「ねえ、きのう見た?」
何を、と言わなくても二人の間には通じたのだろう、小さな少年は問い返すこともなく「うん!」と大きく頷いた。
「見たよ、すごくどきどきしちゃった」
夕日を浴びて更にオレンジ色に輝く髪の少年の隣を歩く、一見すると男の子に見間違える黒髪の少女は、肩に空手の道着を担いで少年を振り返った。
「やっぱ強いわ、『カイザー』!」
それからひとしきり、少女はその「カイザー」について目を輝かせて語った後、「でも」と突然表情を変えた。
「でもさ、あたし、ちょっとヤだったな、昨日のはなし」
川べりの道を二人並んで歩く。川面に夕日が反射してきらきらとオレンジ色に光る。辺り全てが少年の髪と同じオレンジ色。
「何が?たつきちゃん」
あのテレビはたつきちゃんのお気に入りじゃない、と少年は不思議そうに言った。
子供向けのヒーロー番組、悪の組織に遺伝子操作された動物と植物のキメラ、次々に現れるその敵に、みんなを、平和を護るために一人立ち向かう主人公。
その番組がたつきの今のお気に入りで、放送日の翌日はいつも興奮したように話すと言うのに、今日のたつきのテンションはいささか低い。
「ほら、昨日はアシュラ公爵とサヤカさんにカイザーの正体ばれそうになったでしょ?」
「うん。よかったよね、どっちにもばれなくて」
「あたしはそれが気に入らないの!!」
じろっと睨まれて、気の優しそうな少年は驚いたように目を見張る。
「いいじゃん、カイザーがコウジだってみんな知った方が!だって一人でたたかうなんてさ、そんなのひどいよ。がんばってもだれも知らないんだよ?みんなをまもってくれてるカイザーがコウジだってこと。そんなのずるいじゃん」
拳を握り締めてたつきは言う。
「がんばってもだれもコウジにありがとうって言わないなんて、そんなのさ」
その気持ちを何と表現していいのかわからないのだろう、たつきはもう一度「ずるいよ」と繰り返した。
最初は驚いたように聞いていた少年は、思案気に首をかしげている。たつきと同じように空手の道着を、こちらは行儀良く鞄に入れて持ち歩きながら、「でも」と呟いた。
「でもね、ぼく、ちょっとわかるなあ。コウジがだれにもカイザーに変身するの知られたくないきもち」
「何よ?」
たつきが怒ったように少年を睨みつける。それが本気ではないと知っているから、少年はにこにこと言葉を続けた。
「だって、コウジがカイザーだってみんな知っちゃったらたいへんだよ。たとえばさ、アシュラ公爵にカイザーの正体がばれちゃったら、ぜったいサヤカさんとかシロウくんとか博士とか、コウジくんの大事な人、ねらってくるよ。アシュラ公爵わるいひとだもん」
「うー……」
「それにさ」
少年はにこにこと笑っていた表情を曇らせる。心配そうなその表情を少年が浮かべると、たつきはどうにも落ち着きが悪い。
「たつきちゃん、『セイギノミカタ』でしょ?」
「は?」
「たつきちゃん、いつもぼくたちの味方でしょ?わるいことしたりずるいことしたりしたら、あいてが三年生でも、たつきちゃん、ぼくたちのためにおこってくれるじゃない」
川原沿いの歩道の砂利を見下ろしながら、少年は哀しそうに言った。その行為を責められるとは思っていなかったたつきは憮然とした顔になる。
「なに、それがいけないの?」
「いけなくないよ、いけなくない。たつきちゃんはすごいよ。セイギノミカタだよ。でもね……」
「なによ」
「……ぼく、そのたんびにこわいんだ。たつきちゃんがケガしたらどうしよう、って」
足を止めて、少年は真直ぐにたつきを見つめた。背の高さは同じくらい、目線も一緒。その視線は真直ぐで真摯だった。
「たつきちゃんがケガしたらと思うとすごくこわいよ。だからさ」
合わせていた視線を逸らし、止めていた足を動かして少年は歩き出す。先程まではたつきが先を歩いていたが、今度は少年が先にたって歩く形になった。
「コウジもさ、きっと。だれにも知られたくないのは、サヤカさんとかシロウくんとか博士に、しんぱいさせたくないからじゃないのかなあ」
「……わるかったわね、しんぱいさせて」
頬を膨らませて、たつきはそっぽを向いた。そんなたつきに、少年は「だからね」と慌てて言い募る。
「ぼくが、たつきちゃんをまもってあげるよ」
「……あたしに一度も勝ったこともないくせに何言ってんの?」
「い、いまは勝てたことないけど!でもぜったい、たつきちゃんよりつよくなって……」
「ぜったい、あんたにはまけないし。どっちかっていうと、あたしがあんたをまもるようなきがするよ、ずっと」
「そんなことないよ、ほんとだよ、ぼくぜったいつよくなるんだから……!」
「あ、泣いた!泣き虫、なーきーむーしー一護!!」
笑いながら走るたつきの後を、涙ぐみながら「ないてないよ!」と追いかける少年―――一護の姿。
『ぼくが、たつきちゃんをまもってあげるよ』
顔を真赤にさせて、力強くそう言った少年。
―――それは、たった9年前の話。
next