日に日にルキアの表情が曇っていくのを、勿論恋次は気付いていた。
 何かに思い悩んでいるその様子に、さり気なく話すように恋次が水を向けても、その度にルキアは明らかに無理をしているとわかる表情で「何でもない」と笑う。
「まだはっきりとわからないんだ……はっきりしたら、必ずその時はお前に話すから」
 そう懇願するように縋るように言われると、恋次も無理に聞き出すことは出来ない。内心やきもきしながら「必ずだぞ?」と念押しをすることしか出来ず、その恋次にルキアはこくりと子供のように頷いて見せた。
 それが10日前の話。
 今日のルキアの表情も暗い。思えばここ数日、ルキアの心からの笑顔を見ていない。いつも何かを考え込んでいる憂い顔ばかりだ。
 流石にこれ以上放っておくことも出来ず、恋次はルキアの名前を呼ぶ。
「おいルキア」
 呼びかけたその恋次の声に、ルキアはゆっくりと振り向いた。
 ―――顔色が、紙のように白い。
 息を呑む恋次の前で、ルキアの身体が突然崩れ落ちた。操り人形の絲が千切れたかのように唐突に倒れこむルキアの身体を、恋次は寸でのところで掬い上げるように抱きとめた。ぐったりとした身体を抱きしめ、意識を失ったルキアの顔を見つめる。
 やはりその顔色は流れる雲のように白く、唇も色を失っている。せり上がる不安に唇を噛み締めながら、それでも心を沈めて恋次はルキアの様子を確かめる。
 脈はしっかりしている。呼吸もきちんと規則正しくしている。
 恐らく貧血だろうと考え、恋次はようやく落ち着きを取り戻した。ほっと息を吐く恋次の腕の中で、ルキアは小さな声をあげゆっくりと目を開いた。紫の瞳が恋次を映し、ほっとした色を浮かべ―――次いで見る間に涙が溢れ出した。
 白い頬を伝って涙が落ちていく。
「……ごめっ……」
「ルキア?」
「ごめ……なさ……っ」
 しゃくりあげながら子供のように泣くルキアを、恋次はただ抱きしめた。その体温と、恋次が傍にいるということに安堵したのだろう、ルキアの泣き声は徐々に小さくなっていく。
「どうした?何で泣く?どうして謝るんだ」
 涙が引いた後も抱きしめる恋次の腕の中で、ルキアは一度目を閉じた。そして次に目を開いた時にはすべてを話す決心をしたのだろう、今までのように揺れ動く想いはなかった。
「……ずっと黙っていたことがある」
「黙ってた?」
「……もう、随分前から……私の身体はおかしいんだ」
 体を小さく震わせてルキアは言った。不安に怯えながら、それでも話すと決めた今までの経緯を小さな声で口にする。
「……些細なことばかりなんだけれど。……立ち眩みや眩暈が増えたり、食欲がなくなったり……朝起きると、必ず吐くんだ。胃には何もないのに、胃液だけを吐く。毎朝」
「四番隊には行ったのか?」
 恋次の問いにルキアは勢い良く首を振った。その勢いに、涙が絲の切れた真珠の首飾りのように床に飛び散る。
「何でだ?四番隊に行って」
「四番隊に行って―――大きな病気だったら?」
 恋次の言葉を攫ってルキアは強く言った。恋次の袖を皺が出来るほど強く握り締め、絞り出すように声を出す。
「治らない病気だったら?―――そんな真実なら知りたくない。四番隊なんて行かない」
「どうしたんだルキア……そんな病気にお前がなる訳」
 ふ、と恋次は言葉を切った。
 ルキアが不安がるその理由が恋次にもわかったのだ―――ルキアが何を恐れているかを。
「―――緋真さま……姉さまが病気になられたのは、今の私と同じ歳」
 かたかたと震えながらルキアは言う。
「……姉さまを知る者は皆、姉さまと私はそっくりだと言う。その姉さまとそっくりな私が、姉さまと同じ病気にならないと誰が言える?」
「……ルキア」
「兄様ですら治すことが出来なかった病気だ!厭だ、怖い……っ!」
 恋次の胸に顔を埋めて、ルキアは再び激しく泣き出した。怖い、と何度も口にして恋次に縋りつく。
「如何しよう恋次、お前と離れることになったら……私が死ぬ事になったら!如何しよう、如何したらいいんだ恋次、怖い、怖い……っ!」
 自分の言葉にパニックを起こし、錯乱したように泣きじゃくるルキアを強く抱きしめ、恋次は「大丈夫だ」と何度も囁いた。
「大丈夫だ、ルキア。お前はそんなことにはならない。心配するな」
「でも……っ」
「卯ノ花隊長に診てもらおう。何もしないで考え込んでも仕方ない。卯ノ花隊長に診てもらえば、直ぐに何でもないことだとわかる。そうしたらお前も安心できるだろう?」
「でも、でも」
「大丈夫だ、俺がいるから。心配するな、いつだって俺がお前を護るって言っただろ?」
 それでもルキアは直ぐには頷かなかった。しばらく迷うように俯いた後、ようやく微かに首を縦に振る。
「……わかった」
「よし、いい子だルキア」
 ぽんぽんと背中を叩いて恋次は立ち上がる。え、と顔を上げるルキアに「早速行くぞ」と告げて恋次は有無を言わせず四番隊に向かった。










 診察室から現れた卯ノ花のその沈痛な表情を見て、恋次は思わず席を立った。がたんと椅子が大きな音を立てる。
「卯ノ花隊長……」
「……少し話が長くなるわ。座って」
 疲れたように卯ノ花も椅子に腰を下ろし、恋次は唇を噛みながら立ち上がった椅子に再び腰を落とした。
 しばらく無言の卯ノ花に、恋次の胸の重みが増していく。
「……これはあなたの責任でもあるわ、阿散井君」
「…………」
「あなたがもっと朽木さんを見ていてあげたなら、もっと早くに気付けたはずなのに」
「……そんなに……悪いんですか」
 絶望に声を掠らせ、恋次は床に目を落とした。知らずに握り締めた拳が震える。
「護廷十三隊は直ぐに辞めてもらいます」
「……はい」
「暫くは安静に。少し落ち着いたのなら、朽木さんがしたいことを自由にさせてあげなさい。―――もう暫くしたら、自分のしたいことなど出来なくなるでしょうから」
「……治る見込みはないと言うんですか……っ!!」
 思わず掴みかかろうとした恋次は、卯ノ花に当たっても仕方がないとぎりぎりで思いとどまり、必死で感情を落ち着かせようとした。噛み締めた唇から血が滲む。
「―――すみません」
「いいわ。気にしないで」
 重い溜息を吐く卯ノ花に、恋次は「……病名は」と搾り出すように問いかけた。
「病名は……なんですか」
「朽木さん自身に聞きなさい。私から言うことは出来ないわ」
「ルキアに話したんですか!?」
「朽木さん自身の事よ、彼女が知らなくては。今後の診療に差し障ります」
「けど……っ!」
「大丈夫よ。朽木さんは受け入れました。あなたが動揺して如何するの。しっかりなさい、阿散井君」
 毅然と言い放ち、卯ノ花は立ち上がった。奥の診療室の扉に手をかけ、恋次を振り返る。
 無言で「来なさい」と視線で命じられ、恋次は立ち上がった。
 自分のこんな様子をルキアに見られてはならない。
 ルキアが不安がる―――そんな事にならない為にも、自分は何でもない振りをしなければならない。
 大きく息を吸い、吐き出し、恋次は心を落ち着かせ―――診察室の扉を開けた。
「ルキア」
「―――恋次」
 ベッドの上に横になったルキアが恋次の方へと顔を向けた。横には付き添うように勇音が立っている。
 恋次が危惧していたよりも、ルキアは落ち着いているようだった。少なくとも表面的にはそう見える。
 恋次の背後でぱたりと扉の閉まる音と、卯ノ花が診察室に入る気配がした。
「心配を掛けて―――すまない」
 ベッドの上に上体を起こしながらルキアは頭を下げた。それに「何言ってんだよ」と勤めて明るく恋次は言う。
「これからきっと、もっとお前に迷惑をかける……」
「だから何言ってんだって」
 笑おう、と思ったが失敗した。震える声を隠そうと恋次は握り締めた拳に爪を立てる。
「―――こうなったのも俺の所為だ。俺がもっとお前の身体に気を使っていたら……」
「……まあ、お前の所為なのは間違いないが……そこまで思い詰めることはない」
「いや、俺が無理をさせたから、だから……」
「む、無理だとかそんなこと此処で言うな莫迦者」
 隠し切れずに笑い声を洩らす卯ノ花を見、目の前の沈痛な表情で俯く恋次を見、ルキアは「あの、もしかして恋次、何も知らないのですか?」と卯ノ花に尋ねた。
「当たり前でしょう。私の口から言える訳ないじゃないですか。あなたから言いなさい、朽木さん」
 くすくすと笑う卯ノ花と、顔を赤くするルキアを眺め、恋次は呆気にとられた顔をする。
「その……あの、な」
「……あ?」
「その……ちゃん、が」
「え?」
「赤ちゃん、が……出来たみたいなんだ」
 頬を染めながらルキアは言った。
「もう八週目に入ってるって……気持ち悪かったのはつわりだって。貧血も妊娠した所為だって……」
 大騒ぎしてごめんなさい、と居たたまれないように視線を下げるルキアの身体が抱きしめられた。突然の事に慌てるルキアを、恋次は強く強く抱きしめる。
「…………良かった」
「……うん」
 ルキアの瞳に涙が溢れる。一時間前に浮かべた涙とは違う、嬉しさ故の涙。自分が愛されていると、自分は幸せだと知ることの出来た、それ故の涙。
「赤ん坊が?」
「うん。ここに」
 まだ何の変化も見せていないなだらかなお腹に手を這わせ、恋次はじっと目を瞑った。とくんとくんと感じるのは、まだルキアの鼓動だけだ。けれど、確実にそこに息衝いている小さな生命。
「……俺たちの子供」
「うん」
 ルキアの胎内でゆっくりと、そして急激に育っていく生命。十月十日で、小さな受精卵から人の姿へと進化を遂げるその神秘。
 自分とルキアの血を引く子供。
「……すげえな」
「うん」
「すげえよ」
「うん」
 ルキアをぎゅっと抱きしめながら、恋次は幸せそうに呟いた。眩暈がするほどの幸福感。
「……お前がこの子を護って、そのお前を俺が護る」
「うん」
「ああ……すげえ幸せだ、俺」
 その想いのままに唇を重ねた恋次とルキアの背後で、こほんと咳払いの音がした。今居る場所を思い出し、慌てて恋次は唇を離す。
「そういったことは自宅でなさい。……ああ、でも激しい性交渉は厳禁ですよ」
 途端に真赤になったルキアの顔に、再び卯ノ花は上品な笑い声をたてた。






 仲良く幸せそうに手を繋いで帰る阿散井夫婦の後姿を見送った後、勇音は卯ノ花に「隊長、人が悪いですよ」と窘めるように言う。
「阿散井君を不安がらせて。可哀想じゃないですか」
「あら、だって阿散井君がしっかり朽木さんの様子を見ていたのなら、もっとはやく妊娠がわかってあんな風に朽木さんが不安がることなかったはずでしょう。ちょっとしたお灸ですよ」
「はあ……」
「妊娠してる女性が護廷十三隊などという激務をしていて身体に良い訳ありません。辞めるのは当然でしょう?」
「まあ……」
「子供が生まれたら、子供中心の生活ですからね。朽木さんのしたいことなど出来なくなるでしょうから、今の内にしたいことをしといた方がいいですし」
「そうなんですけど……」
 ただ単に極甘な二人に意地悪してただけのように思えるんだけどなあ、と小さく呟いた勇音は「何か言いましたか勇音?」と卯ノ花ににっこりと微笑まれ、慌てて「いえ何も」と姿勢を正した。
 確かにあの夫婦はあまりにも仲が良くて幸せそうで……その仲睦まじさと言ったら、瀞霊廷中の皆が知ってることだ。
 その夫婦が目の前で繰り広げた甘い接吻に、顔を赤らめながら魅入ってしまったのは厳然たる事実で。
 私もいい人見つけたいな、と勇音は溜息と共に心に呟いた。
 







 二人の家への帰り道、あれこれと今後しなくてはいけないことを思いつくままに口にしながら二人は歩く。
「はやく兄様にお伝えしないと」
 その言葉に恋次は顔を顰めて問いかける。
「……俺、殺されねえか?」
「……んー」
「否定しろよ!」
「まあ大丈夫だ。……多分」
「多分……」
「いや、きっと大丈夫だ。兄様も生まれてくる子の為にきっと耐えてくださるよ」
 未だ義妹を猫可愛がりする義理の兄で直属の上司の、無表情に秀麗な顔を思い浮かべ、恋次ははあと溜息を吐く。
「大丈夫だ恋次。心配するな」
「……心配だ」






 

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コンキチさんからのリクエストで、他にも読みたいといってくださった方も居たので書いてみます子話。
子話と言っても、多分メインはやっぱり恋ルキなんですけれども(笑)
とりあえず5話くらいまでは続きますので、楽しんでいただけたら嬉しいですー。

今回の設定。
死神は生理はないという設定でございます。
だって毎月生理が来てたら大変だと思うんですよねえ。あんな戦闘集団に属してるのに。
なので死神は、何十年かに1回、排卵するということで(笑)
生理がないので、恋次はもうルキアとヤり放題(強制終了)

うわあ何か生々しい話してすみませんー(笑)