「な――――!!」
 在り得ない。
 事前に得ていた情報では、低レベルの虚一体だったはず。
 だから、新人の訓練も兼ねてやって来たというのに。
「―――逃げろ!!とにかく走れ!!」
 新人に向かって叫ぶと、とりあえず自分も走り出した。
 こんな虚に勝てる筈が無い。しかも2体。
 席官じゃないと無理だ。こんな、こんな―――。



 キィン、と甲高い音がした。



 逃げていく人の群れの中、微動だにしなかった新入りの手が動いていた。
 次いで走り出す。―――逃げていく同期とは逆の方向へ。
「―――やめろ、無理だ―――!」
 叫んだ言葉を無視して、男は唯一人虚へと向かっていく。
 息も乱さず、無謀とも思える勢いで、男は虚へと切りかかった。
 銀の光。
 唯の一閃で、虚は地へと崩れ落ちた。
 それを最後まで見届けることなく、男は後ろへ飛び退いた。
 今まで男がいたその場所を、もう一体の虚の巨大な爪が薙ぎ払う。完全にかわし切れなかったのか、男の服の胸が大きく裂けて赤い血が飛び散った。
 それに意識を向けることなく、無表情のまま男は剣を振り被る。
 振り向き様、頭上から爪先まで一刀で切り捨てる。男を中心に、虚の身体は左右に割れた。重力に引かれるままにそれはゆっくりと落ちてゆく。
 激しい雨のような虚の体液を身体に浴びながら、男は初めて表情を動かした。
 握り締めた刀はそのままに。
 空を見上げ、男は、
 ――――哂って、いた。





Lust――強い欲望





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