身を強張らせたのは一瞬の事―――ルキアはすぐに恋次を庇うように恋次の前に立ち、白哉を真直ぐに見つめる。
 恋次を護る、という強い意志で白哉を見つめるルキアの姿を、白哉は何処か、酷く懐かしそうに見つめていた。
 その視線にルキアは戸惑う―――口にしかけた言葉を飲み込み、しばらく兄と妹は無言で見つめ合う。
「―――こんな場所にお前が足を運ぶ必要は無い」
 薬で眠っているはずのルキアが入室不可能なこの部屋にいる事には何も触れず、白哉は静かにそうルキアに話しかけた。
 変わらず、白哉の声は優しい。
 背中に庇う恋次の惨状、このあまりにも酷い傷を負わせた―――直接的にではないにしろ、命じたのは紛れもなく白哉本人だろう―――人物だとは思えないほど、その声は優しく、静かだ。
「この者の始末は私がきちんとつける。お前が心を痛める必要は無い―――この者の犯した罪は万死に値する行為。お前を誑かし、何も知らないお前を唆した―――」
「違います!」
 鋭く遮ったルキアの声に、白哉の表情がすうと消えた。
 その無表情を、ルキアは見ている―――白哉に見つかったあの日、あの時に。
「私は誑かされても唆されてもおりません。全ては私の意思、私の想い。―――兄様。恋次が私を見つけるよりも先に、私は恋次を見つけ……愛しました。誰の思惑も介入しておりません。純粋に、私は恋次を愛し―――恋次は私を愛した」
「―――お前は少し疲れているようだ。少し休みなさい。それからゆっくりと話し合おう」
「いえ、私は疲れてはおりません。話し合うのでしたら、今」
 ルキアの背後でじゃらりと重い金属の音がする。
 縛められ、傷付けられた身体を起こし、恋次はルキアに「逃げろ、ルキア」と―――苦しそうに、しかしはっきりと口にした。
「逃げろ、ルキア」
 何も出来ない己に唇を噛みながら、朱に染まった身体で、恋次はルキアに言う。
「大丈夫だ、恋次。私の話を聞いていただければ兄様は解ってくださる。たった一人の家族だ―――私のたった一人の」
 出来るならば―――祝福して欲しかった。
 たった一人の血の繋がった兄だ。心を込めて話せばきっと解ってくれると、ルキアは信じていた。自分が今まで受けてきた白哉の愛情、それは間違いなく真実だったのだし、自分が兄へ向けていた愛情もまた真実だったのだから。
 確かに自分は恋次を選び愛した―――けれどそれで、兄への愛が無くなった訳ではない。変わらず兄を愛している。だからこそ、ルキアは兄の恋次への誤解を解き、恋次を解放しなければならない。
 哀しいほどに―――ルキアは純粋だった。
 純粋で、無垢で、清廉―――哀しいほどに。
「兄様」
 真摯にルキアは話かける。自分の想いを込めて、恋次への愛を込めて、白哉に向かう。
「私は恋次を愛しております。一目見たときから心を奪われました。名前も知らない恋次を捜し求めて、ようやく逢えたのです。そう、初めて逢ったときに私は『やっと逢えた』と―――そう、思いました。朽木と阿散井の確執も勿論承知しております。それを承知の上で、私は恋次に惹かれました。恋次も私を愛してくれています―――兄様が私を愛する以上に。決して唆されたわけでもなく、誑かされたわけでもなく、私たちはただ―――朽木も阿散井も関係なく、ただ出逢い、互いに『ようやく逢えた』と感じ、そして自然に、私たちは愛し合いました。―――恋次の全てを愛しています。私の全てを恋次は愛しています。私たちはもう離れて生きていけない。―――朽木と阿散井の名前が問題なのでしたら、私たちはそれを捨てることも厭いません。―――けれど、兄様。私は兄様を愛しています。たった一人の兄様、私を育ててくれた兄様。私に惜しみない愛情を注ぎ、今日まで見守ってくださった兄様―――あのとき、死んだも同然の私を生き返らせてくれたのは兄様。いつも私を気遣ってくださった兄様。私は兄様を愛しています。恋次とは違う愛ですが、私は兄様を愛しています。その兄様の元を離れるのは辛い。その兄様に厭われるのは苦しい―――だから、私は兄様に許していただきたいのです、どうしても」
 祈るようにルキアは両手を組み、自分を見下ろす黒い瞳を見上げ、心を込めて願う。
「恋次と私をお認めください。どうか―――どうか」 
 無表情だった白哉が、ふ、と穏やかに微笑んだ。ルキアに近付き、両手を組むルキアのその手に、上から包み込むように己の手を重ねる。
 その白哉の優しい表情に、ルキアの顔が希望に輝いた。
 ルキアの手に重ねられた白哉の美しい手は、やがて右手が上がりルキアの頬に触れ、愛しげに撫で、包み込む。
 その動きに違和感を感じ、ルキアの顔から安堵の表情が消える。
 触れる手のぬくもり。
 動く、確かめるようなその手の動き。
 今までに無い、何か―――別のもの、何かが潜んで、底に孕んでいるような―――そんな、違和感。
「私もお前を愛している―――お前が生まれる、ずっと前から」
 黒い瞳はルキアを見下ろしているにもかかわらず―――ルキアの向こうの、別の何かを見ているような、そんな視線で―――白哉は言う。
「ずっとお前を見つめ続けていた。初めて逢ったあの日から―――あの月の夜、お前の歌声を聴いたそのその瞬間から。12年前―――あの、思い出すのも辛いあの日―――お前が消えても、私はお前が必ず戻ると信じていた。お前の言葉、『いつまでも私は白哉さまのおそばに』という言葉を信じていた。……そしてお前は約束通り、再び私の前に現れた。あの瞬間の歓喜は忘れない。もう一度やり直せると……もう一度最初から。お前は神が私に遣わせた奇跡。……愛している―――愛している。永遠に。お前がどんな名前でも、お前である限り私はずっと」
「―――兄様?」
 白哉の言葉の意味が全く解らずに、ルキアは戸惑うように目の前の白哉を見上げた。黒い瞳―――熱を孕んだ、深い深い闇の色。
「お前の全ては私のものだ。私の全てがお前のものであるのと同じように。出逢ったのは私とお前、愛し合ったのは私とお前。世界が終わっても私はお前のもの、世界が終わってもお前は私のもの。愛している、お前だけ。お前がいるからこの世界が在る―――お前のためだけに生きている。私とお前、それこそが正しい世界。そこに介入する邪魔な異分子は―――消去しよう。お前の記憶から、そして世界から」
 白哉の言葉、その言葉の一つとてルキアには理解できなかった。白哉が何を言っているのか全くわからない。茫然と見上げるルキアの瞳に闇の色が広がる―――黒い、静かな瞳の色。どんな色をも飲み込んでしまう深く暗い闇の色。
「―――愛している、お前だけを」
 唇が―――重なった。
 優しく圧倒的な力で、白哉はルキアの頭を抱え寄せ唇を重ねる。
 唇を割り這入り込む舌に、自分の舌を求めて蠢く熱い動きに、茫然としていたルキアはようやく我を取り戻した。
 突き飛ばそうとした両手を掴まれ、更に深く口付けられた。逃げようとする身体は、腰に回された手で身動きが取れない。
 普段の物静かな白哉からは想像も出来ないほど、それは激しい行為だった。舌を絡め、離し、再び口付ける。焦がれるように、渇望するように、ルキアの唇に唇を重ね、狂おしいほどの熱さでルキアを求める。
 突然白哉が唇を離した。
 その瞬間に、ルキアは白哉の身体を突き飛ばし間を取る。蒼白になりながら恋次に縋りつくルキアを見つめる白哉の唇から、深紅の血が一筋流れ落ちた。
 無言で見つめる白哉の前で、ルキアは唇を拭っていた。その紫の瞳に宿る、明らかな感情―――嫌悪感。
 今まで向けられたことの無いルキアのその視線を受け、白哉はルキアの付けた傷に触れる。
 白哉の瞳の闇の色が深く―――暗く、変化した。
「―――逃げろ、ルキア」
 先程と同じ言葉を、先程の比ではなく緊迫した口調で恋次は言った。
「逃げろ、ルキア。今すぐこの部屋から出るんだ」
「でも、恋次―――」
「俺の事はいい。早く―――速く!」
「―――何故、お前はその男の元にいる?」
 静かな声―――幼い頃から聞きなれた美しい声。
 その声がこんなに恐ろしいと―――ルキアは初めて知った。
 この美しさは氷の美しさだ。
 冷たく、凍りつくような。
 目の前で狂い始める世界の在り様に、ルキアは怯え恋次に身を寄せる。
 そのルキアの姿と、動けず傷付いた身体にもかかわらずルキアを護ろうと白哉を火のように見つめる恋次の姿に、白哉は―――狂っていく。 
「お前が誰のものなのか、お前自身と―――そこの戌に教えなくてはならぬようだ」
「兄、様……?」
「お前は私のものだ。私だけの。―――他の誰にもお前は渡さぬ」
 何故か震え出す身体を自身で制御できないまま、ルキアは壁に繋がれた恋次の傍で怯えていた。恐怖に竦む身体を、恋次の傍に寄り添うことで勇気を取り戻そうと試みる。
「逃げろ、ルキア!!!」
 恋次の血の吐くような叫びと共に、白哉の手がルキアへと伸びた。
「……っ!」
 引き摺り倒され、ルキアは小さな悲鳴を上げた。石造りの冷たい床に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まる―――その上に白哉が覆い被さった。
「に……兄様……?」
 まだルキアは信じていた―――兄の愛情を。自分に向けられていた白哉の愛情を。家族として、妹として愛してくれていた白哉の愛を。
 そのルキアの心が、悲鳴を上げた。
 明らかに性的な目的を持って白哉の手がルキアの身体を弄り―――胸元を大きく押し広げ、白い明かりの中に浮かび上がった自分の肌の色に、ルキアはようやく、白哉が自分に向けていた愛情が、自分が兄へと向けていた愛情と違うことを知った。
「や……いやああああ!!!」
 渾身の力で抵抗しだしたルキアを白哉は難なく捻じ伏せる。暴れる両手を片手で床に押さえつけ、背ける顔を右手で押さえ唇を重ねる。拒む唇を舌で抉じ開け、口内を探り舌を絡ませ唾液を求める。
「厭、触らないで!」
 その瞳に宿るのは―――嫌悪感などとは比べ物にならない程の拒絶。
 憎悪、怒り。
 そのルキアを目にし、白哉の瞳に理性が戻った。いつもと同じ、冷静な瞳―――冷酷な、瞳。
「手前ルキアを離せ!下衆野郎、ふざけんな手前!!その汚ねえ手をルキアから離せ!!」
 その声に、ルキアは助けを求めるように恋次、と呼んだ。全てを委ねるような、心を預けたようなその声音。
 白哉の唇に笑みが浮かぶ。―――暗く美しいその笑顔で、白哉は言った。
「この者の目の前でお前を抱こう」
 優しく甘やかすように白哉は言う―――残酷なその言葉を。
「そして思い出すが良い―――お前が私のものであるということを」
 逃れようと身を捩るルキアを組み伏せ、白哉はルキアの胸に顔を埋める。自分の胸、その頂を口に含まれ、そこに触れる舌の熱さにルキアは絶叫した。
「いや、いやあっ!恋次、助けて恋次……っ!いや、こんなのいや、助けて、助けて恋次、恋次!!」
「止めろ―――手前!!ルキアを放せ!!」
 己を縛める鎖を引き千切ろうとする恋次を白哉は冷たい視線で見据え、ルキアの身体から身を離した。そのまま恋次へと歩み寄ると、睨み据える恋次の目の前でゆっくりとネクタイを外す。
「そこで黙って見ているがいい」
 白哉の手が恋次の額に伸びる。
 次の瞬間、白哉は躊躇なく無造作に、勢いよく背後の壁に恋次の頭を叩きつけた。
 ガツっ、という耳を覆いたくなるような音が響き渡る。
 白哉の背後で、ルキアの悲鳴が上がった。
 恋次、と叫ぶルキアの声も届かず、ずるりと恋次の身体は力を失う。その項垂れた頭を無造作に引き起こし、白哉は恋次の口にネクタイを巻きつけ言葉を封じた。
「さて、起きろ、戌―――」
 深紅の髪を掴み、白哉は恋次の顔を殴りつけた。その衝撃に恋次の意識が戻る―――朦朧とした紅い瞳は、目の前の白哉の顔を認識した途端、一気に鋭いものへと変化する。
 その、視線で人が殺せるならば一瞬で呼吸が止まっていただろう程の殺意を受けても、白哉は全く動じることなく恋次に背を向けた。
「―――っ」
 自分に向かう白哉の姿に、ルキアはふらつく足を踏みしめ立ち上がった。必死に兄から逃れようと逃げ場を捜す―――けれど。
 この閉ざされた世界に―――逃げ場など、ない。
 ただの広い空間でしかないこの地下室に、ルキアの逃げる場所など無かった。
 もとより、恋次を置いて逃げることなどルキアに出来るはずもなかったのだ―――最初から、白哉がこの部屋に現れた時点で、ルキアに逃げ場など何処にもなかったのだ。
 白哉の手が、背後からルキアの手首を掴んだ。冷たく熱い手。その手に捕らえられ、ルキアは悲鳴を上げた。もう、恐怖しか感じられない。その手が自分を抱き上げ、恋次が縛められた壁の前へと連れて行き、その目の前の床に押し倒し、首の釦を外し更に胸を押し開き、明らかな意図を持って胸に触れ―――膝の裏に手を添え高く持ち上げるのを、ルキアは悪い夢を見ているように、現実感なく見つめていた。
 無理矢理高く掲げられた足の間に這入り込む手が、ルキアの下着に触れる。
「いや、兄様……何、を」
 白哉の手が、ルキアの下着を一気に引き裂いた。
 触れる空気の冷たさに、ルキアはこれが現実だと悟る。
「嫌、厭っ!!助けて恋次、恋次!!」
「―――何故その名を呼ぶ?」
 ルキアの目からあふれる涙を拭い、白哉はルキアを見下ろした。穏やかな声、今までルキアしか聞いた事の無い優しい声―――その優しい響き故の、白哉の狂気。
「お前が愛しているのは私だというのに」
 白哉の熱が、ルキアの―――恋次しか触れたことの無いその場所に触れる。
「―――いや」
 震える声で、ルキアは懇願した。もう、ルキアに出来る事はそれしかなく―――黒い瞳を見上げ、ルキアは請う。
「やめて―――兄様。お願い、にいさま―――やめて」
 闇の色が自分を包む。
「お願い、にいさま…………―――っ!!!!!」
 ルキアの身体は―――引き裂かれた。






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