「もう安心ですよ。危険な状態は脱しました」
四番隊の総合救護詰所・第一治療室で、看護婦が笑顔でそう告げた瞬間、一角と弓親は緊張していた身体の強張りを溜息と共に解いた。
「もう病室に入れますよ。まだ意識はないですが……どうなさいますか?」
「あ、じゃあ顔見て行きます」
看護婦は病室の前まで案内すると、「では私は受付におりますので」と頭を下げて出て行った。それを会釈で見送って、一角と弓親は恋次の顔を覗き込む。
「随分呑気な顔して寝てやがるな。人の気も知らねえでよ」
「いい夢でも見てるのかもね。悪い夢を見てるより余程良いよ」
恋次の顔色は、運び込まれた当初に比べれば格段によかった。上半身は包帯で巻かれ、ほとんど肌が見えなかったが、手や腕の傷は既に塞がっている。
「とりあえず隊長に伝えてくるか」
「そうだね。じゃあ僕はここで待ってるよ」
じゃあ、と扉を開けて一角は病室を出る。その途端、受付の方から何か押し問答のような声が聞こえてきた。「ですから―――」と先程の看護婦の困惑した声が流れてくる。それが弓親の耳にも入ったのか、「何だい?」と言いながら病室から出てきた。
二人が受付に顔を出すと、
「―――ですから、患者さんの安全を護るために、証明書を見せて頂かなくてはならないんです。それと、こちらに署名を。それが出来ない方をお通しする訳には―――」
「名前を残す事が出来ないのだ。証明書も―――。一目見るだけでいいのだ、貴女が一緒に来てくれて構わない。どうか、一目……」
一角と弓親に気がついて、看護婦が「あ」と声を上げた。その声につられて、少女が振り向く。
「朽―――」
呼びかけた一角の口を弓親が慌てて塞ぐ。
「恋次は?恋次の容態は―――」
掴みかかるほどの勢いで駆け寄るルキアの必死の表情に、弓親はルキアの本心に気がついた。
「大丈夫、もう安定したよ」
「そう……か―――」
安心して緊張が解けたのか、ルキアの身体がぐらりと傾いだ。慌てて一角の身体を放りだし、ルキアの身体を支えた弓親は、そのあまりの軽さに内心驚く。ルキアは少し赤くなると、「すまない」と小さく呟いて立ち上がった。
「会っていくかい?まだ意識は戻っていないけど」
「―――しかし……」
先程の問答の件を思い出したのだろう、ルキアは俯いた。その姿は見捨てられた小さな子供のようで、見ている弓親の胸が痛む。
「看護婦さん、この人の身元は僕たちが保証します。な、一角?」
突然振られて驚きつつ、一角は「ああ」と大きく首を縦に振った。
「彼女の家庭は複雑で―――恋次と彼女は実の兄妹なのですが、現在彼女は別の家庭に養子に入っています。その養い親が、彼女が元の家族と会うことをとても嫌がっていて……恐らく恋次が入院しているのを知ったら、面会者の記録を確認しに来ると思います。彼女の名前がないかをね。だから彼女は名前が書けない。けれども兄の様子が心配で、ここまで家族に秘密でやって来たのでしょう。―――彼女の名前も家も僕たちは知っています。怪しい人間ではないと保証できます。どうか彼女を部屋に入れてくれませんか?」
よくもまあスラスラと話を上手く組み立てるもんだな、と一角は感心しつつ、表面は真面目そうに頷いてみたりなんかした。その合間にこっそりとルキアを見ると、その表情は昼間一角が詰め寄った時とは明らかに違うと気が付いた。冷たい雰囲気は欠片もない。
「わかりました。そういった事でしたら、入室していただいて結構です」
「もし、今後誰かが見舞い客について問い合わせてきたら―――」
「はい、私は何も答えません。そちらの方の名前は存じ上げませんもの」
にこりと笑う看護婦に、ルキアは「ありがとう」と頭を下げた。
「恋次の部屋は参番―――わかる?僕達はここにいるから、一人で会って来るといいよ」
「ありがとう。―――本当に何と礼を言っていいのか―――」
「いいよ、そんな事。それより時間は?あまり抜けられないんでしょう?」
こくりと頷くと、ルキアはもう一度深く頭を下げて参番の病室に向かった。その小さな姿が扉の中に消えるのを見届けて、弓親は溜息をつく。
「色々―――本当に大変なんだな」
「何がだよ?」
「自分の気持ちも素直に表すことが出来ない家っていうのがね―――僕達にはどうすることも出来ないけど」
ルキアを抱きとめた時の感触が手に残っている。あんな細い小さな身体で、独り自らの心を殺し生きているのか。
「恋次と―――上手く行けばいいけどね」
「それこそ俺達にはどうしようもない事だろ」
一角の言葉に、弓親は苦笑する。
「本当だね―――僕達に出来る事は何もないね」
呟いて、待合室の椅子に身体を深く沈めこんだ。
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