世の中には素敵な男性というものはたくさん居る。
 例えば……そう、兄様。
 私は兄様ほど美しい人を見たことはない。
 声も耳に心地好く、所作の全てが流れるように雅で気品溢れ、物静かで思慮深く、そして唯ひとりの女性を愛し続ける想いの強さ。
 ……そう、兄様は既に心に決めた人が居る。唯ひとり、と愛し続けるその女性以外を兄様が愛する訳がないと皆が知っている以上、兄様に想いを寄せる人が居ても、兄様にその想いを伝える人は恐らくいないだろう。
 では、浮竹隊長は如何だろう?
 人望厚い浮竹隊長。人の心の痛みがわかり、さり気なく励ましてくださる優しい方。穏やかな笑顔はいつも私の心を暖かくしてくださる。
 周囲を見渡せば、まだまだ他にもたくさん居る。
 檜佐木副隊長。
 女性の噂は絶えないけれど、それも仕方ないと思うほどとても男らしくて頼りがいがある。いつでも気を逸らさない楽しい話題を提供してくださるし、女性に慣れているだけあって、危険な魅力満載の人だ。惹かれてしまう女性が後を絶たないのも頷ける。
 吉良副隊長。
 ちょっと気弱そうなところが母性本能をそそる、と言っていた女性が居た。困った顔が可愛らしい、という言葉を聞いたこともあるから、きっとしっかりした女性たちにもてているのだろう。
 斑目殿。
 男らしいというのはあの人のようなことを言うのではないだろうか。あの人に好かれる女性はどんな人なのだろう。きっと、何の心配もないほど、どんな危険からも護ってもらえるのだろう。
 綾瀬川殿。
 化粧品や着物のことなど、色々教えていただけそうで楽しい。芸術家肌で繊細で、きっと女性の心の機微を一番理解してくださる方だと思う。
 日番谷隊長―――あまり直接お話した機会はないけれど、天才と誉れ高い人。しっかりとした考えはとても自分より年少と思えない。清冽な人となりは誰からも尊敬されている。
 瀞霊廷だけに目を向けなくても、例えば―――現世の、そう、一護なんていい線いってるのではないだろうか?目付きは悪いがそこも一護らしさだろう。仲間思いで優しく強い。実際、空座高校でも随分ともてていたようだし―――石田も茶渡も、女性から見ればかなりいいのではないかと思う。性格も容姿も、心と力の強さも、大抵の者を凌駕する。
 少し考えただけで、こんなにも素敵な男性が私の周囲にたくさんいる。
 私の知らない素敵な男性も、星の数ほどいるだろう。


 それなのに、何故。









「ね、お願い」
 そう懇願されて、その女性を六番隊まで案内したのは、あまり人間関係に波風を立てたくなかったからだ。
 元々私には友人というものが極端に少ない―――というよりも皆無と言っていい。そんな私に、お願いがあると頼られてこられれば、断りづらいのは自然なことだと思うのだが。
 勝手知ったる六番隊の隊舎の副隊長室の扉をノックして、「入るぞ」と一声かけて足を踏み入れた私の目の前で、紅い髪をした悪党面の男は「ん?」という様子で手元の書類から目を上げた。
「よおルキア。今日も相変わらずチビだな」
「煩い無礼者」
 憮然とした私の後ろの女性に気が付いたのだろう、恋次は「あ?誰だ、そっちの」と訝しげな顔をした。私の少ない人間関係は恋次も把握している。今までその関係図に登場したことのない顔を見て、恋次が不思議がるのも無理はない。
 私だって不思議なのだから。
 名前くらいしか知らなかった同期の女性。その女性から「阿散井副隊長を紹介してくれない?」と声をかけられたのは十分前。
 相手が副隊長ともなれば、席官でもない者が言葉を交わすことは難しい。
 それでも自分の力の存在を認識して欲しくて、上位の者に目通りを願う者がいる事はルキアも承知していた。より自分に合った隊への引き抜きを願う者たちは、そうして希望の隊の上席者に自分を売り込むことが多い。
 なので、あまりよく知らない女性なのだが、こうして恋次の前へと案内してきたのだが―――
「誰だ、そっちの」
 そう口にした恋次の言葉を聞いた途端、その女性は私を押し退けるようにして一歩前へ足を踏み出した。
「初めまして、私、十三番隊の皐月由加里です!朽木さんとは同期で……っ」
「あ?ああ」
 その勢いに思わずという感じで仰け反った恋次を追うように、彼女は一歩を踏み出した。身を乗り出すように「あの、阿散井副隊長!」と話しかける。
「あの―――私と付き合ってください!!」
 唖然としたのは、恋次だけでなく私も一緒。
 世の中には素敵な男性が溢れている。
 それこそ星の数ほど、巷にたくさんいるというのに、何故、よりによって―――
「ずっと前から、阿散井副隊長が好きでした!」
 こんな莫迦に惚れる女性がいるんだ!?
「ちょっ……ええと、皐月殿?何を言って―――」 
 熱い視線で恋次を見つめる彼女と、呆気にとられて彼女を見ている恋次の間に思わず割り込んだ私を、彼女はきっと強い視線で睨みつけた。その眼光の鋭さに思わず怯んだ私に向かい、「何故、朽木さんが口を出すの?」ときつい口調で言い募る。
「それとも―――朽木さん、好きなの?……阿散井副隊長の事」
「とんでもない!!」
 思わず、反射的に力一杯断言した私の言葉に、探るような目で私を覗き込んでいた彼女は「じゃあ、いいでしょ?」と一転してにっこりと笑う。
「一度、私と外で会ってくださいませんか。お願いします!」
 ご連絡お待ちしています、と魅力的な……誘うような笑顔を恋次に向けて彼女は部屋を出て行く。
 私には目を向けることなく。
「―――なんだ、ありゃあ」
 1分間の間、私と恋次は無言だった。ようやく言葉を口にしたのは恋次が先。
「竜巻みてぇな奴だな……何だっけ?由加里?皐月?十三番隊?」
「―――鼻の下が伸びてるぞ、戯け」
 私の目はしっかりと、彼女が頭を下げたときに殊更その豊満な胸の谷間を強調して行ったのを捉えている。そしてその場所に恋次の視線が釘付けだったのも。
 胸の中のむかむかする腹立たしい気分を吐き出すように、私は刺々しい声でそう言った。
「良かったではないか、お前を好きになってくれる女性などこの先二度と現れないかも知れぬぞ?お前が気に入ったのならばそのまま結婚してもいいのではないか、そろそろお前も身を固めてもいい時期だしな。どうぞ末永くオシアワセニ、オメデトウ」
「何怒ってんだよ?」
「怒ってなどいないぞ!何故私が怒るというのだ、そんな理由など欠片も微塵も塵ほどもないっ!」
 真赤になって怒る私をまじまじと見つめた後、恋次は「ふーん」と目を細めた。次いで、「へー」「ほー」と間の抜けた声で私を見つめる。
「そーかそーか、じゃあ何か、お前はあの皐月って女と俺が付き合って結婚することになっても全く何とも思わないと」
「あったりまえだ!いやいや、何も思わなくはないぞ。お前の幸せに心からの祝福を贈ろう。幼馴染が幸せになるのは私にとっても幸せなことだからなっ!」
 ふーん、と声を上げた後、恋次は肘を付いて、まるで言いたいことを飲み込むように口元を隠した。そして私から視線を逸らせる。そして私を見ないまま、「わかったよ」と言った。
「あの皐月ってのに一度会ってみるか。連絡は俺から入れるから、お前は気にすんな」
「別に気になんてしないぞ。がんばれよ、恋次」
 引き攣りそうになる顔を何とか笑顔で取り繕って、私は「邪魔したな!」と元気よく副隊長室から退出した。
 そのままずんずん歩く私を見た六番隊の隊員たちの顔が、皆一様に一瞬で強張って、何故か道を開けてくれたのは―――如何してだろう。
 





 あれ以来、何をしていても気分が優れない。
 いつもお腹の中がもやもやして、胸がちくちく痛んで、頭の中は恋次の事で一杯で、それにまた腹が立って余計苛々が募っていく。
 恋次とはあの日以来会っていない。元々、毎日逢っていたわけではないのだ。六番隊と十三番隊は離れているし、副隊長の立場の恋次は普段から仕事が多く、通りをふらふらと歩いていることもない。こちらから会おうと思わなければ、恋次の姿を見る事はまずないのだ。
 それでも今まで毎日のように逢っていたのは、つまり、恋次の方から私に顔を見せていたわけで―――その恋次が私の元に来なくなれば、必然、恋次の顔を見ることもなくなるのだ。
 そうなれば逆に、外に出る度に恋次の姿を無意識に探している自分がいる。今まで毎日のように、用もなく顔を見せていた恋次が全く姿を見せなくなったのだ、気になって仕方ない。人の姿を見るたびに恋次はいないか、と探している自分に気付いて私は本気で自分に腹を立てている。
 そして更にお腹がもやもや、胸がちくちく、頭の中は恋次で溢れて、悔しくて悔しくて仕方ない。
 今も、昼休みに昼食をとりに通りに出てきた隊員たちの中に恋次がいないか探している自分に気付き、しかも珍しく外に出ていたらしい恋次を本当に見つけてしまって、どきんとした胸にうろたえて、そんな自分に腹を立て、それでも恋次を見つめている自分に茫然として、どきどきする胸と苛々する心と赤くなる顔とを持て余してパニックを起こしていると、「なーに百面相してるのよ?」と肩を叩かれた。
「ん?何見てるの?」
 私の視線の先を探して、「あー」と松本殿は納得したような声を上げた。いや、納得されても困るんだが。
「れん」
「じじゃありませんっ」
 松本殿には二字しか言わせず、後を引き取って私は勢い良く否定した。前のめりで拳を握り、松本殿に詰め寄ると「あ、あらそう」と松本殿が身を引いた。私の剣幕に少し驚いたようだ。
 そんな私を見た後、松本殿は少し先に立つ恋次に目を向けた。つられた風を装って私も恋次に目を向ける。
 恋次は理吉殿と、あと名前は知らないけれど何度か顔を見たことがある六番隊の隊員と、五人ほどで談笑していた。恋次を中心に会話しているようだ。理吉殿をはじめ、恋次を見上げる六番隊隊員たちの顔は楽しそうにほころんでいる。
 その中で恋次も笑っている。一群の中で恋次の背が一番高い。逞しい腕が露わになっているのは、両腕を組んでいるからだ。均整の取れた身体、鍛え上げられた美しい身体。
「あら、仕事終わったのかしらね?恋次、半年分の副隊長会議の書類、今週中に纏めて提出とか山本総隊長に言われてたけど」
「……それ、一人でですか?」
「うん」
「……でも、副隊長会議って、週に1回はありますよね」
「多い時は3回くらいあるわね」
「それを半年分?」
「うん」
「今週中に?」
「うん」
「……一人で?」
「うん」
 けろりと言う松本殿に「誰も恋次を手伝う人はいないんですか」と咎めるような声を隠しながら聞いてみたら、「いやあ、皆めんどくさがってねえ」ところころと笑った。
「皆に押し付けられたっていうか。ほら、あいつ先輩に頼まれたら断れない性格してんじゃない?かといって自分は後輩に面倒押し付けられないタイプだしさあ」
 そんなんでいつも貧乏籤引いてるのよね、と松本殿は悪びれずに、綺麗な髪を指にくるくると巻いてそう笑う。
「そこが恋次の愛すべきところかしらねえ。実際、あいつ人気あるし」
 ほら、と松本殿が指し示したその先に、恋次の元に駆け寄る少女たちが数人いる。恋次の前で何かを言い、恋次が頷いて笑うと、少女たちはきゃあと声を上げてはしゃいでいた。
 むっとしながら見ていると、今度は背の高い綺麗な女性が恋次に声をかけた。一言二言言葉を交わすと、ふ、と女性は笑って恋次に一度手を振り去っていく。
 むかむかする胸を持て余しながら見ていると、今度は恐らく今年入った新人だろう、死覇装がまだしっくりと来ない幼い顔立ちの少女二人が小さな包みを恋次に差し出していた。驚いた顔の恋次はすぐに相好を崩し、笑顔でそれを受け取るとぽんと少女の肩の手を置いた。真赤になった少女たちは頭を下げ、勢いよく走り去っていく。
 苛々した心のままにきつい視線を向けても恋次は気付かない。呑気に少女たちから貰った包みから鯛焼きらしきものを取り出して、理吉殿たちに勧めて一緒にぱくついている。
「……食べ物につられおってこのド阿呆……っ!」
 思わず口にした悪態を松本殿は聞いてしまったらしい。驚いたように私を見つめた後、にっこりと……いや、にやりと言った方がいいような笑顔で私を見た。くふふ、と小さく笑う声が聞こえる。
「そう、そうなの朽木、ようやく自覚し出したのね?」
「は?」
「いい傾向だわ、うふ、うふ、うふふふふふふ」
「へ、変な笑い方しないでください、何なんですか!」
 妙な誤解をされては敵わないと慌てて言い募っても、松本殿は「うふふ」と笑うだけで取り合ってくれない。
「恋次の事を好きな娘はたくさん……急がないと盗られちゃうわよ?」
 ひそひそと耳打ちされた言葉に「別に私は……っ!」と思わず大声を上げたら、恋次が私の方を振り向いた。そのままこちらに向かって来る恋次にあわあわしていると、「邪魔者はたいさーん」と陽気な声がして松本殿が立ち上がる。
「じゃ、邪魔者って別に私はそんなこと……っ」
「きゃー!馬に蹴られて死んじゃうー!」
「松本殿……っ!」
 引き止めようとした手をすり抜け、松本殿は笑いながら歩いていく。とんでもない誤解を解こうと「ちょっと待っ……!」っと追いかけようとした頭に大きな手が乗せられた。
「何してんだ?」
「何をしてようと私の勝手だ、莫迦!」
「まあそりゃそうだけどよ」
 肩を竦める恋次に、私の胸はずきんと痛む。何故私はこう、可愛げが無いのだろう……と落ち込みそうになって、慌てて頭を振った。別に恋次に可愛げなんて見せる必要はない。断じてない。絶対ない。
「そうそう、こないだの皐月由加里。時間出来たから、今日会うことにした」
 突然言い出した恋次のその言葉に、私の胸は先ほどの比ではなく激しく痛んだ。思わず息を呑んでしまうほどの衝撃。
 しばらく何かを言おうと口をぱくぱくさせた後、ようやく私は「っ、そ、そうかっ!」と上擦った声を出した。何故震えているのだろう、私の声は。
「って何で私に報告するんだ!?」
「いや、気になってるかと思ってよ?」
「なるか、莫迦ッ!!」
 というか報告するな莫迦!な、何でそんなことを私に言うんだ、そんな事聞いたら逆に気になるではないか!いや、気にならない、気になる必要もない、そんな事聞きたくないしっ、聞く必要もない……し。
「お前が誰と出かけようと私は全く関係ない!一々私に言うな莫迦!」
「そうか、悪ぃ」
 そう言いながら恋次は妙な顔をした。引き攣ったような……?
 その表情の意味を探ろうとした私の目を避けるように、口元を押さえてくるりと恋次は私に背を向ける。
「じゃあな」
「え?……あ……ああ、また」
 歩き去る恋次の肩が震えていたように見えたのは……私の目の錯覚だろうか。






 恋次と彼女の付き合いは順調に進んでいるようだ。
 恋次はあれ以来私に何も言っては来ないが、彼女の方が私に何かしら報告しにやってくる。
「今日ね、阿散井副隊長に誘われたの!」
「今日は、阿散井副隊長と食事に行くのv」
「明日、阿散井副隊長と買い物するのよ」
 そう報告してくる彼女の顔は何故か得意気で……その度に私は「そうか」「楽しんできてくれ」と心にもないことを上辺だけの笑顔で返していた。
 一々一々一々一々一々一々一々


 
煩い。


 
 と面と向かって言える筈もなく。
 2日に一度ほどの割合で恋次との進展を報告してきた彼女の、今日の報告に私は思わず絶句した。
「今日ね……私、阿散井副隊長と、戌吊に行くの」
 ふふ、と含み笑いでそう告げられた私は、いつもの口元だけの笑顔を浮かべることに失敗した。
 戌吊?
 ―――だって、だってそこは。
「戌吊。阿散井副隊長が育った場所。―――そこを私に見せたいって、阿散井副隊長……いいえ、阿散井さんが」
 くすくすと笑う声が癪に障る。
「ああ、朽木さんも戌吊に居たんですってね?ねえどんな所なの?阿散井さんの育った場所……私に見せたいって、そう言ってくれるなんて、ふふ……ねえ、私、すごい幸せなんだけれど」
 その言葉になんて返したかはわからない。ただ、逃げるように立ち去った私の背中に、彼女の笑い声がぶつかった。
 勝ち誇ったようなその笑い声に、悔しさよりも憤りよりも怒りよりも―――ただ、哀しさの方が強い。
 戌吊。
 私と恋次だけ想い出の場所。
 その場所に他人を連れて行くなんて、余程―――つまり、恋次は本気なんだということか。あの、皐月という女性に対して。
 途端、胸に走る痛みに私は思わず座り込んだ。
 痛い。
 何も傷なんてないのに、本当に……痛い。
 虚に攻撃された時よりも、破面の攻撃を受けたときよりも、もっとずっと痛くて辛い。
「……莫迦莫迦莫迦、恋次の莫迦」
 あの場所は二人だけの特別な場所なのに。
 今ではもう、私と恋次しか知らない記憶が静かに眠る場所。
 幼かった私たち、精一杯生きてきた灰色の町。辛いことも悲しいことも楽しかったことも嬉しかったことも、二人の記憶だけに残る想い出の場所。
 私たちが初めて出逢った場所なのに。
 そんな場所に、他人を連れて行くなんて―――あの場所で、私たちだけの思い出を、他の女に教えるなんて。
 恋次が誰かをそんな風に思うことがあるなんて。
 ずっとずっと気付かない振りをしていたのに。
 自分に嘘を吐くことは出来ないから、だから気付かない振りをしてきたのに。
 でももう……ごまかせない。
 気付いてしまったから。
 ずっとずっと目を逸らせていたそのことに、真正面から向かい合ってしまったから。
  
 私が―――



 恋次を好きだっていうことを。












「よう、今日もチビだなルキア」
 いつもの恋次の悪口に、私は無言で背中を向ける。
 昨日は一晩中眠れなかった。布団の中にいてもちっとも眠気がやって来てはくれなくて。
 戌吊で二人はどんな話をしたんだろう。
 戌吊の何処を二人で見たんだろう。
 もしかして私たち家族のお墓の前にも行ったのだろうか。
 静かに眠る彼らに、彼女を紹介したのだろうか
 そんなことを悶々と考えながら何度も寝返りを打っているうちに朝になってしまった。
「ん?何だよ元気ねえじゃねえか」
 ひょいと覗き込まれて私は真赤になる。こんな寝不足顔を見られたくない。
「煩い見るな莫迦」
 いつもならば手が出ながら大きな声で言い返す台詞も、今日は力なく呟くように口にしただけだった。
 そんな私を見て両腕を組み暫く考え込んだ恋次は、よし、と声を上げると「お前が元気になる話をしてやろう」と笑った。
「皐月由加里の件は片付いたぞ」
「……片付いた?」
 言葉の意味が解らずに恋次を見上げると、恋次はにやりと笑った。いつもの人の悪そうな、いつもと変わらない笑顔で。
「あの女、お前にやたら俺とのこと話してなかったか?」
「え?……ああ、まあ……」
「何処行くだのどんな話しただの俺と如何しただの、お前に言ってきたか?」
「……お前の差し金か」
 きっと睨みつけた私の前で、恋次は「何で俺がそんな事すんだよ」と憮然とした表情を浮かべる。
「ありゃあ、お前に対する当て付けだ。最初っから、俺に会いに来た時からそうだったしな」
「当て付け?」
「気付けよ、阿呆」
 ぴんと額を指で弾かれた。……痛い。
「何をする莫迦者!」
 じんじんする額を手で押さえながら、私は涙目で恋次を睨みつけた。そんな私を見下ろして、恋次は「あの女はなあ」とふうと溜息を吐きながら諭すように私に言う。
「お前を牽制してたんだよ」
 言葉の意味がわからない。きょとんとした私に、恋次はもう一度溜息を吐いた。
「牽制?」
「牽制」
「何の為に?」 
「お前が邪魔しないように」
「邪魔?」
「邪魔。」
「何の?」
「あの女と俺の間を」
「恋次と彼女の邪魔を、私がしないように?」
「そう」
「……何で私が邪魔をするんだ?」
 怪訝そうに言った私の言葉に、恋次はさらりと言う。
「お前が俺を好きだからだろ?」
「な……っ!!」
 絶句する私に、恋次は「違うのか?」と真正面からじっと見つめた。
 近い。近いってば!
「ななな何を莫迦なことを言っている!私がお前なんかを好きなわけがないだろう!!」
 咄嗟に口から出た言葉に、あ、と思った瞬間、恋次が―――
 笑った。
 いや、隠そうとしているようだけど、身体が小刻みに震えている。
 手を当てて口元を隠し、必死に笑いを堪えている。
「は?」
 笑うところか?
「そ、そうか、お前が俺を好きな訳がねえよな」
「あ、ったりまえだ莫迦者!」
「あの女にも全然やきもちなんて妬いてないし」
「当然だろうっ」
「昨日眠れなかったなんてこともある訳ないし」
「昨日はとてもよく眠れたぞ?布団に入った途端爆睡だ」
 おかげで朝はいい目覚めだった、と口にした途端、目の前の恋次が爆笑した。
「な―――何だ貴様!!」
 何が何だか判らなくて、笑い続ける恋次を見上げると、ようやく恋次は笑いを収めて―――それでもしばらく笑い続けながら、私を見た。涙まで流して笑っている。
「お前、自分では気付いてねえだろうけど―――」
 身体を震わせくくっと喉を鳴らしながら笑う恋次を茫然と見ている私に、恋次は言う。
「お前が嘘を吐く時、決まってやることがあるんだよ。だからお前の嘘なんてお見通し」
 今までは些細な嘘を見抜く程度だったその癖が、重要な意味を持ったのは、皐月由加里を連れて来たとき。
『何怒ってんだよ?』と尋ねた時に『怒ってなどいないぞ!』と返したお前が嘘を吐いていると気付いたときから。
 私にそう種明かしをした恋次の、口元を隠すその仕種に、私はようやく此処最近の恋次がいつも私との会話中に口元を押さえていた理由に気が付いた。
 ―――笑いを堪えていたのだ。
 私が嘘を吐いているのを知っていたから。
「き、貴様、私が如何思っているか知ってて笑ってたな!?」
「へー、嘘吐いてたって認めるんだな」
「みみみ認めない!嘘なんて吐いてない!!」
 また恋次が大笑いした。
 自分では一体どんな癖なのかがわからないから、……気を付けようがない。
 私の想いが筒抜けだ。
 ひとしきり大笑いした後、恋次は「という訳で」と真赤になって怒る私の頭に手を置いた。
「という訳で皐月由加里の件は上手く片付けた。ああいう女は、断り方間違えるとお前の方に嫌がらせするからな。あいつの方から俺を嫌うように仕向けたからお前の身も安全だ」
「お前を嫌うように?」
「結構大変だったんだぜ?さり気なく嫌われるっつーのも」
 止めの一撃は流魂街巡りだな、とさっきとは違う黒い笑みを浮かべて恋次は言う。私には向けたことのない笑顔の質で。
「皐月由加里は瀞霊廷産まれでな。流魂街を上から順に、嬉々として俺が見せて廻ったらその内顔が引き攣ってきてよ、途中で用があるとか言って帰っちまった。43区辺りだったか」
「43区……」
 下層に行けば行くほど、その光景は酷くなる。身を置く環境が酷ければ、そこの住人の性質も同程度になるのは当然で……でも43区はまだ半分くらいではないか。
 その程度で根を上げるなんて……いや、恋次の事だから、笑顔で相当あくどいことをしたに違いない。
 普段は他人に嫌がらせをする奴ではないけれど、こと私に関わることだと―――私に嫌がらせをしたり、私を傷付けたりした相手には、昔から恋次の性格はこれ以上ない程黒くなる。
 ……それが少し嬉しいと思っていたのは秘密なのだけれど。
「元々戌吊に連れて行く気はなかったけどな」
「……如何して」
 見上げた私に、恋次は表情を改めて私を見た。からかいの色も意地悪な表情も記憶の中の皐月由加里に向けた酷薄な表情も全て消して、真摯と言えるその表情で。
「戌吊はお前としか行かない。特別な場所だからな」
「…………そうだ、な」
 二人の記憶、二人の想い出。大切な。
 二人だけが知るその世界。
 他の誰にも介入させない。
「お前がそう思ってくれるのは、……すごく嬉しい」
 するりと口からこぼれたその言葉に、慌てて口を塞いでも、音になったそれをなかった事にすることは出来ない。覗き込む恋次の視線から思い切りそっぽを向いて、私は空の色などを確認してみる。
「―――ところでルキア」
 にやにやと笑みを浮かべる恋次に厭な予感を覚える。
 こういった予感は当たってほしくはないと思うのに、何故だかいつもこの手の予感は当たってしまう。
 ちらりと視線を向けた恋次の顔は、絶対に何かを企んでいる表情。
 身構える私に、恋次は。
「俺のことが好きだろう?」
「大ッ嫌い!!」
 間髪入れずにそう言ったのに、やはり恋次は嬉しそうで。





 世の中には素敵な男性というものはたくさん居る。
 私の周囲にもたくさんいるし、私の知らない素敵な男性もたくさんいるだろう。
 それなのに、何故。


 抱きしめられた胸の中で、真赤になって硬直するしかない私を覗き込む、
 紅い瞳の口の悪い幼馴染。
 この男が私の中で一番なのだ、小さな子供の頃から。
 意識しないまま誰よりも何よりも大切に想っていた。
 



「……すっげえ今、お前にキスしたい」
「なっ……ばっ……何言っ……」
「しちゃ駄目か?」
「駄目に決まってる!!!」



 両頬を恋次の手で挟まれ、仰向かれた顔に近付く恋次の……そして唇に優しく触れる暖かさ。
 触れるだけの、静かな、想いのこもった……幼馴染からようやく抜け出した私たちの最初の儀式。
 駄目だと言いながら受け入れる私は……そう、結局私は、恋次には何も、私の気持ちも想いも考えも何もかもを―――

 


 ごまかせない。

  


  







企画「月に向かって吼えろ」に投稿した作品です。

実さん、素敵な企画ありがとうございました!



司城さくら