突然現れたその人影は三つ。
一人は、年経た老人。骨ばった身体に、一種狂信的な意志の強さを感じる年輪に囲まれた鋭い瞳。
その老人の背後に控えるように、死覇装を纏った二人の死神。普段帯刀する事の無い斬魄刀を腰に佩き、その霊圧は老人の命令の元、直ぐにでも攻撃に転じれるよう静かに緊張を高めていた。
対して恋次には斬魄刀は無い。ただ腕に、何よりも大事な存在を抱いて、突如現れた三人を睨みつける。
その恋次と、腕の中で意識の無いルキアを見て取ると、老人は、す、と腕を上げて恋次の背後の小さな小屋を指し示した。背後の内の一人が、無言でその小屋へと向かう。恋次は神経を尖らせたまま、三人の男達に意識を集中した。
程なく小屋に向かった男が戻り、老人の耳に口を寄せる。男の報告を聞きながら、老人は小さく溜息を洩らした。
「―――実際、困ったものだ、ルキア様には」
ルキアを「ルキア様」と呼んだその事実で、恋次はこの老人と背後の二人が朽木家の関係者だと悟った。そうと気付けば、確かにこの老人には見覚えがある―――あの日、真央霊術院で、朽木白哉と共にルキアの傍にいた筈だ。
「仕事前に倒れたと聞き調べてみれば―――運ばれた救護室から姿を消し、四番隊の隊員を問い詰めてどうやら戌吊へと向かったらしいと知って追ってきたが……。」
老人は恋次の腕の中のルキアへ視線を向けると、すう、と目を細めた。
「朽木という名を戴いてる身で、この浅慮。白哉さまの御義妹の身でありながら、この浅薄」
老人の半ば独り言めいた言葉にも、恋次は変わらず、無言でただ睨みつける。
「しかも意識を失くし、下賤の男の腕に抱かれているとは……」
一歩踏み出した老人からルキアを庇うように、恋次はルキアの身体を老人から遠ざけた。
「意識を失くしたその原因―――独りでこのような治安の悪い場所へ来て、そうして奴らに襲われたという訳か。それも、どうやらただ襲われただけではなく―――何者かの意図が絡んでいるようだ。それが―――あの女か?」
突然老人の視線が射る様に自分を見つめたことに気がついて、流佳は息を呑んだ。恋次の背後、何の意識も払われず悄然と立ち尽くしていた流佳の身体が、老人の視線に曝されてがたがたと震えだす。
朽木と言う名の巨大な力―――そしてその影響力は絶大。
その力に、ただ独りの女が立ち向かえる筈も無い。
「女―――朽木家の人間に手を出して、よもや無事に済むとは思っておるまいな?」
老人の言葉に、死覇装の男達が柄に手を掛ける。流佳の身体の震えが更に大きくなった。目の前に迫る圧倒的な、リアルな「死」という恐怖に声も出せず、がちがちと歯の鳴る音だけがする。
ゆらり、と男の一人が動いた。手にした柄から、ゆっくりと刃を引き出していく。
流佳は恐怖のあまり、それ以上現実を見ることが出来ずに目を閉じる。
「―――そいつは関係ねえよ、ほっとけ」
冷たい声で、背後は振り向かずに、恋次はそう吐き捨てる。老人はゆっくりと恋次へと視線を向け、「関係ない、と?」と尋ねた。
けれど恋次はそれきり口を開かず、流佳を省みる事もしない。老人は暫く思案した後、「……まあ良い」と呟いた。
「些細な虫けら、一匹逃したとて大した影響は無いだろう。しかし―――女」
皺深い顔の中の細い目で、老人は流佳を見据える。流佳は知らず両手を握り締めていた。
「今後ルキア様の周りを飛び回る様な事があれば、いかに羽虫とて容赦なく叩き潰す。肝に銘じておけ」
蒼白な流佳には既に興味を失ったのか、老人は「邪魔だ、去ね」とただ一言、容赦なく切り捨てる。
よろけるようにこの場を離れていく流佳に、恋次は最後まで振り向く事をしなかった。
「さて―――話をしよう、阿散井恋次」
突然名前で呼ばれ、恋次は不機嫌そうに片方だけ眉を上げる。
―――こっちの調べは疾うについているって訳かよ?
名乗る前に、顔を見ただけであっさりと名前を呼んだと言うその事実は、老人は恋次の調査を既にしていたという事だろう。
何のために?
勿論―――ルキアに絡む事だろう。ルキアが朽木家に入る前、そのルキアの過去を誰よりも知る人物として、老人は恋次を注視していたに違いない。。
それはルキアを護るためではなく、
朽木家の不利益にならぬよう。
元々返事は欲していなかったのか、恋次の返答が無い事は気にも留めずに老人は淡々と一人言葉を続ける。
「私はルキア様にお伝えした―――『貴女の行動が彼の寿命を決める』と。ルキア様が何もしなければ―――過去に戻るような事をしなければ、阿散井恋次という男には手を出さない、と。そしてルキア様がこの言葉を忘れ、阿散井恋次に会うような事があれば、心を動かすような事があれば―――」
老人は言葉を切って恋次を見詰めた。恋次はその視線を真正面から受け止めて、怒りを露わにした目で老人の視線を跳ね返す。
「しかし―――どうやらお前は、ルキア様の危機を救ってくれたようだ。それは確かに感謝しなくてはならない。故に、お前の生命は奪わぬが―――先程の羽虫同様、今後一切ルキア様に近づくな。次に近づいた時、ルキア様の気を乱した時―――その時は、容赦しない」
老人は表情を変えぬまま、ただ淡々と言葉を口にする。感情の何も読み取れない顔と声。
「さあ、ルキア様を渡してもらおう。―――そして立ち去れ」
老人の合図で、死覇装の男達が一歩前に出た。ルキアを受取るべく、恋次へと近づく。
「―――誰が渡すかよ」
傲然と恋次は言い放った。笑みさえ浮かべ。
「勝手な事言ってんじゃねーよ、爺ぃ。こんな状態のルキアを得体の知れねえ奴に渡せる訳がねーだろ」
「……ほう」
「大体お前ぇ何様だよ?俺の寿命を決める?―――巫山戯んなっ!!」
―――俺の命を盾にして、ルキアの自由を奪い―――何も知らずに俺は、ルキアを責めて。
ルキアの立場も考えず。
ルキアの気持ちも考えず。
自分の感情だけをぶつけて―――ルキアの感情は、無視して。
『私は……私は……っ!!』
あの慟哭は―――伝えようにも伝えられない、ルキアの叫びだった。
怒りの儘に傷つける俺を、何も言わずに、何もしない事で護っていたのだ――ルキアは。
「では、ルキア様は渡さぬ、と?」
「しつけーよ爺ぃ。耳が遠くなったか?まあ仕方ねえな、年だからよ」
「―――それはこちらにも都合がよい。これで斟酌無くお前を消す事が出来る―――」
老人は無表情に右手を上げる。
「朽木家の御息女が、戌吊出身の野良犬に心を動かされる等―――それは全て生まれの血が卑しい故と、下賤の者にそう言われるのは不本意。―――ましてそれが白哉さまの耳に入る事等許されぬ。ルキア様は過去へは還さぬ。それは白哉さまの望まれる事ではない。朽木家に相応しく、白哉さまの御義妹として相応しく―――それには、ルキア様を揺るがすお前は、邪魔だ」
淡々と。
けれどその目に浮かぶ、「朽木白哉」に対する狂信的な忠誠。
「白哉さま」と名前を口にする時の、熱に浮かされたようなその目の色。
「―――消せ」
老人の言葉に、ざ、と砂煙を上げて、背後の二人が前に出る。
殆ど同時に、二人は斬魄刀を引き抜いた。
その不吉な光を睨みつける恋次に策は無い。圧倒的不利な状況の中、恋次はただルキアを抱く手に力を込める。
―――その時。
一陣の風が吹いた。
「―――何をしている」
静かな、硝子のような声だった。
突然聞こえたその声は、決して大きくは無かったが、不思議とその場にいる全員の耳に聞こえていた。
感情を持たないような、透明な冷たい声。
そしてその声の前に、老人は打たれた様に膝を付く。男達もそれに倣って頭を垂れた。
その場に立つのは、ただ二人。
意識の無いルキアを抱きしめた恋次と、
十三人だけに身に纏う事を許される、その白い羽織に身を包んだ―――
………朽木白哉。
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