この話は、ある時代のある場所の
今ではもう誰も知らない物語。
カルマの坂
黄土色の世界が続いている。
砂と土と埃の色。
風が吹くたびに舞い上がるそれらに染まって、家も人も大気も空も太陽さえも黄土色に侵食され、少年の視界には延々とどんよりとしたその色が続いている。
―――辛気臭えな。
手の中に在る真赤な果実さえ、この世界ではその鮮やかさを失っている気がする。それに不満を覚えて、少年は赤い果実に歯を立てた。
しゃり、と澄んだ音がして、赤い果実はその本来の色を取り戻す。
口の中に広がる甘味と微かな酸味、そして瑞々しさ。果肉をゆっくりと噛み締め、その果実を自分の身体の組成物へと変化させる。
自分がこの圧倒的な黄土色の世界に染まらない為の、それは少年の密かな儀式。
乾いた風が、切り立った崖―――剥き出しの断崖に座る少年の髪を乱して飛び去っていく。少年の視線の先の、砂だけが存在する世界へと。
見渡す限りの砂の世界。
周囲に人影はなく、少年はじっと砂の先の世界を見つめている―――実際に視界に入っている砂漠ではなく、その先の、見えないけれど確かに存在する別の世界。
こことは違う、世界を。
少年に親と呼べる存在はいなかった。
親以外の、まだ幼い自分を護ってくれる存在もなく―――少年は自分の力で生き抜くしか道はなかった。
小さな身体でたった一人、世界を相手に……闘う日々。
そう、生きていくにはあまりにも過酷なこの状況は―――「闘い」と言っていいだろう。
砂の支配するこの世界、生きる為に最も重要な水はそう簡単には手に入らず、故に食料も手にするのは困難。
何度も死を覚悟し、それでも自ら生を諦めることはせずに、少年は日々命懸けで闘った―――生きるため、生き抜くため。
生きるために水を。
生きるために食物を。
生きるために金を。
生きるために―――罪を覚えた。
否、罪という意識は少年にはなく―――それは「生きるためには必要なこと。」
罪とはなんだ?
自分が生きるために必要な僅かばかりの水と食料。
護ってくれるものもいないこの世界、生きるために必要なものは自分で手に入れるしかなく、故に少年は走る―――風のように。
誰よりも速く。
誰よりも遠く。
誰よりも強く―――ただ、走る。
その身を風に変え、生きていくために必要なそれらを手に入れる為に、自分の持てる全ての力を注ぎ―――生き抜くこと。
それが罪というのならば。
人は、生きていくことそれ自体が―――罪なのだろう。
手の中の赤い果実は全て自分の身体の中に納まって、少年の血と変わっていく。
その果実の「生命」を自分の身体の内に取り込んで、少年は立ち上がる。
まだ少年は子供に過ぎず、この砂漠を越えては行けない。
けれど―――いつか。
この砂の支配する世界を抜け出し―――必ず別の世界へと、辿り着いてみせる。
眼下に広がる砂に、少年は不敵な笑顔を向け―――走り出す。
少年の心は、この世界の殆どの人間のように決して諦めに支配されず―――自由に、そして純粋であり続けていた。
「罪」を「罪」とせず。
穢れない魂で、少年は走る。
風のように、透明な心のままに。