「―――って何すんのよ!!」
 胸に突きたてられた刃にたつきはがばっと飛び起きた。次の瞬間、一護の「うわっ!」という叫び声と「いたたた」というたつきの悲鳴が重なる。
「急に起きあがんじゃねーよ、怪我してんだろお前は!」
「人に刀突き刺しといて何言ってんのよ!!……あれ」
 胸に刺し傷はない、出血も胸ではなく虚に付けられた肩の傷だけだ。胸には刺された跡も刺された痕もない。ただ、
「何で着替えてんのよあたし」
 まさかあんたが着替えさせたんじゃないでしょうね、と右手の刀を一護に突きつけて、ようやくたつきは服の他にも自分が何故か日本刀を手にしていることにも気がついた。
 まじまじと自分の姿を見下ろすと、手には日本刀、そして―――身に付けている物は。
「これ―――」
 一護と同じ黒い着物。
 尋ねるように一護に視線を向けると、一護は沈痛な顔で俯いていた。
「一護」
「―――ごめん、たつき」
「説明、してよね」
「後だ、とにかく浦原さんとこに帰るぞ」
「あんたそう言ってまたあたしに何も言わないつもりなんでしょう!?まず説明―――」
「お前の怪我を治してからだ」
 ひょいと一護に抱きかかえられ、たつきは「うわああっ」と悲鳴を上げた。怖いから、では勿論なく、そんなことをされたことはこの16年の間に一度もなかった故の羞恥心だ。
「ちょっと、やめろ、下ろせ、自分で歩く!!」
「黙ってろ!!」
 一喝されてたつきは黙り込む。あまりにも激しい物言いに、瞬間気圧された。
 下から見上げる一護の顔は余裕がなく、酷く焦っているようだ。本来ならば一護の方が照れる筈だろうに、そんなことに思いが及ばないのか、たつきの身体を抱きかかえたまま走り出す。
「うわ……」
 そのあまりの速さ、高さにたつきは息を呑んだ。先程の虚に捉えられ移動した時と同じほどのスピード。あの時は恐怖と混乱に周りを見る余裕などなかったが、今は自分を運んでいるのが一護だという安心感もあり、めまぐるしく変わる景色をしっかりと見ることができた。
 人には有り得ない速さ―――人には有り得ない跳躍力。
 知らず、右手の日本刀を握り締めた。突然手の中に会った刀の意味もよくわからない、ただ何故かそれは自分のものだという認識はあった。―――自分の身体の一部のような。
「―――ねえ」
「何だよ?」
 視線は真直ぐ前に向けたまま、一護は走り続ける。眼下には幾人か人が歩いている。けれど誰もたつきたちに気付かない。
「ちゃんと、話してよね」
「―――ああ」
 お前の傷を治してからな、と一護はもう一度繰り返した。






 程なく帰り着いた浦原商店の中へ一護は飛び込むと、「浦原さん!」と声を上げた。「奥ですよ、入ってください」という返事に一護はそのまま奥へと進む。
「ちょっと一護、もうそろそろ下ろしてよ」
 さすがにこの状態で人前に出ることは気が引けてそう言うと、無言で睨みつけられてたつきは首を竦めた。先程からの一護は妙に迫力がある。
 一番奥の座敷に入った瞬間、目の前の光景にたつきは思わず息を呑んだ。畳の上に寝ているのは、紛れもなく自分の身体―――制服を着た、見慣れた自分。そして見慣れない程の生気のない、土気色した顔の自分を、自分が見ている。
 自分は―――死んでしまったのだ。
 ようやくその事態を思い出して、たつきの身体は小刻みに震えだした。目を見開いて自分の亡骸を凝視する。思わず縋るように一護の袖を掴むと、大丈夫だ、というように一護の手に力がこめられた。
「大丈夫だ、たつき」
「さ、まず傷を治して、それから身体に戻しますよ。テッサイ、お願いします」
 浦原がそう言うと、たつきは初めて見る筋肉質な大男が「はい」と前へと進み出た。思わず仰け反るたつきに、「大丈夫っスよ、怖くないですよー」と明るく軽く浦原は笑う。
「黒崎サンも名残惜しいのはわかりますが、そろそろ有沢サンを下ろしていただけませんかねえ」
 その言葉に一護は顔を赤くして、「そんなんじゃねえよ」と言いながら、たつきの身体をそっと布団の上に横たえた。最後にたつきの手をぎゅっと握り締め、「大丈夫だからな」ともう一度呟く。 
 テッサイの口から、たつきが初めて聞く言葉が漏れる。呪文のような祝詞のような、時代がかった言葉が発せられる度、肩の傷が癒えていくのがたつきには解った。映像を早回しにするように、目を見張るたつきの目の前で大きな穴の開いた肩口の傷が綺麗に消えていく。
「さ、次はアタシの番ですね」
 浦原に手を引かれるままに立ち上がり、足元の自分の骸を見下ろしたたつきは、背後から「はいっ!」というお気楽な掛け声と共に突き飛ばされ、気付いた時には、意識は自分の身体の中に在った。
 黒い着物の自分の身体は既にない。
「あ―――」
「これで大丈夫ですよ。大変でしたね有沢サン」
「あ、はあ―――ありがとうございます」
 呆気にとられながら、とりあえず布団から身体を起こし礼を言うたつきに頷いて、浦原は「さて」と立ち上がる。
「黒崎サンと話もあるでしょうから、アタシたちは向こうにいますよ。用が済んだら声かけてくださいね。因みにこの家の壁は薄いですからね、ヘンなことしようとしてもダメですよ黒崎サン」
「するかっ!!」
 激怒する一護へ含み笑いを投げ付け、浦原とテッサイはぱたんと襖を閉めた。
 部屋に残ったのは、―――一護とたつき。
 気まずい沈黙がしばらく続いた後、一護はようやく「―――悪かったな」とぽつりと呟いた。
 そして一護は話し出した―――たつきの知りたかったことのすべて。
 死神。虚。現世と尸魂界、死神になった経緯、戦いの経緯、織姫のこと、破面、虚圏、転入生、崩玉、王鍵、世界の危機。
 一護が何もかもを話し終わったとき、たつきは何も言わなかった。無言で見据えるその視線を受け止められずに一護は畳へ目を落とす。
「―――悪かった」
「それは何に対して言ってるわけ?」
 棘の含んだその言葉に、一護の胸は痛んだ。決して許されないだろうことはわかっていた。
「お前をこんなことに巻き込んで―――」
 最後まで言い終わる前に、一護の頬は張り飛ばされた。次いで、怒声。
「あたしが怒ってんのは、あんたがあたしに何も言わなかったことよ!!」
 睨み付ける瞳には、激しい怒りの炎が眩めいている。―――眩しいほどの生命力。
「巻き込みたくなかったとか、そんなこと何であたしに対して思う訳?あんたとあたし、一体何年の付き合いなのよ、なんでそんな事考える訳?何も知らずにいるよりはちゃんと話してくれる方がいいって、あたしがそう思うこと位あんたならわかるはずでしょう!」
「たつき」
「嘘は、隠し事は―――あたしにしないで」
 たとえそれがどんなにあたしを傷つけることでも。
 小さな声でたつきは言う。
「―――ごめんな」
「もう二度としないって誓って」
「誓う」
「何に?」
「お前に」
 たつきの顔に笑顔が浮かんだ―――嬉しさの中に、僅かに混入した哀しみの色。
「―――織姫のことを教えて。あの子は今何処にいるの?」
「井上は―――虚圏、別の世界にいる。破面―――こないだお前を襲った奴らだ、そいつらに捕まって」
「捕まって―――?」
 す、とたつきの顔が青ざめた。自分を襲った二人の人外のモノ。一瞬で空手部の皆の生命を奪ったあの存在。
「織姫―――」
「大丈夫だ」
 立ち上がろうとするたつきの手を握り締めて、一護は言う。じっと見つめるたつきの目を真直ぐに見つめ返し、一護は「俺が連れ戻す」とはっきりと口にした。
「井上は俺が助け出す」
 見詰め合ったまま、時が過ぎる―――互いの瞳に、答えを探すように。
 やがて最初に視線を逸らしたのはたつきだった。微笑んで―――「お願い」と呟き目を伏せる。心の、一護への想いを気取られないように。
「織姫を助けて。―――任せたわよ」
「ああ、必ず助け出す」
 その言葉の強さに、たつきは何かを吹っ切ったように微笑んだ。
 自分の入り込む場所はない。こんなにも一護は織姫を想っている―――。
 もう大丈夫だとたつきは想う。
 自分の居場所は、一護の中に確かに在る。
 幼馴染、喧嘩友達。
 その場所で充分だ。
「怪我するなよ。絶対二人とも無事で戻って」
 その時は織姫に謝って―――織姫は何で謝られたかわからないだろうけど、とたつきは笑った。
 それで―――あたしは……。
「言っとくけどな」
 怒ったように一護はたつきを見つめてそう言った。たつきの心を読んだように、真直ぐに。
「俺が名前で呼ぶのは、お前だけなんだからな」
「―――?」
「特別なのは、一人ってことだよ」
 勝手に誤解するなよ、と今は視線を逸らしてそう言う一護の頬は赤い。
「―――あの転入生も、あんた名前で呼んでんじゃない」
「あ」
 愕然とした表情で、呆けたように一護はたつきを見つめた。
「いや、あれは……柚子と夏梨と一緒だ、家族みたいなもんだ」
「……余計特別って言ってるように聞こえるけど」
「違うって!なんつーかあいつは恩人みたいなもので……言葉通り家族だよ、一緒に住んでたし」
「へえ、そうなんだ」
 声のトーンが一本調子なたつきに一護はしまった、と蒼褪めた。言わなくてもいい余計なことまで口走ってしまった己の迂闊さを呪いつつ、慌てて言い募る。
「大体あいつは恋次……赤毛の死神と出来てんだぞ?」
「ふうん、まあいいわ別に」
 ふい、とたつきは顔を背けた。一護の視界から自分の表情を隠す―――複雑な感情の表れたその顔を。
 そのたつきの姿をしばらく見つめ、一護は「たつき」と呼びかけた。たつきの身体がぴくりと震える。
 その言葉を待っているのか、恐れているのか。
 たつきにはわからない。
「俺は―――もう、お前に嘘も隠し事もしねえよ」
 自分の心臓の音が聞こえる。耳を打つその鼓動に気が遠くなりそうだ。
「たつき―――俺は、お前が」
「帰ってきてから!」
 一護の声を遮るように、たつきは声を上げた。
「帰ってきてから―――言って。そうしたらあたしもちゃんと言う。あんたにも―――織姫にも」
 だから、無事に戻ってきて。
 たつきのその真摯な願いに、一護はゆっくりと頷いた。



「―――あんたが帰ってくる頃には、あたしも立派な死神になってるわよ」
 え、と嫌そうな顔をする一護を無視してたつきはにやりと笑う。
「ただ黙って護られるだけの女なんてごめんだわ」
 自分は何て我儘だろう、とたつきはこっそりと笑う。
 欲しいものは全てなのか―――欲しい場所は、全てなのか。
 ひとつでは満足できない。
「あたしはあんたの背中を護る」
 諦めたように一護が笑う―――その笑顔を受け止めて、たつきも笑った。




 


「終わりましたか、話」
 店先でそう声を掛けられ、一護は頷いた。たつきはまだ奥で寝ている―――身体も傷ももうすっかり回復していたのは一護にはわかっていたが、回復には時間がかかると言って、帰ろうとするたつきを押し止めた。もう一度浦原さんに見てもらってから、という一護の言葉にたつきは素直に頷いて、一護に向かって「じゃあね」と言った。
 万感の想いを込めた挨拶。
「ああ」
 万感の想いを込めた返事。
 嘘は言わない。
 一護はたつきに必ず無事で帰ってくると約束した。
「―――お願いがあるんです、浦原さん」
「何ですか?」
「たつきに―――記憶置換を。今日のこと、忘れるように。それで―――俺が戻るまで、あいつを護ってくれないか」
「―――いいんですか、それで」
「―――俺のことは帰ったらもう一度最初からきちんと話す。でも、あいつが―――死神になるのは」
 生命の危険、世界の重圧。
「あいつはそんなものとは―――無縁でいてほしい」
 自分は何て我儘なのだろう、と一護は笑う。
 欲しいものはひとつ―――護りたいものは、たったひとつ。
 それ以外は何もいらない。
「俺はあいつを全てから護る」
 諦めたように浦原は笑う―――その笑顔を受け止めて、一護も笑う。
 全ての迷いが吹っ切れた笑顔だった。







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