1ヶ月ぶりの学校に、自分を見る級友達の視線がどこか余所余所しいものに感じて、一護は誰にも見られないよう小さく笑みを浮かべた。
 酷く歪んだその笑みは、一護の心象を良く表している。
 元々、派手な髪の色と中学からの通り名のお陰で、不良とまでは行かないが一般生徒とも見られていなかったのは承知していた。それがこの1ヶ月学校に行かなかったことで、自分の肩書は立派な「不良」に昇格したようだ、と一護は笑う。
 この先、再び休むことになる学校―――もしかしたらもう二度と来ることはない学校。
 そう考える一護の目は、一護も気付かない間に、何かを―――誰かを、探している。
 最後だから。
 もう二度と逢えないかもしれないから。
 一護の目は無意識にただひとりの姿を捜し求める。



「一護!イチゴイチゴイチゴひさしぶ……っ」
 飛び掛ってきた啓吾を無慈悲に足で踏み倒し、水色は一護の目の前で爽やかに「本当に久しぶり」と笑った。
「何してたの、1ヶ月も休んで?心配したよ!ケータイも繋がんないしさあ」
 普段と変わりなく―――以前と変わりなく。啓吾も水色も一護に接する。
 それが二人の優しさだと、それだけ二人に心配を掛けていると、一護には痛いほどわかる。  
 気を引き立たせようとしてくれている啓吾、気遣いをしてくれている水色、けれど―――その二人の気持ちにも応える余裕は、一護にはなかった。
 ―――消えた井上。
 自らの意思で虚圏へと赴いたと―――そう告げられた言葉はとても信じられるものではなかった。
 微かに残っていた井上の霊圧。
 最後に立ち寄ったのが自分の部屋、そして何も言わず―――傷を治し立ち去った。
 何が井上に起こったというのか。
 そして自分は如何するべきか―――。
 答えは決まっている。
 それ以外にありえない。
 けれどこうして躊躇している自分が居る―――。
 一護はそんな自分があまりにも身勝手ゆえに唇を噛む。
 ―――ルキアを助けるために共に尸魂界へと向かい、自分を庇って破面の攻撃を受け―――ここまで膨大な借りが自分にはあるというのに。
 本来ならば直ぐにでも虚圏へ向かうのが本当だろう。普段の一護ならばその行動に躊躇は無い。ルキアを助けに尸魂界へと向かったように、その行動に迷いは無いはずだった。
 けれど。
 一護は―――学校へと足を運んだ。
 無意識に、ただひとりの姿を捜し―――。
「一護ッ!!」
 ただひとつの声を捜し。
 けれど、求めていた姿を、声を前にして……一護は何も言えず、真直ぐに目を合わせることも出来なかった。
 1ヶ月ぶりに見る幼馴染。
 出逢ったときから今まで、こんなに離れていたことはなかった。
 こんなに―――心が離れていると感じたことはなかった。
 荒い呼吸、睨みつける眼光の鋭さ。
 どこか憔悴した雰囲気は気の所為か。
「……何だよたつき」
 無言でしばらく一護を見つめた後、たつきは「織姫がいないんだ……」とはっきりと口にした。瞬間、一護は息を呑む。
「織姫がいないんだ……!家にも……どこにも」
 一番触れられたくなかった。
 たつきにそれを言われるのが一番辛かった。
 井上の一番の親友、いつも井上と一緒だったたつき。
「昨日あの子の感覚が消えて…そっからずっとあちこち探し回ったけど……いないんだ何処にも」
 昨日一日……探し回ったというのか。
 たつきにとっての井上。
 いつも一緒だった二人。 
「一護、……あんた」
 たつきの目が射るように、糾弾するように。
 無力な自分を責めるように、無責任な自分を責めるように―――。

「織姫が何処に行ったか知ってんじゃないの?」

 知っている。
 知っている、けれど、―――一護には何も言えない。何を言うことが出来るだろう、何も知らないたつきに対して。
「何だそりゃ?何で俺が知ってんだよ」
 呆れたように一護は言う―――大したことではないように、ありふれたことのように、日々の日常から逸脱している世界を悟られないように。
「大体ホントにいなくなったのかよ?もっかいちゃんと捜して……」
「ふざけんなっ!!!」
 一護の目にも留まらない速さで、たつきの手が一護の胸元を掴んだ。そのまま窓へと押し付けられる。憤怒の焔が見えるような、熱い熱いたつきの気が、一護を打つ。
「ずっと感じてたあの子の感覚が消えてんのよ……!あの子が近くに居るっていう感覚が!ここしばらくは確かにどっかの壁の向こうに居るみたいに小さな感覚になってた……でもそれも昨日急に消えたんだ!あんた何か知ってんでしょ!一護!」
「しつけーな!知らねえって言ってんだろ!!オマエおかしいぞ!何言ってんだよ!!」
 怒鳴り返したのは余裕のなさの表れ。
 一護にはたつきの言葉が理解できなかった。「ずっと感じていた感覚」「壁の向こう」「昨日急に」……まるで、たつきが人の霊圧を感じているような、その言葉。
「……あんた…あたしが何も知らないと思ってんの……」
 挑むような、その視線。
 以前見たことのあるその視線―――それは確か、中学の頃、一人で他校の不良10人と喧嘩したことがたつきにばれた時と同じ視線。何故自分に言わなかったのか、一人でそんな事して怪我をしたら如何する気だこの馬鹿、と怒鳴られた中学二年の夏。
「見えてんのよ、黒い着物のあんたも……ソレ着て妙な連中と戦ってるあんたも……!」
 衝撃に目の前が真白になった。
 何も言うことが出来ず、一護はただたつきを見つめる。
 胸が痛むのは、たつきが掴んでいる所為ではなく。
「……一護」
 たつきの顔が、歪む……泣きそうに、子供のように。
 たつきは、いつも他人の為に泣くのだ。
 ―――そんな顔をさせたくなくて、だから俺は……
「……もういいだろ……隠してること全部」
 知っていて、何も言わず。
 たつきはただ、一護から言ってくれるのを待っていた。
 いつか話してくれるだろうと、一護を信じ待っていた。
 一護はたつきを巻き込みたくないという想いから―――たつきを遠ざけた。
 何も言わないことがたつきの為だと、それを信じたつきから離れた。
 その結果が―――現在。  
「……あたしに話せよ」
 その結果が―――

「……お前には……関係無えよ」

 破綻。
 関係の終わり。
 二人の12年の時間の終焉。
 
「お前には、関係無えよ」
 その言葉を聞いた瞬間の―――たつきの顔が、一護の目に焼きついている。



 次の瞬間響き渡った硝子の割れる音―――それは硝子の割れた音だけではなく、たつきの心が割れた音。
 自分を硝子に叩きつけたたつき。
 たつきの心を砕いた自分。
 硝子の砕けるその音は―――たつきの絶叫。
「何なんだ……あたしはあんたの何なんだよ!!」
 胸を抉るような叫び―――怒りと哀しみと、恐怖とが入り混じった叫び。
「友達じゃねえのか!!仲間じゃねえのかよ!!あんたが困ってるトコ何回も見たろ!何回も……助けてやったろ!!」
 助けてもらった―――何度も、何度も。
 たつきが自分で思っているよりも多く深く、たつきは自分を助けてくれた。
「そのあたしに……あたしに……隠し事なんか……すんじゃねーよ……」
 啓吾に後ろから止められながら、たつきは最後に「バカヤロー」と呟いた。
 助けてもらったお前だから、ずっと一緒にいたお前だから―――何も言うことは無い。
 ただひとつ言えることは。

「俺に……関わるな」

 もう、たつきは何も言わなかった。













 処分決定まで、自宅待機。
 担任の越智にそう言われたたつきは無言で頷き、学校を後にした。
 元々織姫を捜しに行くつもりだったのだ。学校に行ったのは一護に会いに行っただけに過ぎない。
 ―――織姫、あんた何処に行っちゃったのよ……
 一昨日、初めて織姫を疎ましいと思ってしまった。
 その罪科がこの状況。
 自分の所為だ、という罪悪感、自己嫌悪。大切な友達をそんな風に思ってしまった自分への憤り。
 誰かに聞けば、たつきの所為ではないと皆が口を揃えて言うだろう。たつきが織姫に抱いた想いと織姫の不在は全く関連は無い。
 けれどたつき自身が納得しない。罪悪感に苛まれる。
 昨日一日、方々を捜した。織姫の気配を捜して街中を歩き回った。
 けれど、いない。
 見つからない。
「おや、どうしましたか有沢サン」
 店先に立つたつきに気付いた浦原が、手を止め顔を上げた。たつきに気付く直前、この男にしては妙に厳しい顔をしていたのがたつきの心に引っかかる。
「織姫が―――いないんです」
 自分の知る限り、織姫が最後に来た場所。
 一昨日、地下から感じていたあの凄まじい気配はもう今は無い。その何も感じない気配が、逆に不安を煽った。
「ご存知ないですか、織姫が―――何処に行ったのか」
 浦原の表情が、先程と同じように普段の軽さをなくし真剣なものとなった。この表情がこの人の本来の顔なのか、とたつきは息を呑む。
「知ってますよ。ただ―――私からは言えません。井上さんの行方を言うと、それ以前の事の発端から話さなくてはいけなくなりますからね。そしてそれは私の役割じゃない。それは―――黒崎サンがアナタに伝えなくてはいけないことです」
 黒崎サンに聞いてみてください、と、再び軽さを取り戻し浦原は言う。
「―――関係ない、って」
「え?」
「関係ない、俺に関わるな、って言われました―――一護に」
 唇を噛み締めてたつきは言った。思い出すだけで胸が痛い。砕けた心は、いつか修復できるのだろうか?
「有沢サン―――」
 零れそうになる涙を見られたくなくて、たつきは無言で頭を下げ背中を向けて走り出し、その場から離れた。
 背中で自分の名を呼ぶ声が聞こえたけれど、立ち止まることはしなかった。
 そのまま逃げるように走る。―――そう、逃げていた。この世界から。一護に拒絶された世界から。
 一護の中には、もう自分の居場所は無いのだろう。
 一度零れてしまった涙はもう止めることが出来ず、ただあとから後からあふれてたつきの頬を伝う。そんな自分が不甲斐ない。何故この程度で、こうもダメージを受けているのか。
 まるで全てを失ったみたいに。
 この世界から逃げ目を閉じ耳を塞ぎ―――だから、常ならば直ぐに気付くはずのその気配に、たつきは気付くのが遅れた。
 そして、その遅れは致命的―――絶望的。
「何で今まで、こんなご馳走が誰の目にも触れなかったのかねえ……」
 巨大な影、醜悪な形―――異形のモノ。
 人の言葉を話す人外のそのモノは―――立ち尽くすたつきを見て、にやりと笑った。
「俺はすこぶる運がいい。これほどの霊力を持つ人間を喰えたら、あの方のお役に立てること間違いない……」
 嗤って―――哂いながら。
 人外のモノは、目に留まらぬ素早さでたつきに太い手を伸ばし―――恐怖に目を見開くたつきの胸に、触れた。
 その瞬間、ひどくゆっくりと時間が流れるのを、たつきは人事のように茫然と感じていた。
 化け物の手が、たつきの胸に触れ―――無理矢理身体を引き裂かれるような痛み―――衝撃、そして―――虚無感、絶望―――胸の、鎖。
 胸の鎖が、引き千 切 ら れ―――。
「――
 一 護 ……!」
 たつきの唇からこぼれた言葉、それはすぐに風に散って霧散した。
 後に残ったのは―――生命の鼓動を絶たれた、一瞬前までたつきだったもの―――それだけ、だった。
 





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