それは森の奥深く、何人も訪れる事のない湖の水面のように揺らぐことなく、深くただ静かにルキアを見つめる。
「私が望む事は何もない」
正式に兄妹となって、初めて交わした言葉はそんなものだった。
「ただ朽木家の者として、その名に恥じぬよう過ごせば其れで良い」
ルキアは黙って頭を下げた。否、口を開く事は出来なかった。
目の前の兄の、圧倒的なまでの霊圧。
それがルキアを萎縮させ、緊張させる。
「もう下がってよい―――解らない事は侍従に聞け」
はい、と手を突いて辞去の礼をし障子を閉めようとしたルキアに向かって、白哉は「解っている事と思うが」と背中を向けて言った。
「過去は全て棄てるように」
「過去―――ですか?」
思わず返したルキアに、白哉はちらりと視線を向けた。
「そうだ」
それきり何も言わずに白哉は机に向き直った。その背中に問いかける勇気はなく、ルキアは再び礼をすると障子を閉めた。
広い豪華な家の中で、ルキアは独りだった。
温もりのない毎日、静かな部屋。
―――恋次のいない日々。
胸に巣食った孤独感は、時が経つのと比例してじりじりと確実に大きくなって行く。
会いたかった。
戻りたかった。
朽木の家に入ってから三月が過ぎた頃だろうか、どうしても耐えられなくて、ルキアは非番の日に誰にも告げずに真央霊術院に向かった。
離れたのはほんの三月。けれどもそこは涙が出るほど懐かしい場所だった。
何よりここには恋次がいる。
間違えようもない恋次の気に、逸る気持ちを抑えきれずにルキアは走り出す。
―――そこに見たのは、三月前と変わらない恋次だった。
沢山の友人たちの輪の中で、恋次は笑っていた。
変わらない。
―――私がいなくても―――恋次は変わらない。
何を期待していたのか。恋次も私と同じように、孤独を抱えていて欲しかったのか。
恐らくそうなのだろう―――けれども恋次は変わっていなかった。
私がいなくても、恋次には何の問題もない。
その事実と共に、恋次の隣で腕に手をかけ笑う少女がいたことがルキアを打ちのめした。
朽木家で与えられた自室で、ルキアは目を伏せ俯いていた。
あの時、何故恋次は自分を引き止めなかったのか。それが解った気がする。
自分は―――不要だったのだ。
恋次のこれから先の未来、私は必要なかったのだ。
だから私の手を払い除けた。
私と共に生きる道は、恋次の中になかったのだろう。
孤独を恐れる事はない。それを恐れない方法は簡単だ。
『過去は全て棄てるように』
―――過去の記憶はいらない。そんなものにしがみつくから孤独を知る。
棄ててしまえ。
何もかも。
再び上げたルキアの双眸には、冷たい月が映っていた。
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