「どう? 何かわかった?」
 勤務が終わった日が落ちた夜の道、背後から掛けられた声は違えど、聞かれた内容は今日で既に5回目だ。それだけ話題の主が皆に心配されている証なんだろうと考えながら、当の相手を諸々心配している筆頭である檜佐木修兵は振り返った。
 長い金髪の、豪奢な美人がそこにいる。
「こんにちは、乱菊さん。今日も綺麗ですね」
「そんな当たり前のことは言わなくてもいいのよ。で? 何か進展はあった?」
 軽口の応酬は二人にとって挨拶となっている。いつもの通りに挨拶をかわすと、修兵は周囲をちらりと見回した。幸い周囲に人影はない。
「まあ多少は……」
「何勿体ぶってんのよ?」
「いや、流石に他の奴らに聞かれちゃまずいかなと。四十六室もかかわってますしね。――という訳でお茶でもいかがです?」
「店に入って話す方が、他の誰かに聞かれる可能性が高いじゃないの」
「まあそうですよね、残念。――じゃあ申し訳ないですけど、ここで失礼」
 酒抜きで、乱菊と二人きりで店に入る機会は滅多なことではない――その貴重な機会だと思ったのだが、あっさりと拒否されてしまい修兵は肩をすくめる。
 その徒っぽい外見に反し、乱菊のガードはかなり固い。
 それも乱菊の魅力なのだが。
「あの日起こった出来事、乱菊さんは把握してます?」
「いいえ。箝口令が引かれているのか、全然内容はわからないわ。――知っているのは私が目で見たことだけ。朽木が薬を打たれて浚われそうになったのを恋次が助けた、それで恋次が死にそうになった、ってことぐらい。――全然わからないと言っていいわよね」
「まあ、箝口令が引かれている訳じゃないんですが――隊長たちはみんな知ってると思いますし。ただ、四十六室やら貴族やらが絡んでるから、積極的には話題にしないんでしょう。貴族やら位が高い人種は色々関わると面倒ですしね」
 うーん、と檜佐木は考え込んだ。どこから話せばいいものか――勿論最初から話すに越したことはないが、それでは立ち話で済ませるには時間がかかりすぎる。
「――最初から説明した方がいいですかね?」
「当たり前でしょ」
「でもですね、5分10分で終わる話じゃないんですよね。やっぱりあまり人に聞かれたくないし。でもね、乱菊さん、男共の視線を集めちゃう人だから、こんな所で話してたら目立って仕方ないと思うんですよ」
 と、女性たちの視線を集めて目立つことこの上ない修兵は言った。
「なので、良かったら続きは俺の部屋で二人きりで」
「いやよ」
 思い切り即答した乱菊も、小さく首を傾げて考え込む。そこはかとなく傷付いている修兵にちらりと視線を走らせ、「仕方ないか」と呟いた。
「でもまあ話は聞きたいから、そうね、個室のある店で一緒に食事でもしましょうか。――そういう店、あんたなら良く知ってるんでしょ?」
 何やら自分の日頃の行いについて誤解があるようだが、とりあえず今は何も言わず「じゃあ行きますか」と乱菊を伴い修兵は行きつけの店に向かって歩き出した。





「俺も全容を知ったのは最近なんですが」
 大きな机に一通り並べられた料理と酒を前に修兵は口を開いた。
 それなりの値段のする料亭――無席の隊員はまず足を踏み入れることはない。その店の奥の個室を用意してもらい、料理と酒を先に運んでもらい、以降は呼ぶまで誰も来ないように店に伝えた。これで万が一にでもここで話したことが外部に漏れることはないだろう。
 話をすることが目的なので酒の量は控えめにしてある。この程度の量では修兵も乱菊も酔うことはない。
「恋次と朽木が襲われたとき、俺は最初にその場に駆け付けたんで、上から色々聞かれたんですよ。逃げてく奴らの姿も見てますしね。で、事情聴取のその過程で、色々知ったというか――聞き出したというか、資料を見たというか、事情を全て話させるように仕向けたというか」
 こいつならその程度のことは簡単に出来るわよね、と内心で思いながら、話の腰を折らずに乱菊はただ無言で頷く。
「で、ですね。――一番最初の発端は、四ヶ月前くらいになるのかな。いや正確にはもっと前か。何時から始まってたのかは正確にはわからないんですが――発端は、流魂街の43区で起きた、失踪事件だったんです」
 流魂街43区――最下層でもなく上層区でもなく、治安は良いとは言えず、住み易くはない。最下層に比べればまし、というレベルだろう。
 そこで、人が消えた。
 相当の数の人々が突然消えて、その日以降誰も姿を見る者はなかった。
 五人十人の話ではないその数の失踪が、暫くの間、誰の疑問も疑念も生まなかったのは、失踪した人々が一様にあることを仄めかしていたせいでもある。
 ――失踪した者たちは皆一様に「纏まった金が手に入る」と浮かれていた。「1区に住むことが出来そうだ」と。
 故に、姿が見えなくなったのは、皆43区から出ていったのだろうと周囲に認識されていたのだ。
 その消えた人々が発見された。43区で消えた人々だけでなく、更に沢山の――恐らく、様々な区から消えた人々が39区の森の中で発見された。
 腐乱した死体となって。
 折り重なったそれらの遺体は、大方を虚に喰われ、見るも無残な様相を呈していた。発見したのは、39区に虚が増えたという報告を受け討伐に向かった死神で――当初はその人々は単純に虚に殺され打ち捨てられたものだと思われていた。実際、39区で最初にその死体を発見した、恐らく無席の新人に近い死神たちは、今でもそう信じているだろう。
 ところが、何の興味を引いたのか、十二番隊隊長の涅マユリが独自に調べた結果、死体からは未知の成分の薬品、もしくは毒物が検出された。
 そこからは四番隊の隊長の卯ノ花烈も加わって、検出されたモノの成分を分析したところ、その薬品は「人の精神を高揚させる」ものだった。酩酊し、これ以上ないほどの幸福感、そして悦楽を摂取したものに与えるらしい。そしてその薬品は依存度が高く――一度でも摂取したものはほぼ100%、中毒患者となる。
 事が未知の薬の問題だけだったのならば、以降そこまで慎重に調査をすることはなかっただろう。問題は――この事件の規模が、決して数人で出来るものではなかったからだ。
 死体が見つかった39区は、虚が多い。そして、死体が打ち捨てられたのは深い森の奥――戦闘能力を持たない者が辿り着ける場所ではない。
 つまり、この件には「死神」もしくは「元死神」が関与している可能性が高い。
 そして、薬の開発、研究、実験、被験者の選別、被験者に接触、薬の投与、被験者の観察、データの収集、それを踏まえてのさらなる開発、薬の販売、そしてそれらすべてに掛かる膨大な金を提供できる者となれば、それは――ただの一般人ではありえない。
 相当な金力、人力、権力があると考えるのが妥当だ。生半な者が首を突っ込めば恐らくすぐに消されてしまうほどの。――故に、護廷十三隊総隊長の山本は、六番隊隊長であり四大貴族の一である白哉に調査を命じた。
 そして、その補佐として、白哉の部下である恋次が選ばれた。流魂街出である恋次は、白哉の与り知らない流魂街の知識も豊富だったし、驚いたことに貴族相手に如才なく振る舞うことも出来たのだ。
 実質、白哉と恋次の二人だけでこの事件の裏を調査し、数多くの貴族の内情を片端から調べ上げ、そうして辿り着いた答えからその貴族の家を強襲し―――極秘裏に首謀者を隔離し事情を聴取、その生命の保証と引き換えに事の顛末と詳細を聞き出し、二人の調査は終了した。身柄を拘束した首謀者の取り調べは、二番隊の砕蜂が引き継いだ。
「あとは上層部に委ねてこの件は終了、となるところが――一人の少女が襲われたことで、継続していることが発覚したんです」
「少女?」
「朽木咲琉」
「――ああ」
 微妙な顔で乱菊は頷いた。乱菊は恋次とルキアの間に割って入る形となった朽木咲琉のことをあまり快く思っていない。
「たまたま恋次と一緒に居た時に、朽木咲琉は襲われた。『その女を置いていけ』と恋次に言ったらしい。で、朽木咲琉が狙われていると思われた」
「狙われた理由は?」
「薬の精製方法と引き換えにするんじゃないかってその時は思ったそうですよ。どうやらその薬は精製が難しいらしくて、あと情報の流出を抑えるためにか、精製方法を記したものを持ってるのは隔離した貴族だけらしくて。で、それを押収したのが朽木隊長で、念の為しばらくその書類は朽木隊長が保管したんだそうです。他に関係者がいたとしたら、それを取り戻すために何らかの行動を起こすだろうと思って。――で、狙われたのが一族の朽木咲琉だったと」
「ふうん。――で、無事だったんでしょ? 恋次がいたなら」
「ええ。お姫様の前で悪党どもをバッタバッタと――で、お姫様は王子様に心を奪われちゃったってわけです」
「まあね、お姫様の周りにはいないタイプでしょうしね……大体、お嬢様っていうのはちょっと不良っぽい男に惚れやすいのよ。全くもう」
 ふうと溜息を吐き、乱菊は盃をあおる。
「そいつらから何かわかったの?」
「いえ、全員自害したそうです。奥歯に仕込んだ薬を噛みつぶして」
「――薬?」
 目を細める乱菊に「はい」と修兵は頷く。
「一般人は手に入れることができない劇薬ですね」
 それから、狙われやすい――一族の中で一番年若く、自分の屋敷には老人と使用人しかいないという咲琉は、事が解決するまで白哉の屋敷に住まうことになった。
 やがて、自身が中毒患者であった最初に身柄を拘束された貴族が、禁断症状を発症した時に首謀者の名前を口にし、事件は解決した。
「ふううん。誰だったの?」
「一区の医者です」
「医者がねえ……世も末だわ」
 流魂街での医者の地位は高い。知識と人格が秀でていなければ免状が取れない職業だからだ。下位の貴族程度に社会的地位は高い。
 そう、それで事件は解決した。
 けれど、ルキアが襲われた。
 ルキアが証言したところによると、あの日、王族が降臨したあの日、ルキアの前に「四十六室賢者、榊河付きの小早川」と名乗る男が現れたという。示した手形に不審な点は見られず、また「小早川」の身形も良く、身に着けた着物の品も良く、上品な男だったらしい。
 その男は白哉の名前を出しつつ、ルキアに近付き――警備の厳しいあの場所に部外者が侵入する可能性は皆無の筈だった所為もあり、ルキアは全く警戒していなかった。王族の降臨が始まり、あの場に居た全員がそれに気を取られ空を見上げた瞬間、首筋に薬を打たれたという。
「また、薬?」
「そう、また、薬」
 その薬を打たれたルキアは、意識ははっきりしているが、瞬きすら自分の意志で行うことが出来なくなったという。
 そのまま拉致されそうになったルキアを、恋次が身をもって護りきった。
「その時に朽木が聞いた賊たちの会話から分かったことは――」
 その場には4人がいた。
「小早川」と名乗った男の他に、まだ若い――ルキアと同じくらいの少年が居たこと。
 朽木咲琉が襲われたのは、それが朽木ルキアと間違えられたせいだったということ。
 ルキアを拉致したのは、「御屋形様」と賊が呼ぶ何者かの命令によるもの。
 恋次の名前、顔を、咲琉の事件の前から相手が知っていたこと。
 ルキアを傷付けるなという厳命があったらしいこと。
「何で朽木が狙われてるのかしら? ……そもそも、朽木が狙われている件と最初の43区の事件、それは根は同じものなの?」
「乱菊さんはどう思います?」
「質問を質問で返さないでよ」
 気分を害したように乱菊は修兵を睨み付けた。その、目の前で苦笑している修兵に、その問いに明確な答えはないと知る。
「はい。そこはまだ調査中です。という訳で、乱菊さんはどう思います? この二つの事件は繋がってると思います?」
 投げかけられた質問に、乱菊はすぐに「私は」と答えた。
「同じだと思うわ。――薬って単語が多すぎるもの」
「俺もそう思います」
 どの事件にも絡んでくる「薬」という単語。
「とりあえず『御屋形様』が誰なのかを突き止めたいですね」
「恋次と朽木を襲った奴らもね。『小早川』と少年。榊河は調べてるのよね?」
「名前を騙られた、と榊河は主張してます」
「まあ当事者がはいそうですとは言わないわよね」
 乱菊は肩をすくめる。肩にかかっていた金髪が、はらりと後ろに落ちた。
「相手は四十六室の一員ですからね――なかなか。朽木隊長が当たってくれていますが」
「朽木隊長に尋問は無理よね。あの圧倒的な口数の少なさじゃ」
 ふう、と乱菊は溜息を吐く。最初の事件の調査については、白哉と共に随行した恋次が、上手く相手を誘導して会話をし証言を引き出していたのだが、今回はその恋次がそばにいない。
「で、恋次は?」
「昨日退院しました。嬢ちゃんが付き添ってるそうですよ」
「そう」
 険しかった乱菊の顔が、嬉しそうな笑顔に変わった。
 恋次とルキアのすれ違い――恋次に想いを寄せる咲琉の存在のせいで行き違っていた二人の想いが、どうやら納まるところに納まったらしいという話は既に聞いている。
 意識不明だった恋次の脳波に同調し、ルキアの意識を恋次の精神世界へ飛ばし、恋次を覚醒させる――一歩間違えばルキアの生命も危うかった、綱渡りをするような危険な治療を、ルキアが無事に果たしたと、恋次の意識が覚醒したと修兵が報告した時に一緒に聞いていたのだ。
「朽木も毎日見舞いに行ってたみたいですし。――いい感じなんじゃないですか」
 病院の階段の光景を、修兵は思い出す。
 恋次への想いを抱えながら、同時にルキアへの思慕も抱いていた。二人がは幸せにならないと許さないと泣きじゃくっていた美しい少女。
「……さっさとくっつかないから、こんなことになったのよ。傍迷惑な奴らね」
「ホントそうですよね。でもまあ、朽木も自覚したみたいですし。これからは大丈夫……でしょう」
 黒幕の正体は不明――懸念は残る。それでも。
「朽木のことは、恋次が護るでしょう。今までも、これからも」
 出逢った時から、そうであったように。






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