ルキアが恋次と初めて逢ったのは、町の外の、何も無い―――ただ砂漠の広がる場所だった。
見渡す限りの、砂、砂、砂―――人影も無く、動くものは無く、ルキアはそこで初めて大声を上げて泣いた。
家で泣くことはできなかった。家では父が母を想い泣いている。悔やんでいる―――何不自由ない裕福な生活から、母にこの暮らしをさせてしまった自分自身に対して憤っている。裕福な実家にいれば、あの病も充分な金の力と栄養とで癒えたかもしれない。それ以前に、自分に付いて来なければ病に罹ることもなかっただろうと、父は己を責め続けていた。
だからルキアは家では泣くことは出来なかった―――母の変わりに幼い手を荒らして家事を担い、父が笑ってくれるように、母がいた頃の父に戻ってくれるようにと必死になるルキアに、父は酷く冷たい視線で―――「お前は母さんを忘れるつもりなのか」と言葉を投げつけた。
父は母を愛していた―――この世の誰よりも強く。
母の血を引く娘であっても、自分では母の代わりにはなれない。父の救いにはなれない。
母を忘れるつもりなどなかった。母を愛していた。けれど、同じ強さで父も愛していた―――父の苦しんでいる姿を見たくなかった。父に笑ってほしかった。その努力は全て―――父にとって、ただの腹立たしい行為でしかなかったのだと、幼いルキアは知った。
父を救うことは出来ない。
父に愛してもらうことは出来ない。
父にとっては、母在っての自分だったのだ。
誰も自分を必要としない。
誰も自分を省みない。
僅か7歳でそれを知った、知らざるを得なかったルキアには、ただ独り、誰もいない場所で泣くことしかできなかった。
砂の上に倒れ付し、誰に憚ることも無く大声で泣いた。砂を掴み慟哭した。風の音しか聞こえない広大な砂の世界で、そのまま砂に埋もれて死んでしまおうかとも思った。誰も自分の不在に気付くことはないだろう。
どれだけ泣き続けただろう、ふと気付くと自分よりも少しだけ年上に見える少年が、少し離れた場所から何も言わずにただ自分を見つめている事に気がついた。
その紅い瞳に浮かんでいるのは、好奇心でもなく、不審でもなく、探る様も尋ねる様も、同情も憐憫も蔑みも何もなく、ただ、ルキアを見つめているだけだった。
何時から居たのかはわからない。けれど、少年の背後には、周囲に比べて砂が無い―――それは、随分と長い間、その場に座って風を受けていたということだろう。少年の身体が盾になり、背後の砂が積もらない長い時間、少年はルキアを見つめ続け―――見守っていたということか。
ルキアが気付いたことを知っても、少年は動くことはなかった。ただルキアを見つめている。その静かな瞳に、ルキアは―――誰にも見せなかった心を吐露してしまった。見知らぬ少年だった、という所為もあるかもしれない―――自分に関係のない者だから、誰にも言えなかった悲しみを、口に出来たのかもしれなかった。
母が病で死んだこと。
父が変わってしまったこと。
昔の父に戻って欲しくて、慣れない家事を一生懸命にがんばったこと。
その父に、冷たい娘だと言われたこと―――。
父に必要とされず、父に愛されない哀しみを、ルキアは見ず知らずの少年に、今まで誰にも言えなかった自分の胸の内を初めて明かした。
ルキアが話している間中、少年はやはり何も言わなかった。
ただ、全てを吐き出し、嗚咽を洩らすルキアの頭を―――優しく撫で、そして。
「優しいやつだな、お前」
そう、一言だけ。
母を救えず。
父を救えず。
死んでしまった母を責め。
変わってしまった父を責め。
そんな己の心を責め。
自分を愛せず。
父に愛されず。
父に冷たい言葉を浴びせられ、他人のような視線を向けられても。
それでもルキアは―――父を愛していた。
だから、こんなにも悲しく―――こんなにも苦しい。
「優しいやつだな、お前」
そんなルキアの頭を撫で、少年は言った。
驚き見上げた少年の紅い瞳は、とてもとても優しくて。
沈む夕日の暖かさ―――父と母と、三人でいつか見た、穏やかな夕日の、懐かしい郷愁の色。
何も言わずにただ見守っていてくれた少年の暖かさ、それにルキアは気付き―――
―――そしてルキアは再び、声を上げて泣き出した。
泣き疲れて眠り込んだルキアを背負い、少年は星空の下、砂を踏み前へ進む。
さく、さく、と踏みしめる砂の音にうっすらと目を開けたルキアは、少年の体温を感じて身動ぎした。
頭上に広がる星空に、綺麗だな、とぼんやりと思う。
自分の歳とあまり変わらない筈の少年の力強さに、不思議な安堵感を覚えてルキアは再び目を閉じる。
本当に優しいのは、この名も知らぬ少年だと思いながら……ルキアは久々に訪れた安らかな心につられるように、眠りの国へと誘われた。
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