ふ、とルキアが目を覚ますと、そこは恋次の腕の中だった。何かから護るように、それとも二度と手放さないように、恋次はルキアの身体を抱きしめている。
同じ布団で眠るなんてことは戌吊にいた子供の頃以来久しぶりの事だな、と恋次のその腕の中でルキアは思う。勿論当時は無邪気にただ寄り添って眠っていただけなのだが、と考えて、恋次はどうだったんだろう、とルキアは思った。
―――もしかしたら、知らずにずっとつらい目にあわせていたのではないだろうか。
無防備にしがみついて寝ていた自分と、どんな思いで恋次は眠っていたのか。
乱暴な口をきく癖に、乱暴な態度をする割に、恋次はルキアが本気で嫌がることを決してしなかった。
恐らく、恋次がルキアを思い通りにすることなど簡単だったに違いない。当時から身体の大きかった恋次には、ルキアを組み伏せることなど容易いことだったはずだ。
けれど恋次は何もせず、昼間は気丈に振舞っているルキアが夜の暗闇に怯え震えてしがみつくのを、ただ黙って抱きしめていた。
あの時と同じ様に、ルキアは今恋次の胸に顔を埋めている。
あの時と違うのは―――。
耳にとくんとくんと恋次の胸の鼓動が聞こえて、それがひどくルキアを安心させた。
もっと体温を感じたくて恋次の身体に擦り寄ると、小さな声を漏らして、恋次はルキアの身体を抱きしめる。ルキアの髪に顔を埋めて、何かを幸せそうに呟いた。
安らかな恋次の吐息が耳をくすぐる。
世界はあまりにも静かだ。
窓の外の雪の降り積もる音が、かえってこの部屋の静けさを強調している。凍える空気は時の動きを停滞させる。
今、世界には恋次とルキアの二人だけだ。
時も音も空気も凍る夜明け前。
「勝手な事ばかりして、すまない」
眠る恋次を起こさないよう、静かにルキアは話かける。
「お前といつまでも一緒にいたい。離れたくない、だから私は……お前と離れることを選んだんだ」
何言ってんだかわからねえよ、とルキアの頭の中の恋次は言う。やはり怒っているようだ。莫迦かお前ぇは、といつもお馴染みの台詞を言う時と同じ表情をしている。
「離れていても、ずっとお前を愛していると自分を信じられる。覚えていなくても、ずっと私を愛してくれるとお前を信じてる」
消える記憶は、この半年の間の記憶。
恋次とルキアが十三番隊隊舎の前で再会してから、今日までのこの半年間。
その半年間の、恋次はルキアの記憶を、ルキアは恋次の記憶を封じ込む。
だから二人はあの日、真央霊術院で別れた時のまま……好きだと告げ、好きだと告げられた事実も消え、唇を重ねた事実も、身体を重ねた事実も、全てが無かった事になる。
「ずっと私を好きだと言ってくれ……時が過ぎても、何があっても」
先程の自分の言葉を、ルキアはもう一度繰り返す。
「私も、この先何があっても……ずっとお前を想う気持ちは変わらない」
今この瞬間の記憶がなくなったとしても。
この鼓動を覚えてる。
この体温を、この胸の熱さを、この幸せを。
そして、唇が、指先が覚えてる。
身体が、熱が、お前が私を愛したその軌跡を忘れない。
「私を迎えに来て……愛してると、もう一度私に言ってくれ」
そうしたらきっと魔法が解ける。
その時は、もう二度と離れない。
―――その時が来るまで私は眠り続けるのだ。
お前が私を抱きしめる、その時まで。
そっと恋次の腕の中から抜け出して、ルキアは襦袢を身に着けた。
恋次は昼間の、虚の滅却行が余程きつかったのだろう、ルキアが離れても起きる様子は無かった。けれど微かに、ルキアを探してその手が動く。
その手を握り締めると、再び恋次は深い眠りに落ちて行った。
暫くその寝顔を見つめ、ルキアは小さな、5センチ四方の薄い入れ物を取り出した。静かに蓋を開けると、暗闇の中青白い光が放射される。
それは昨夜、白哉の部屋から辞した後、ルキアの部屋に届けられたものだった。
それは、恐らく現在、この尸魂界で数個しか存在しないだろう。朽木白哉が個人的に技術開発局に依頼した、特注品。
記憶置換よりももっと高度な、精密な造りのそれは、記憶置換よりも確実に、選んだ部分の記憶だけを消去する。
元々尸魂界の住人は魂魄―――現世の人間よりは、容易く霊子に対して操作は可能なのだ。
それ故に扱い方は簡単―――記憶を消すためには、ただ事前に消去する記憶のデータを入力してあるチップを額に乗せるだけだ。
たったそれだけで、恋次の中からこの半年間の、ルキアに関する記憶だけが消える。
しばらくそうして青い光を見つめ―――意を決したように一度目を瞑ると、ルキアは細い小指で、二つ並んだチップの内の一つをすくい上げる。
チップは青白く発光したまま、ルキアの小指を仄かに照らしている。
そっと恋次の額にそれを乗せると、光は僅かに輝きを強め、見下ろすルキアの頬の一筋の涙を浮き上がらせた。
「―――また、逢おう」
想いの全てを込め、ルキアは静かに唇を重ねる。
恋次の傍らでいつまでもその寝顔を見つめるルキアに、黒い小さな姿が近付き、心配するようにルキアの横で小さく泣き声を上げ、膝の上に飛び乗った。
「るきあ」
るきあを抱き上げ顔を近づけると、るきあはルキアの頬の水滴をそのざらついた舌で舐め取る。その暖かさとくすぐったさに、ルキアは微かに笑い声を上げた。
頭を撫でて喉をくすぐると、るきあは嬉しそうにくるると喉を鳴らす。
「お願いがあるのだ、るきあ」
なあに?と小さな友人はルキアの瞳を見つめた。夜の闇に、金色に美しくその瞳は輝いている。
「私の代わりに、お前が恋次を見守ってくれ」
にゃあとルキアが鳴き、今度は「どうして?」というようにルキアを見上げた。
「私は暫く恋次に会いに来られないんだ。だからお前に頼みたい。お前も恋次が好きだろう?」
再びるきあはルキアの頬を舐める。
「うん、私も恋次が大好きだ。だから……」
ぎゅ、と小さな体を抱きしめる。暖かな体温がルキアに伝わった。
この広い尸魂界、その世界で、恋次とルキアの幸せな日々を知る唯一の存在。
そしてこの後、恋次とルキアの幸せな日々を記憶に残し続ける、唯一の存在。
「恋次を頼んだぞ」
るきあを抱きしめたまま、ルキアは窓に近付き外を見る。
世界は一面、雪に覆われていた。
白く、ただ白く、静かに雪は降り積もる。
穢れなき白、誓いの純白。
―――愛しているよ、お前だけを。
いつかまた、再びお前に伝えたい。
その日がはやく来ること―――もう一度お前の腕に抱きしめられるその時が来ることを、
この雪に願えるならば。
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