緋真の元に自ら赴き謝罪したいと、そう強く思う白哉の気持ちは檜佐木もわかっていたが、それは制止するしかなかった。
 ただの使用人である緋真の元へ「朽木白哉」が自ら足を運んだことが周囲に知れ渡れば、それは直ぐに白哉の両親へと伝わってしまう。
 白哉の両親は、緋真の存在を知ったならば直ぐに緋真をこの屋敷から退去させるだろう。彼らは決して、自分達の息子が朽木の名に全く益を持たすことのない使用人と恋をすることは認めない。
 そのような事態になれば、白哉はもう二度と緋真に会うことが出来なくなる。
 白哉もそれを事実と理解していたから、募る想い、逸る気持ちを抑え、檜佐木に伝言を頼み続けた。
 一度だけでも逢って欲しいと。
 直接謝罪したい、と。
 何度も伝えられる白哉の伝言を、総て緋真は無言で首を横に振る。
 それでも何日にも渡り続く白哉の伝言に、緋真は固い表情で檜佐木を一瞬見詰め、迷惑ですとはっきりと言葉にした。
 ようやく言葉を発してくれた緋真に、更にと話しかける檜佐木を遮るように緋真はくるりと背中を見せた。それははっきりとした拒絶―――拒否だった。
「もう係わり合いたくないのです。私があの方にお会いする理由はありません。もう―――放っておいてくださいませんか」
 廊下に配置された花瓶に花を活けながら、緋真は固い声で檜佐木を見ようともせずにそう言った。
 その檜佐木と緋真を興味深そうに見遣りながら、緋真と同じ制服を着た使用人たちが通り過ぎていく―――白哉は勿論、檜佐木も自分如きに直接声をかける立場ではない。興味を湛えて窺い見る同僚達の視線を感じ、唇を噛みしめ緋真は背後の檜佐木を振り返った。
「迷惑なんです。あの方も、貴方も」
 震える声で、睨みつけながら緋真は言う。
「もう放っておいて―――邪魔をしないで。掻き乱さないで」
「緋真さん―――」
「私があの方に逢うことはありません。私はただの使用人。あの方の前に出るなど、出来る筈もありませんでしょう」
「白哉さまは貴女を―――」
「ならば命令なさるといいでしょう。来い、と。それでしたら私は伺います、私はただの使用人ですもの。ご主人様の命には従います。服従させたいのならばそうして下さい、とお伝え下さい。命令ならばどんな事でもききますわ―――けれど、それは私の意思ではありません」
 もう話すことはない、と緋真は檜佐木に背中を向けた。強い拒絶の意思をその背中に感じ取り、檜佐木は無言で頭を下げる。
 遠ざかる足音を、手元の花瓶に視線を落としながら緋真は聞く。
 その手は、決然とした拒絶の言葉とは裏腹に、微かに小さく震えていた。







「―――今日も駄目だったか」
 部屋に呼び寄せた檜佐木を見た瞬間に、緋真の言葉を予測したように白哉は沈痛な表情を浮かべた。
「申し訳ございません……私の力不足で」
「お前の所為ではない。私の所為だ―――総て私の」
 憔悴したように白哉は椅子に身を沈めた。出席した式典の為に身に着けた礼服のまま、疲れきった表情で白哉は天井を仰ぎ目を瞑る。
 ―――白哉があの日からろくに睡眠をとっていないことを、檜佐木は気付いていた。否、今の白哉を見れば檜佐木以外でも簡単に気付くだろう―――それ程に白哉の顔色は悪い。
「白哉さま、少しお休みになられては―――夜の記念式典まで、せめて」
「大丈夫だ、何ともない」
「鏡を見てから言ってください―――酷い顔色ですよ」
 横になるだけでも、と檜佐木が懇願し、ようやく白哉は閉じた目を開いた。白く透きとおった顔色は、白哉を夜に咲く花のように幽艶に見せる。
「―――情けないものだな」
 自嘲するように白哉は笑う。その笑い声も力の籠らぬ、酷く乾いた笑いだった。
「私に越えられぬ困難はないと自負していた。どんな難題でも解いていく自信があった。だが―――実際には、私はこんなにも無力だ」
 希望の総てを失った空虚な声で白哉は―――言う。
「緋真に逢って、他のものは何も要らないと思った。緋真だけが欲しかった。緋真が傍に居てくれれば他のことは如何でもよかった。―――それなのに、私は自分の浅はかさで緋真を失った。緋真を失うことは、総てを失うということだ。私にはもう何もない―――」
「まだ失った訳ではありません、白哉さま―――必ず、必ず緋真さまは白哉さまの元へ戻られます」
「―――これ以上緋真に迷惑を掛けられない。もう―――二度と、緋真には逢わない」
「けれどそれでは貴方が!」
 堪り兼ねたように声を上げる檜佐木を、白哉は見詰めた。その瞳に黒い闇のような絶望が湛えられているのを目にして、檜佐木は唇を噛む。
「―――それでは、貴方の想いは如何なるのです」
「……暫く休む。時間になったら起こしてくれ」
 寝室へと姿を消す白哉を、檜佐木は痛ましげに見送り、主と同じように俯いた。
 暫く無言で考え込んでいた檜佐木は懐から携帯電話を取り出すと、1コールで電話に出た相手に短く指示を与える。数分後に通話を切り、静かに白哉の部屋を出て行った。
 
 
 




 今日が朽木グループ創立の記念式典ということは、朽木邸に勤めるものならば誰でも承知していることだった。
 各界の著名人たちを集め盛大に催される宴―――華やかな世界。
 そこは白哉の住む世界。
 例え両親が健在だったとしても、緋真には無縁の世界だっただろう。あまりにも「朽木」は遠い世界なのだ。
 そこに比肩出来るのは玖珂家くらいのものだ―――否、玖珂の一族も肩を並べることは出来ない。その足元に跪くのを許される、という程度でしかない。
 唯一無二のその名前。
「朽木」―――その名とは真逆の、永遠に繁栄していく一族。
 自分の掌にぽたりと落ちた雫を無言で拭い、緋真は黙々と仕事を続ける。
 今日の勤務時間は夜の10時まで―――一人になれば否応なく瞼に浮かぶ姿は、働いている間は思い浮かばずに済む。
 記念式典の日は、いつもよりも多くの使用人たちが休みを貰える事になっていた。主たちの生活は暫くホテルへと変わるので、屋敷に常駐する使用人は普段の三分の一ほどになる。誰もが休暇を欲しがるこの時期に、緋真はあえて勤務を選んだ。休暇を取っても行くところはなく、やることもない。
 いつもより更に静かな屋敷の中で、緋真は丁寧に仕事をしていく。 
 突然、机を拭くその手が、背後から伸ばされた手に強く掴まれ、緋真は驚きに声もなく硬直する。人の気配はなかった―――物音も全くしなかった。
「こちらへ」
 有無を言わせずに緋真の手を引き歩き出す檜佐木に、緋真は抗議の視線を向けた。その視線の先に、いつもよりも蒼褪めた檜佐木の顔を見つけて、発しかけた抗議の言葉は口の中で消える。
 変わって湧き上がる怖ろしい予感。
 あの冷静な檜佐木が、此処まで取り乱す理由といえば一つしかない。
「―――何か、あったんですか」
 あの方に―――その言葉は口に出さずに飲み込んだ。
 それを言える身分はない。それを問える資格はない。
「何が、あったんですか」
 震える声は隠せなかった。不安ばかりが大きくなる。蒼褪めた檜佐木、今までなかったこの強引な行動。
「白哉さまが、襲われました」
 瞬間、緋真の顔も檜佐木と同じように蒼褪める―――息を呑み歩みが止まるのを、檜佐木の腕がそれを許さなかった。
「今、極秘裏に部屋に運び込みました。この事実は公表出来ない」
「病院へは―――」
「白哉さま自身が拒否されました。処置は総て白哉さまの自室で済ませたところです」
「処置―――処置、って」
「銃で―――」
 それ以上檜佐木は何も言わず、睨みつけるように虚空を見詰める。防げなかった自分へ憤っているのだろう、その瞳は憤激の炎で燃え盛っていた。
「白哉さまにお逢い下さい」
 びくっと震える緋真を見下ろし、鋭い視線で檜佐木は「これは私の命令です」と厳しく告げる。
「お逢いなさい。白哉さまが何故こうなったのかを、貴女自身の目で見るといい」
「檜佐木さ―――」
 引き立てるように緋真を連れ、檜佐木は東館へと向かい歩いていく。白哉が戻っていることは殆どの者には知らされていないのだろう、屋敷の中は普段と変わらない静けさに包まれている。
 緋真が足を踏み入れたことのない南棟―――白哉の住居。螺旋階段を上り最上階の三階へと有無を言わせずに連れられ、一番奥の一際大きな扉の前で檜佐木は止まった。
「入りなさい」
 強い口調も、緋真の耳には意味がなかった。先ほどから緋真は何も考えられず、ただ蒼褪めたまま記憶の中の笑顔を辿っているだけだった。
 名前を呼ぶ声を、もう何日も聞いてない。
 あの美しい姿を、もう何日も見ていない。
 檜佐木が開けた扉を躊躇うことなく通り、広い室内を見渡す。
 居間として使うのだろう、大きな机と革張りのソファが真中にある。その大きさは相当だが、それを大きく感じさせない部屋の広さがあった。
 そして奥に扉がいくつも続く。
 その中の一つを開け、檜佐木は緋真を導いていく。部屋の中とは思えぬほどの長い廊下、それを通り最奥の扉をノック無しに開く。
 部屋の中は暗かった。
 そこも大きな部屋だった。緋真が以前住んでいた久儀の屋敷の居間よりも広い。重厚なカーテンが月明かりを僅かにも差し込むことを許さず、物音も完全に遮断している。
 枕元の小さな灯りだけが唯一の光源だった。
 そのやわらかい橙色の光の中、血の気のない白哉の顔は白く透き通るようだった。あまりにも無防備に横たわるその姿に、緋真は白哉の意識がない事に気付く。
「何、が」
 自分に呼べる名前などないのだ―――名前を呼ぶことは出来ない。そんな身分が自分にはないのだ。
「ホールから出たところを襲われました。私が席を外していなければ―――ッ」
 ホテルの部屋へ戻ると告げた白哉の前で、檜佐木の携帯電話が振動した。気配に敏感な白哉はそれに気付き、出るよう視線で促し「車にいる」と残し、音も無く護衛に付くSPに囲まれホールから出た。その背中を見送り、檜佐木は通話ボタンを押す。
 電話の相手は、昼間檜佐木自身が指示をした部下からのものだった。その結果を聞き、檜佐木が頷いた―――やはりとの思いを抱え、白哉の後を追い地下駐車場に向かった檜佐木の耳に、怒号が突き刺さる。
 緊迫する空気と慌ただしく動く人の気配。直ぐに懐から銃を取り出し、檜佐木は白哉の元へ真直ぐに走る。狙われる危険性は無視して真直ぐに白哉に駆け寄った檜佐木は、そこに出血し車にもたれかかる白哉を目にしたのだった。
 そこに檜佐木が居たならば、白哉がこんな精神状態でなければ―――この襲撃は成功しなかっただろう。けれど檜佐木はその場に居ず、白哉の精神状態は酷いものだった。
 出血場所を抑える檜佐木に向かい騒ぎを大きくしないことをを命じ、病院よりも屋敷へ搬入するよう指示してから白哉は意識を失った。無能なSPに白哉の両親への伝言と医師の手配を命じ、檜佐木は残りのSPと共に車に乗り込み、自らの運転で屋敷への道をフルスピードで走り抜けた。
「阿散井め……っ!」
 呪詛のように呟く檜佐木の声を緋真は認識しないまま、茫然と眠る白哉の顔を見詰める。
 白い顔、表情のない人形のように整った顔。
 今でも言葉になるのは「檜佐木」という名前だった。朽木白哉と解った今も、呼びなれた名前が咄嗟に口に出る。
 毎夜夢に見るときも。
 瞼の裏にその姿が浮かぶときも。
 檜佐木さん、と何度呼んだことだろう。
「貴女がこの方を拒絶してから、白哉さまは睡眠をとろうとされない。いや、とろうとしても出来ない」
 糾弾するように檜佐木は緋真を真直ぐに見詰める。その視線から逃れるように緋真は白哉の眠るベッドとは反対の壁に目を向けた。
「何故貴女はこの方と逢おうとしなかった!私は白哉さまを受け入れなくてもいいと何回も貴女に言った!ただ逢って白哉さまの謝罪を聞いてくれれば良いと言った筈だ!それ以降なら、貴女が白哉さまを拒絶し続けても構わなかったのだ、ただ一度逢ってさえいれば!」
「逢えなかったからです……!」
 悲鳴のように緋真は声を上げた。悲痛な声、絶望の声。
「如何してもお逢い出来なかった!逢えば自分を見失ってしまうのが解っていたから……!この方が『朽木白哉』さまだということを忘れて、この方の胸に飛び込んでしまうことが解っていたから……!」
「そうすればいいだけの事でしょう!」
「出来る訳がありません、私はただの使用人で……!白哉さまには玖珂家のお嬢様との婚約が進んでいるのに……!」
 両手で顔を覆いながら、緋真は泣き崩れた。足の長い絨毯の上に力尽きたように倒れこむ。
「出て行かなければならないのは解っていました、私はあの方の……白哉さまへの想いを断ち切れない。離れなくてはいけないと解っていました、でも……出来なかった。一緒にいられなくても、お姿だけでも見ていたかった……遠くから、誰にも、あの方……白哉さまにも気付かれずに、遠くからお姿を見るだけでもいいから……離れるなんて、如何しても出来なくて……でもお逢いしてしまえば、私は皆様の迷惑も考えずにあの方を愛してしまう……だからあの方に嫌われたかった……あの方の愛情が偽りだったと疑ったことは一度もありません、名前を偽っていた理由もその通りなのでしょう。だからこそ……私のような者が白哉さまを愛してはいけない。私のような者を白哉さまが愛してはいけないのです。だから……!」
 酷い言葉を白哉に投げつけ、頑なに逢うのを拒み謝罪を受け入れず―――そんな態度を続けていれば、いつか白哉の想いは憎しみに変わるだろうと―――
 激昂していた檜佐木の雰囲気が一瞬で通常のそれに戻った。小さく溜息を吐く檜佐木を、緋真は涙に濡れた目で見上げる。
「貴女が上埜門に襲われた理由は調べました。今日、部下を使い上埜門に直接聞きましたから。―――白哉さまの個人情報を盗む手伝いを拒絶したのと、貴女との写真を流されないようにするためですね?つまり貴女は―――事実を知った後でも、白哉さまを護ることだけを考えていた」
 感情の昂ぶりは緋真の身体から抵抗を失わせていた。床に崩れるように座り込みながら、緋真は言葉もなく項垂れる。
「私が歯痒いのは、何故貴女は白哉さまを信じなかったかということです……あの方は貴女を護る為ならば、どんな事も苦もなく為さるでしょうに」
「だからこそ……私の存在は、白哉さまのご迷惑にしかならないのですから……」
「貴女がいないから、白哉さまはこうして怪我をされたんですよ」
 貴女が傍にいれば、白哉さまは強い。けれど貴女がいなければ、こんなにもこの人は脆い―――。
 その檜佐木の言葉に、緋真はただ涙を流し続けるしかない。
 あまりにも世界が違うのだ。
 何故、白哉が自分を愛したのかわからない。何故惹かれあったのかわからない。
 涙を流し続ける緋真の耳に、微かに布の擦れ合う音がした。
「緋真」
 びくんと緋真の身体が震えた。途方に暮れたように、寝台の上で自分を見詰める白哉を見、檜佐木を見上げる。
 白哉は真直ぐに緋真を見ている。薬の影響は緋真を見た喜びで消えたのだろう、その瞳に茫洋さは欠片もない。
 そこにいるのは檜佐木の見慣れたいつもの白哉、緋真が目にした変わらぬ「檜佐木」だ。
「傍に」
 囁く檜佐木の声に一瞬躊躇いながら緋真は立ち上がり、白哉の元へ震える足取りで近付く。
 白哉の視線が緋真を追う。探し物をようやく見つけた安堵の瞳で。
「―――ずっと謝りたいと―――思っていた」
 記憶の中の声と変わらない優しい声―――その声を聞いた瞬間、自分がどれ程この声に焦がれていたかを緋真は知った。
「許してくれるとは思っていない。ただ―――お前を傷付けた、だから私はお前に謝りたかった」
 すまない―――そう、大きな声は出ないのだろう、少しかすれた声で緋真に言う白哉の前で、緋真はぽろぽろと涙をこぼした。
「謝らなくてはいけないのは私の方です……」
 ようやくそれだけを口にして、緋真は子供のように泣き出した。ごめんなさい、ごめんなさいと何度も呟きながら泣き続ける。
「緋真……」
「ごめんなさい、私、白哉さまが好きです……ごめんなさい、好きなんです……」
 音を立てずに檜佐木は寝室から出て行った。扉を閉める直前、泣きじゃくる緋真を抱きしめる白哉の姿が見え静かに微笑む。
 怪我は腕に銃弾が貫通―――重症だが生命に危険はない。
 殊更緋真に被弾した部分を言わなかったのは、勿論檜佐木の故意だ。
 緋真の背中を押す為に。
 白哉を失うかもしれないという恐怖―――その恐怖を前にして、緋真ならば恐慌するのはわかっていた。白哉を失うという恐れ、怯え―――それを前に自分にも他人にも嘘を吐き続けられるはずもない。
 檜佐木の思惑通り、麻酔の切れかけた白哉の前で、緋真は本心を吐露して自身を囲っていた鎧を外さざるを得なくなった。
 ―――これで白哉も緋真も、今夜から眠ることが出来るだろう。
 そして自分も―――安堵の所為で急激に襲い来る睡魔に対抗すべく、檜佐木は大きく伸びをした。


 ―――時刻は夜の11時。
  






























 翌日、部屋に現れた檜佐木の前で、白哉はベッドの上から檜佐木に礼を言った。袖口から除く白い包帯の痛々しさとは反対に、その表情は穏やかで落ち着いている。
 あの後、緋真を部屋へと送る為に頃合を見計らって寝室に入った檜佐木は、白哉が完全に復調したことを知った。
 出血の所為で顔色は白いが、今日の昼のような虚無感は何処にもない。
 白哉のベッドの横に座っていた緋真が、退出する為に立ち上がる―――その腕を引いて「また明日」とごく自然に口付ける白哉に微笑み、真赤になる緋真に何も見ていない振りをして部屋へと送っていった。
 今、白哉はベッドの上に上体を起こして本を読んでいる。暫く左手は動かせないので、当分白哉はこの屋敷にいるだろう。
「―――良かったですね」
 緋真との関係修復にそう祝辞を述べると、白哉は僅かに表情を曇らせた。まだ懸念材料が、と眉を顰める檜佐木の前で、「これは私への罰なのだろうな」と白哉は重い溜息を吐く。
「如何されましたか?」
「緋真が―――緋真と口付けをした後、緋真は決まって私を『檜佐木さん』と呼ぶ。咄嗟に出てしまうのだろう……」
 苦しそうに、悔しそうに白哉は言う。
 愛を込めて口付けた後に他の男の名前を熱に浮かされた声で囁かれたら、それはとても―――白哉にとって辛いだろう。
「自業自得ですよ、それは」
「……はやく私の名前を呼んで欲しいものだ」
 悩ましげに真剣に呟く白哉から隠れるように檜佐木は笑う。
 そして、白哉の為の治療薬を取り出す―――白哉の一番の薬になる緋真の、南棟勤務が決まったことを告げた。
 





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