その毒は恋次の心を確実に侵していた。
 恋次は、総合救護詰所での流佳とルキアの一幕も、流佳がルキアのありとあらゆる事柄を調べ上げた事も、流佳がルキアと恋次の過去の繋がりを知っていることも、そしてその知り得た事実から、流佳がルキアを恋次の前から排除しようと考えた事も知らない。
 流佳が嘘を吐く必要性がない以上、それは真実なのだと―――恋次は信じた。再会したルキアがまるで以前と違ったルキアになっていた事も、その嘘に信憑性を与えていた。
 何度もルキアが口にした言葉、「私は朽木ルキアだ」というその言葉。それは「朽木白哉のルキア」という事だったと、恋次は渇いた心で考える。

『名前、そんなに大事なもんですか』
『そりゃあ、大好きな人が付けてくれた名前だもん。大事だよ』

 つい先刻、やちると交わした言葉がよみがえる。

『私は以前の私ではない。朽木ルキアだ』

 ―――大事な人が付けてくれた名前だもん、大事だよ―――


 ルキアがあんなにも「朽木」にこだわっていた理由が、やっと解った。
 心に僅かに芽生えていたルキアの変質に対する望み……朽木家に、恋次と会う事を反対されていた故のルキアの拒絶……それもこれで完全に消え去った。
 ルキアはもういない。
 自分が愛したルキアは。
 在るのは、白哉に従属する、身も心も白哉のモノとなった、「朽木ルキア」でしかない。



 あの時、白哉はそのつもりだったのだろうか。
 養子に、と望んだのは、ただルキアを手に入れたいが為。
 初めからそれが目的だったのなら。
 ―――俺は………
 手を離した俺は。
 ルキアを行かせた俺は。
 


「畜生……っ!!」



 ぎり、と唇を噛み締める。
 後悔しても何もかもが遅い。
 ルキアを行かせたのは俺だ。行くなといって欲しかっただろうルキアの言葉を遮って、ルキアに朽木家へ行く道を選ばせたのは俺だ。
 ―――莫迦か、俺は。
 俺がルキアを、あの男に差し出した。
 

 けれど―――と恋次は乾いてひび割れた心で考える。
 僅か2年で―――いや、2年よりも短かったのかもしれない。ルキアと白哉が、いつから関係を持ち始めたのかはわからないが、確実なのは恋次とルキアが二人で過ごした年月よりも僅かな時間で、ルキアの心は白哉に向いたという事実だった。
 たったそれだけの時間で。

 俺を簡単に忘れられるほど―――お前の気持ちは。

 くっ、という笑い声が恋次の唇から漏れた。右手で顔を覆い、身体を小刻みに震わせて哂う。その声は徐々に大きくなった。
 つまり、自分の独り善がりだったのだと。
 自分が想うほどに、ルキアは自分を想ってはいなかった。
 俺が傍にいなくなれば、他の誰かにすぐに替えがきく程度の、その程度の―――想い。
 代替の利く、使い捨ての物。
 ひび割れた心の傷口から、絶えず血が溢れ出す。
 絶望は次第に姿を変え、歪み、別の形に変化する。
 狂気すら伴った、激しい想い。 
 失くすものは何も無い。
 欲しい者は一人。
 欲しい物は、けれど奪われた。
 ならば。


 ―――誰にも渡さない。


 もう二度と放さない。
 ルキアの意思は関係ない。
 俺が―――ルキアを逃がさない。


 欲しかった心は、もう手に入らない。
 残る物は―――



 恋次の胸に宿るのは、制御できない焼け付く痛み―――
 白哉に対する嫉妬、ルキアに対する執着。
 それだけだった。






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