「では―――死んでもらう」
慈愛とも呼べる穏やかな笑顔を浮かべ、ルキアは眠る男の眉間に銃を突きつける。
既にスライドは引いてある。あとは引き金に掛けられた人差し指に、僅か力を込めれば―――ルキアは自由の身となる。阿散井恋次の支配の絲から逃れ、阿散井恋次に惹かれる心から逃れ―――自由に。阿散井恋次に逢う前の自分を取り戻せる。
ほんの少しの力、1秒と時間はかからない。引き金を引けば全てが終わる。
―――男の眉間に銃を突きつけたまま、10秒が経過した。ルキアの顔は蒼褪め、身体は小さく震えている。
更に10秒経過する。
ルキアは引き金を引くことはなかった。蒼褪め震えたまま、男に銃を突きつけたまま、唇を噛み締める。
一度閉じた瞼が開く。その瞳に強い意志が漲り、ルキアは大きくひとつ息を吸うと、微かに触れるほどの距離にあった銃口を、男の額にぎりりと押し付けた。
「死ね、―――阿散井恋次」
そうルキアははっきりと声に出し―――またも、数秒……引き金を引くことはなく、ルキアの顔に焦燥が浮かぶ。
「―――早く引けよ」
その声にはっと見下ろすと、暗闇の中に紅玉が双つ、ルキアを真直ぐに見上げていた。眉間に突きつけられている銃口を気にする様子もなく、自分の生命を絶つ凶器に激することなく、恋次は酷く淡々とルキアにそう告げる。
「少し指に力を込めりゃいいんだ。それで全てが終わる。早く引け」
そう言い、恋次は再び目を閉じた。怯えも恐れもなく、再び眠りに着いたような、それは落ち着いた表情だった。ルキアの顔が、更に血の気が引いて白くなっていく―――銃を持つ手も、震えが激しく銃口がぶれる。震える身体が、かちかちと小さくなる歯の音が、静かな月の下、暗闇の中を響き渡る。
動かないルキアに業を煮やしたのか、恋次の手が上がり、引き金に指を掛けたままのルキアの手の上に手を重ねた。一瞬、何故かほっとしたような表情を浮かべたルキアの顔が、次の瞬間一変する―――自分の指に指を重ね、ルキアの指ごと引き金を引こうとする恋次の思惑に気付き―――
ルキアは悲鳴を上げた。
全身の力で、渾身の力で引き金を引かせまいと抗い、恋次の手から銃を奪い取る。そのまま恋次の手の届かない場所へと銃を放り投げ、黒い凶器はからんと音を立てて床に落ちた。
「あ―――あ……」
茫然と床の上の銃を―――自分の手にも届かない位置へと放り投げられた銃を見つめ、そして緊張の絲が切れたように、ルキアは……顔を覆って泣き出した。小さな子供のように、まるで6歳の子供のように、ルキアは小さく声を上げ、涙をこぼす。
「如何して―――如何して?」
子供のように泣きじゃくり、ルキアは言う―――恋次に問う。
「如何して殺してくれないんだ―――お前になら出来る筈なのに。如何して」
私を殺して。
身を切るような泣き声を上げながら、ルキアは恋次の目の前で泣き崩れた。
殺してやりたいと思った。
自分を無視し、自分の目の前で他の女を抱くこの男を。
あの男が他の女を見つめることが許せなかった、自分だけを見て欲しかった。気が狂うほどの独占欲。あの男の瞳も髪も唇も腕も指も視線も心も声も血も涙も、誰にも渡したくはなかった。
全てを自分の物にしたかった。
それ程までに、ルキアの全ては阿散井恋次に奪われていた。心も視線も想いも血も涙も、過去も現在も未来も―――全て、阿散井恋次という男ただひとりに奪われ、支配され、雁字搦めに縛られていた。
忘れられたらどれだけ楽だっただろう―――結ばれるのならば、どれだけ幸せだったことだろう。
けれど、あの男は「阿散井」で―――自分は「朽木」だ。
決して相容れない。
決して許されない。
そして、自分が「朽木」を―――兄を、棄てられるのだとしたら、まだ道はあったかもしれない。
けれど、それも出来ない……全ての記憶を失った自分に付き添い、全てを取り戻してくれた兄。
何時でも妹である自分のことを第一に考え、誰よりも慈しみ、何よりも愛しんでくれる―――ただ一人の兄。
一時は激情に駆られ、兄さえ如何でもいいと思ったこともあった―――けれど。
最後の最後で、兄を棄て、阿散井恋次を選ぶことなど……ルキアには出来なかった。
そして同じく、一時は本気で阿散井恋次を殺すつもりだった。
殺して、阿散井恋次を自分だけのものにしようと―――半ば狂ってしまった思考でルキアは考えていた。朽木を捨てることの出来ない自分、阿散井を捨てることは無いだろうあの男、その男を殺してしまえば、そうすればもう心を惑わされることなく、自分ひとりだけのものとなった男の亡骸に口付けて、そして永遠に阿散井恋次を手に入れられると。
けれどそれは違うと―――気付いた。
自分があの男を殺しても、手に入るのは亡骸だけだ。瞳も髪も唇も腕も指も視線も心も声も血も涙も、何一つ手に入らない―――自分を拒絶した冷たい身体だけ。それだけを残し、阿散井恋次は更に自分を呪縛する―――決して逃れることの出来ない檻にルキアを閉じ込める。永遠に手に入らない心と姿と声を求め、ルキアは永遠に阿散井恋次に縛られ続ける。何をしても、何処にいても、ルキアは自分の手で葬り去った男の姿を、声を、心を求めて彷徨い続ける―――永久に、永遠に、永劫に。
―――それならば。
ようやく答えを見つけてルキアは歓喜した。兄を裏切らず、阿散井恋次の心を―――全てを手に入れる方法。
―――私を、殺して。
阿散井恋次が私の身体を傷つけて、
阿散井恋次が私の身体を引き裂いて、
阿散井恋次が私の心を苦しめて、
阿散井恋次が私の血を流して、
阿散井恋次が私の何もかもを破壊して、
阿散井恋次が私の全てを消滅させて。
阿散井恋次が私の血に濡れ、私の息の根を止め、そして私は―――
阿散井恋次の、決して忘れることの出来ない記憶となる。
凄惨に、考え得る限りの残虐な行為で私を殺して。
永遠にお前の記憶に残るような、そんな方法で私を殺して。
私は最後の一瞬まで、お前の紅い、私を縛り付けて放さないその至高の瞳を見つめ続けていよう。
なんと甘美で、狂おしい誘惑。
私は永遠に阿散井恋次の中で生き続ける。
私を決して忘れることなく、私の存在は阿散井恋次の心を縛り付ける。
だから、どうか。
貴方のその手で。
私の身体を、私の心を引き裂いて―――。
銃口を眉間に突きつける。
生命を狙った存在を、この男ならばきっと容赦はしない。
あっさりと私の手から銃を奪い、そしてその怒りと同じほどの熱さで、苛烈さで―――私の身体を引き裂くだろう。
そのために私はお前に銃を向ける。
「朽木」を裏切ることなく、兄を裏切ることなく、
お前に殺してもらうために、お前の心を奪う為に―――。
「如何して殺してくれないんだ―――如何して」
朽木姓を棄てることもできず、兄を裏切ることも出来ず、けれどお前に対する執着も想いも棄てることのできない自分には、もうこうするしか道はないのに。
子供のように泣きじゃくり、殺して、と何度も呟くルキアを恋次は強く―――強く、抱きしめた。
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今回は短いですがSTAYお届けいたしますー!
これでようやく初めて書いたSTAYに追いつきました。(STAY零でアップしてるものです)
流風(当時は亞兎)の日記に書かれたSTAYを拝見して勢いで書き上げて、流風に一緒に書こうと言っていただきまして連載を初めて…いや、長かった!ここまで来るのに何話?32話?…うわあ(笑)
ここまで来たのに感慨深いものがあります、これで最終回になったときはどんな感じなんだろう(笑)
このV章の後半には、もうひとつ、STAY連載前に書き上げていたシーンが待ってますので、次はそこに向かって突き進むぞう。
毎回書くのを楽しんでます。感想もいつもたくさんいただけて嬉しいです。ありがとうございます!
さて、あまり間をおかずにまたアップできるようがんばります。
ではまたv
2007.6.13 司城さくら