背後からかけられた声に、ルキアは覚えがなかった。訝しげに振り返ると、男が二人立っている。隊章に目を向けると、共に十一番隊の隊章を着けていた。
「―――何か?」
やはり見覚えのない顔だった。元々ルキアは知人が少ない。
「俺は十一番隊の斑目一角。そっちは綾瀬川弓親だ」
男達の意図が解らず、ルキアは黙って頭を下げる。それが?と視線で先を促すと、斑目一角と名乗った男が、「恋次が―――」と切り出した。
恋次の名前が出て身構えるルキアに、静かな一角の声が耳を打つ。
「恋次が虚にやられた」
「―――え?」
何を言われたか解らず、ルキアは普段の他人を寄せ付けない冷たい仮面を被る事を忘れ、呆然と一角と弓親を見比べる。一角は淡々と続けた。
「今日、俺達は現世定点1561番、北西1282地点に行った。あんたも知ってると思うが、群生虚の巣だ。そこで恋次が、虚に―――」
一角はそこでルキアをぎっと睨みつけた。その目に浮かんでいる怒りの色に、今まで静かに話していたのはその激しい怒りを必死で抑えていたせいだと、ルキアの混乱した頭にも解った。
「あんたとあいつの間に何があったんだよ?こないだまであいつはあんな奴じゃなかった。真央霊術院で、あんたに早く会うためにっつって勉強してたぜ、似合いもしねぇのによ。一発で試験に受かって、五番隊に入隊して、真先にあんたに会いに行く迄は普通のあいつだった。が、そっからおかしくなりやがった。あんた、あいつがどんな闘い方するか知ってるか?いや、闘いじゃねぇ、ありゃ何の考えも持ってねぇよ。ただ目の前にいる虚に突っ込んで行くだけだ。自分の生命なんて何の斟酌もしねぇ、平気で虚の巣に突っ込んで行くんだぜ?笑いながらよ。あんたがあいつをあんな風にしちまったのか?あんな、何の執着も持たねぇように――生きる事さえどうでもいいと思う様な抜け殻に、よ?!」
全ての怒りを叩きつける様な一角の言葉も、今のルキアには気にする余裕もなかった。
恋次が、虚に?
「恋次は?今何処に―――」
「総合救護詰所だ。まだ危険な状態なのは変わらない。あいつ、引けって言ってるこっちの言う事も聴かねぇで――」
全てを聞き終わる前に総合救護詰所に向かうため踵を返したルキアだったが、静かな、けれどはっきりと聞こえるその声で自らの名前を呼ばれて、ぴたりと足が止まった。
振り返る。
「何をしている」
「……兄様……」
揺らぐ事のない兄の視線を受け、ルキアの表情が苦渋に歪んだ。どうしたらよいか解らずに立ち竦む。
「行くぞ」
「あ……あの……」
「……ルキア」
白哉はただルキアの名前を呼ぶ。それだけで充分だった。ルキアはびくりと身を竦ませると、絶望を隠すために目を閉じる。
「………はい」
項垂れて白哉の元へと歩を進めるルキアに、一角の「おい、待てよ!」という憤った声が追いかける。
「ふざけんな、ちょっと待て!お前いい加減にしろよっ!!あいつはなあ、死に掛かってんだぞ!?」
ルキアに掴みかかる勢いで前に出た腕を、横から静かに押さえられて一角は相手を睨みつけた。
「離せよ、弓親」
今まで何の言葉も発さずにその場で成り行きを見守っていた弓親は、落ち着かせるように一角の腕をもう一度強く掴んだ。
「彼女には彼女の立場があるんだろう。僕達がどうこう出来る問題じゃないよ」
「だけどよっ……!!」
「……すまない」
小さく、白哉に聞こえないほどの小さな声で、ルキアは一角と弓親に向かって呟いた。
「……恋次を……どうか……」
「ルキア」
温もりのない冷たい声で呼びかけられ、ルキアは口を閉じると、視線だけで必死に二人へ想いを告げる。
弓親は小さく頷くと、ルキアは頭を下げ、白哉の元へと歩み去った。
「……なんだったんだよ?」
まだ納得できない様子で一角が憤然と呟くと、弓親は溜息をついて、
「大変なんだよ、貴族は……しかも養子の身とあってはね。彼女も苦労する……」
けれど他人はどうすることも出来ない。恋次の最近の荒れ様に思いを馳せつつ、弓親は一角を促して恋次の元へと向かった。
「……賢明な判断だったな」
ルキアの前を歩きながら、白哉は何時もと変わらぬ静けさで呟く。
「は……」
自分の足先を見ながら、今すぐにも恋次の元へと駆けつけたい自分の心を兄は気付いているのだろうと、ルキアは暗く考える。
「……お前は『朽木』ルキアだ。それを片時も忘れるな」
―――過去は全て棄てるように。
「はい………」
何時ものようにルキアは頷く。もう何年もそうしてきたように。逆らえる筈のない兄の後姿を見つめながら。
「はい……兄様」