オープニング

 眠っていた俺の耳に周囲のざわめく音が聞こえ、そろそろ時間かと目を開けた俺の視界に、とことこと小さな歩幅で舞台中央に歩いてきた女が入ってきた。
 中央に設えた講演台の前に来ると脚を止め、ぺこりと頭を下げる。顔立ちもそうだが、動作も妙に子供っぽい。
「ではこれから十二番隊主催、『現世の生活・常識』についての講演会を始めたいと思います」
 十二番隊所属の席官なのだろうか、肩より長い髪を二つに分けた小柄な眼鏡の少女がそう言った途端、ざわついていた会場は一瞬で静まり返った。これだけの人数が集まった会場が、たった一言で静まり返るのも珍しい。余程十二番隊の隊長が怖えんだろうな、と思ったが、周りを見渡してみれば十二番隊以外の隊章をつけた輩も多い。十二番隊に所属する人数よりも多そうだ、と背後を振り返って俺は口を開けた。
 何だこりゃ。
 ものすごい数の隊員がいる。護廷十三隊に所属する死神が半数は揃ってんじゃないかってくらいの数だ。
 俺はほぼ真先に会場入りして一列目のど真ん中に席を取り、あとは会場時間まで椅子に座って寝てたから、開場間近のこの時間になってこれだけの人数が集まっていることを知らなかった。
 何でこんな広い会場でやるのかと最初は思ったものだが、この参加人数を主催側は想定してたってことか。
 しかし何でだ。講演会は「現世の生活・常識」、皆が知りたい情報とは思えねえ。現世に下りる予定もない奴ら、予定があるとしても義骸に入って現世で生活をするわけでもない奴らには全く意味の無い話だ。大体現世で生活した俺たち―――俺とルキアと、一角サンと弓親サンと日番谷隊長と松本サンは特例で生活していただけで、そんな事態は普通有り得ない。
 と、ここまで考えて俺はこの場にいる者殆どが男だと気付いて不愉快になった。
 まさか、と思う。
 まさか講演以外に目的があってここに集まったんじゃねえだろうな。
 講演以外の目的、つまり―――
「講演者は十三番隊所属の朽木ルキアさんです」
 眼鏡娘の言葉が続く。そう、つまりルキア目当ての男共じゃねえだろうな?
 元々ルキアは「朽木家の養女」ってだけで注目されていただけに過ぎない。それが例の藍染の野郎の反乱事件とその後の虚圏での事件、それに深く関わったせいで注目度が増した。月刊死神新聞にも何度となく特集が組まれていたのを俺は虚圏から帰って知った。まあその新聞では別の日に俺も特集されていたし、「旅渦特集」とか言って一護も石田も特集されてたけどな。まあどうでもいいが。
 話が反れたが、つまりルキアの知名度は今まで以上に上がったわけだ。しかも冤罪で処刑されそうになった事実、幼い頃から体内に埋め込まれていた崩玉、それ故に藍染に生命を狙われた不幸、その後の活躍―――虚圏に乗り込みあの藍染の支配する世界で闘ったその逸話、そして更に以前は暗く俯きがちだったその顔は、今は真直ぐ前を向き絶えず笑顔を浮かべている―――近寄りがたかった雰囲気は既になく、明るい笑顔、照れる顔、可愛らしい勝気さ、そんな今まで俺しか知らなかった顔が惜しげもなく他の野郎共にも向けられるようになった訳だから、ルキアの人気は俺の知らない内にかなり上がっていた。
 なんとかルキアの気を引こうと企む不逞の輩を、俺は何度影で撃退したことだろう。まあルキアを護っているのは不本意ながら俺だけではなく、ルキア自身の鈍感さとルキアの義理の兄である朽木白哉―――朽木隊長の無言の怒りのオーラ、この二つの力も大きい。
 俺はそっと視線を頭上に移す。
 二階席の真中、舞台正面に位置するその貴賓席の真中に、見慣れた顔を見つけて俺は溜息をついた。
 義妹大事なお兄様は、義妹の晴れの舞台を見逃せないらしい。
「朽木ルキアさんは先の旅渦騒動、それに続く元五番隊隊長の造反における事件を通じ、現在最も現世について詳しい存在と私共は認識し、朽木ルキアさんに講演を依頼いたしましたところ、皆さんの役に立てるのならば喜んでと快諾をいただけました」
 違う、ルキアはこんな目立つようなことは得意じゃねえ。そんな柄じゃないのにと俺の部屋で最後まで頭を抱えていた。
 それが何故受けたか。
 それは、その話を持ってきたのが―――十二番隊。涅マユリだったからだ。
 ルキアは―――俺たちは一度、この不気味な外見の十二番隊隊長にえらい目に合わされている。
 直接酷い目に合わされたのはルキアだったが―――いや、その点は俺はあんまり酷いとは思えないが―――猫語ルキアは有り得ねえくらい可愛かった。
 が。
 そのウィルスは―――そう、感染すると猫語を話し出すというそのウィルスは、ルキア経由で俺に感染し、俺はいい笑いものになったのだ。
 しかも、ウィルス感染中はルキアとヤれなかったし。3日も出来なかったんだぞ!ふざけんな!!
 で、その事件の当事者の十二番隊隊長、涅マユリ。
 その隊長が、ルキアの目の前で言ったそうだ―――曰く。

「素直に受け入れてくれれば、こちらも妙な手段は使わなくて済むのだがネ」

 その一言でルキアは即答したそうだ。
 震え上がり言葉もなく、ただぶんぶんと首を縦に振っていたという。
 確かにこの涅マユリという男は、自分の思う通りに事を進めるためならば、どんな手段でも使うだろう―――ルキアを誰も臆病者とは謗れまい。俺だって頷いていただろうから。
「では拍手でお迎えください、朽木ルキアさんです!」
 眼鏡娘は舞台袖に手を差し伸べ、そのまま舞台袖へと引っ込んでいく。その入れ替わりに、反対の袖からルキアが現れた。緊張した顔で、動きも妙にぎこちない。
 右手と右足が一緒に出てねえか?
 ぎくしゃくと舞台中央の机の前まで来ると、ルキアは驚いたような表情をした。最前列ど真ん中に陣取っている俺に気付いたのだろう、やがて驚きの表情は怒り顔に変わっていった。頬を真っ赤にして俺を睨みつけている。それに向かって俺はにやりと笑って片目を閉じて見せた。
 ルキアが怒っているのは照れているからで、この場合はこんな対応で平気だ。現に舞台のルキアは怒り以外の理由で頬を染めている。慌てて視線を手元の原稿に落とし、それ以降、頬の赤みが消えるまで俺を見ることはなかった。うー可愛い。
「ご紹介いただきました、十三番隊所属、朽木ルキアです。何分こうしたことには慣れておりませんので、お聞き苦しい点は多々あると思いますが、どうぞご容赦くださいますようお願いいたします……」
 一度深々と頭を下げてから、ルキアは「では、現世について……」と緊張した面持ちで話し始めた。





 ルキアは恐らく何度も練習し、何度も原稿を推敲してきたのだろう、その講演は聴きやすくわかりやすく、とても丁寧な上ルキアの頭のよさが感じられる内容で、しかも声がとても聞きやすく美しいので、俺はうっとりとその声に聞き惚れていた。
 会場にいる奴らも、行儀良く皆ルキアの話を聞いている。
 途中、緊張と、話し続ける所為でルキアは喉がからからになっているのだろう、机に用意されていた水を何度も飲んで、1時間という公演時間を無事に完璧に勤め上げた。以上です、と最後に言い頭を下げたルキアに対して、賞賛の拍手が惜しみなく捧げられる。その拍手の渦の中で、ルキアはほっとしたように安堵の笑みを浮かべ、俺に向かって笑いかけた。俺は一際大きな拍手をルキアへと送る。
「ではこの後続きまして、質疑応答の時間にさせていただきます」
 最初に出てきた眼鏡娘がそう言いながら舞台に現れた。それは最初から依頼されていたのだろう、ルキアは戸惑った様子もなく頷いて机の前に立っている。
「お疲れ様です、あと少し、どうぞよろしくお願いいたします」
 にこりと無邪気な笑みを浮かべ、「どうぞ」と眼鏡娘は新たに持ってきた水差しから新しい杯に水を注いだ。最初にあった水は既に温み、水差しの量も半分ほどに減っている。
「ありがとう」
 ルキアも微笑み返し、すぐに水に口を付けた。ここからでもわかるほど、水は冷たく冷えているようだ。美味しそうに三分の一ほど飲み干し、ルキアは質問に備えて杯を机の上に戻した。
「では質問ある方、挙手をお願いいたします」
 眼鏡娘の声が会場中に響き渡る。
 それと同時に―――ざわめく会場。
 俺の口もぱかっと開いた。
 見てはいないが、他の奴らもそんな顔をしているんだろう。
 無言。驚愕。
 ルキアは自分に注がれる何百の驚愕の視線に、戸惑ったように周囲を見渡している。
 俺と視線が合った。
 如何したのだ、と視線で尋ねるルキアに、俺はようやく我に返る。
「質問はございませんか?」
 舌足らずな幼い声で、眼鏡娘の声が俺たちの頭上を渡る。誰かがようやく手を上げたのだろう、「はい、そこの貴方」と眼鏡娘の声がした。
「質問をどうぞ」
「はあ……その」
 言い辛そうに、男は―――あれは多分九番隊の隊員だ。その男が言う―――ルキアに向かい。
「あの、朽木さんの頭に付いている物は―――何ですか」
 恐らく、この場の誰もが胸の中に繰り返していた疑問だろう。
 俺の頭の中にも渦巻いていた。
 何だありゃ。
 いや、何かはわかっている。わかっているが―――俺は幻を見ているのか。そんな筈はない、有り得ないものを俺はルキアの頭に見ている。
「あたま……?」
 きょとんと目を見開き、ルキアは不思議そうに自分の頭に手をやった―――そして。
 蒼白になった。
 少し離れた場所に居る俺が見てもわかるほど。
「―――にゃ、にゃに、これ……!」
 ぺたぺたぺたと頭を触っている。いや、頭、ではない―――髪の毛の中から、三角に突き出たソレ。
「い、いやああああああああああああ!!!!!!」
「こちらは十二番隊が満を持して開発いたしました、『C−ウィルス完全版』でございます」
 眼鏡娘は、悲鳴を上げるルキアを全く無視してにこやかにそう言った。手には透明な皿にカプセルが山積みになっている。
「『C−ウィルス』販売時にお客様の要望が多かった『感染しない』『すぐに効果が出るようにしてほしい』というご意見に完璧に応え、こちらは人から人への感染は100%ございません。また、ウィルスを体内に接種したのち、効果はおよそ1分で現れます。持続時間は3時間。楽しいひとときを過ごすには充分な時間でございます。使用方法は簡単、このカプセルをそのまま嚥下するかカプセルを割り中の液体を水などに溶かして飲んでいただくだけという親切設計。そしてまた、十二番隊隊長涅マユリ様は、『完全版』の名に相応しい新機能を搭載いたしました―――即ち」
 混乱するルキアの横に立ち、その腕を掴み、眼鏡娘は誇るように堂々と―――高らかに、言った。
「猫耳と尻尾でございます!!」
 会場中がどよめいた。うおおおお、と歓喜の声を上げている。その異様な雰囲気の、興奮の坩堝と化した会場で、ルキアは呆然と立ち尽くしている。熱い視線がルキアに集中する―――我を忘れたような、とろんとしたそんな視線に曝されて、ルキアの顔は泣きそうになっていた。
「猫語・猫耳・尻尾。これで完璧です。『C−ウィルス完全版』、来週の月曜日から技術開発局で販売を始めます!ぜひこの商品の性能をこちらの朽木さんで充分お確かめになって……あ!」
 突然舞台上に駆け上がった俺に、眼鏡娘は悲鳴を上げた。その勢いで俺は卓上の皿を掴み取り、その中身だけを眼鏡娘に向かってぶちまけると、眼鏡娘は驚きからルキアの腕を離した。驚いたのはルキアも同じなようで、そのルキアに俺は「逃げるぞ!」と声をかけ、眼鏡娘が散乱したカプセルに気を取られているのを幸いに、そのままルキアの身体を抱き上げ、俺は舞台袖へと走りこんだ。
「れ、恋次!!」
「黙ってろ、舌咬むぞ!」
 腕の中でルキアはうんと小さく頷くと、そのまま俺の首に両手を回ししがみついた。俺の顔の横に黒いふわふわの毛に覆われた猫耳がぴくんと動いて、俺は感激に打ち震える。
 か、可愛い。
 誰にも見せてやるもんか、ルキアの猫耳は俺のもんだ!!!
「十二番隊!阿散井副隊長から朽木ルキアを取り戻しなさい!あの方は重要な宣伝広告よ、連れ戻して!!」
 背後の舞台から眼鏡娘の幼い声がする。純粋で大人しそうで善良そうに見えていたが、流石十二番隊隊員と言うべきか、どうやらそれは見た目だけのようだ。女は怖い。
「総員、戦闘配置!!」
 その一喝と共に背後から迫りくる霊圧に、俺はルキアを腕にしっかりと抱きかかえたまま、会場の外へと飛び出した。






 

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