気を失っているのをいい事に、乱雑に運び込んだ総合救護詰所で恋次はさっさと怪我人を引き渡すと、事務処理があるから、と受付に行くよう指示された。
 あんな野郎の為に面倒だな、とも思ったがそれをせずに帰っても他の人間が迷惑するだけだろう、渋々と受付に向かうと、そこには見知った顔があった。
「あら、阿散井さん」
「あ、どーも」
 先日入院した時に恋次と顔見知りになった四番隊の隊員が、変わらない笑顔を浮かべて受付に座っていた。白い、ここの制服が良く似合う、爽やかな雰囲気の可愛らしい少女だ。
「今日はどうなさったんですか?―――怪我を?」
「いえ、今日は同僚の付き添いですよ。足折って動けなかったんで俺が運んだんです」
「それは大変でしたねえ」
 くすっと笑って、少女は書類を取り出した。
「じゃ、入院の手続きも貴方が?」
「はい、どれに記入すればいいんですか?」
 こちらです、と差し出された書類に、必要な事を記入していく。とりあえずの処理なので、詳しい事はあの男の関係者が書くだろう。知る限りの事を書き込んで少女に差し出すと、「はい、確かに」と頷いて少女は書類をしまいこんだ。
「ああ、阿散井さんの傷はもう大丈夫ですか?」
「あ、もう全く問題なしです」
 そう答える恋次の姿をじっと見つめてから、嘘ではないと理解して少女は頷く。
「でも今後は気をつけて下さいね?あんまり無茶をすると、妹さんも悲しみますよ?」
 その、何気なく発せられた少女のその一言で、
 恋次の動きが止まった。
「………妹?」
「可愛い方ですね。あ、大丈夫ですよ、事情は聞いてますから……」
 恋次の戸惑いには気付かずに、少女は何か言葉を続けている。
 妹。
 そんな話はこの少女とした事はない。戌吊での話も、誤解されるような話もしていない。
 彼女と話したのは当たり障りのない会話だけだ。
 かと言って、この少女が恋次と他の誰かと間違えているようには思えない。
 鼓動が速くなる。
 朧気だった物が形を取り始める。
 気のせいかと思っていた、病室で感じたルキアの気配。
 身体に流れ込んだ暖かい、気。
 あれは、本当に―――。
「でも、本当にあの後、見舞者の名簿を確認に来てましたよ、妹さんの家から……大変ですね」
 自分の思いに囚われていた恋次の耳に、少女の言葉が再び意味を持って聞こえ始める。
 恋次は顔を上げた。
「あの時、妹が、来たんですか?」
 ゆっくりと言葉を発する。
 妹。
 それは、もしかして。
「え?聞いてなかったんですか?入院したその日にいらっしゃいましたよ。妹さんの方が倒れそうな程真青だったんですから―――妹さん、お兄さんが大好きなんですね、私は兄弟がいないのでとても羨ましいですよ」
「名簿には何も―――」
「ええ、名簿に名前を書くと養家に知られてしまうから、と書かれなかったんですよ。―――実際朽木家の人が、確かに名簿を見に来ましたから、妹さんの心配は正しかったですね」

 朽木家。
 ―――ルキア。

 あの気配は間違いなく―――
 ルキアのものだったの、か。


「―――あら?」
 驚いたような少女の声に、恋次は我に返った。
 少女は名簿を見ていたようだ。その書類の一点に目を留めている。
「間違いないわ。―――妹さん、今日ここに運ばれていますね。面会に来てる方がいます―――浮竹隊長と志波副隊長」
「え?」
「どうします?会って行かれます?浮竹隊長たちはもうお帰りになったようですが」
 名簿の記入はいいですよ、という少女の言葉が終わる前に、恋次は「会います」と答えた。
 会いたい。会って全てを―――聞きたい。何があったのか、あの時何が言いたかったのか。
「部屋は―――ああ、阿散井さんが入院した部屋と同じですね。朽木さんの部屋は参番室です。場所わかりますよね?」
 どうも、と想いの大きさに比例して大きく足を踏み出した恋次の背中に、「あ、朽木さんなら帰られましたよ」と声が掛けられた。
 振り返ると、幼い顔立ちの少年がカルテを手に立っている。人懐こそうな笑顔で恋次と少女の顔を交互に眺めてから、話を立ち聞きしていた無礼にはっと気付いて頭を下げた。
「そうなの?」
 少女の残念そうな声が耳に入る。
 また、話す事は出来ない―――今すぐにでも問い質したいのにそれが出来ない歯痒さに、恋次も落胆の色を隠せない。
 が、それならばもう此処にいる必要も無い。恋次は受付の少女に苦笑いをして見せ、隊舎に戻るために歩き出す。
 少女も恋次へ会釈を返し、少年へと向き直った。
「でも、突然帰ったの?だって運ばれてから2時間位しか経ってないんじゃない?」
「それがですね、阿散井さんって人の伝言を伝えたら、何だか退院する事にしたみたいで、……っ!?」
 最後まで言い終わるより速く、少年は突然胸ぐらを掴まれ、その小さな身体は宙に浮いた。間近に険しい男の顔を見て、ひっ、と息を呑む。
「……何だと?」
 低い、地を這うような恋次の声に、少年は脅えて声も出ない。ただ目を見開いて、恋次が全身から発する霊圧に震えるばかりだ。手にしていたカルテが音を立てて床に落ちる。カラカラ、という甲高い音が3人を包んだ。
「もう一度言え。誰の伝言だ?」
 ぎりぎりと締め上げられて、少年は苦しそうに「あ、阿散井……」とようやく答えた。助けを求めるように少女を見遣ると、少女もうろたえたように立ち上がる。
「この人が阿散井さんなのよ……」
 おろおろとしたその少女の声で、ようやく恋次は落ち着きを取り戻した。締め上げていた手を放して、少年を解放する。ごほごほと咳き込む少年に、恋次は言葉尻が荒くならないよう気を使いながら問いかけた。
「どんな奴だ?そいつ」
 徐々に事情が飲み込めてきたのだろう、少年は幾分青ざめながら、それでも必死に記憶を辿って、一言言葉を交わしただけの相手の細部を思い出す。
「女性でした。髪が長くて、背が高くて、凄く綺麗な人で……僕がここに来るとき、証明書を忘れちゃって面会出来ないから、伝言をお願いするわって言って笑って……」
 少年の言葉を聞く内に、再び恋次の表情は険しくなる。
 恋次の頭に浮かんだ影。
 そしてその疑念は次の少年の言葉で確信に変わった。
「確か、十三番隊の隊章を付けていたと思います」


 ……流、佳。


 ―――つまり、あの女に踊らされてたって訳か、俺は……。
『目的の為なら、手段を選ばないもの―――私』
 そう言って目の前で笑った流佳を見たのはいつの事だったか。
 流佳の目的、それが何かは解らないが……そこで恋次は気付く。
 昨日の、あの流佳の語った話も。
 ―――白哉とルキアの話も、流佳の作り話だった可能性が高い。


『お前はそれを、信じたのか……』


 見開いた目。
 溢れ落ちた涙。
 行為ではなく、言葉に傷付いていた瞳。


「――伝言の内容は?」
 厳しい顔でそう問うと、少年は直ぐに「“話がしたい。今日の午後2時に、昔ふたりが住んでいた家で”です」と答えた。
 時計に目を遣る。――針は12時5分を指していた。
「ルキアは何時に此処を出た?」
「は、はい、確か―――10時30分より前に」
 あと―――2時間。
 精霊廷から戌吊まで……間に合うか。
 すぐに向かおうと顔を上げた恋次の目に、不安そうな二人の姿が目に入る。朽木家の人間に何かあったら、―――彼らに咎はなくても、その余波は必ず彼らに及ぶだろう。特に少年は、何らかの処罰を受けることになるのは間違いない。
 それ程に強大な、朽木という名前。
「俺が何とかするから大丈夫だ。―――とりあえず、朽木の家には何も伝えなくていい。万一の時は俺が責任を取る」
 安心させるように少女へ頷き、少年には「手荒な事して悪かったな」と詫び―――
 次の瞬間、恋次は踵を返し走り去っていた。





 慈丹坊の驚いた声に振り向きもせず、恋次は白道門を走り抜け、流魂街へと入る。
 自分の持てる全ての力で、恋次は駆ける。
 流佳の目的はわからない。ルキアをどうする気なのかも、何故恋次とルキアの関係を知っているのかも、何故戌吊の事を知っているのかも、何も解らない―――が。
 嫌な予感がした。
 何より流佳のあの性格。
 欲しいものはどんな手段を使ってでも手に入れる、と笑った女。
 何度も口にした、ルキアへの不満、雑言。
 精霊廷から―――朽木家の支配から遠く離れた場所へ誘き出したその行動。
 ―――2時間。
 78区、戌吊まで―――間に合うか。
 ぎり、と唇を噛み締めて恋次は走る。
 間に合わせろ。
 ずっと護ってやると、あいつに言ったのは―――俺だ。
「……ルキア……っ!!」
 焦る気持ちを抑えきれず、恋次は低く呟いた。





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