ようやく逢えたのに。
 初めて目にして、再び目にするまで三ヶ月。
 次に逢えるのはいつだろう―――ぼんやりと外の景色を見ながらルキアは考える。
 あの後、会場を後にしてルキアは白哉と二人で時を過ごした。泣かせてしまったとの思いからか、白哉はいつも以上にルキアに優しかった。普段からルキアに甘い白哉だったが、昨夜はルキアの望むままにいつまでも付き合った。普段ならば白哉の身体を気遣い速めに帰宅を促すルキアも、一人の寂しさを忘れるために常になく深夜まで白哉を放さなかった。―――一白哉はルキアと共に服や宝石を見て回り、その場でルキアに着替えさせ夜景の綺麗な場所へと誘った。
 夜景、そして場所を移し降るような星空―――人口の光、自然の光。どちらも美しく、ルキアはようやく笑顔を見せた。そのルキアの笑顔に白哉も微笑む。
 そんな白哉の心遣いを、ルキアは嬉しく―――そして申し訳なく思う。
 あの時涙がこぼれたのは―――この優しい兄よりも、名前も知らない男の方に心があったからだ。
 そして今も―――学校帰りの車の中で、流れる景色を見ながら考えるのは―――あの男のことだ。
 昨日、僅かに見た紅い髪。
 見間違えようのない、他の誰にも身に纏えない純粋な紅。
 次に逢えるのはいつだろう。
 如何したら逢えるのだろう。
 車は静かに進んでいく。真直ぐに屋敷へと向かう車の中で、ルキアはいつもの見慣れた景色を押し殺した溜息と共に眺めている。
 車道の両脇に続く並木道。
 歩道は並木道に合わせた石畳で、無粋なアスファルトではなく上品な雰囲気だ。
 並ぶ店も落ち着いた昔からの建物を利用したもので、この街全体の雰囲気は落ち着いたもので、派手な原色はこの街にはない。
 その一角に、小さな教会がある。
 もう何年もそこにあるその教会は、年数が古さを感じさせない。それは、教会に携わる人々が心と愛情を込めて手入れをしているせいだろう。荘厳さよりも素朴な暖かさのあるその小さな教会が、ルキアはとても好きだった。
 どこか懐かしい気がするのはどうしてだろうか。
 けれどルキアは、懐かしいと感じる故に、その教会に足を踏み入れたことはなかった。
 そういった説明できない感情、記憶にない懐かしさ、それを口にする度、兄の表情が曇るのをルキアは知っていた。
 失くした記憶と繋がっているのだと、白哉は感じるようだ―――そして心配する。何が心配なのかはルキアにはわからない。けれど、兄の美しい顔が曇るのは見たくなかった。
 ルキアにとって過去の記憶は必要ないものだ。
 そこに白哉はいないのだから。
 兄が自分を生き返らせてくれたことを、あの爆発の後、人形になった自分を人間に戻してくれたのが白哉だとルキアは知っている。
 前方から後方へと流れていくその教会を無意識に視界に入れ―――ルキアは突然、背を預けていたシートから身を起こした。
「―――止めろ!」
 ルキアの声に、運転手は驚いたように顔を上げた。バックミラーに映るその真剣な顔に、運転手は異を唱えずそのまま静かに迅速に車を歩道に寄せ停車する。
「ルキアさま?」
 驚く花太郎を無視してルキアはドアを開いた。車道側であるのも気に留めず、そのまま車を降りる。
「ルキアさま、どちらへ?」
「おまえはここにいろ。直ぐに戻る」
「そういう訳には行きません。お供いたします」
 言い合う時間ももどかしく、ルキアは教会へ向かって走り出した。背後で車のドアの閉まる音がする。花太郎も一緒に降りたのだと知って、ルキアは怒りを覚えた。
 無視して歩道を走る。石畳の歩道は、かつかつとルキアの足音を響かせた。
 車の窓から見た教会の前に。
 紅い―――紛れもない紅い髪のあの男が、真直ぐにルキアを見ていた。
 そして、そのまま教会へと入っていくのを―――ルキアは見た。
 何も考えられず、ルキアは走る。
 教会の扉に手を伸ばした。
 この中に間違いなく―――!
 開こうとしたその手は、止めるように掴まれた。
「何をする、離せ!」
「どうなさいました、ルキアさま」
「お前に関係ない!」
 探るような視線の花太郎が―――疎ましかった。
 今、この瞬間を邪魔をする全ての存在を、ルキアは許すことが出来ない。
「退け、花太郎」
「私は白哉さまよりルキアさまの身を護るよう申し付けられております。申し訳ございません、ルキアさまのご命令でも、こればかりはきくことが出来ません。この教会に御用なのですか?」
「―――っ」
 ぎっと睨みつけるルキアを哀しげに見つめ、花太郎は「申し訳ございません」と繰り返す。
「私がまず中へ入り、怪しいもの危険なものがないか確認いたします。それからどうぞお入りください」
「そんなもの―――」
「安全のため、です。何もなければもうお引止め致しません。私が確認しなければ、ルキアさまをこの教会の中へお入れすることは出来ません」
 よろしいですね、と強く見つめられルキアは唇を咬む。それを承諾と受け、花太郎は一人扉を開け、するりと中へ滑り込んだ。
 息を詰める。
 花太郎が中であの男と出会ったのならば―――どう思うだろう。
 自分とあの男とをどう結びつけるだろうか。
 兄様に―――報告するだろうか。
 目の前の扉が、きいときしんだ音を立てて開く。―――何処か気の抜けたような花太郎の姿を見つけ、ルキアは潜めていた息をこっそりと吐き出した。
「―――中に怪しいものはございません。誰もおりませんでしたので―――危険は、ございません。どうぞ」
 ルキアの為に扉を引いて花太郎は言う。
「私は外でお待ちしております。何分ほどで戻られますか?」
「あ……そうだな、30分くらいで戻る。お前は車で待っていろ」
「いえ、扉の外でお待ちしております。誰かが入るようなときは、私も一緒に入りますので」
 それ以上の譲歩はする気がないのだろう、花太郎は「では」と頭を下げる。その横を通り過ぎ、ルキアは小さな教会の中へと足を踏み入れた。
 ―――小さな、本当に小さな教会だった。
 ステンドグラスから光が差し込んでいる。暖かい午後の光が、木で出来た素朴な教会の中を照らしている。正面に祭壇。連なる机と椅子はどれも木の、手作りのような小さなもの。
 ―――教会の中には、誰もいなかった。
 確かにいたと思った紅い髪の男の姿は何処にもない。
 落胆しながら、花太郎に30分は戻らないと言った手前、ルキアは仕方なくゆっくりと祭壇に向かって歩いて行く。
 祭壇も小さな木のもので、頭上に掲げられた十字架の下に、マリア像が置かれていた。慈愛の微笑を浮かべたその女性に近付き、ルキアは小さく溜息を付く。
「―――一体、何処に行けば……逢えるんだ」
「誰に?」
 自分以外の声と気配に、ルキアは弾かれたように背後を振り返った。
 差し込む光を受けて、煌めく髪は―――紅い。
 紅玉を溶かしたような―――焔のような―――
 純粋な紅。
 声もなく立ち竦むルキアの前で、紅い髪の男は微笑む―――優しげに、愛しげに。
「待たせたな」
 手が伸びる―――その手はルキアの髪に触れる。手は髪に優しく触れ、髪から頬へ―――唇へ。
「やっと―――約束を、果たす」
 唇を離れ―――その手は強く、ルキアを抱き寄せる。
「―――逢いたかった」
 私も、と応えようとした言葉は、発することは出来なかった。
 重ねられた男の唇に、ルキアは一瞬びくんと身体を震わせ―――直ぐに身体の力を抜いて男に身を委ねた。
 戸惑うように上げられた両腕が男の背中へと廻り、震えながら抱きしめる。
 初めて交わす口付けと、それが与える熱さに、ルキアの気が遠くなる―――あまりにも官能的な、それ。
 ようやく出逢えた喜びに、ルキアの目から涙が零れ―――その涙も、男の口付けの甘さに自分で気付くことは無かった。
 ただ、相手を求め、夢ではないと確かめるように何度も唇を重ね合わせる。
 午後の光の中、二人は祭壇の前で抱き合い口付ける―――
 それは、いつかと同じ、誓いの口付けに似ていることを、ルキアは知らない。
 心を満たす幸福感、それに酔いしれ優しいキスを受け入れる。
 やがて唇が離れ―――初めての経験にルキアの頬が紅く染まり、それを自覚して、あんなにも焦がれた男の顔を恥ずかしさに見つめることが出来ず、ルキアは男の胸に顔を埋めた。自分を抱きしめる腕の強さと暖かさ、感じる鼓動と体温に、自分の心の欠落を取り戻したようなそんな安心感にルキアはうっとりと目を閉じる。
「―――ルキア」
 耳元に囁かれる自分の名前、官能的なほどの甘く低く響くその声に―――……
 ルキアは息を呑んだ。


『お前に必要以上に近付く者―――相手が男であれ女であれ、それには注意するように。決して心を許すな』
『私を攻撃するのに一番有効な事―――それはお前を傷付けることだ。ルキア、お前は私がこの世で唯一愛する者なのだから』


 自分の全ての力で男の胸を突き飛ばして、ルキアはその腕の中から逃れ出た。
 ルキアの突然の行動に男は驚いたようにルキアを見る―――その男を見返すルキアの瞳は、怒りに燃えていた。
「ルキア―――?」
「何故私の名を知っている」
 先程までの幸福感は既に何処にもない。
 今胸にあるのは―――怒りと哀しみ、裏切られたという―――絶望感。
「私を調べたのか―――私が誰かを調べ、その上で逢いに来たのか。私が朽木ルキアと知って―――だからお前は」
 他の者達と同じように。
「朽木」の人間だから、近付いたのか。
 もしくは―――
 兄を傷付けるために。兄の生命を狙うために。
 どちらにせよ―――この男は。
「最初から―――仕組んだものだったのだな」
 出逢いも。
 想いも。
 全て―――


 偽りだ。


 何もかも、この男の計画。
 それに嵌った私は―――!!
「ルキア、如何し―――」
「触るな!!」
 差し伸ばされた手を、思い切り払い除けた。
 想いが深かっただけ、心を奪われた分だけ―――裏切られたという、絶望は深かった。
「貴様―――何が目的だ。お前の背後に誰がいる?私を誑かせと命じられたか、それともお前自身の計画か?私を騙し取り入って―――兄様の生命を狙うつもりか。私の兄様を。あの美しい人を。私の―――愛する人を、私の存在する意味の全てを」
 やはり―――自分には兄しかいないのだと痛感した。
 無条件に自分を愛し、護り、慈しんでくれるのは兄だけだと。
 それなのに、他の男に心を動かした自分の愚かさにルキアは唇を噛む。
「兄様を傷つけようとする者は―――私の敵だ」
 ルキアの激しい怒りを―――目の前の男は最初の一瞬だけただ目を見開き、あとは無表情に―――感情の見えない顔で、ただ聞いていた。
 何も言わなかった。
 何も。
 ただ、―――無言でルキアを見つめていた。
 


「ルキアさま!?」
 突然背後の扉が勢い良く開き、自分を呼ぶ花太郎の鋭い声に、はっと背後を振り返り、そして再び男へ視線を戻した時―――



 男の姿は、もう何処にもなかった。


  



next







STAY更新でーす!
楽しみです、と言ってくださる方が多くて幸せです。お待たせしました、再開後の二人です。
「もうそろそろ裏的?」の質問(いくつかありました。皆さん待っているんですね裏シーン!/笑)期待にお応えできずすみません。
ほら、やっぱり基本ですよこれは!

焦らし作戦。

私からあなたへのプレイ(笑)
ようやく逢えた二人ですが、雲行きが怪しい!それが連載ものの醍醐味でしょう!!



さてそれでは、また近いうちに続き書きますので!
毎月一回は最低でも更新したいです。
出来れば二度三度と(笑)


ではまた!
読んでくださってありがとうございましたー!!



2007.4.14   司城 さくら