目の前の邪魔な扉を壊すほどの勢いで開いたその先に、一護の目に真直ぐに飛び込んできたのは浦原の鋭い視線だった。
そしてその後ろ、テッサイの大きな身体、その顔に浮かぶ悲痛な表情。
その両脇に見える、悔しそうなジン太と心配気な雨の顔。
そして、その4人の真中に、畳の上に横たえられた、力なく投げ出された手、普段の色とは比べ物にならない、白い、白、い、手。
「―――おい、冗談だろ」
は、と一護は笑った。有り得ない状況を今目の当たりにしている。有り得ない状況、つまりこれが現実であるはずが無い。何かの冗談、しかもとびきり性質の悪い冗談だ。
「何してんだよ、何でお前がこんなところで寝てんだよ」
笑いながら、一護の声は震えている。現実であるはずが無いのに、どうしてこんなにリアルなのか。何故こんなに空気が重いのか。何故、何故―――
「何で―――お前の霊圧がないんだよ!!!」
欠片も感じられない―――いつも、眩しい太陽のように感じていた熱いエネルギーが、欠片も。
「何で、鎖が切れてんだ―――何とか言えよ、おい!!!」
「―――虚に襲われたんですよ」
背後からかけられた声に、一護は勢いよく振り返った。まるで目の前の浦原が虚そのもののように、憎しみをこめてにらみつける。
その凄まじい目付きに怯む様子は無く、寧ろ浦原はそれ以上の厳しさで一護を見据える。日頃の飄々さは微塵も見せず、浦原は一護を見つめ、言った。
「虚の気配に私たちが駆けつけたときには遅かった。既に胸の鎖は引き千切られ、地面に倒れている彼女を発見しただけです」
「な―――なんで、だよ」
日に焼けた健康的な肌の色、その色は今は―――不吉なほどに白い。いつも皮肉気に歪められる唇も、鋭く見つめる瞳も、明るい声も、何も、感じることが出来ない。
「なんでだよ―――なんでお前が!!何でだよ!?何とか言えよたつき、この馬鹿野郎!!」
「アナタの所為ですよ、黒崎サン」
冷たく言い切られたその言葉に、一護は呆然と浦原を見つめた。虚脱したように見つめる一護を糾弾するように―――否、浦原は糾弾する。
「アナタは今まで不思議に思いませんでしたか?」
浦原の声を耳に入れ、一護はもう一度畳の上に横たわるたつきを見下ろした。
頬にあるのは、―――涙の筋か。
こんな風に泣かしたのは―――紛れもない自分。
「アナタの近くにいたから、井上サンと茶渡サンは高い霊力を持つようになった。井上サンはよくアナタと話していた。そう、もしかしたらアナタに特別な感情を持っているかもしれない。そして茶渡さん、あの人はアナタと以前から友人同士だ。その、アナタに近い二人が、アナタの近くにいた所為で、ああも大きな能力を得た。それなのに」
最後に見たたつきの顔。
泣きそうに歪んだ―――その、たつきの顔。
「何故、井上サンよりもよく言葉を交わす、井上サンよりもアナタに深い感情を持っているであろう、茶渡サンよりも以前からあなたと友人だった有沢サンは、何故そこまで力が高まらなかったのか、と」
たつきにそんな顔をさせたくなかった。
不安な顔をさせたくなかった。
「アナタの所為なんですよ―――黒崎さん」
のろのろと一護は浦原に顔を向けた。息絶え横たわるたたつきと同じ程の顔色で。
「力が向上するのもアナタの所為ならば、増大する力を抑えていたのもアナタ。アナタは有沢サンに、無意識に働きかけてたんですよ―――強力にね。有沢サンを巻き込みたくないと―――この死神の世界、闘いの世界へ」
そうだ、と一護はぼんやりと考える。
たつきを巻き込みたくなかった。こんな、世界の存続等という重いものを背負わせたくなかった。生命の危険が常在するこんな世界に、たつきを巻き込むわけにはいかなかった、絶対に。
「―――言霊、って知ってますか」
突然話題を変えた浦原の言葉を聞いているのか、一護はただ虚ろな目をたつきの―――たつきだったものに向けている。
「言葉には霊的な力があります。言葉それ自体に力がある。そして想いを込めてそれを発した者の霊力が強いほど―――その効力は絶大」
言葉。
最後にたつきにいった言葉、本気で言った言葉―――本気でついた嘘。
「『お前には関係ない』―――その言葉は力を持つ。アナタは有沢サンに言ってしまった―――『関係ない』と。そう、言霊は効力を発し、アナタと有沢サンの関係はなくなってしまった―――アナタが無意識に有沢サンを護っていたガード、それが―――壊れた」
俺に関わるな―――お前には関係ない。
泣きそうに歪んだ、たつきの顔―――。
「有沢サンの能力の上昇を抑えていたアナタの力が壊れた。あとは一気に、今まで抑えられていた反動の所為もあって、爆発的に有沢サンの能力は増大、拡大し―――けれど有沢サンにそれを制御する知識はない。自分の身に起きている変化に気付くことなく、けれど周囲には影響を―――こんな霊圧濃度の高い人間を見過ごす虚はない。アナタの時と同じですよ。アナタが朽木さんと初めて逢った時と同じ」
虚はヒトを喰らう。
霊圧濃度の高い人間を狙い、その魂魄を取り込み―――己の力に。
「虚は有沢サンを襲い―――胸の鎖を断ち切った」
その時たつきは何かを叫んだだろうか。
その声を―――自分は聞き逃した。
自分の名前、ただ一つのものを護る、この名前。
護りたかったものは。
「畜生!畜生!畜生!畜生!!畜生!!!畜生――――――――ッ!!!!」
護りたかった、護るんだと誓った。
絶対に護る、だからお前を、俺は、だからそばにいられなかった、だから話せなかった、だから、お前を護ると、俺は俺からお前を護ろうと、俺は俺は俺は――
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
喉が裂けるほどの悲痛な絶叫―――叩きつけられる拳に血が滲む。
「―――自覚しましたか」
自分の中の大切なものを。
静かに告げられる浦原の声に、一護は何も答えられない。
自覚してももう遅い。
護るべきものはもう、この世界にはない。
護るべき笑顔は、もうこの手には戻らない。
「何をいじけているんですか、有沢サンを死なす気ですかアナタは」
「―――え?」
俯いていた顔を上げ、一護は縋るように浦原を見つめた。狂おしいほどの希望をこめて見つめる一護に浦原は僅かに苦笑し、「まだ有沢サンは助けられるかも知れませんよ」と言葉を続ける。
「でも、鎖が―――」
「アナタも夏に鎖が切れませんでしたか」
「あ―――」
夏―――尸魂界へルキアを奪還しに行く直前。白哉に死神としての力を奪われたときに、死神の力を取り戻すために浦原に切られた胸の鎖。
鎖を切られた人間が生き返る方法は唯ひとつ、それは―――。
「そう、こうなっては方法は一つ。有沢サンを見つけて死神化させる―――それしか方法はありません」
それが唯一有沢サンを助ける方法ですよ、と浦原は厳しい顔でそう言った。
「それも急いで。もう時間がない―――虚に喰われたらそれでお仕舞いです」
「死神化―――だけど、どうやって」
「アナタはどうやって朽木サンに死神にされたんですか」
一護の顔に生気が戻る―――同時に浮かぶ、決意の色。
お前を護る。
ただ一つ、俺の護るべき対象。
死神代行の印を掴み、身体を抜け霊体へと身を変える。
「私たちが有沢サンを見つけたのは10分前。急いでください、魂魄が消えてしまったら―――もう打つ手はない」
その言葉すべてを聞き終える前に、一護の姿はこの場所から消えていた。
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