「一護を―――助けてくれないか」
その一言で、自分の中の何かが音を立てて崩れ落ちていくのが解った。
一時たりとて忘れた事など無かった。
何度悔いた事だろう、何度自分を責めた事だろう。
何故あの時ルキアの手を離してしまったのかと。
何故あの時ルキアを行かせてしまったのかと。
何故あの時自分の気持ちを素直に伝えなかったのかと。
そう、あの時から始まったのだ。
失ったものを取り戻そうと、必死に足掻く毎日が。
貴族、それも唯の貴族ではない、尸魂界で「四大貴族」と称される朽木家の一員。
何の身分も無い、しかも戌吊出身という自分には、ルキアに近づく事、ましてや話しかける事等出来る筈もなかった。
遠くから見詰めるだけの日々が続く。
せめて視線だけでも。
そう願って遠い姿を見詰め続けた。
視線だけでも交わせたら。
あの時の選択を悔いていると、本当はお前と離れたくは無かったと、そう告げることが出来ると思っていた。
けれども、ルキアはいつも視線を下に落とす―――義兄であり朽木家当主である朽木白哉の背後に付き従い歩を進めながら、俯きながら歩いていた。
それが、更に苦悩を引き起こす。
幸せに、なって欲しい。
そう思い、朽木家に入る事を勧めたその結果が、このルキアの姿だ。
何もかも、自分のせいだ。
ルキアも自分も不幸にしてしまった選択。
どう贖えばいいのか。
誰よりも何よりも幸せになって欲しかったのに。
何も出来ない日々、遠くから見詰める事しか出来ない日々が続いたある日、突然ルキアに変化が訪れた。
落としていた視線が、前に向けられるようになった。
消えていた笑顔が戻った。
信頼しきった顔、気を許した顔、今まで自分だけのものだと信じていたその表情―――それを、取り戻させた、男。
志波海燕。
十三番隊副官、志波海燕。
ルキアの、幸福を取り戻した男。
『もっと幸せに―――幸せになって欲しかった』
その想いは本当だった。
けれど、
今更気付いた事がひとつ。
それは、
自分以外の人間が、ルキアを幸せにする事など―――耐えられないという事。
今更。
気付いても遅かった。
ルキアの目はあの男を追う。
前を向いた目は、周りを見る事はしない。
ただ、あの男のみを見詰め。
遠くで見詰めるだけの、俺の視線など気付く事は無く。
胸に紅い焔が宿る。
決して消えない、激しい灼熱の檻に囚われる。
そうしてある日突然、男は生命を落とし。
再び、ルキアの表情から笑顔が消えた。
けれど自分は何もできない。
変わらず見詰め続ける事しか出来ない。
見守る訳ではない、ただ見詰める事しか出来ない、何の役にも立たないその行為。
そしてただ無為に時は過ぎ、
―――ルキアは消えた。
必死になってその姿を求めた。
圧倒的に足りない情報を得るために、副官になろうと決めた。
取り憑かれたように身体と技を鍛え上げた。
その頃から、或いは―――狂い始めていたのかもしれない。
ようやく見つけ出したルキアの横には、忘れようも無いあの男と同じ顔が。
あの男に向けた同じ笑顔で。
幸せそうな―――この上なく、幸せそうな。
失ったものを再び手に入れた、幸せそうなルキアの姿と共に。
悪夢が甦る。
死者が蘇る。
あの男が―――
ルキアから離れない。
それともルキアが離さないのか。
悪夢の残滓から力任せに引き離し、無理矢理尸魂界へと連れ戻したルキアの口から発せられたのは。
別れた時から初めてふたりで交わす言葉、
あの時からずっと願っていた―――視線を合わせ、ルキアが俺に再びかけるその言葉。
その言葉は、
『現世に戻って、一護の傷を治してくれないか―――あのままでは、一護の命が、危ない』
あの男と同じ顔の人間。
それを、助けろと。
―――俺に。
俺が、助けろ、と。
『一護を助けてくれないか―――』
苦しそうな、その表情に。
悲しそうな、その声に。
その想いの強さに、その想いの純粋さに―――
絶望した。
想い出は美化され、死者は理想と化し。
どんなに見詰め続けても、どんなに待ち続けていても、この想いはもう通じる事は無いと思い知らされた。
ルキアは過去を振り返る事は無い。
ルキアは俺を省みる事は無い。
もう二度と。
『お前にしか頼めないのだ―――お願いだ、恋次』
そう懇願するルキアを、激しく憎んだ。
何故その願いを口にするのか。
よりによって、何故その言葉を俺に言うのか。
許せない。
そう、思った。
そう、ルキアはただ無心に願っていた。
あの人間の無事を。あの人間の生命を。
純粋に、心から。
その罪の無い悪徳で。
その罪の無い、意識の無い悪意が。
俺の中の何かを叩き壊し、すべてを狂わせた。
目の前に赤い霧がかかったように、不意に景色が色を変えた。
胸の中の焔が身体を覆いつくし、
紛れもない狂気に身をゆだね、
俺は闇の中へと―――自ら身を堕とした。
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