恋次は風に似ている、とルキアはよく思う。
 重さを感じさせない動きはまるで空気と一体になっている様。
 時に激しく荒々しく、時に穏やかに優しく……同じ風でも、日によって見せる姿は違う。
 それは恋次も同じこと。
 世界や大人に対して見せる憎悪と嘲笑、同じ境遇の子供や弱者に見せる優しさと強さ。
 その時々で恋次の纏う空気は違う。
 苦しい世界に、不平等な世の中に挑むように走り続ける姿は―――凄烈な、清冽な風。
 そしていつか風のようにこの町を去ってしまうのではないかと、ルキアは不安を抱いている。
 それは危惧というよりも確信。
 恋次はいつか、この町を離れ自由な世界へと旅立ち、生きていくのだろう。
 そしてその時自分は何を思うのか―――ルキアは小さく溜息をついた。


 風を引き止めておくことなど出来ない。
 まして、自分のものにすることなど。





「ルキア。―――何処に行っていた」
 開けた扉の奥から、覇気の無い声がする。覇気、若しくは生気、と言い換えてもいいかもしれない―――淀んだ声。
 父親の顔に笑顔がなくなって随分と経つ。父が笑わなくなった日、その最初の日をルキアはよく覚えている。
 ―――母さんが死んだ日から、父さんは変わってしまった。
 その言葉は何度もルキアの胸のうちで呟かれていた言葉だった。
 そして、決して口にすることは無い言葉。
「ちょっと―――あの、」
「あの小僧のところか」
 咎める響きに、ルキアは何も言わずに俯いた。嘘を吐くこと、それはルキアの嫌いなことだ。けれど正直に言えば父の機嫌が悪くなることは目に見えている。だからルキアはいつも、言えないことが出来ると俯くしかなく、そしてそれは、父親の言葉に頷いていることと変わらない。
 父親の舌打ちの音に、ルキアは身を竦ませた。
 父が恋次のことを嫌っているのは知っている。大人を莫迦にするように、挑発的に店から物を盗んでいくのだ、この界隈に住む大人たちの恋次を見る目は冷たい。
 けれど、ルキアは知っている。恋次が盗んだものを、貧しい子供たちに―――戦争孤児となり、引き取られた他人の家に気兼ねして満足に食事の取ることの出来ない子供、引き取られた先の家の子供に虐げられ、少ない食べ物を奪われる子供たちに分け与えているということを。
 恋次は決してそのことをひけらかさない。事実を知っているルキアにも硬く硬く口止めをした。分け与えているものは盗品、受け取ったその子供たちに累が及ぶのを防いでいるのだろう。
 そんな恋次の優しさを、大人たちは知らない。
 いや、知ろうともしない―――少し目を凝らせば、ほんの少し注意深く周りを見れば、すぐにわかることなのに。 
「あんな盗人と付き合うなと何度も言っただろう。あんなのは人間の屑だ」
「違うよ、父さん……」
 呟くルキアの言葉を無視して、無気力な視線をルキアに投げ掛け、父親は作業場へと戻って行った。直ぐにかつかつと石を削る音がする。
 黙々と日の光を遮った窓の下で鑿を振るう父の後姿を、ルキアは悲しそうに見つめ、作業場の扉をそっと閉めた。
 

 母は、元は裕福な家の出だったという。
 その家に、職人として出入りしていた父と母は出会い―――周囲の反対に半ば駆け落ちのように母は家を飛び出し、この町へ父と二人辿り着いたと聞いた。
 子供の自分から見ても、母はとても美しかったと思う。白い肌と黒い髪。優しい声、柔らかな手。
 父は母を愛していた。
 裕福な家を捨て、共に歩む道を選んだ母のため、父は必死で働き、その苦労は見せずによき夫、よき父で在り続けた。
 ―――母がこの世から去るまでは。
 母の姿が消えてから、父は笑うことがなくなった。腕の良い細工師だった父には、貴族の固定客も多かったが、その仕事も全くしなくなった。一日何もしない日々が続き、やがて酒に溺れるようになり―――その父を、まだ子供だったルキアには如何することも出来ずにただ見つめているしかなかった。
 幼い自分。母を失い、父も失い―――誰に省みられることもないと泣いた自分。何故死んでしまったのかと母を責め泣いていた自分。何故自分を見てくれないのかと心の内で父を責める自分。
 そんな時に―――ルキアは恋次と出逢った。










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