懐かしい声が聞こえた気がした。
 自分を気遣う声だ。いつも傍にあった優しい気配。
 この傍にいれば安心できた。いつも護られていると確信できた。

「ルキア」

 もう夢でしか在り得ないけれど。
 夢でしか聞けない声だけれど。

「…ルキア」
 
 それならば、ずっとこうしていたい。
 夢を見たまま、もう二度と目が覚めなくてもいい。
 
「ルキア……っ!」

 ゆっくりと見開いた目に、恋次の姿が映る。
 やっぱり夢だな、と私は思う。
 こんな場所に恋次がいるはずはないから。


 
 身体を起こそうとした途端、何度も自分を苛んでいた感覚に再び襲われ、私は小さく悲鳴を上げた。
 恋次の手が私の肩を掴む、ただそれだけで私の身体は敏感に反応し、「……ぁっ!」と首を仰け反らせた。
 あの薬は幻覚まで見せるのだろうか、と私は熱い身体でぼんやりと思う。
 ―――それとももう、私の心は現実を見ることを放棄したのだろうか。
 現実に顔を背け、心は自ら創った檻に閉じ込めて―――狂って。
 でも、壊れてしまう前に、最後に、これだけは―――
 夢でもいいから。
 伝えなくてはならない事が、あるから―――
「れん、じ」
 言葉を発するのも辛い。息を吸うだけで身体が燃える。
「黙ってろ、今楽にしてやるから」
「だめ、だ。私は、お前に言わなくちゃいけないことが、あるから……」
「後で聞くから黙ってろ!」
 怒鳴られた。
 夢なのに。
 夢でまで怒られるなんて酷い。
「怒鳴る事は無いだろう!」
 思わず怒鳴り返してしまった。
「後って何時だ!もう二度と会えないかもしれないのに、だから今言わなくちゃいけないのに!」
 一息に怒鳴って、そしてその反動はすぐに来た。
 痺れるような感覚。思わず声が漏れた。こんな声を聞かれる事すら恥ずかしいのに。
 長く喋る事が出来ない。早く、速く言わなくては。  
 恋次の顔を見る。怪我をしているのか、血の跡がその顔に残っている。
 その血を拭ってやりたいが、もう私は腕を持ち上げる事すら出来ない。少しでも動けば、本能に流されて意識を失ってしまいそうだ。
「……ずっと、お前に、謝りたかったんだ……」
 恋次の目を見る。
 如何してそんなに泣きそうな顔をしているのだろう。
 お前が泣きそうな事があるなんて、そんな事考えた事も無かった。
「朽木の家に行って、独りで、ずっと淋しかった。だから、独りになった辛さをお前の所為にした。お前が私を要らないと思ったから、だから私を朽木家に行かせたんだと、そう思った。勝手に思って、勝手に誤解して、そしてお前を、傷付けた。―――許してくれ、なんて虫のいいことは言わない。ただずっと、謝りたかったんだ」
 気付けば、私の身体はすっぽりと恋次の腕の中に収まっていた。
 懐かしい恋次の匂い。
 途端に身体が狂いだす。
 幸せな夢が消えてしまう。
 その前に。
 すう、と息を吸う。
 あと少し。
 それで終わる。


「―――すまない、恋次」


 ―――これで、もう、壊れてしまっても大丈夫だ。
 夢でもちゃんと謝れたから―――もう、これで終わって大丈夫。
 本当はもう一つ、言いたかった事はあるけど―――そこまで欲を張ってはいけないと思う。


 そうして、しばらく抑えられていた感覚が、先程の倍の威力を持って私に襲い掛かる。
 熱い。身体に触れる全ての刺激に、我を忘れそうだ。
 ―――ただの獣に成り下がる。
 もう声を殺す事も出来ない。
 自分の耳に聞こえる私の声は、明らかに欲情している。
 ―――いつまでも達しない快感、それは苦痛と同意語だ。
 
 霞んだ目に、恋次の右手が上がったのが見えた。
 私はようやく気付く。
 夢ではないかもしれない、と。
 恋次ならば、苦しむ私を見たらこうするだろう。
 
 ―――夢じゃ、ない?
 もしかして。
 恋次なのか?
 本当の―――本物の。
 ずっと護るといってくれた幼い時の約束の通り、私を助けに来てくれた―――のか。
 まさか、と思う。
 でも、と思う。
 考えても解らない。それなら―――本当だと信じてしまおう。
 それは何て幸せな夢。
 それは何て夢のような現実。
 それならば、もう一つの、言いたかった言葉を。
 伝えて私は―――意識を失おう。






「私は、お前が好きだよ―――ずっと昔から、お前だけが好きだった」






 言い終えたと同時に、恋次の手刀を首筋に受けて、私の意識は白く消えていった。

 



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