夜の闇は海の底。
頭上の星は波の煌めき。
貴方の胸の、鼓動は潮騒。
貴方がくれる、吐息は漣。
「ん……」
触れられた部分に、頭で感じるよりも早く身体が反応して甘い声を上げた。
シーツの波に身を委ねて、ルキアは自分の肌に触れる大きな手を目を閉じて受け入れる。
やさしくやさしく、少しでも強く触れてしまったら壊れてしまうような―――大きな手はそんな繊細さでルキアの肌に触れていく。
頬に触れ、ルキアの身体の線を辿り、腰まで到達した時に恋次の手はルキアの細い腰へと回された。抱き上げるように僅かに浮かせたルキアの腰、そのまま覆い被さるように喉元に口付けを落とし、白い肌に紅い花を咲かせていく。吸血の魔性が少女の首筋に牙をたてるような、そんな体勢―――けれど恋次の行為はひどくやさしい。
耳朶を甘く咬み、うなじに触れ、左手はルキアの腰を支えながら右手はルキアの髪を優しく撫でる。ただそれだけのこと……ルキアが特に敏感な部分には何処にも触れていないというのに、ルキアの身体は小さく震えていた。
白い波間に浮かぶルキアの足は、先程までは真直ぐに投げ出されていたのが、今は軽く曲げられ恋次の動きに合わせてぴくんと反応している。小さな手は波に流されないようにとシーツを握り締めていた。
唇に、触れるだけの軽いキス。
すぐに離れていく唇に、普段恋次がよく見せる、ルキアを焦らせるための意地の悪さは見えず、ただ恋次は愛しげにルキアの全てに触れていく。
何もかもを愛おしく感じながら。
やわらかな刺激。
一気に追い詰められる激しさとは違う、穏やかに緩やかに追い詰められていく―――激しさ。
寄せて返す波のように、絶え間なく、静かに、穏やかに―――圧倒的に。
漣のように、指で、唇で、吐息で触れて―――。
ゆっくりと海の底に沈んでいく感覚。
気が遠くなっていく、その瞳に映るのは頭上の星―――波の煌めき。
恋次の与える穏やかな優しい刺激に流され、ルキアの身体は夜の闇へと―――海の底へと沈んでいく。
誰もいない海の底。
静寂だけが支配する。
吐息は泡となって宙へ還る。
「れ、ん、じ……」
白い腕を差し伸べて、ルキアは恋次の首に両手を回す。空へと連れて行って欲しいのか、底へと堕として欲しいのか―――海に沈めて欲しいのか、ルキアは自分でもわからないまま、うっとりとその目を見開いた。
紅い髪……紅い瞳。
この世の何よりも美しい深紅。
この世の何よりも愛しい真紅。
「連れて行って―――何処でもいい、から」
海の底でも、宙の果てでも。
お前がいる、ただそれだけでいい―――から。
「連れて行って―――ずっと傍に、いて」
交わした瞳―――交わした約束。
そしてルキアは恋次が自分との約束をたがえることは無いと知っている。
言葉で縛って―――雁字搦めに拘束して、永久に永遠に永劫に―――離れないように。
天に祈り。
時に願い。
未来に―――請い、
未来に、恋い、焦がれる。
「恋次……」
甘くかすれた声で呼ぶ、愛しい人の名前。
「……恋次」
自分の内部にゆっくりと侵入する熱い焔に、ルキアは小さく声を上げた。
「あ……!」
熱い焔がルキアの身体を解かしていく。身体だけではなく思考も溶かして、熱に浮かされて―――ルキアは恋次にしがみつく。
繋がった部分から、熱い何かが全身を駆け巡る。恋次の動きは決して激しいものではなく、普段に比べればひどく静かな動きで、いたわるように優しく、まるでルキアが脆いもののように静かに己を侵入させていく―――そしてそれがルキアの感覚を鋭敏にさせていた。
愛されていると、心から感じられるこの行為。
絶え間なくあらゆる場所に恋次は唇を落とし、優しく名を呼ぶ低く甘い声に、ルキアは身を震わせる。
溶ける、と―――ルキアは頭上の星を仰ぎ見て思う。
海に―――溶ける。
ゆるやかに揺籃って、心地好い波に揺られ―――まるで羊水に浮かぶ赤子のように。
何処よりも安全な場所、何処よりも幸せな場所。
ゆっくりと深く、奥まで―――恋次はルキアの内部へ挿入る。
ん、とルキアの唇から甘い声が零れる。
ゆっくりと静かに―――恋次はルキアの内部から熱を引き抜く。
あ、と切なそうな声をルキアは上げる。
焦らすのではなく、確かめるように恋次はルキアを愛し、ルキアも恋次の気持ちが解る故に一層の幸福感を味わった。
夜はいつか明けてしまう。
朝が来るのは望まない。
音も時も無い、世界と切り離されたこの硝子の筐の小さな空間、それだけで充分だった。
朝なんて要らない。
時なんて知らない。
世界は何の価値もない。
必要なのはただひとり。
「アイシテル……愛、してる」
大切なものも、ただひとり。
再び恋次の熱がルキアの内部を焦がす……徐々に溶けて、輪郭が朧になった己を感じながら、ルキアは恋次に手を差し伸べる。その手を掴み、手首に口付けを落とし、指に口付け、恋次は指を絡ませた。
自分の中を行き来する熱さ、その熱さを閉じ込めたくて、ルキアの内部は無意識に収縮する。
はあ、と熱い吐息が零れてルキアは恋次の腕に爪を立てる。
何度繋がっても、もっと、と思ってしまう。恋次を知り尽くしたい、全てを感じ取りたいという―――慾。
自分の心も身体も捧げた相手。
自分に心も身体も捧げた相手。
「恋次……!」
小さく上げた悲鳴は、高みへと誘うルキアのサイン。
そのルキアの望み通りに恋次の動きは徐々に速さを増し、その動きに合わせてルキアの唇から喘ぎが洩れる。間断なく発せられるその甘い声に、見下ろす恋次の顔に優しい笑みが浮かび、汗に張り付いたルキアの前髪を愛しげにかき上げた。
「あ……!」
身を反り返し絶頂へと達したと同時に、内部に放たれた熱い熱を感じ取ってルキアは微笑み、両手で頭上の恋次の頬を挟んで引き寄せる。
やわらかく唇を重ね、ゆるやかに舌を絡めせ、幸福な恋人達の頭上に―――
真円の月。
ふと目が覚めたルキアの目の前に恋次の顔がある。
深く寝入っているのが解る端正な顔。
その寝顔に見入りながら、ルキアは暗闇の中で唇を噛んだ。
もうすぐ夜が明ける。
再び世界が始まる。
再び時が動き出す。
朝など要らないと、夜明け前にはいつも思う。
独りの時間、その時間はルキアにとって死んでいるのも同じ事。
太陽の出ている時間は嫌いだ。
恋次がこの部屋にいないから。
月の出ている時間が好き。
恋次が傍にいてくれるから。
この部屋に囚われているのは自分ではなくて、本当は恋次なのだろうとルキアは思う。
自分が恋次を捕らえてる。
本当ならば、この部屋から何処にも行かせたくはない。
自分の傍から離さずに、自分が傍から離れずに。
独りの時間をルキアは恐れる。
何故なら―――独りの時間は長すぎて。
考えないようにしている物事が、否応無くルキアの前に現実を突きつける。
少しでも恋次の帰宅が遅いと不安だ。
少しでも恋次と離れているのが不安だ。
捜シテル。追ッテイル。見ツカッタラ、追イツカレタラ、引キ離サレタラ、ソレヨリ何ヨリ―――恋次ノ身ニ何カ危険ガオヨバナイカ。
朽木の名は、捨てた。
兄には申し訳ないと―――思う。こんな言葉は何の許しにもならないことも知っている。あの優しい兄を裏切り、自分は恋次を選んだ。他の何よりも誰よりも、ただ一人、阿散井恋次を選び取った。
その事に後悔はない。後悔はない―――が。
突然姿を消した自分を、兄は全てを置き血眼で捜しているだろう。阿散井との関連も勿論―――疑っているだろう。
だから―――離れたくはなかった。
万一見つかったとしても―――最悪、見つかったとしても。
自分が居れば、恋次に危害は及ばない。
自分が盾になれば、恋次に危害は及ばない。
「―――どうした」
恋次の目が開いて、ルキアを見つめている。暗闇の中でも見える、優しい瞳。
「何も」
ルキアは微笑んで、恋次の胸に顔を埋める。自分の身体を抱く恋次の腕に身を任せて、ルキアは恋次へ身を摺り寄せた。
―――今は何も、考えたくない。
今があれば、それでいい。
先の事は―――考えない。
それが逃避であっても。
それが何の解決にはなっていなくても。
ただ、今はこの幸せに溺れて。
海の底に二人―――沈んでいたい。
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