「莫迦か、お前は!どんくらい外に突っ立ってたんだよ!?」
 恋次は腕を掴んで、驚くルキアに有無を言わせず、乱暴に部屋の中へと引き入れた。
 一人暮らしの恋次の部屋は人がいないせいで空気が冷たく、外とあまり変わらない。恋次は舌打ちをすると寝室から毛布を取ってきてルキアに放り投げた。
「これ被ってろ。今、茶ァ淹れるから」
「大丈夫だ、恋次。私は大丈夫だから……」
「大丈夫な訳があるか、この莫迦!」
 本気で怒る恋次に、ルキアはびくっと身を竦めた。
「大丈夫だ、本当に。それより、私は……」
 お前に話があるから、とそう懇願されて、恋次は溜息を吐き、熱い茶を入れるために行きかけていた台所からルキアの前へと戻った。渋面を作ったまま、「それは被ってろよ」とルキアに念を押して座る。
 不機嫌そうな恋次に気押されながら、ルキアは頷いて毛布を引き寄せた。
「…………」
 なんと言っていいのかわからずに、ルキアは暫し黙り込む。恋次も何も言わずに、ただ窓の外を見ている。
「あの……」
「……悪かったな」
 謝ろうと思っていた矢先、恋次に謝られてルキアは「え?」と思わず聞き返した。それへ、「今日は仕事が長引いてよ、遅くなって悪かった」と、視線を窓の外へと向けたまま恋次は答える。
「いや、私が事前に連絡をしなかったのが悪いのだ」
 そうルキアが返すと、恋次はちらりとルキアを見、再び窓の外へと視線を向ける。
 気まずい沈黙が、二人の間を流れる。
 ルキアの鼓動が速くなる。恋次が怒っているのは明白だ。
 けれど、このまま黙っていてもただ時が過ぎるばかりだ……そう考えてルキアは勇気を奮い起こす。
「……兄様に聞いた。お前が私を助けてくれたんだと。……ありがとう」
「……元々の原因は俺なんだから、お前が謝ることじゃねえよ」
 素気ない恋次の言葉に、ルキアは俯いた。けれど、このまま帰る事はできない。今日こそは、きちんと伝えなければならない。その為に来たのだから。
「私は……お前に謝らなくちゃいけないんだ」
 恋次は変わらずに無言のままだ。けれど視線は窓の向こうからルキアへと向けてくれた。ルキアは小さく息をすって、思い切ったように言葉を口にする。
「―――私は、お前が朽木の家に行くように言ったのは、お前が私の事を要らないと思ったからだと――そう、受取ったのだ」
 恋次の眉が片方だけ上がった。それは「何言ってんだ」という時の恋次の昔からの癖だった。ルキアは恋次の顔を見ることが出来ずに項垂れる。
「それから朽木家の養子になって―――やっぱり貴族の生活に慣れなくて、淋しくて、辛くて―――だから、私は、その淋しさと辛さを全てお前のせいにした。お前があの時、私を要らないと捨てたから。そう思うことで、お前を恨むことで、私は自分を慰めていたんだ―――勝手な思い込みで。そうして、私は全てをお前のせいにして―――お前の気持ちも考えずに―――お前を傷つけた。心だけじゃなくて、身体まで。お前が傷付いたのは、全て私の責任だ。私の身勝手な想いから、お前の命を危険にさらして―――」
 ルキアは手を付き、深々と頭を下げた。額が床に触れるほど、深く。その姿勢のまま、ルキアは言葉を続ける。
「すまない、恋次。こんな言葉で許されるとは思わない。許してくれなんて言わない。それでも私はお前に謝りたいんだ―――すまない。お前を傷つけた。私は―――最低だ」
 額を床に擦り付け、ルキアは絞り出すような声で懺悔した。
 恋次は何も言わない。
 ―――やはり、恋次の怒りは大きい……
 元よりこんな事で許されるとは思ってはいない。これから、どんな形で償うか、償い続けていくか。謝り続けるしかない、誠意を込めて。
 頭を上げたルキアは、真直ぐに自分を見つめる恋次の瞳に息を呑む。明らかに憤激している表情に、俯きそうになる顔を必死で上げた。
「―――足りねえんだよ」
 ぼそりと呟く恋次の言葉に、ルキアは身を竦ませた。
 まだ謝罪が足りないと、恋次は言う。ルキアはもう一度手を付いた。
「違うよ、莫迦。謝んなくていいっつってんだろ」
「で、でも……」
「足りねえんだよ、お前の言葉が。それはあの時だって聞いた。ただ、その先の言葉だよ、俺がもう一度聞きてえのは」
「その先―――?」
「覚えてねえのかよ」
「―――すまない、あの時の記憶は―――混乱していたのか、はっきりしない。何が本当にあったことで、何が夢で―――よく、わからなくて―――すまない」
 ちっ、と再び舌を打つ音を聞いて、ルキアは俯いた。
 その身体が、不意に引き寄せられてルキアは驚きに息を呑んだ。気付けば、大きな腕の中にすっぽりと包まれている。
 懐かしいこの暖かさ。
 還りたかったこの場所。
「………仕方ねえな、ったく」
「……恋次?」
 ルキアの肩に顔を埋めて、恋次は呟く。


「お前が好きだよ―――ずっと昔から、今でもずっと、お前だけが」


 ―――夢。
 これはきっと夢に違いない。
 けれど、自分がいるのは紛れもなく恋次の腕の中で―――この声は恋次の声で。
 知らず、涙が溢れた。
 それは後から後からルキアの頬を濡らす。
「泣くなよ」
「……泣いてないぞ」
「嘘吐き野郎」
「嘘なんか吐いてない……!」
 恋次の胸に顔を埋めて、ルキアはただ涙をこぼした。そのルキアを包む恋次の腕は大きくて暖かい。
 還ってきたのだ。
 あの時と、同じ時間に。

 取り戻したかったあの時に。





 暫く泣いて、恋次はその間ただ黙ってルキアを抱きしめていた。ようやく涙がひいて気分も落ち着いた頃、恋次はルキアの身体をそっと離す。
「落ち着いたか?」
「……ん」
 小さく頷いて、ルキアは恥ずかしそうに笑った。子供のように泣く姿を見られたが、それも恋次ならば良いと思った。
 もう、何も偽りたくないから。
 心を隠すことはもう、したくないから。
 もう一度、今度はルキアから恋次へと身を寄せた。恋次も応えるように、背中へ回した腕に力を込める。
 どれだけそうしていただろう、暫くして恋次がぽつりと呟いた。
「……そろそろ帰らないと拙いな。……送ってくから」
「……え?」
 恋次の思いがけない言葉に、ルキアは恋次の腕の中で、弾かれた様に顔を上げる。目が合った恋次は、ふい、と視線を逸らした。
「え、じゃねえだろ。まだ身体だって本調子じゃねえんだから」
「身体はもうなんともない!」
「そうか、でももう向こうの家で心配するだろ。―――んな顔するんじゃねえよ、また逢えるだろーが、すぐ。十三番隊とうちは隊舎だって近いんだし」
 恋次は立ち上がると、ルキアが立ち上がるのを助けるために手を伸ばした。
 それをルキアは眺めて、唇を噛んで首を横に振る。
「―――厭だ」
「ルキア?」
「私はまだ帰らない―――帰りたくない」
 差し伸べられた手を取って、ルキアはそれを自分の頬に当てる。想いを込めて、恋次の目を見上げた。
 その真摯な視線に、ルキアの決意に、恋次も首を横に振る。
「―――駄目だ、ルキア」
「如何して!」
「今、お前を抱いたら―――お前の弱みに付け込んでるように取られるのが厭だ。俺は―――」
「そんな事思わない!私が、そうしたいんだ」
「ルキア―――」
「私が、お前に抱かれたいと思っている。お願いだ、恋次」
「駄目だ」
 頑なに首を縦に振らない恋次に、ルキアは泣きそうな顔になる。
「厭なのか?私では駄目なのか―――?」
「そんな訳無ぇだろ!」
 大きな声に、反射的に身体が竦む。それを恋次も気付いたのだろう、恋次はルキアに背中を向けた。
「―――歯止めが利きそうにねえんだよ、今お前に触れたら―――止まらなくなる。お前を気遣う余裕が無くなる。壊しちまいそうで怖いんだよ。だから今は―――駄目だ」
 大きな背中が、耐えるように震えている。その背中をルキアは抱きしめた。優しく、限りなく優しく。
「いいんだ。私に、お前が私のものだと、私がお前のものだと実感させてくれ」
 ―――夢ではないと、確信が欲しかった。
 幸せだから、夢ではないかと、目が覚めれば全て夢だったと思ってしまいそうだから。
 確かなものが欲しかった。
 ルキアは縋るように恋次を抱きしめる。
 不意に、恋次の身体が動いた。その振り返る勢いに、ルキアは驚いて一瞬身体を離す。その身体を引き寄せられて、あ、と思う前にルキアの身体は床に押し倒されていた。
 水を何日も与えられなかった植物のように、恋次はルキアの唇を激しく奪う。
 荒々しく胸元をはだけられ、胸の突起を舌で煽られ、その性急な恋次の動きに、ルキアはぴくんと仰け反った。
「れ、恋次……!」
「……歯止めが利かない、って言った筈だ。もう、お前が何言ったって止まらねえ」
 次々にルキアの肌へ赤い花を咲かしていく恋次を押し留めようと、ルキアは腕を突張らせる。その腕を押さえつけられ、ルキアは「少しだけ待ってくれ、恋次!」と声を上げた。
「待てねえよ、これ以上。ずっと俺は待ってたんだからな」
「ちが、違う!」
 あまりに必死なその声に、恋次はルキアの胸の上で顔を上げ、視線で問いかける。
 その恋次の視線を受けながら、ルキアの頬は赤くなる。
「その、私は、一般的な女性に比べて、その、全体的に発育があまり良くなくて……特に、胸が、その……だから、…………何を笑っている!」
 ルキアの胸に突っ伏して恋次は紛れもなく笑っていた。くくく、と肩を震わせて、耐えられぬ様に笑っている。ルキアの頬が更に赤くなったのは、羞恥と怒りの所為だった。
「お前はその、色んな女性を知ってるみたいだから、だからお前が私を見てがっかりしないように、先にちゃんと言っておこうと……何故笑うんだ莫迦恋次!もう、体重を乗せるな、重い!莫迦!」
「関係ねえよ、そんな事」
 幸せそうに笑いながら、恋次は愛し気にルキアへと優しく口づける。
「がっかりなんかするもんかよ、こんなに可愛いのに」
「……それは暗に小さいと言っているのか」
「……まあでかくはねえよな」
 う、と傷付いたルキアの唇に、恋次は笑いながらもう一度口づける。
「そんな事なんざ全く関係ねえよ、俺はルキアが好きなんだからな」
 本当にこいつは意表をつく。
 けれど、それで恋次は落ち着いた。
 初めてのルキアに、自分の想いをただ激しくぶつけるような、そんな怖がらせるような事をする所だったのだ。
「小さくて悪かったな」
 拗ねるルキアの額を人差し指で弾く。
 それ以上ルキアにはもう何も言わせずに、恋次はルキアを抱き上げた。 




  
 

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