なんだかとてもいい夢を見ていた気がして、もっと夢にまどろんでいたかったけれど、一度覚醒に向かった意識は止めようがなくて少年は目を開いた。
 見たことのない景色が、少年の目に映る。明るい色彩の温かな印象を受ける部屋。寝ているベッドは古いが汚いとは感じさせない、いつも丁寧に磨かれているような木の光沢を放っている。白いシーツも肌に心地良かった。
 ふと横を見ると、少女がベッドに突っ伏して眠り込んでいる。その横にあるテーブルの上の洗面器とタオルから察するに、どうやらこの少女が自分の面倒を見ていたらしい。伏せられた睫毛が長く影を落とすその顔をじっと見詰めると、自分より僅かに幼い。6歳くらいだろうか。
 少年が身体を起こした時にベッドが揺れた所為か、少女の瞼が小さく震えた。少年の見ている目の前で、少女の瞳がゆっくりと開く。その仄かに紫がかった瞳が、少年の姿を映した。
「気付いた!」
 嬉しそうにそう一声叫ぶと、少女は「先生、先生!」とぴょんと椅子を飛び降りて部屋から出て行った。程なくシスターの衣服を着た女性を連れて「ね、気付いたでしょ!」と勢い込んで戻ってくる。
 じっと見上げる少年に、シスターは「もう大丈夫よ」と穏やかに微笑んだ。纏う空気が柔らかい。
「酷い目にあったわね。でももう大丈夫、傷もちゃんとお医者様に見てもらったからね」
「先生、お兄ちゃんお腹空いてるんじゃないかなあ」
「ああ、そうね。でもまだ固形物は食べられないから……スープを持ってきましょう、ルキちゃん、お兄ちゃん見ててくれる?」
「うん!」
 二人の会話を、少年はただじっと見詰めていた。まだ自分が何処にいるのか、この人間が一体どんな人間なのか、はっきりしないうちは安心できない。それは幼い頃から人に裏切られ続けていた少年の、悲しい習性でもあった。
 少女はにこにこと無邪気に笑って、少年のベッドの横にある椅子によじ登るとちょこんと腰掛けた。
「こんばんは、お兄ちゃん」
「…………」
「私の名前は、ルキア、っていうの。お兄ちゃんの名前は?」
「…………」
「ここはね、先生の教会だよ。私はここで、先生とお友達と住んでるの。お兄ちゃんはどこに住んでるの?」
「…………」
「お兄ちゃん?」
「…………」
「どっか痛い?どうしよう、痛いの?」
 何も言わない少年に、少女―――ルキアの両目から涙が溢れ出して、少年は驚いた表情を見せる。
「―――なんでお前が泣くんだよ」
「だってお兄ちゃん、痛いんでしょ?」
「別にこれぐらい何でもねーよ」
 よかった、と笑うルキアに、少年は苦々しげに舌打ちをする。
 調子が狂う。
 今までこんな反応をする人間は自分の周りにはいなかった。他人の為に泣く人間なんて信じられない。
「お待たせ、もし食べられたら食べてね?その方が傷の治りも早いってお医者様も仰ってたわ」
 トレイにスープを乗せて、シスターが入ってくる。その香りに、少年は急に空腹感を覚えた。テーブルに乗せられたスープに手を伸ばし、その動きで傷口が引き連れて呻き声を上げる。
「私、食べさせてあげる!」
「冗談じゃねーよ、余計な事すんな」
「あら、それはいい考えだわ、ルキちゃん。お兄ちゃんのお手伝いしてあげられる?」
「うん、大丈夫!私できるよ!」
 呆気に取られる少年の口元へ、ルキアは匙にすくったスープを慎重に運ぶ。いつまでも口を開かない少年に、ルキアは「はやく!」とせっついた。
「…………一人で出来るっつってんだろ」
「だめ!私がするの!」
 どうやらルキアは匙を返す気はないらしい。ぎゅっと握り締めて少年を見詰めている。少年は部屋中に漂うスープの香りに空腹感が限界に来ているのを察して、渋々口を開いた。
「あーん」
「…………」
 苦虫を噛み潰したような顔の少年を気にすることなく、ルキアは嬉しそうに匙を皿と少年の間で行き来させる。
「はい、ご馳走様でした!」
「……ご馳走様でした」
 ルキアに促されて、少年は不承不承そう口にすると、再びベッドに横になった。やはりまだ身体が重い。腹に物が入ったせいもあるのか、再び瞼が重くなる。
「もう少し眠るといいわね。ルキちゃん、お兄ちゃん眠いって。ルキちゃんももう寝なさい?」
「ううん、お兄ちゃん寝るの見てる」
「……だから余計な事すんなって言ってんだろ」
「だめ!見てるの!」
 その勢いに抗う気力もなく、なかば勝手にしろ、と自棄になって少年は目を閉じる。シスターが灯を消したのか、部屋は暗くなって、テーブルの上のスタンドだけが淡く光っている。
 すぐに眠りの世界へと引き込まれていく少年の耳に、ルキアの歌が小さく聞こえていた。


 次に目覚めたのは、太陽が高く昇った後だった。
 驚いた事に、今度もルキアはベッドの横にいた。目覚めた少年に目敏く気が付くと、にっこりと笑う。
「おはよう、お兄ちゃん」
「…………」
 その相手の行動が理解できなくて、少年は黙り込む。
「ちょっと待ってね、先生呼んで来るから」
 小走りに部屋から出て行く少女を見送ってから、少年は身体を動かしてみた。傷の痛みは無いとは言わないが、この程度ならば充分耐えられる。もっと酷い傷を負ったときもあったのだ、その時に比べればマシな方だろう。
 こんな所に長居は無用だと少年は思う。この教会(と少女は言っていた。まだ確かめてはいないが)に満ちている雰囲気は暖かくて、少年にとっては居心地が悪い。自分が酷く場違いだと思い知らされる。自分が手に入らなかったモノを、ここに住まう人間たちは当たり前のように手にしているのだろう。それを意識するのは愉快ではなかった。
 ベッドから降り立つと、自分の服を探して周りに視線を走らせる。壁際の棚に見慣れた粗末な、しかしきちんと洗濯されている自分の服を見つけてそちらへ歩く。傷はずきりと痛んだが意識の外へ放り出した。
「あ、だめだよお兄ちゃん!まだ歩いちゃだめだってば!」
 タイミング悪くルキアに見つかって少年は舌打ちする。この少女は苦手だ。この少女を見る度に、今まで感じた事の無い、訳のわからない感情が込み上げてきて不安になる。落ち着かない。
 だからなるべくはやく、この場所から出て行きたい。この少女の姿が見えない場所へ、自分の住み慣れたあのモノトーンの世界へ戻りたい。
「歩けるほどになったのなら、もう大丈夫かしらね。食事も、柔らかいものなら大丈夫とお医者さまも言ってたから、とりあえず持ってきたけど食べられるかしら?」
 シスターの言葉に、少年は眉を顰める。本当ならばすぐにでも出て行きたいが、身体は空腹を訴えている。外に出たら次はいつ食事を取れるかわからない。そう躊躇している少年の腕を、ルキアが引張った。
「ね、食べよ?また私が食べさせてあげる」
 にこりと笑う少女の顔を見て、また胸がざわめく。理解できない、不安定な感じ。それが少年には腹立たしい。
 そしてこの少女の素直さ。それも少年の心を荒ませる。
 自分とは違う、というのを思い知らされる。幸福な少女、純粋培養で育てられたような。幸せしか知らないのだろう、混じりけ無しのその笑顔。皆に愛されて皆を愛して生きてきたのだろう、自分とは全く正反対の少女。
 そんな少年の内心の思いを知らず、シスターとルキアは楽しそうに目の前で話している。
「ルキちゃんはお兄ちゃんが大好きなのね」
「うん、大好き!あのね、初めてお兄ちゃんを見たときわかったの、私が待ってたのはお兄ちゃんだって。やっと逢えた、って思ったの」
 ―――やっと、逢えた。
 ―――ようやく、見つけた。
 今まで忘れていた。
 自分がルキアを見たとき、意識を失う直前に、自分もそう感じてはいなかったか?
 そして自分と同じ気持ちを、この目の前の少女も自分に抱いていたというのか。
 少年は呆然とする。
「あらすごいわ、じゃあお兄ちゃんはルキちゃんの運命の人なのかもしれないわね?」
「運命の人?」
「神様が決めた、ルキちゃんにとってたった一人の人よ」
 ―――運命なんて信じない。
 ―――神なんていない。
「ふざけんな!」
 突然怒鳴りつける少年の言葉に、部屋の空気はしんと凍りつく。
「運命とか神とか、つまんねえこと言ってんじゃねえよ!ムカつくんだよ、甘ったるい事ばかりほざきやがって!手前ェの勝手な思い込みを俺に押し付けるんじゃねえ!!」 
 そう、運命なんて信じない。
 それが少年の矜持だった。運命なんて存在しない、神なんて存在しない。
 それを認めてしまったら、自分が崩れてしまう。
 運命があるのなら、何故自分の運命はこんなにも酷いものなのか。
 神が存在するというのなら、何故神はこんなにも自分に冷酷なのか。
 そう考えたら自分が挫けてしまう。
「……ごめんなさい……」
 ルキアは小さく呟くと、くるりと背中を向けて部屋から出て行った。悄然と俯くルキアへ気がかりな視線を向けてから、シスターは少年へと視線を戻す。
「……丁度一年前、あの子は貴方と同じ様に、街中で怪我をして倒れていたわ」
「…………」
「余程辛い目にあったのでしょう、しばらくは口も利けなかった。いつも何かに怯えていたわ。初めて会う人には、未だにあの子は恐怖が先に立って話すことが出来ない。けれど初めて会った貴方に、あの子は今まで見た事のない程幸せそうな笑顔を向けて、貴方が気付くまで一生懸命看病してました。……好きになれとは言いません、でもあの子を傷つけないで。傷付いた貴方を見つけ、私に知らせたあの子に免じて」
「…………」
「食事、ここに置きます。それを食べたら薬を飲んで、もう一度休みなさい。出て行くというのならば止めません、けれど傷を治してからにしていただきます。貴方の為でなく、あの子のために」
 
 

 それから午後の間ずっと、少年のいる部屋に立ち寄る者は無かった。煩わしい思いをしなくて済んで助かる、と心に言い聞かせるが、ふと気付くと目に浮かぶのは少年の言葉に傷付きうなだれる少女の姿と、頭の中で考えているのはシスターの言った少女の過去の話だった。
『街中で怪我をして倒れていて』
『余程辛い目に』
『いつも何かに怯えていた』
 あの、何の苦労も知らないような笑顔を見せる人間が、そんな過去を持つとはとても思えない。
 恐らくシスターの作り話なのだろう……少女に自分が同情するよう、仕向けるための。
 嘘を吐くほど、あのシスターはどうやらあの少女が可愛くて仕方ないらしい。
 だが生憎と、そんな事で騙されるつもりも無い。とにかく、はやく傷を治してここから出ればすべて解決だ。こんな面倒くさい状況は真平だ。
 そう冷たく考えても、目を閉じれば否応無くルキアの悲しそうな顔が浮かぶ。
 そんな自分に腹を立てながら、少年はベッドの上でただじっと動かずにいた。時間の経つのが酷くゆっくりだと感じ、苦痛にすら感じ始めた頃、ようやく日は沈み辺りは闇に包まれる。
 7時にシスターが夕飯を持ってきた。シスターは傷の調子を尋ねた後、着替えの寝巻きをベッドに置いて、食べ終わった後に着替えてね、と、昼間の一件は無かったように、変わらぬ優しい微笑みで言う。
「ああ、一人では無理かしら?」
「……一人で出来る」
「そう……でも無理だったら遠慮なく言ってね?そこの電話を使ってくれていいから」
 何かあったら呼んで頂戴、とシスターは部屋を出て行った。一人になって落胆している自分に気付いて少年は憤慨する。心の何処かで、少女がこの部屋に、少年に会いに来るのではないかと期待していたのだと気付いて。 
 その腹いせのように乱雑に食事を済ませ、ベッドに横になる。その視線の先に、シスターが着替えだと置いて行った寝巻きが目に入って、しばらく考えた末に無視する事にした。着替えるほど汗もかいていない。
 それにしても、この寝巻きは誰のものだろう。ここには他にも子供がいるのかもしれない。そういえば、少女はここに「先生とお友達と住んでいる」と最初に言っていたのを思い出した。つまりここは、あのシスターが運営している、個人的な孤児院なのかも知れない。
 つらつらとそんな事を考えていると、小さくドアがノックされた。途端、心臓の鼓動が速くなり少年は舌打ちする。あの少女では、と期待する自分が腹立たしい。
 もう一度、今度はもう少し大きくドアがノックされた。少年は小さく息を吸い込んで胸の鼓動を沈めると、「何だよ」と殊更不機嫌そうに応える。
 遠慮がちに開いたドアから入ってきたのは、水が注がれたコップを手にしたルキアだった。節目がちに少年へと近づくと、「これ、夜のお薬」とベッド脇のテーブルにコップと薬を置く。
 わざとルキアへ視線を向けず、少年はぶっきら棒に「ああ」とだけ口にする。
「あの……」
「…………」
「うるさくしてごめんなさい。もう、変なこと言わないから……」
「…………」
「きらわない、で」
「…………」
「……きらわれたくないの……」
 震える声に動揺する自分がいて、少年は唇を噛む。また、あの得体の知れない感情が込み上げて不安になる。出て行け、と口にするために少女へ視線を向けて、少年はルキアの服が濡れている事に気付いた。
「……なんだそれ」
「え?」
 無言だった少年が突然声をかけてきて驚いたのか、ルキアは吃驚したような顔をした。少年の視線が自分の胸元にあるのに気がつき、狼狽する。
「え、と、その、お水、こぼしちゃって」
 ちらりと机に視線を移せば、そこには並々と水が満たされたコップがある。つまり少女は、濡れた服のまま、こぼしてしまった水を入れ替えてここに持ってきたらしい。
「……莫迦か、お前ェは。冬に濡れた服のまま歩いて風邪ひきてえのか」
「あ、ごめんなさ……」
 びくっ、と震える少女の姿を見て舌打ちする。
「着替えてけ、そこに服があるだろ。まだ俺着てねえから」
「え……」
 戸惑うように見上げるルキアに、「早くしろよ」といらついた言葉を投げる。
「別にガキの身体見たってなんとも思わねえよ。さっさとしろ、風邪ひきてえのか」
「違うの、私……」
 面倒くさくなって、少年はルキアを引き寄せると、背中を自分の方に向けさせ服を脱がせた。簡素な服はボタンなど無く、すんなりと少女は一糸纏わぬ姿になって、冬の空気に白い肌をさらしていた。
「……なんだよ、これ……」
 ルキアの肩が、思わず呟いた少年の声に反応して再び震えた。
 少年の目の前にあるルキアの背中―――子供特有の、白い滑らかな肌の上に―――無数の、傷があった。
 肩甲骨の辺りに集中したそれらは、かなり古いものから、まだ比較的新しい―――1年程度の傷痕、それらが重なって、白い筋になって残っている。幾重にも重なった傷痕。それも、どの傷も恐らく、かなり―――深かったはずだ。
「―――誰にやられたんだ」
 感情を押し殺すように、絞り出すように発せられた少年の声に、ルキアは「吃驚するよね、ごめんなさい、変なもの、見せて―――」と俯いた。
「そんな事はいい、誰がやったんだ」
「私を―――拾ってくれた人。私、生まれてすぐに捨てられて、施設に入ってたんだけど、その人に貰われて―――それから、ずっと。私、多分、その為に貰われたんだと、思う。その人が、腹がたった時とか、嫌なことがあった時とかに、気分を晴らすために―――その為に」
『丁度一年前、あの子は貴方と同じ様に、街中で怪我をして倒れていたわ』
「それで、一年前、多分もう私に飽きて―――泣いても助けてもらえない、ってわかったから、私、泣かなくなったから、多分その人私に飽きて―――滅茶苦茶に背中を鞭で打たれて、捨てられた、の。先生が見つけてくれなかったら、私、多分……」
 死んでた、という言葉は口の中で消えた。
「何処の誰だ、そいつ―――」
 ぎり、と唇を噛み締めて少年は呟いた。怒りに身体中が震える。
「そいつ―――殺してやる」
 そう呟いた少年自身が、自分の言葉に驚いた。
 何故自分はこんなにも、制御できないほど怒りの感情に支配されているのか。
「ううん、もう、いいの。私、なんとも思ってないから、お兄ちゃんがそんな風に思うこと無いよ」
「如何して―――そんな風に言えるんだ。どうしてそんな目にあったのに笑えるんだ。どうしてお前は―――」
「今は幸せだから。―――お兄ちゃんに、逢えたから」
 少年は、少女の身体に服を着せかけて、目の前の傷を隠した。そのまま、背中から抱き締める。
 肩口に暖かい雫を感じて、ルキアは戸惑った。気のせいかと思ったが、自分を抱き締める少年の腕は震えている。
「……どうして泣いてるの?」
「泣いてねーよ」
 そう、自分が他人の為に泣く訳がない。
 自分が、この少女の言葉を聞いて、涙が出るのを止められなかったなんて、ある訳がない。
「泣いてねえよ……」
 そうして、少年は少女を抱き締めたまま、声を殺して泣き続けた。



「お兄ちゃん、名前、なんていうの?」
 同じベッドの中で、同じ布団にくるまって、身を寄せ合って囁くようにルキアは言う。
 互いの体温が相手に伝わる。
 こんなにも安らかな夜は、二人とも初めてだと感じている。
「……ねぇんだよ」
「え?」
「今まで、名前で呼ばれたことねぇんだ。施設じゃ番号だったし、施設抜け出してからは『お前』とか『おい』とか『小僧』とかだったからな。多分書類上はなんか名前付いてたんだろうけど、憶えてねぇ。別に名前なんてなくても不自由しなかったし」
「じゃあ、私が決めていい?」
「……勝手にしろよ」
「じゃあね……れんじ」
「…………」
「……だめ?」
「……勝手にしろ、って言っただろ」
「うん。……れんじお兄ちゃん」
「……れんじ、でいい」
「うん。……れんじ」
「…………」
「れんじ。……れんじ」
「何だよ、うるせえな」
「えへへ、なんか一杯呼びたくて」
「莫迦か、お前ぇは」
「うん、莫迦かも」
 きゅ、とルキアの手がれんじの手を握りしめる。
「……そういえば、なんかお前歌うたってたよな、昨日」
「うん、なんか憶えてるの、誰に歌ってもらったのかわからないけど」
「……あれ、結構よかったぞ」
「ホント?」
「………ああ」
「………歌おうか?」
「………どっちでもいい」
 くす、とルキアに笑われて、れんじはむっとする。
「何だよ、手前ェ」
「ううん、何でもない。じゃあ、歌おうかな……」
 すう、と小さく息を吸う音がして、ルキアは囁くように歌い始める。

「待てど暮らせど、来ぬひとを
 宵待草のやるせなさ……」

 れんじの腕の中で、ルキアは歌う。
 夜の闇は不安だった。いつも何かに怯えていた。独りだと思い知らされた。
 けれど今日からは。
 ぎゅ、とルキアを抱き締める。ルキアの腕もれんじの背中へと回り、同じ様に抱き締め返した。

「今宵は月も 出ぬそうな……」

 ルキアの歌声がれんじを穏やかな眠りへと誘っていく。
 ようやく出逢えた唯一の、運命の相手をその腕の中に抱いて、れんじは生まれて初めて、幸せだと心から微笑んだ。






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始まりました、「STAY WITH ME」恋ルキパラレル、「ロミオとジュリエット」がモチーフです。
以前日記で一部書きましたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、このお話は「Mary Magdalene」の亞兎さんが作られたお話です。
亞兎さんのサイトの「日々泡沫絵」に掲載されていたのを拝見して、私がその内容にすごく惹かれまして……メールで今後の内容が気になります、と送りましたところ、最後までストーリを教えていただき、その内容のすごさに鳥肌が立ちました。まさに私のツボ、大好きな世界だったので……。
それでまた勝手に、聞いた内容のシーンの一部を書いて(すごい速さで…あっという間に書き上げました。取り憑かれたように)亞兎さんにメールで送りつけました(笑)ところ、「一緒に『STAY』を書きませんか」と仰って頂きました!そして図々しくもお言葉に甘えて書かせていただくことになりました。
亞兎さんありがとうございます!

「STAY WITH ME」の物語の大きな流れを教えていただいて、細部は私の自由にしていいと言っていただいたので、亞兎さんの「STAY WITH ME」と私の「STAY WITH ME」は、重要な事柄や事件などは共通ですが、背景や設定が微妙に違います。そしてそれも楽しんでいただければ、と……。

亞兎さんの「STAY WITH ME」は「original sin」(原罪)、私の「STAY WITH ME」は「another sin」(もう一つの罪)と副題が付いております。

今後、私の方はかなり内容激しく書いて行くと……後半になればなるほど激しさは増して行くと思います。そのように書いていくつもりですので。

亞兎さんの素晴らしい「STAY WITH ME」の世界を傷つけないように頑張って書いていくつもりです。
もしよろしければ、今後もお付き合いくださいませ。

2005.8.17  司城さくら


追記:
現在、亞兎さまはHNを「流風」と変更してSTAYの続編を「ANTIDOTE」にて執筆中です。
2007.5.10