それは人の姿をした災厄と言って良かっただろう。
 嵐のような、と――もしくは悪夢のような、と言い換えても良かった。
 朽木邸のセキュリティを預かる和田の前で、人の形をした、嵐のような、悪夢のような災厄は、今も目の前で猛威を奮っている。
「死んでもいい奴は抵抗していいよっ! 私ちゃんと宣言したからねっ、死んでも恨みっこなしねっ!」
 無邪気な声で、まだ十代と思しき少女が黒いバンのサンルーフから身を乗り出し、自分の身長の半分はあろう自動小銃を小気味よく響かせながら、豪快な射撃で車に銃を向けるセキュリティ要員を薙ぎ倒していく。
 タタタタタタタタ、とリズムよく音が発せられる度に、周囲は真赤な血潮に彩られていく。
「テンション高すぎだよ!」
 やちるとは背中合わせになりながら、弓親はやちるとは逆に短銃で一発ずつ狙い撃っていく。猛スピードで動く車上から狙いを外すことなく、一撃必殺で射殺していく弓親の技術は神の域だ。
「で、どこ行きゃいいんだ、理吉?」
 車外の惨状は特に何の感慨もないのか、鼻歌混じりにハンドルを捌きながら、一角は広い朽木の敷地を爆走していく。その隣には無言で悠然と座る更木剣八、そして後部座席にはノートパソコンを開きキーボードを打ち込んでいる理吉がいた。
「そのまま北へ! ――あの奥の棟!」
「へーへー。迅速にお届けいたしますよ、お客様!」
 おどけた口調で、一角は右に左にハンドルを切る。タイヤを狙い撃ちされることを避けるためなのだろう、猛スピードで左右に振れる車体で、それに振り回されているのは理吉一人だった。理吉の前の座席では、立ち上がって上半身を車外に曝け出したまま、バランスをとってやちるは銃を乱射、弓親は狙撃している。
「君の所為で支出額が多いんだよね、少し控え目にしなよ」
「必要経費だよ! ケチィこと言わないでよぅ」
 心が浮き立つ音だよね! と無邪気にやちるは笑う。何も知らない者が見ればやちるは可愛らしい十代の少女だろう。年の割に幼く見えるのは、その表情に邪気が全くないからだ。
 そう、やちるには疑う心はない。迷う心も、葛藤する心も。
 やちるにとって世界は剣八が全てだ。
 行き場のなかった自分を拾い上げてくれた、更木剣八を中心にやちるの世界は回っている。
 剣八の役に立つこと。剣八を邪魔するものを排除すること。
 それがやちるの行動原理だ。
「剣ちゃんの遊びを邪魔する奴は、天に変わってやちるちゃんがお仕置きだよっ!」
 朗らかに、明るくやちるは笑う。トリガーを引く指には何の躊躇いもなく。確実に的確に大量の人の生命を刈り取っていく――まるで死神のように。
 そのやちるの声を頭上に聞きながら、理吉はキーボードを叩き続けている。画面にはこの朽木邸の図面が表示されている。防犯上トップシークレットになる筈のこの屋敷の見取り図を、既に入手していた理吉は――勿論正規の方法ではなく――その画面上に小さく光る白い点を重ね合わせる。
「北棟――この受信の不安定さは恐らく地下。そこに朽木白哉がいる」
 食い入るように画面を見る理吉に、危なげなく激しい運転をしながら、一角は「受信? 朽木白哉に発信機でも付けてんのか? 随分周到だな」と感心したように声をかけた。
「これは朽木白哉が生まれた時に、恐らく朽木皓成が埋め込んだ発信機です。朽木白哉の過去を洗った過程で発見したものですが――周波数の解析に時間がかかったけれど」
「へえ。上流階級の常識はわかんねえな。子供も犬猫扱いかよ」
 感心したように一角は言う。そして続けて「それでどうするよ?」と気楽に聞いた。
「朽木白哉を拉致します」
「それで?」
「恋次さんと引き換える交渉を」
 細かい戦術や戦略は何もない。殆ど力押しの作戦だ。正面から強行突破し、最強の請負人として名高い更木剣八とその部下を巻き込んだ、無謀ともいえる作戦。
 けれど理吉にはクラッカーとしての能力がある。全てのセキュリティを無効化し、成功率を引き上げる。朽木邸に詰める警備員の数の多さは圧倒的だが、彼らの中で実戦を経験しているのは極僅かだ。その殆どが実際に人を殺したことなどないだろう。今までこの屋敷に直接攻撃を仕掛けるような輩はいなかったのだから――この屋敷に直接攻撃を仕掛けられるような輩は存在しなかったのだから。
 そしてその経験値の違いは大きい。更木たちは既に数えきれない程の人の血を流してきている。人を殺す技術を特化した戦闘集団――この僅か4人の小さな集団が今まで請け負って来た依頼の内容とその結果を聞いたのならば、誰もが戦慄するだろう。
「理吉ィ、着いたぜ? どうするよ?」
 100mほど先に、大きな建物がある。あまり陽の当らない北棟は普段利用することも少ないのだろう、それは朽木の名に恥じぬ白く豪奢な建物だったが、どことなく陰鬱な感じを受けた。
「地下には僕が行きます」
「じゃあここで待ってっからよ、なるべく早く帰ってこいや」
「弓親、手前一緒に行け」
「了解」
「車は任せてね! 朽木白哉、連れて来てね、身代金身代金! やちるの結婚資金! 剣ちゃんとの薔薇色の結婚生活!」 
 スピードを落とさないまま北棟の玄関口まで真直ぐに突き進み、ぶつかる直前に一角はハンドルを切る。急な方向転換にタイヤが煙を上げ、耳障りな音を立てながら車は停車した。
 背後に北棟を位置する状態で――まるで北棟を護る様な位置に。
「じゃ、ちょっくら遊んでくるか!」
 嬉々として一角が運転席から外へ出る。その右手には日本刀が掴まれ、周囲を見渡してにやりと笑った。
 そして助手席のドアが開き――更木剣八がその巨体を車外に現す。やはり右手に日本刀――既に抜き身の、銀の鋭利な刀剣。
「やちる、減らし過ぎだ。全然足りねえじゃねえか」
「え?! そ、そんなことないよ、大丈夫だよ、すぐに増えるって! ゴキブリみたくわらわらわらって!」
 慌てるやちるをちらりと一瞥し、剣八は堂々と前へと進む。少ない、と口にしたその周囲を取り囲む警備員は五十人を下らない。
「――俺を楽しませろよ手前ら!」
 心底楽しげな笑顔をその顔に浮かべ――剣八は走り出した。
 右手を一閃――悲鳴と血飛沫があがる。あまりの速さに警備員たちは状況を把握できない。うろたえる間に、逆方向からも悲鳴が上がる――こちらも楽しげに剣を振るう一角の姿があった。
 乱戦状況にある剣八と一角に向けては、近過ぎて警備員たちは銃を使えない。離れた場所から剣八たちを狙う警備員は、車上からやちるが狙撃していく。右手に銃、左手にマシンガン、器用に使い分けてやちるは剣八たちを援護し車を護る。
「さて、僕たちも行こうか」
 するりと車から降り立ち、弓親は建物内へと走り込んだ。最初からいたのか、別の場所から入り込んだのか、幾人かいた制服の男を事も無げに立て続けに射殺していく。
 目の前で人が倒れて行くさまを、理吉も冷静に見据えていた。恋次と共に行動した期間は長い。収容施設でも殺し合いはあったのだ、理吉も清廉潔白ではいられない。実際に理吉が死に追いやった相手もいるのだ――今更何の罪の意識を持つというのだろう。
 恋次さんを助けなければ。
 あの人を護ると誓った。一生ついて行くと。
 腕に抱えたノートパソコンから建物内の見取り図を取り出す。地下への入り口までの最短距離を記憶し、蓋を閉じて理吉は走り出した。


 
 
「北棟? そうか、そういうことか……」
 災厄の塊が北棟の前で止まり、そこに陣を構えたのを離れた場所で確認した和田は、襲撃者たちの目的を確認した。
 同時に、周囲にいた5人の部下――和田が自ら選別した部下にあることを命じると、5人は無言で頷いた。上官に異議を唱える者は部下の中には存在しない。
 北棟に向かって走り出した5人をちらりと見遣り、和田は侵入者に目を移した。
 僅かな数だというのに、侵入者たちは警備員たちを的確に葬っていた。近距離と遠距離の攻撃、その連携が神憑り的だ。これといった通信手段を持っているようには見えないのに、完璧なタイミングで連携している。
 あの北棟の地下に誰が居るか、それを知っているのはこの屋敷では数えるほどの人間しか居ない。この屋敷の警備責任者である和田も、その数少ない中の一人で、故に今目の前にいる賊が阿散井の手の者であると確信した。
 どうやって阿散井の当主がこの屋敷にいるという事実を知り得たのかは不明だが、それは和田の責任ではない。何よりも問題なのは、阿散井の当主の身柄が賊に奪われる、という事態だ。
 万が一そんな事態になってしまえば――主の怒りを受けるのは和田自身だ。
 ここ一ヶ月、屋敷の大抵の者は事情を知らなかっただろうが、主の義妹、ルキアが行方不明になっていた所為で、朽木白哉は苛烈を極め――ルキアが行方不明になった当日、ルキアについていたボディガードは有無を言わさず処分された。その処分が解雇などではないことを、長年朽木一族に関わっている和田は十分承知している。
 そして何年仕えていようと、阿散井の当主を逃がしたとあれば――自分もその「処分」を免れることはないだろうということも。
『完了しました』
 ヘッドセットマイクを通して、先程の部下から連絡が届くと、和田は頷き「すぐにその場を退避」と告げた。『了解』との短い返答の後、通信は切れ侵入者を迎え撃つ為に北棟に向かっていた者、既に配置についていた者は和田の指示に従い速やかに北棟から離れて行く。
 侵入者たちの力は圧倒的だ。あまりにも人間離れしている。数の優位、地の優位がこちらにあるというのに、間違いなく押されている。このままでは奪い返されてしまうかもしれない――阿散井恋次を。
 それならば、と和田は頷く。阿散井恋次を取り返されるよりは。
 ――北棟が存在する理由は、その地下にある。隔離された場、法の力の及ばぬ場所。そこには露見してはならない秘密が封じて在る。過去の、そして現在の。
 数多の、決して外に出してはいけないもの。
 躊躇う場合ではない。躊躇えば自分の身も危うくなる。
「北棟を爆破する」
 これはヘッドセットマイクをオフにして直属の部下に伝える。「それは……」と絶句する部下に対し、和田は笑った。
「俺は何もしていない。侵入者が自棄になって仕掛けたんだろう」
 結果は全て侵入者に押し付ければいい。それで阿散井恋次が死亡したとしても関係ない。全ては侵入者が招いたことだ。
 和田の意を汲み取って、部下は頷いた。起爆装置を渡しながら「30秒後」と発した短い和田の命令を受け腕時計を見る。
「カウント、28、27、26……」
 和田は知らなかった。
 この屋敷でそれを知っているのは三人だけ。
 今まさに爆破しようとしている北棟の地下、阿散井恋次の幽閉されるその場所に、――朽木白哉と朽木ルキアがいることは。
 
 




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