流魂街から瀞霊廷へ行くには通廷証が無くては入れないが、その逆は何の制約も無かった。
 無論瀞霊廷を出、貧しく治安の悪い流魂街へと好んで出て行く死神は皆無と言ってよかったから、そういった取り決めが無かっただけなのかもしれない。
 とにかく、ルキアは特に何の止め立ても無く瀞霊廷を抜け出し、ルキアの出身地区である第78地区「戌吊」へと、およそ6年ぶりに足を踏み入れていた。
 戌吊は変わっては居なかった。以前と変わらず乱雑で、貧しく、薄汚れていて灰色で、……それでもルキアの胸に「懐かしい」という郷愁を呼び起こす。
 それは生きのびる為だけに生きていた、毎日が命懸けの日々だったけれど、そこには家族がいた。傍らにはいつも恋次が居た。
 身を寄せ合って生きてきた―――その、子供たちだけの小さな家。
 ルキアは、今その過去の思い出の家の前に居た。



 知らず、息を吸い込んでいた。呼吸を整え、古い木の、薄い扉に手を掛ける。
 きいきいと軋みながら扉は開いた。
 ―――誰も、いなかった。
 開いた扉から差し込む光が、家の中へと入り込む。その光に導かれるように、ルキアは家の中に足を踏み入れた。
「……思っていたよりも痛んではいない、な」
 誰ともなしに呟いて、ルキアはぐるりと周りを見渡した。
 元は誰かが倉庫として使っていたのか、家の中は仕切りも無い大きな空間があるだけのものだった。そこを恋次が見つけてきて、皆で少しずつ使えそうなものを見つけてきては運び込み、自分たちの家とした。
 貧しかったけれど、楽しかった日々。
 生きる事に精一杯で、でも笑い声が絶えなかった。
 その家の中は、6年経っていたとは思えないほど荒れてはいなかった。
 ―――もしかしたら自分たちがここを出た後に、同じ様に誰かが住み着いたのかも知れない。
 ルキアは窓に近付くと、そっと外を眺めた。
 誰かが近付く気配は無い。
 無意識に緊張していた自分に気がついて、ルキアは身体の力を抜いた。そのまま床に腰を下ろす。
 床も、埃が積もっている様子はなかった。本当に誰かが、家としてではないにしろ使っているのかもしれない。それとも、もしかしたら恋次がずっと使っていたのだろうか。だから自分と会う場所をここに指定したのか。
 ここに一人で来る事に、ルキアは何の躊躇も無かった。もしかしたら、昨日のような事になるかもしれない。それでもルキアは構わなかった。それで恋次の気が済むのならば抵抗するのは止めようとさえ思った。
 兄の知らない、突然出来た自由な時間。
 そして今日はあの老人の監視の目も無かった。
 自分が恋次を傷付けたこと、その許しを請う唯一の機会だった。
 それとも唯、逢いたいだけなのかも知れなかった。
 理由など無く、ただ逢いたい、声が聞きたいと、それだけの事だったのかも知れない。
「莫迦だな、私も……」
 ぽつりと呟いて、壁に身体を預けた。
 この小さな家は想い出が多すぎて、ルキアは不意に泣きたくなった。
 もう、誰もいない。
 一人死に、二人死に……三人が死んだ夜、ルキアは恋次に告げた。
『死神になろう』
 恋次を失いたくはなかったから。
 此処にいたら、いつかはどちらかの生命が失われてしまうのが解ったから。
 死、それはルキアにとって『恋次と離れる』という意味だった。
 それは死よりも耐え難いこと―――そう考えて、決めた事だった。
 恋次がこの世からいなくなる―――それは自分が息絶える事より辛い事だ。
 その時、入り口に人の気配がしてルキアは我に返った。
 半分空いた扉の向こうに、人の影がある。
 ―――恋次。
 この私達の家、想い出に包まれたこの家ならば、私は素直に全てを伝えられる―――
 立ち上がったルキアの目の前で、扉が音を立てて開かれた。



「―――生憎だけど、恋次は来ないわよ」



 黒い長い髪が、糸の様に風に踊りながら。
 その女の無表情な顔を彩っていた。 
 




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