子供のように、恋次の胸目掛け身体ごと飛び込んでくるルキアを受け止め、恋次は「ただいま」と笑いながら抱きしめた。
「今日は遅かったな」
「ああ、悪い……日が落ちる前に帰るつもりだったんだけどよ」
抱きついたまま離れないルキアを甘やかすように、恋次はルキアの髪に唇で触れる。「そんな場所じゃこの怒りは治まらないぞ」というルキアに恋次は再び笑い、ルキアの望む通りに唇を重ねる。
「それと」
口付けの余韻に赤くなり恋次の胸に顔を埋めるルキアに、右手に持っていた溢れるほどの赤い薔薇を恋次は渡す。途端、甘い香りが部屋中に漂っている事にルキアは気付き苦笑した。自分がこの香りにも花の存在にも気付くことなく、ただ恋次だけに意識を集中していたことが面映かった。
「何故毎日毎日花を買ってくるのだ?それに菓子も」
照れを隠すようにルキアは早口でそう言った。渡された花束はとても大きくて、ルキアの両手で抱えてもよろけそうなほどだ。最上級の、天鵞絨のような赤い花弁が、百本近くルキアの目の前に揺れている。
「もう花を活ける花瓶もないぞ?」
部屋の中のあらゆる場所に瑞々しい花がある。枯れ始めたものを直ぐに除けても、毎日恋次がルキアに贈る花で部屋は直ぐに一杯になり、この家のあらゆる場所に花が溢れていた。
「子供の頃の約束だ」
「え?」
「毎日花とケーキを買って帰る―――そう約束したんだよ」
「私―――が?」
困惑し、やがて哀し気に見上げるルキアに、恋次は「いいんだよ、気にするな」とその額に口付ける。
「お前は間違いなく―――ルキアだよ。記憶がなくても、俺を覚えてなくても―――お前は俺を見つけた」
惹かれあう心が、確かな絆が―――存在している。
すべてを、自分の生命を捨てても言いと思えるほどの激しい想いを、何の記憶もないルキアが自分に対して持っていたこと―――恋次にはそれで充分だった。
「夕飯は食べる?」
「勿論」
恋次の返答に嬉しそうな笑顔を見せ、ルキアは薄いカーディガンを羽織ると、台所へと姿を消した。
この時のない世界で、ルキアは恋次の為に今まで経験したことの無い食事の用意というものを始めている。最初は失敗続きで、今でも決して上手いとは言えない状況だったが、恋次はそれでも嬉しそうにルキアの作ったものを口にしていた。
ルキアが台所で食事を作っている間、恋次は両手一杯の薔薇を持ってリビングから姿を消す。そのまましばらく姿を見せなかったが、ルキアは食事の用意に気を取られ、恋次の不在に気付かない。
ようやく料理の全てをテーブルの上に用意することが出来、ルキアは失敗は無いかと確認する。ようやく確信で来たのか、意を決したように恋次の名を呼んだ。
「恋次、出来たぞ―――恋次?」
「あ、悪ぃ」
部屋の奥から現れた恋次は、上着を脱いだだけで着替えもせずにいた。僅かに不審げにルキアは眉を顰めたが、テーブルの上に並べられたルキアの苦心の作を見て感心したように声を上げた恋次の声に気を取られ、心に浮かんだ疑問は隅へと追い遣られる。
「すげえじゃねえか」
「私とてやれば出来る」
サラダ、前菜、スープ、ワイン、チーズ、パスタ。
それらが形良く皿に盛り付けられ、テーブルの上に準備されている。
蛍光灯の白い光が好きではない恋次に合わせ、間接照明だけが必要最低限だけ燈されているダイニングで、二人は向き合って座った。
「今日は何してた?」
グラスを合わせたあと、ルキアの作ったトマトソースがベースのパスタをフォークに絡ませて恋次はルキアにそう尋ねる。一見マナーを気にする様子の見えない恋次だったが、ルキアの目から見てもテーブルマナーは完璧だ。
恋次の言葉を聞いた途端、ルキアの顔に不愉快そうな表情が浮かんだ。大きな瞳で、真正面の恋次の顔を睨みつける。
「何も」
「何も?」
「そう、何も。わかってるくせに」
何故お前はそう意地が悪いのか、とルキアは令嬢にしては少々行儀悪くサラダを口の中へと放り込む。
「お前を待っていた、それだけだ。一日中、ずっと」
「ふうん?」
にやにやと笑う恋次が悔しくて、ルキアは「嘘吐き」と睨みつける。
「直ぐに帰ってくると言ったではないか」
「だからそれはさっき謝っただろ?」
「昨日だって出かけたくせに。私をずっとひとりにして!」
恋次の買ってくる音楽を聴いても本を読んでいても、一人の時間は長すぎる。
―――二人で居る時間はあっという間に過ぎてしまうのに。
ルキアに詰め寄られた恋次は、グラスを傾けながら「おかしいな」と呟いた。グラスの中のワイン越しに、何かを企んでいる時の恋次の笑顔が、ルキアの目に映っている。
「お前が今日の昼間、暇を持て余さないようにしたつもりなんだけどな」
「え?」
「いや、お前、昼は寝なかったのか?」
「……寝た、けど」
ほら見ろと笑われ、ルキアは顔を赤くして「だって!」と恋次から勢いよく視線を逸らす。頬が染まったのは、怒っているのと恥ずかしさと、それは両方が作用した結果だった。
「お前が悪いんじゃないか!ゆ、夕べから、ずっとあ、朝まで、するからっ!」
「お前が昼の間はずっと寝ていられるよーにだよ」
にやにやと笑みを浮かべて恋次は言う。
夕べはいつも以上に激しく、恋次が煽るまま、幾度も達し理性など欠片も残らず、耳元に囁かれる恋次の言葉に何を言ったのか記憶もない。ただ微かに覚えているのは、何度も焦らされた挙句に、泣きながら恋次をねだった自分の信じたくない程の嬌態だけだ。
自分の口走った言葉に満足そうな笑みを浮かべる恋次に激しく突き上げられ、歓喜の声をあげ何度目かもわからない絶頂を向かえ、そのまま意識を失って―――
あの行為がそんな意味を持っていたことにようやく気付き、またも恋次の思うままに踊らされていたことが悔しくて、ルキアは怒鳴りつける言葉を探した。
「で、でも!昼にたくさん寝たら夜に寝られないじゃないか!」
「丁度いいだろ、どうせ夜は寝させねーし」
さらりとそんなことを言える恋次に対抗するには、ルキアはまだ場数が圧倒的に足りない。頬どころか首まで真赤に染まって、何も言い返すことが出来ずに口篭る。
狼狽するルキアを見ながら、恋次はくくくと喉を鳴らして笑った。ルキアをからかって楽しんでいることは明白だったので、ルキアの機嫌は更に悪くなる。
「ああ、でも明日はずっと一緒に居られるぞ?」
「え?」
「明日の分は今日一日で終わらせてきた。明日は一日オフだ」
兄の仕事量を知っているルキアには、恋次の忙しさも想像できた。飾りだけの後継者でないことは間違いないし、家にいる間もパソコンに向かって何かを打ち込んでいる姿は良く見かけていた。その時の表情は自分の存在を認めていなかった頃の恋次と同じで、ルキアは何となく近付けない。
読む新聞の量もチェックするデータの量も目を通す書類の数も、驚くほど多い。
「……いいのか?」
「勿論。お姫様のお望み通りに」
少し膨れたルキアの表情は、恋次のその一言でかき消された。
―――今日の夜から明日の明後日の朝まで、誰にも何にも邪魔されない。
二人の―――二人だけの、時間。
ルキアの世話を、恋次はひどく焼きたがる。
洋服を着るのも、髪を梳かすのも、そして風呂に入ることも全て恋次の手に委ねているルキアは、今も恋次の手で服を脱がされながら「大変だ」と笑う。
「このままでは、私は自分の事は何も出来なくなってしまいそうだ」
「いいんだよ、お前は何もしないで」
恋次はカーディガンを脱がせると、今度はルキアの前に跪き、その小さな足を手に取りストッキングを脱がせていく。
普段ならば、この後背中のホックを外しファスナーを下ろし、全裸になったルキアを抱き上げて浴室に行く恋次が、今日はそこで終わってしまった。いつもと違う恋次のその行動に、ん、と恋次を見下ろしたルキアは、そのまま抱き上げられて小さく声を上げる。
「な……っ!」
抗議の声を無視して、恋次はルキアを抱き上げたまま浴室の扉を開けた。
途端、あふれるほどの花の香り。
広い、小さな噴水ほどの大きさのあるバスタブに浮かぶ数え切れない赤い花弁。
香りと色彩と、どちらにも等しく驚き目を見張るルキアを腕に抱き、恋次は無造作に湯の中へと足を踏み入れた。
「あ……!」
バスタブに張られた湯は浅い。ゆったりと身体を伸ばして入るために深くする必要はないのがその理由だ。その、大理石で出来た白い浴室の中央に位置するバスタブの中、気付けばルキアは恋次の胸に背を預け、服を着たまま赤い花弁の中で茫然としていた。
「な……何を、お前は」
そんな言葉しか発することも出来ず目を白黒させるルキアに、堪らず笑い出した恋次を睨みつけるために振り返ったルキアの目が、再び驚きに見開かれる。
長く伸ばした赤い髪から雫が落ちている。それを右手でかき上げながら恋次は笑っていた。筋肉質の身体に濡れて張り付く白いシャツがひどく艶かしく映る。女性的ではなく男性的な、色気とも呼べるそれは艶かしさ。
「…………綺、麗」
「気に入っていただけましたか、お姫さま」
赤い花弁ごとルキアの頭から湯をかける。ルキアは「うん」と、恋次に目を奪われながら頷いた。
一面に浮かぶ薔薇の花弁の合間を、ルキアの黒いワンピースがゆらゆらと揺れる。湯をすくって花弁を手の中に収め、そして落として湯に戻す。小さな子供が初めて水に触れたように、ルキアは飽きもせずにその行動を繰り返した。赤い花弁が揺れる。手にすくい、落とし、花弁が水に還る。浴室中にあふれる薔薇の香り。波打つ水の音。
恋次の大きな手が、ルキアの服のファスナーを下ろす。それ自体はもう何度も恋次の手に委ねていることだが、やはり背中の傷を意識するたびにルキアの身体は微かに緊張する。それを知ってか、露わになった白い背中の傷痕に、恋次は唇を触れた。
「天使の羽のあとだな」
一つ一つの傷痕を、恋次はゆっくりと口付けていく。背中に時折触れる舌に、ルキアはくすぐったそうに身を捩って笑った。
「天使は人間に恋をすると、羽を奪われ引き千切られ堕天使になると聞いたのだが」
可愛らしく高慢にルキアは笑う。
へえ、と恋次は呟いて、ルキアの傷を辿り続ける。
「じゃあお前が恋した人間ってのは誰なんだろうな」
「……知ってるくせに言わせたいのだな、お前は」
本当にお前は意地が悪い、とルキアは苦笑する。
もう既に何度も言っている言葉なのに、恋次はその言葉を何度でも聞きたがる。
恋次の腕の中でくるりと身体を回転させて、恋次と向き合い自分を見下ろす紅い瞳を真正面から見つめ、ルキアは言う。
「……愛してるよ、恋次」
重ねた唇は、薔薇よりもなお甘い媚薬。
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少し間があいてしまいましたが、STAYお届け致します。待っててくれました?ありがとうございますー!って誰も言ってないですねすみません。
まあ私が好きで書いてるので…私の二次創作なんてマスターベーションみたいなもんさ。自慰行為だよ。私が楽しいんだ。うふふ。
さあそんな司城の自慰行為だ!楽しんで頂けたら幸いだ!本当に毎度のことながらあとがきで雰囲気ぶち壊しだ!
今回の更新では、お風呂の薔薇と服着て入浴と恋次の「天使の羽根のあと」発言が私のメインです。これは書き始める前の設定段階から存在してまして、STAY設定メモにもちゃんと恋次がこの台詞言ってます。これを言わせるためのルキアの背中の傷設定です。今回ようやく書けてご満悦です(笑)
私は他の人に比べて、くさい演出をするのが大好きだと自覚しております(笑)気障なシチュエーションが大好きだ。リアル世界では引きますが妄想世界では大好物です。
中学の頃友人とノートでリレー小説を書いていた時は、私のあまりにもくさい展開に呆れられ、それ以降過剰な展開のシーンを「ホットチョコレート」と友人たちは呼ぶようになりました…その問題のシーンがホットチョコレート絡みのシリアスなシーンだったんだな…ホットチョコレートとシリアスって。今考えると笑えますが。はっはっはっ。
つまり筋がね入りに好きなんだ。子供の頃から好きなんだ。
という訳で恋次は気障です。すみません。
ルキアはそんな気障な恋次にめろんめろんです。書いてて楽しいです(笑)
ではまた続きで!1ヶ月に1回以上は更新したい。
2007.7.13 司城さくら