学校が終わってすぐ、今日は何処へもよらず真直ぐに屋敷へと戻り、ルキアはパーティのための準備を始めた。
入浴を済ませ、白哉が用意していた美容師がルキアの髪型のセットをし、薄く化粧を施す。化粧などしなくてもルキアは美しかったが、列席者が各業界のトップクラスともなると、実年齢よりも上に見せていた方が良い。
「お着替えを」
「良い、一人でする」
頭を下げる召使を後に、ルキアは自室へと向かう。
朽木家程の財力を持つ家は殆どいなかったが、それよりも劣る家の令嬢でさえ当然のこととなっている着替えを召使の手に任せること、それをルキアはすることはなかった。
今日もひとり、鏡の前で部屋着を脱ぎ捨て、クロゼットの中のドレスを取り出す。
大きな鏡を振り返り、ふとルキアは鏡の中の自分に目を留めた。
黒い下着姿の自分が映っている。
大きく開いた背中―――そこに、無数に残る傷痕。
肌が裂けたゆえに出来る様々な傷痕。
それが、ルキアが着替えを他人に任せない理由だった。
この傷痕を誰にも見せたくはなかった―――白い滑らかな肌に残る、醜い傷痕。
この傷が出来たのは、ルキアが6歳の頃の事だった。
その日、ルキアは自分の母と共に朽木家の当主―――つまり父と、そしてその正妻と会う事になっていた。
その理由はわからない―――ルキアが引き取られる話になっていたのか、それとも手切れ金を受け取るために母は会いに行ったのか。
今となっては全く何も判らない。
4人がホテルのカフェで顔を合わせたその時―――朽木家を一方的に恨む勢力、いや朽木家の力を削ごうとしている勢力が、4人に―――父に、襲い掛かった。
目的はただ朽木家のトップである父だけだったのだろう。
けれど、奴らは非情にも―――何の関係もない人々を巻き込む事を厭わなかった。
投げ込まれたか、仕掛けられていたのか―――それすらも、わからない。
判っているのは、そのカフェの半分を破壊する威力を持った爆弾が爆発した事。
そして―――その事故で、ルキアの生母と白哉の両親が亡くなったということ。
ルキアも無事ではなかった―――生きていたのは僥倖だったろう。死んでもおかしくなかったのではないかとルキアは思う。
背中に走る無数の傷痕。
それは、その時に出来たものだった。
破裂し襲い掛かる硝子の破片、その破片を背中にまともに浴び―――そして、その爆発のショックからか、目の前で両親が生命を落とす瞬間を見てしまった所為か、ルキアが病院のベッドで目覚めた時、ルキアにそれまでの記憶は―――全く残っていなかった。
名前さえ、言葉さえ忘れ人形のように目を見開くだけだったルキアに、全てを取りもどしてくれたのは兄の白哉だった。
忙しい身で、己の両親も亡くなったというのに。
いつもそばについて、何も判らなくなっていたルキアに名前を教え、言葉を教え、記憶を教え、全てを教えた。
白哉がいなければ、自分はここにこうしてはいなかっただろうとルキアは思う。
白哉はいつでもルキアをたった一人の妹として愛してくれる。
その愛情に応えたいと、せめて白哉の仕事の一部でも手伝う事が出来るなら、とルキアはそう思っていた。
ただ、今のルキアにできることは、精々が今日のように白哉の代理でパーティーに出ることぐらいだ。
溜息を吐きながら、ルキアはドレスを身に着ける。
最後に、昨夜白哉から贈られた首飾りをかけ、黒いショールを羽織った。すると、それを待っていたかのように扉が叩かれ、ルキアは振り返る。
「―――ルキアさま、ご用意はお済みですか?」
「ああ。入っていいぞ」
失礼致します、と入室してきた花太郎も、今日はルキアの供をする為に礼服に着替えていた。そういった会場にはルキアの護衛として時折出席するので、その礼服姿もそれなりに様になっている。
花太郎は扉を開けた瞬間、目に映ったルキアの姿にはっと息を呑んだ。
大きく息を吸い、呼吸が止まる。
頬が微かに赤くなる―――凝視する無礼に気付かず、ただひたすら花太郎はルキアの姿に釘付けになっていた。
「花太郎?」
「―――とても良くお似合いです、ルキアさま」
「私も気に入っている」
自分に見惚れる花太郎の視線の賛辞を当然のものと受け止め、もう一度鏡の中の自分の姿を検分してから、ルキアは机の上に用意してあった指輪を取り上げた。
細い指先が、右手の薬指に指輪を通す―――すると、花太郎が遠慮がちに「ルキアさま」と声をかけた。
「差し出がましいようですが―――その、指輪。他の物に変えた方が―――ルビーと紫水晶では、あまり」
「―――ああ、判っているのだが……」
ちらりとルキアは自分の指に輝いている赤い宝石を眺めた。確かに紫水晶の首飾りに紅玉の指輪はおかしいだろう。けれど。
「……赤い色を何かひとつ身に付けていると……落ち着くのだ」
「え?」
「どうしてだか昔から―――何か赤い色を身に着けていないと、落ち着かぬ。いや、落ち着かないというのは違うな……身に付けていなければ、苦しいのだ。いや、それも少し違う……何と言えばいいのか―――言葉では表現できない」
肩を竦めてルキアは「何だろうな、これは」と笑った。
「せめて小さい石の指輪を選んだのだが―――目立つか?」
「いえ、そうですね……大丈夫だと思います。失礼致しました」
「いや。―――もう出るか?」
「はい。車の用意も出来ております」
「では行くか。周りは年配の者ばかりだろうな」
「子息も連れてこられる列席者の方もいるようですから―――もしかしたらご友人もいらっしゃるかと」
「まあ、失礼のない程の時間を過ごしたらすぐに帰ってくるつもり故―――如何でもいいことだがな」
花太郎が恭しく開いた扉を通り、ルキアは玄関前でルキアを待つ車に向かって歩いて行った。
その姿に、廊下に並んでいた召使たちが一斉に頭を下げる。
「いってらっしゃいませ」
頷き、車に乗り込んだルキアと花太郎を乗せ、車は静かに動き出した。
パーティは思った通り、退屈な時間でしかなかった。
華やかな色を纏った女性達、対照的に黒い色に身を固めた男性達。大抵は年配の、老齢に差し掛かった男女ばかりで、ルキアと同じ年頃の者はあまりいない。
ルキアはそんな中、周りを多くの人々に囲まれ笑顔を浮かべていた。
白哉が見れば、それは一瞬で心からの笑顔ではなく社交的な、作られた笑顔だと見抜いただろう。けれど美しい少女が浮かべる笑みならば、例えそれが作り笑いだったとしても魅力的なものとして周囲の人々の心を掴む。如才なく数多の挨拶に笑顔で応え、ルキアは白哉の代理としての自分の仕事を全うしていた。
花太郎は、壁際に下がってルキアの様子を見守っている。
そう、ここでは身分の違いというものが如実に現れていた―――支配者階級に属する人々しか存在しないこの空間で、花太郎は異質だった。
それを承知している故に、花太郎はひっそりと壁際に下がり気配を消し、人々に囲まれるルキアを見つめていた。
実際、ルキアの周りには人々が集まってきていた―――ルキアを中心に、人の輪が出来る。
朽木という名前に惹かれる人々、そして……ルキア個人に惹かれる人々。
ルキアがこうして公式の場に出ることは珍しい。白哉がルキアをあまり表に出したがらない所為もあって、その存在は知られていても、実際に人々が目にする機会は殆どなかった。
年の行った男達は、自分の息子の相手としてルキアを望み―――年若い男達は、自分がこの強大な権力を持つ「朽木」の家の令嬢の心を射止めんと、我先にとルキアへ己の存在をアピールする。
その男たちを、表面上は天使のような笑顔を浮かべて相手を愛らしく見つめながら、―――ルキアの心は冷めている。
どの男を見ても、白哉を越える者などいない。
ただの小娘でしかない自分に、へつらって追従の笑みを浮かべる男たちに、ルキアは嫌悪の気持ちしか浮かばない。
馬鹿らしい、と思う。
彼らが望んでいるのは「朽木」という名前だけで、それがあるなら自分がどんな性格でも構わないのだろう。
―――それはあまりにも私を馬鹿にしているというのに―――この男たちは、それすらもわからないのだろうか。
そんな蔑みも、僅かにその美しい顔に浮かべる事無く、ルキアは優雅に微笑む。
その笑顔が一瞬、凍りついた。
自分を見つめる視線がある―――激しく、強く。
他の誰とも違う、今まで感じたことのない激しい視線。
射抜かれるような。
見透かされるような。
そんな、強い、視線。
その視線の源を追ってルキアは振り返る。
自分を取り巻く人々の輪、その向こうに、自分を見つめる―――男がいた。
―――紅い……赤い色。
ずきん、と胸が痛んだのはどうしてだろう。
見つけた、と叫んだ心は一体なんだろう。
涙が溢れそうで、切ない。
胸が潰れそうで、苦しい。
周囲の色が消える。
周囲の音が消える。
ただ、瞳に映るのはその男だけ。
ただ、世界に居るのは二人だけ。
時の止まった空間で、人々に遮蔽され遠く離れたままの状態で、
ルキアはその男が誰かもわからないまま、
ただ―――見つめ合っていた。
next
STAY続きでーす!(ハイテンション)
いよいよです、いよいよ再会ですー!
再会してからの話をすごく書きたくて、その部分を頭の中で構想するたび、話を進めなくちゃ!と焦る私でございます。
ほんと、書きたいシーンがこの後山ほどあるんですよ。
でも、この後暫くはルキ恋祭りに頭が行っちゃうだろうなあ。
なので続きは多分、ルキ恋祭りが終わってから。
その間、ゆっくり言わせたい台詞やら書きたいシチュエーションやら妄想暖めておきますね。
では、また〜!
眠気を押さえつけて書いてるので何書いてるのか判らなくなってきました…でもこの後ページ作ったりするのでまだ暫く眠れない…。
さ、がんばろー。
2006.12.24(あ、クリスマスイブだ!) 司城 さくら