時計をみる余裕もなく、ただ走り続けた。
 苦しさも限界も感じない、ただルキアを考えて恋次は走り続けた。
 そうして辿り着いた過去の、戌吊で暮らしていた小さな家が目に入った丁度その時―――
 開いた扉の向こうに、流佳が現れた。
 楽しそうに、嬉しそうに。
 その姿を見れば、男達を虜にするだろう完璧な美貌。
 人形のように整った、美しいその顔に浮かんでいた笑顔が、恋次を目にして一瞬にして青ざめた。





「如何して―――」
 がくがくと震えながら、流佳は立ち尽くしていた。
 震える足は、流佳の身体を支える事が出来ずにぐらりと傾いだ。その背が背後の扉に触れる。
 今、この中で行われている、宴。
 ―――見られたら……恋次に見られたら。
 流佳は後ろ手に扉の取っ手を掴んだ。扉に体重をかける。
 必死で恋次を中に入れまいと、流佳は扉の前に自らの身体を盾にしていた。
「如何したの、恋次―――如何して、此処へ?」
 貼り付けたようにぎこちない笑顔を浮かべて流佳は問う。その答えは簡潔―――ただ一言。
「退け」
 その怒りの声に、その嫌悪の声に、流佳は自分の行為が全て恋次に露見していると―――悟った。
 悟った故に。
「嫌……絶対、入れないわ」
 震えながら、流佳は恋次を睨みつける。
 まだ、早い。
 まだルキアを傷付けてない。
 恋次の自分を見る冷たい視線に傷つきながら、流佳は唇を噛み締めて背中に回した取っ手を握る手に力を籠めた。
 このまま、あの女に恋次を渡さない―――犯されて侵されて汚されて地に落として、そうしないと、気が―――収まらない。
 憎い、あの女。
 絶対に渡さない。
 恋次をあの女には。
 あの女を恋次には。
「貴方は私の物なのよ……あんな女には渡さないわ。絶対に渡さない、渡すもんですかっ!!」
 血を吐く様な叫び声にも、恋次は表情を変えなかった。流佳を見つめる瞳に宿るのはただ、怒りの感情のみ。
 流佳の心にひびが入る。
 もう、恋次は―――決して自分を許さないだろう。
 そうして―――朽木ルキアを、選ぶのだろう。
 あの熱い想いを―――あの女に向けるのか。ただひたすらに。
 私は―――恋次の心に、最初からいなかったのか。
 ならば私の想いは―――何処へ行くんだろう。
 最初は如何でも良かった、その私をこんなにさせておいて―――簡単に捨てるのか。
 いつでも一緒にいたかった。
 恋次を失くしたら、他にはもう何もない―――それ程に私の心を全てを縛り付けて、一瞬にして背中を見せるのか。
 許さない。
 渡さない。
 誰にも渡さない、誰も許さない、恋次を私から奪うものは何もかも。
 流佳の心に入ったひびは、ぱらぱらと音をたてて崩れていく。
「渡さない渡さない渡さないっ!!あんな女恋次に相応しくないわ恋次を一番愛してるのは私なのに恋次が一番愛してるのは本当は私なのに間違いないのにだって私は恋次がこんなに好きで好きで愛してるのに誰より何より愛してるのに如何して恋次はあんな女がいいのあんな小娘あんな―――」
 精神のバランスが崩れていくようなその言葉の羅列が、不意に途切れた。
 にこり、と笑った。
 清々しいまでの、純粋な微笑。
「―――あんな、穢れた女」
 ふふふ、という含み笑いが徐々に大きな哄笑に変わっていく。その笑い声は紛れもなく狂気の響きを持って流佳の赤い唇から発せられていた。
「醜い、汚い、最低の男達に、組み敷かれて、貫かれて、よがって、狂って、喜んで、涎垂らして、咥え込んで、そんな、穢れた女、を、前にして、恋次は、どんな顔を、するの、かしら……っ!!貴方の愛した女はもういないのよ純粋で綺麗で皆の大事なお姫様だった朽木ルキアはもうこの世の何処を探してもいないのよっ!!」
 恋次の身体が動いた。一瞬にして目の前に現れた恋次に、流佳は息を呑む。
 抵抗する間もなく、襟元を掴まれて力任せに突き飛ばされた。容赦ないその動作に、受身を取る暇もなく流佳の身体は地に投げ出される。
「恋次……!」
 地に伏せ、上体だけを起こしながら、流佳は叫ぶ。
「行かないで、お願い、行かないで恋次……っ!!」
 悲痛なその声は、恋次が開いた扉に跳ね返ってすぐに消え去った。





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