事前に用意された洋服は向こうが贈ってきたものだったので、どれも上質の肌触りをルキアに伝えていた。
 黒い天鵞絨の袖口部分には白いファーが使われ、スカートとの切り返し部分には白いリボンの付いたベルトがあり、そのリボン中央にはクリスタルジュエルが光を受けてちかりと光る。ハイウエストの白いフレアースカートは、ルキアの足を膝までふわりと隠し、裾部分には黒い糸で精細な刺繍が施されていた。
 すらりとした足には、踝部分にやはりクリスタルジュエルが付いていて、黒いエナメルの靴と共に光を反射させている。
 そして背後のソファには、上に羽織る、こちらは白一色の、襟元と袖口とフードに白いファーを使ったコートが置かれていた。
「……似合うぜ、すげえ可愛い。サイズもぴったりだ」
 普段ならば恋次に「可愛い」と言われたら、満面の笑顔で喜ぶルキアも、今日は沈んだ顔のままだった。終始俯いて、ともすればすぐに泣きそうになっている。
 「行きたくない」と駄々を捏ねれば気持ちは楽になるかもしれない。全てが決まっていても、そしてそうするより他選択肢がないのだと解っていても、内に籠めるよりも素直に感情を吐露した方が楽になれると解っている。けれどルキアがそれをしないのは、「行きたくない」と言えば恋次が辛くなるだけだからだ。今も恋次は自分の心を隠して、ルキアの為に笑っている。本当は引き止めたいのに、それが出来ない自分の無力さを誰よりも激しく憤っている。だからルキアは何も言えない。
「こら、最後までその顔のままかお前は」
 俯くルキアの目を見るために、恋次はルキアの前に膝まづいてルキアを見上げた。突然視界に飛び込んだ恋次に驚いて、耐えていた涙がぽろりと零れて、それをきっかけにルキアは堰が切れたように泣き出した。
「ごめ……泣くつもりじゃ、なかったんだよ、恋次、困っちゃうから、泣かないように、がんばったんだけど、ごめん、ごめんね……」
 嗚咽と共に切れ切れに呟くルキアを抱き寄せて、「構わねえよ、最後に泣いちまえ」と恋次はルキアの髪を撫でながら優しく言った。
「でもな、最後には笑ってくれ。お前に会いに行くまでの一週間、思い出すのはお前の泣き顔だと切ないからな」
 うん、と頷いてしばらく後、感情を吐き出してようやく落ち着いたルキアは、恋次の胸に顔を埋めながら「絶対会いに来てね?」と念を押した。このやり取りはもう何度も繰り返されたものだったけれど、恋次はその度に「絶対会いに行く」と優しく強くルキアに答える。
「お前とまた一緒に暮らせるように、直ぐに大人になるからな。力をつけて、金も稼いで」
「うん。……でも、危ない事しちゃダメだよ」
「ああ、怪我したらお前に会いに行けなくなるからな」
「あとね、女の人に触っちゃダメ」
「あ?」
「前、恋次、ナイフ投げて女の人にキスしてもらってたでしょう。あれはダメ」
「……はい」
「絶対ダメだからね、恋次とキスするのはルキアだけ!」
「はい、その通りですお姫さま」
 恋次に「お姫さま」と言われて、ようやくルキアの顔から涙が消えて、僅かながら笑みが戻る。
「ね、これ結んで」
 大事そうにポケットから取り出した赤い天鵞絨のリボンに、恋次は「今日の服には合わないんじゃねえか?」と首を傾げたが、ルキアは「いいの!」と譲らない。
「赤い色は恋次だもの。だから、恋次がそばにいないときは赤い色のリボンをするの」
「……じゃあ、このリボンで髪を結ぶか?それなら、コート着れば白だけになるからそんなにおかしくない」
「うん」
 恋次が髪を結わく間、ルキアはじっと動かずに恋次の手が髪に触れるのを感じていた。
 これで最後じゃない。
 またすぐに会える。
 またすぐに一緒にいられる。
 恋次を信じている。自分を信じている。二人の絆を信じている。
 たった一人の運命の人。
 ―――それなのに、どうしてこんなに不安なんだろう。
「出来たぞ」
 声と共に恋次の手がルキアの髪から離れた。
 同時に、窓の外から車の音がする。弾かれた様に窓の外を見る恋次の表情に、一緒にいられるこの時が、終わりを告げた事をルキアは悟った。





「元気でね」
「会いに行くからな」
「忘れないでね」
 同じ場所で同じ時を過ごした少年達の言葉にルキアは再び泣きそうになるのを堪えて頷いた。
「ルキちゃん……」
「先生、今までありがとうございました。先生がいなかったら、ルキア、きっと今こうしてここにいないもの。本当にありがとうございました」
 ぽろぽろと涙をこぼすシスターにルキアは抱きついた。
「先生、大好き」
 シスターもルキアを強く抱きしめる。本当の娘のように、大切だった。
 幸せになって欲しいと、心から思う。
「身体に気をつけるのよ?ルキちゃん。必ず会いに行くから……恋次君と行くからね」
「うん」
 こくりと頷いて、ルキアはシスターの腕の中から離れた。
 振り返る。
 太陽のような明るい色。
 心を暖めてくれた愛しい赤。
「じゃ、ね」
「ああ」
 さよならじゃない。
 だから、泣かない。
 大きな瞳から涙を一粒頬を伝い、それは途切れる事無く溢れ続け、ルキアは微笑んだ。
 「最後は笑顔を見せてくれ」―――それが恋次の願いだから。
「待ってるよ、恋次」
 輝く笑顔のルキアに恋次も微笑む。
 その頭を抱え寄せると、恋次はルキアの涙を舌ですくい取った。




 黒塗りの車の後部座席に、岩崎と共に乗り込んだルキアは、最後まで振り返り恋次を見ていた。
 赤いテールランプが遠ざかった後も、恋次はいつまでも立ち尽くしていた。







 これが最後じゃない。







 けれど二人の知らない場所で、密やかに運命の歯車が乱され―――軋んだ音を立てて回り始める。





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