。
「姉さま……」
ずっと探していました。姉さまはどこに? 大丈夫でしたか? 怖い目になどあってはいませんでしたか? ちゃんとお食事はとってましたか? ご病気はしてないですか?
聞きたいことはたくさんあった。けれど、疲労がそれをウキアに許さない。また姉の疲労も激しいのは間違いようがなかった。自分と同じ疲労感と倦怠感に姉も襲われているはずだ。
うさなの身体がくらりと傾ぐ。その身体を支えながら、ウキアもゆっくりと倒れ込んだ。姉妹二人、手を繋ぎながら草の上に横たわる。
優しく微笑んだ姉がどこか幸せそうだと伝わり――ウキアも微笑みながら目を閉じた。
姉と自分の名前を呼ぶ、恋次と見知らぬ誰かの声を聞きながら。
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