女性に導かれるままに屋敷の中へ入ると、ここは本当に裕福な家なのだという事を恋次は痛感した。
 廊下の壁に掛けられている絵画の数々。
 廊下に所々置かれている花瓶や壷の数々。
 どれもが高価なものだと、恋次の、以前の生活で身に着けた観察眼が告げている。
 足元の絨毯も毛足が長く柔らかい。
 複数ある扉も全て重厚な厚い木の扉だ。
 こんなに屋敷の奥まで入った事はないのだろう、ルキアも不安そうに恋次の手をぎゅっと握り締めている。縋る様なその手に、恋次は安心させるように強く握り返すとルキアが恋次を見上げてほっとしたように笑った。
「どうぞ」
 女性が立ち止まった扉は、一際大きな扉だった。その玄関からの位置関係から、恋次はこの部屋が、先程庭で見上げた例の部屋だという事に気がついた。
 軋む音もなく、滑らかに扉は開かれる。
「先生」
 ルキアが、再び安心したように声を上げた。
 ワインの様な赤色を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋の中央に、大きな皮のソファとテーブルがある。その上座の席に、シスターが座っていた。ルキアは飛び跳ねるようにシスターへと近付き、シスターはそのルキアを笑いながら抱きとめた。
「お行儀悪いわよ、ルキちゃん。皆さんにご挨拶は?」
「あ」
 途端にルキアは赤くなる。「こんにちは、岩崎さん」とぺこりと頭を下げた。
「こんにちは、ええと、ルキアちゃん?」
「はい」
 岩崎、と呼ばれた男は、あの窓で見た、壮年の恰幅のいい男だった。柔和そうな顔をして、ルキアを優しく見詰めている。金持ちは皆性格が悪い、と思っていた恋次にとって、初めて見る「金持ち」……およそ想像した事のない「善人」だった。これが演技だとしたら相当なものだろう。が、恐らくそれは無い、本当にこの男は普通の人間らしい。恋次は自分の眼に自信を持っているので、そう判断を下した事に自分でも意外だった。
 そして、もう一人。
 シスターの前に腰を下ろした男。
 恋次がこの部屋に入った時から、シスターよりも岩崎よりもまず目を奪われていた男。
 下座に腰を下ろしていた男は、扉から入った恋次からは背中しか見えなかった。けれどそのスーツの色、男の身体つきから、窓から恋次たちを見下ろしていた男だと直ぐにわかる。
 特に何か、殺気や尋常でない雰囲気を発している訳ではない。至って普通、ただ身に着けているものは年齢の割に格段に良い。岩崎のスーツも当然高価だが、恐らくそれより高価なものだろう。
 その男に、恋次は何故か意識を引き付けられる。
 男が立ち上がった。
 恋次へと顔を向ける。
「呼び寄せて悪かったね、シスターとの話が長くなりそうだったから君たちを呼んだのだが」
 歳はまだ二十代前半だろう、端正な顔立ちの、長身の男だった。
 その、端正な顔立ちに、三筋の線。
 右目の上から頬までかかる三筋の傷跡。
 恋次の凝視に気付いて、男は「ああ」と苦笑した。大きな手がその傷に触れ確かめるようになぞる。
「これは……気にしないで欲しい、と言っても無理か。君の心配するような後ろ暗い傷ではないよ。私は至ってまともな人間だから」
 小さく男は笑って言葉を続ける。
「私の主が、賊に襲われたときに庇った際に付いた傷だ……と言ったら余計誤解されそうだな。主も後ろ暗い事は何もないが、何分若くして一族を纏め才価を発揮している方なので、逆恨みや謂れのない暴力を受けてしまうのだ。これで納得していただけたかな、少年」
「……別に何も言ってねーだろ、俺は」
「変な奴らは近づけさせない、というオーラが漂っていたよ」
 再び小さく笑って、男はシスターに向き直る。
「先程の続きですが、主は慈善活動に興味を持っております。家族を不幸な事故で亡くした事もあって、主は今心の拠り所を求めている。私は本日、偶然貴女に出逢った事も一つの運命だと思うのですよ」
「うちの教会は本当に小さなものなんです。そういったことは、街の大きな教会に聞いていただいた方が、より詳しく説明してくださると思います」
「そうですか、では、貴女から神父様に紹介してはいただけませんか?」
「大丈夫ですよ、シスター」
 躊躇うシスターに岩崎は微笑みかけた。人の良さそうなその笑顔は、やはり心からのものだろう。
「檜佐木さんは信じて良い方ですよ。私も、実は檜佐木さんには危ないところを助けてもらったんです……変な奴らに仕事を邪魔された時にね。それはもう鮮やかな手並みで……お若いのに彼は相当な人物ですよ、それは私が保証します」
 大人たちの会話を、ルキアはその内容が理解できない所為で、退屈そうに聞いていた。恋次が手招きすると、シスターの隣からとことこと恋次の元までやって来る。
「難しい話、わかんない」
「ああ、お前には関係ない話だから、こっちにいろ」
「うん」
 ちょこん、とルキアは恋次の隣に腰を下ろす。恋次は大人たちとは離れた椅子に座っていた。ルキアが差し出す手を、ルキアの望むままに繋ぎ止めて二人ソファに身体を預ける。
 ルキアの他愛無いお喋りの向こう、大人たちの交わす会話の中に、「土地―――」「―――抵当―――」という単語が聞こえて、恋次は僅かに蒼ざめた。
「はい、確かに―――父が、以前」
「お父様―――貴女の?先代の神父様?」
「ええ。仕方なく―――でも、何とかいたします。今までも何とかして参りました。これからも―――」
 気丈にシスターは笑って見せた。
 教会の土地が―――抵当に入っているというのだろうか。
 それ故の、現在の逼迫があるというのなら、事態を好転させなければ教会は差し押さえられる。
 つまり。
 ―――教会に住む者はばらばらになってしまう。
「どしたの、恋次?」
「いや、何でもねえよ」
 くしゃ、と髪をかき混ぜると、「もう!」と口を尖らせるルキアの顔がある。
 ルキアを護る。どんな事からも。
 出来る限りのことを、する。
 恋次は奥歯を噛み締め、まるでそれが敵のように、今周りを取り囲む豪華な部屋の中を睨みつけた。





 

next